本川達雄・東京工業大学・面白教授・英語 論文 分かりやすい 書けるように
生物は体のサイズによって時間の流れる速さが違う。こんな視点から書かれた著書「ゾウの時間 ネズミの時間」がベストセラーとなった本川達雄・東京工業大学教授。生物学の面白さを学生たちにわかりやすく伝えたいと考え、講義内容を作詞作曲して、授業中に自ら歌う「歌う生物学者」としても知られる。
   本川氏は、日本人科学者と英語の関係についても独特の視点を持つ。氏の名前を有名にした論考「スシサイエンスとハンバーガーサイエンス」では、日本と西洋のサイエンスの違いを東西の思想をベースにして論じ、アメリカで話題になった。その主張とは、サイエンスはもともと西洋が作ったものであるゆえ、英語中心主義になるのは仕方ないが、その土地、その文化固有のサイエンスの形があって、科学者はその多様性を認識する必要がある、というものだ。
   「赤毛のアン」や「ナルニア国物語」が大好きというメルヘンチックなエピソードを織り交ぜながらの英語体験談は、ついには英語というテーマを飛び越えて、本川氏の目指すサイエンスとはなにか、科学者の役割とは、というところまで及んだ。
取材・構成=古屋裕子(クリムゾンインタラクティブ)
 
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私が英語の面白さに目覚めたのは、大学紛争のおかげです。大学に入ってすぐ、学園紛争で2年くらい講義がなくて、仕方なく物理や数学や化学の教科書を一人で読んでいたのですが、全くわからない。ところが英語の教科書を読んだら、スラスラわかった。それに英語が実に簡単なんでえらくビックリしたんです。理系の英語の教科書は理論がはっきりしているし、ちゃんとステップを追って書いてあるから理解しやすい。とくにファインマンの「Lectures on Physics」は英語で3巻もあるのに、物理の世界とはこういうものかと非常によくわかって感激しました。

高校の英語副読本はまるで歯が立たなかった。だって、バートランド・ラッセルなんて読ませられたんですよ。大学の英語だってジョイスとシェークスピアだから、分かれというほうがおかしい。私が思うに、文学系の人たちが英語を教えているから問題なんですよ。文学や哲学なんて日本語で読んだって私には解釈できないんだから、情緒も何もない、「1たす1は2」みたいに“すっきりくっきりこれっきり”って理論がハッキリしている理系の英文を、どうして初等中等教育でもっと教えてくれなかったのかと腹が立ちました。

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大学時代には、内村鑑三系のキリスト教の寮に入りました。学園紛争の時代だし、寮なぞに入ったらやっかいなことに巻き込まれるのではと親は心配だったようですが、内村鑑三系なら問題ないだろうということで。清く正しい寮でしたね。私は1日30ページずつ読めば旧約・新約聖書が1年で読み終わると目標を作って、読み通しました。次はルター聖書も、といってドイツ語を勉強し、しまいには聖書の原典を読もうといってギリシャ語も勉強したりして、クリスチャンでもないのに聖書の勉強はよくしました。それと同時に、鈴木大拙の禅の本なども一生懸命読んで、座禅に行ってガンガン叩かれたりもしていました。こうして東西の思想の違いをしみじみ体感しました。

西洋の考え方の下敷きになっているのは、キリスト教とギリシャ哲学です。西洋のサイエンスは「真理」を追究するものだけれど、「真理は一つである」というのが基本的立場。なんでも一つの単純な真理に還元してしまったほうがいいという考え方がある。これはもう、一神教的発想以外の何者でもないでしょ。こうしたことに気づかせてくれたのも、私が聖書を熟読していたおかげです。

英語のサイエンスに何か言ってやりたい

日本の科学者は英語が下手ですが、英語で論文を書く場合は英語が上手下手の問題だけではないんです。そもそも自然科学は西洋が作ったものだから、論文は英語で、西洋風の論理で書かなければ評価されないのは当たり前。日本人は英語力を磨くと同時に、聖書を読んで西洋の真理観を学び、アリストテレスの論理を学び、「ソクラテスの弁明」を読んで西洋風の議論の進め方というものを勉強しなければ意味がない。私は大学時代、長い時間ポケーッと歩きながら、ソクラテスの口調を真似ていろんなことを頭の中で組み立てるなんてことをよくやっていました。

私は英語がしゃべれなくてくやしい経験をしたことはあまりない。英語論文もほめられます。「一目でネイティブのものではないとわかるけど、でもおまえの英文にはスタイルがある、人格があるから悪くない」なんて言われて、世間ではそれなりに通用します。だいたい、ネイティブと同じように書けるわけがないのであって、論理立っていて誤解のないようにきちっと書いてあれば、それで許してもらっていいと思います。

