酒井啓子氏・国際学会英語ネイティブ日本人・国際学会発表・プレゼン 英語 校閲
2003年のイラク戦争の折、連日のようにテレビや新聞報道に登場し、中東問題解説者として活躍した酒井啓子・東京外国語大学大学院教授。戦争の背景を解釈する際にたびたび用いられた「アメリカ対イスラム」「正義対テロ」といった対立構図式の世界観に異議を唱え、ともすれば米国寄りの視点に偏りがちな日本のマスコミに慎重姿勢を促し、イラクの政治社会や歴史などの多角的な視点から湾岸をめぐる国際関係を分析した。
   新進気鋭のイラク専門家として、世界中の中東研究者から一目置かれている酒井氏も、意外なことに、英語には深いトラウマ体験を背負っている。十数年前の国際学会での“失態”が原因で、一時“引きこもり状態”に。その後、OLやサラリーマンに混じって英会話教室に通い、山のように英語テープ教材を買い込んでは、必死の思いで英会話を猛特訓した過去があるという。今では「英語にはもうこだわらない」とあっけらかんと笑い、また、自分の研究者としてのアイデンティティは、「むしろ英語を話せなかったことから生まれている」とも語る。“引きこもり”になってから現在に至るまでの、英語にまつわる長い心の旅路を吐露して下さった。
取材・構成=古屋裕子(クリムゾンインタラクティブ)
 
酒井啓子氏・学会発表・英語 添削 プレゼン

酒井啓子氏・英語校閲サービス

私の脳裏には、どん底の英語のトラウマ体験が刻まれています。 1996年、カイロで行われた中東研究の国際学会で発表したときに、壇上でぼろぼろになったんです。何が起こったかというと、小難しい英語論文を淡々と読み上げていたら、聴衆から「発表が長いから、少しまとめてくれないか」と手厳しいコメントをもらって、頭が真っ白になり、言葉を失って、呆然と立ち尽くし、ぼろぼろで終わったんです。途中で泣いて逃げて帰りたくなるくらいに、ひどかった。私はこの学会で徹底的に落ち込んで、もう人前で英語をしゃべりたくないと思い、しばらく国際学会で発表することから離れました。そして、英語力が向上すると思われることだったら何でもやらねばと、英会話スクールに通ったり、英会話CDにお金をつぎこんだりしました。

日本に引きこもってから1年後、私はヨルダンの学会で発表することを余儀なくされました。私は、あの経験は二度と繰り返したくないと思い詰め、読み原稿を作り、丸暗記して、下手な発音でも伝わるような英単語を選び、どこで息継ぎするかまで綿密に決めた。このときは、持ち時間20分間の発表をどうにかこなせたけど、つまらないと思ったんでしょう、学界の大物研究者たちが私の発表の途中で退席してしまいました。

酒井啓子氏・国際学会英語・国際学会発表

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次の国際学会は、2000年にベルリンで行われました。このときは、聴衆が途中で次々に退席することはなかったけれど、私を含め発表者が3人ほど壇上に並んだときに、私に対する聴衆からの質問がほかの人よりも少なかった。つまり、自分の発表内容に興味を持ってもらえず、議題にのぼらなかったということです。

そして直近の2005年の国際学会。これは手前味噌になりますが、非常に高く評価されました。とくに欧米の学者ではなくて、イラク本国の学者が「欧米の学者が気づかないところに気づいている。素晴らしい」とほめてくれました。私は感無量で、「ああ、ようやくここまで来たなあ」と目頭が熱くなりましたね。

10年かかった。ぼろぼろになった最初の発表から、4回の国際学会で恥をかきながら、トラウマを克服しようと必死に努力した。私は今でも、国際学会が近づくと、決まって悪夢を見るんです。「聴衆が一人もいない」という悪夢。「たくさんいるのに帰っちゃう」という悪夢。そして、参加者から質問されるけど、何を言っているのかわからなくて呆然と壇上で立ち尽くす、という悪夢です。必ず見ます。私は国際学会を憎んでいます(笑)。

