基礎研究をめぐる日本の状況

基礎研究とは

基礎研究とは、人類が理解していない現象を理解するために行う研究であり、文部科学省(以下、文科省)の2014年の資料によれば「特別な応用、用途を直接に考慮することなく、仮説や理論を形成するため、又は現象や観察可能な事実に関して新しい知識を得るために行われる理論的又は実験的研究をいう。」と定義されています。

基礎研究の成果は、着実に次の研究の下支えとなっています。例えば、新型コロナウイルスが猛威を振るったとき、ウイルス学や病理学の基盤があったからこそmRNAワクチンを短期間で開発することができました。また、ニューラルネットワークの研究の積み重ねがあったからこそ、近年の人工知能(AI)の急速な発展が実現したのです。つまり、基礎研究はその成果が発表された時点で直接的な経済効果につながらなかったとしても、巡り巡って人々の生活に役立ち、経済にもプラスの効果をもたらすものであるということです。

基礎研究の重要性

基礎研究の重要性

基礎研究の成果は、実用化につながらなかったり、具体的な利益につながるとしても時間を要したりするものです。5年、10年という短期ではなく、100年単位の長期で考えれば、基礎研究は確実に世の中の「役に立つ」ものなのですが、外から見ると何をやっているのかわからないことも少なくなく、「役に立たない」と思われてしまうこともあるでしょう。

2024年にニューラルネットワーク研究者のJohn J. Hopfield氏とGeoffrey Hinton氏がノーベル物理学賞を受賞した際、一般社団法人人工知能学会の会長栗原聡氏が、情報処理に関する研究が受賞したことに驚き、「毎年この時期になると皆が納得するものの,すぐに忘れてしまうのが,基礎研究の重要性である.」とのコメントを発表したのは印象的でした。

ノーベル賞が発表される10月には受賞者の功績に惜しみない讃辞を贈るのに、11月になるとみんな忘れてしまうと指摘しつつ、基礎研究については抜本的な対策が必要であると問題提起していました。多様な基礎研究は、いつかどこかで人類への貢献につながるのです。

基礎研究力の低下が国際競争力の低下につながる

栗原会長のコメントは「かつての日本はこの基礎研究にしっかり取り組んでいたし,なのでノーベル賞を受賞される研究者も誕生してきた.しかし,現在の日本は極端な言い回しをするなら直近しか見えなくなってしまっている.研究費を無駄にしないためにも必ず成功して事業化することが求められる傾向がどんどん強くなっている.」と続きます。実際、大隅良典氏や本庶佑氏をはじめとする歴代のノーベル賞受賞者の多くが日本で基礎研究が軽視される傾向にあることに対して危機感を示しており、基礎研究の価値を指摘しています。

基礎研究は、既存の問題や技術の限界を打破する可能性を有していますが、どの基礎研究がいつ、どのように画期的なイノベーションにつながるかは当の研究者ですら分かりません。だからこそ、多くの研究者がさまざまな研究を続けていくことが不可欠であるにも関わらず、2000年代初頭に科学技術政策に「選択と集中」の考え方が導入されてから、基礎研究は危機に瀕していると指摘されています。

基礎研究を極めた研究者が勝ち取ったノーベル賞

ノーベル賞発表の時期には、よく「日本の研究力が落ちている」ことが報道でも指摘されますが、受賞者からの警鐘だけでなく、大学ランキングでも日本の研究力の低下は明らかです。

かつて日本は科学技術を先導する立場にありましたが、もはや中国、インド、韓国などに追い越されています。1990~2000年代に研究者が純粋な好奇心を追求する研究活動を重ねて来た結果が、近年のノーベル賞受賞や国際的な高評価に結びついたと言えますが、最近ではすぐに「役に立たない」研究には資金が付かないなど、時間をかけて基礎的な研究を継続して行うことが難しくなっています。オートファジーの研究成果に対し2016年にノーベル医学生理学賞を受賞した大隅氏は、「人がやらないことをやろうという思い」から、役に立つことを目指すのではなく純粋な好奇心に支えられて研究を始めたと、Science Portalに掲載されたインタビューで述べています。実用化や効率ばかりを重視していたら、大隅氏の偉業は成し遂げられなかったかもしれません。

経済成長重視の民主主義社会の中で「すぐに役に立たない」基礎研究を進めるには、学問の短期的な有用性だけでなく長期的な価値に意識を向けることが求められます。日本政府の対策の遅れや、厳しい現状に危機感を抱いている研究者は多く、大隅氏は基礎科学の振興を目指す「公益財団法人 大隅基礎科学創成財団」を自ら設立し、研究者目線で独創的で面白い研究への支援を行っています。

日本人によるノーベル賞受賞の多くはその研究者が若い時の研究が評価されたものであることを踏まえ、今後、若手研究者による新しい着想と研究への意欲を育てていくことも重要でしょう。

日本の基礎研究の現状

基礎研究が軽視されている?