英語の壁もさることながら、日本の科学と英語の科学は非常に違うのに、しかしみんながあまりにもその違いに対して無自覚であり、これが高い壁になっていると思います。もちろん西洋人は日本の科学が違うことなど思いもしませんから、私は「これは何とか言ってやらなきゃ」とずっと思っていました。それで、日本と西洋のサイエンスを比較して論じた「スシサイエンスとハンバーガーサイエンス」というエッセイを書き、デューク大学をはじめ、いくつかのアメリカの大学や研究所で公開講演会をやったわけです。

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スシは、生の魚を切って一口大のご飯の上に載せただけの料理です。なんのレシピもない。でも、スシ職人の魚の切り方ひとつ、シャリの握り方ひとつで、味は大きく左右されます。しかし、日本の職人は表立ってプロの技を主張しない。職人は一歩退いて「材料そのものに語らせる」という姿勢です。一方、アメリカンフードの代表格・ハンバーガーやフランス料理などは、これでもかと具を積み上げたり、具をこてこてに調理したりします。フランス料理のシェフなどは勲章をかけて偉そうな顔をしてしゃしゃり出ます。フランス料理は材料は従で、料理人の腕が主役。シェフが饒舌に語る料理と言ってよいでしょう。

サイエンスも、これによく似ています。日本のサイエンスは結果重視で、精度の高いデータを提出して、それに語らせる。英語論文のフォーマット上、結果のあとにくる「ディスカッション」なんて、「結果が出ているのに、これ以上何を議論すればいいのか」と困る日本人研究者はいっぱいいる。一方、西洋のサイエンスは結果より議論を重視します。事実は単なる事実でしかなく、それらから導かれる理論(イデア)を重視する。たったこれだけのデータで、よくまあ、こんな壮大な仮説を打ち出すものだなあとあきれるような論文もけっこうありますよ。

ハンバーガーサイエンスには、結果を軽視して空理空論に陥る危険性がある。一方、大きな仮説を立てることを避けがちなスシサイエンスは、普遍的な理論を出しづらく、ともすれば新しくて斬新な方向に科学を推し進めていくエネルギーに乏しい。科学者には、科学とはどういうものかということをいつも問うていく姿勢がなければいけないし、サイエンスは多様であり、どのサイエンスにも長所と短所があるということに対して、自覚的である必要があるのではないでしょうか。

英語にとらわれず、真のクリエイティビティを

西洋の作った科学というものでメシを食わせていただいている以上、私も英語で論文を書くし、西洋の論理、西洋の土俵に乗っています。しかし実際には、多様な有象無象のものがあり、違った世界観があって、それらの間に優劣はつけられるものではない。世界中に違ったサイエンスがあり、たった一つの大文字の「The science」ではなくて「sciences」だと私は言いたいわけです。日本人研究者は、西洋人が作った土俵の中だけで相撲をとったって、最初からハンデがあるのだから、私としてはそれはやりたくない。一番創造的なことは、自分で土俵を作ることです。

日本人である以上、私は日本に足の着いた科学をやりたい。科学は普遍的なものだから、どこでやってもいいと言う人もいるけど、数学や物理学と違って、生物学は個々の生物を相手にし、その生物は土地土地で異なるものです。このように土着性のある生物学なら、西洋の科学をある程度日本に引き寄せることができるし、西洋の人から見れば、科学の土俵が広がる。そうだからこそ日本人が西洋の科学をやる意味があるのだろうと思うし、サイエンスの裾野を広げることをクリエイティビティというのだろうと私は思っています。英語に腐心するのは小さなこと。ただ新しい事実を見つけた、というだけではダメで、新しい世界の見方、自然の見方を提供するのが、自然科学の大きな役割だと思います。

金田一秀穂5

本川達雄(もとかわ・たつお)生物学者


1948年、宮城県仙台市生まれ。71年東京大学理学部卒。理学博士。琉球大学助教授、アメリカ・デューク大学客員助教授を経て、現在は東京工業大学教授。ナマコ、ヒトデ、ウニなど棘皮動物の専門家。「ゾウの時間 ネズミの時間」(92年、中公新書)がベストセラーとなり、同書で講談社出版文化賞を受賞。ほか「歌う生物学」(93年、講談社)、「おまけの人生」(95年、阪急コミュニケーションズ)など著書多数。また、理科教育を親しみやすいものにしたいという思いから、「運び屋血液」「タンパクのタンゴ」など生物学をテーマにしたユニークな歌を作詞作曲し、自ら歌って発表する音楽活動でも知られる。音楽家としての仕事は、CD「ゾウの時間 ネズミの時間~歌う生物学」などに収められている。

上野千鶴子氏・上野千鶴子 上野千鶴子氏・上野千鶴子 上野千鶴子氏・上野千鶴子 上野千鶴子氏・上野千鶴子 上野千鶴子氏・上野千鶴子