パーティーで「壁の花」の日本人

国際学会では、昼食の時間もまたキツイ。座席が決まっているわけでもなければ、友達がいるわけでもないので、自己アピールをして目立たないと、必ず壁の花になるんです。日本人も大勢行くような学会であれば、みなさん日本人同士でまとまるようですが、私は妙に負けず嫌いなのでそれもイヤ。したがって、学会に参加する研究者は必ずどこかのセッションに出て、一言二言でもいいから気のきいた発言をして、昼食のときに誰かが話しかけてくれるように自分の存在をアピールしておくのが鉄則。これはオクテな日本人にはハードルが高い。

私自身の経験を振り返ってみても、こうした場面での日本人のプレゼンテーションスキルの低さ、アピール力のなさは、日本の中東研究がグローバルに認められる上で大きな障壁となっていると感じます。日本の中東研究の質は世界屈指で、国際舞台に持っていけば最高レベルに食い込むものが多いのに、それを効果的に発信するだけの力がない。言うまでもなく、英語の壁が妨げているんです。 今や30代の若手研究者の発表はほぼすべて英語ですが、日本の学生はマジメで、英語に自信がなく、どうもパフォーマンスに精彩を欠く。欧米の中東研究なんて、堂々として見えるけどハッタリも多くて中身は大したもんじゃない。日本人はもう少し自信をもって、大げさでもいいからプレゼンテーションの魅力と迫力を工夫する必要があります。これは私自身の課題でもありますね。

酒井啓子氏・国際学会英語・日本人

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学会で心に傷を負い、「なんで英語のネイティブに生まれなかったのか」と恨めしく思ったこともありましたが、最近は、ネイティブじゃなくてよかったと思うこともあります。中東研究は、中東という現場から得たオリジナルな情報や知識を原石として、それを加工する学問です。加工の仕方は、研究者の数だけあります。欧米の研究者が加工したものに対して意見を述べるのではなく、日本人でも原石を別の形に加工して、「こんなのもできました」と示すことができる学問です。

このとき、英語圏には植民地時代から連綿と築かれてきた中東研究の流れがあるし、とくにヨーロッパの学者はカントだのヘーゲルだのフーコーだの西洋哲学の歴史をしょって、その思想を自分の骨肉としているから、それらから自由であることは難しいと思うんです。その意味で、私などは「面白い加工の仕方をするね、ユニークな視点だね」と評価を受けている。英語はハンディキャップである反面、英語の思想から自由であるゆえに、柔軟性や独創性が持てる。これが私の研究者としてのアイデンティティーになっています。だから、私は英語力にこだわることはもうやめました。

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さらに言えば、中東研究は、英語がもっとも現場に近い言語ではありません。理想を言えば、自分の研究をアラビア語にしないとだめだと思う。アラビア語で論文を発表して、アラビア語のネイティブの学者たちに「あなたの言っていることは正しい」と認められない限り、その地域を専門に研究しているとは言えないと私は思っています。
実際、トルコ研究をやっている日本の先生たちは、トルコ語で論文を書いて、トルコの本屋さんでトルコ語の本を出している。そして、彼らがトルコ語で書いた本を、欧米のトルコ研究者が読んで学ぶ、こういう世界が成り立っているわけです。

中東研究は、そこまで達しないと完成したことにはならないでしょう。英語は単にアカデミックコミュニティの意思疎通の道具の一つであって、最終的には現地語で現地の人に、私が何を考えているのかを知ってもらいたい。これが究極の目標であり、私の夢です。最終的にイラクの人たちに「この本はいいね」と言われるような本を書きたいですね。
 
金田一秀穂5

酒井啓子(さかい・けいこ)中東学者


1959年東京生まれ。82年東京大学卒、日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所入所。英国ダーラム大学で修士号取得。86年から89年、在イラク日本大使館専門調査員。95年から97年、カイロ調査員としてカイロ・アメリカン大学に赴任。2005年10月、東京外国語大学教授に就任。イラクを中心に湾岸諸国の現代政治・社会史を研究。著書に、『イラク戦争と占領』(岩波新書)、『イラクフセイン政権の支配構造』(岩波書店)、『イラクとアメリカ』(岩波新書)など多数。イラク戦争以来、テレビや新聞報道の中東問題解説者として活躍。現在、朝日新聞社の書評委員も務めている。

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