「役に立たない」と思われがちな基礎研究を続けるには、社会全体からの理解と資金が必要ですが、「選択と集中」の考え方に即せば、自然現象や科学の原理を理解するための基礎研究は取りこぼされがちです。

昨今は実用的かつ問題解決につながる技術開発を目指す研究が重視されているとはいえ、そういった応用研究は基礎研究の成果を前提としています。にもかかわらず、短期的に「見える」結果の出る応用研究だけが注目されがちです。先にコロナのことを例に出しましたが、薬学の基礎研究がなければ、どんな新薬の開発もできません。基礎研究と応用研究のどちらも重要ですが、基礎研究がなければ、それを基にした応用研究も成り立ちません

著名な研究者たちが基礎研究の重要性を訴え続けており、2004年に科学技術・学術政策局が実施した科学技術基本計画ヒアリングで文科省もその価値を認めているにもかかわらず、政策には反映されきっていません。応用研究を重視する結果、日本政府の研究予算の配分が基礎研究軽視になり、基礎研究への資金提供が減少していると指摘されています。

現在の資金配分では、長期的な視野を必要とする基礎研究に対応できていないとの批判があり、その結果、基礎科学力の低下を招くことにつながるのです。文科省は基礎研究が軽視される傾向は問題であるとして、研究資金の増額に向けて対処しようとしていますが、追いついていないと言われています。このまま基礎研究軽視の風潮が続いてしまうと、日本の科学技術の基盤が損なわれる恐れがあります。

日本の科学技術教育と基礎研究の相関性

日本の科学技術教育における問題の根は、教育現場にも現れています。

Science Japanが報じた研究論文によると、中学3年間の理数科目の授業時間はピークだった1970年代(1972-1980年)の840時間から2000年代(2002-2011年)の605時間と、28%も削減されていました。

この削減は時間数だけでなく質的な変容も伴っており、学習指導要領の改訂により、小中学校における理科教育の学習項目数は1970年代の228項目から2000年代の56項目へ75%も削減されていたことが判明しました。カリキュラムから削減された項目の中には科学研究の基礎ともなる概念も含まれており、この削減が研究開発能力に大きな影響を与えたと述べられています。

出典:Science Japan Huge impact of reduced class hours for math and science in junior high school: new survey results in international journal show decline in research capabilities

恐ろしいことに、この教育現場における内容の希薄化が世代間の研究生産性にも明確な差として表れていることが明らかになっています。上述の研究論文では世代別の教育時間と特許出願数に相関が見られることが示されていますが、研究に対する取り組みにも影響を及ぼしていると推測できます。

基礎研究が軽視されれば、その成果に基づく応用研究の発展も望めません。文科省は、日本では新たな研究の芽となる可能性のある研究領域が相対的に減少していることを認識しています。基礎研究には長期的な視野が必要で、一定の研究費が継続的に確保されると同時に、基礎科学力の底上げに向けた改善も急がれます。

基礎研究への支援―他国との比較

かつて日本は科学技術を先導する立場にありましたが、今では中国、インド、韓国などに追い越されています。今や、基礎科学力は国力に直結すると言われ、官民で投資しなければ国際競争に打ち勝てないとも言われていますが、基礎研究における成果では韓国に抜かれ、研究投資額では中国や米国に及ばないという状況です。中国や米国のように大規模な研究投資を行っていないことが研究成果に影響し、さらに基礎研究への配分が少ないことが問題であると指摘されています。

科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の「科学技術指標2025」によれば、主要国(日米独仏英中韓の7か国)における日本の研究開発費は米中に続いて20.4兆円で3位ですが、内訳を見ると企業の研究費が16.1兆円(3位)、大学が2.3兆円(5位)、公的機関が1.8兆円(4位)と、企業の割合が多いことが見て取れます。

研究者の数では、中国・米国に続く3位となっていますが最近は横ばい傾向にあり、人口100万人あたりの博士号取得者数は123人と6位となっています。7位は中国ですが、相対的な総人口の数を考えれば日本の低迷さが浮き彫りになっていると言えるでしょう。韓国では研究者の数が増加しており、ドイツ、米国を抑えて2位に浮上しています。

論文数(自然科学系、分数カウント法)では世界第5位を維持してはいるものの、影響力の高い論文の上位10%の補正論文数では13位、上位1%では12位となっています。基礎研究の躍進がめざましい韓国では上位論文では10%、1%ともに日本を超えていますし、中国はすべての種類の論文数で世界1位となっています。

Science Technology Indicators
出典:NISTEP「科学技術指標2025及び科学研究のベンチマーキング2025」

日本の大学改革は成功したのか?

大学改革からの20

公務員の削減をひとつの目的として2004年に実施された国立大学の法人化から20年。コロナ禍を経て、日本の大学は今、少子化や日本全体の経済状況の悪化といった問題への対処を迫られています。

運営費交付金の削減により、国立大学の経営状態が悪化した結果、研究力が低下、諸外国との格差が広がり、法人化は失敗だったとする意見もあります。また、AI技術の到来といった大きな変化にも直面しています。大学改革によって運営費交付金が削減された一方で、予算の支出品目が指定されない外部資金の導入を認めるなどといった策により、改革後の経営は大学次第とされたわけです。

改革を通じて経営における「自由」を得た大学が競争力を付け、研究教育の質の向上をもたらし、大学が持っている知財の活用につながることが期待されていました。ところが、近年の物価高騰とも相まって財務状況は悪化し、研究力の低下や若手研究者の育成への悪影響も危惧されています。

大学の基礎研究費が大幅に減る一方で、科学研究費等の競争的経費が増額されたものの、科学研究費は1~3年の限られた期間しか提供されないことが基礎研究の軽視につながっているとも言われてきました。企業の研究者も同様に、目先の利益(生産性)を求められるので、資金、人材や時間がパフォーマンスを高める上でのネックとなっています。

新たな「改革の方針」発表

こうした状況の中、日本政府は全国85校の国立大学の機能強化に向けた議論を重ね、文科省の検討会(座長:相澤益男科学技術国際交流センター会長)が国立大学法人等の機能強化に向けてまとめた新たな「改革の方針」を、2025年8月29日に発表しました。

同検討会は、国立大学がコストカット型経営を強いられた結果、諸外国の大学との格差が開いたとの危機感を示しており、2024年7月に設置されて以降、議論を重ねてきました。

今回の改革方針では、各大学が抜本的な機能強化を促すとともに、政府全体で大学を支援する体制の構築を強く求めています。運営費交付金は大学の経費の基盤となっていますが、2025年度は総額で1兆784億円と前年比で13%削減されており、物価の高騰と相まって大学の財務状況を悪化させているとして、物価変動などに対応する仕組みの構築が求められています。

しかし、運営費交付金の毎年1%の削減は、法人化のときに決まっていたことであり、国の財政が厳しい上に少子化が止まらない中、私立大学と学生を取り合う国立大学にだけ資金増額ができるとも思えません。改定の方針は大学によっては統合や再編も選択肢だとしつつ、財政を安定させる仕組みの導入や、各法人の取り組み強化を後押しする内容となっており、文科省が他の省庁と連携して大学の機能強化に向けてリーダーシップを発揮することが期待されています。

日本の基礎研究の将来

基礎研究の重要性が認識されているにも関わらず、なかなか改善が進まない状況の中、これからの日本の基礎研究はどこに向かうのでしょうか。

基礎研究の軽視が続けば、日本の科学技術の基盤が損なわれることが懸念されますが、研究者自身が成果を「測られやすい」方向(達成しやすい研究テーマを選好するなど)に誘導される構造が生まれており、その結果、新たな研究の芽となる研究領域への参画が停滞しているのでは、との懸念も議論されています。

現状を打開するためには、政策改善が必要です。まず、基礎研究には長期的なビジョンが不可欠なので、長期で研究を支えられる仕組みが必要です。その上で、若手研究者が将来に不安を抱くことなく研究に従事できるような研究環境を確保するとともに、若手研究者を育成していく必要があります。若手研究者のポストを一定数確保するというような人事戦略が必要かもしれません。

また、研究の大規模化にともなう研究データの量的・質的増大に対応した情報基盤や、独創的な実験研究を支えるための共同利用施設・設備の整備も推進する必要があります。

一方で、産業界も目先の利益の追求にとらわれず、競争市場主義を押し出すのではなく、基礎研究の成果を産業に結びつけ、科学技術の向上を図るべきです。特に、気候変動対策やエネルギー分野における技術開発では、産官学の連携が期待できるでしょう。基礎研究を回復させることが、結果的には国の競争力を高め、国際社会において日本の研究力を示すことにつながるはずです。

研究プロジェクトは多種多様ですが、近年はファンディングも多様化しています。しかし、日本政府が国内の研究を支援する場合には、税金を使ってその研究開発を行うことへの説明責任があるはずです。

財政状態が厳しい日本で、科学技術の応用、実用化を目指すあまり、大学や研究機関での研究が企業の下請けになってしまっては大学の存続意味が薄れてしまいます。もともとの技術を有していたとしてもビジネスを重視するあまり肝心な部分を国外企業に握られてしまったら日本企業も国際市場で生き残れません。こうしたことも鑑みれば、日本の学術研究が目先重視で応用研究を偏重する状況のままでよいとはとても思えません。

安心して基礎研究に従事できる環境を整え、研究者を育てていくことが急務です。

現役若手研究者の声 インタビュー紹介

東京大学大学院農学生命科学研究科准教授矢守航先生へのインタビュー – Share Your Story

「博士課程に進めば、研究の魅力を存分に味わいながら、将来の可能性を広げていくことができる。研究職を安定した魅力ある職業に変えることで、日本の学術研究は一層躍進する。」

疑問を突き詰め、新しい着想で、人がやっていないことを行うことで、地球規模の問題へのブレークスルーの糸口を見出している矢守航先生は、若い世代に対しこう語りかけます。

「力を合わせて、日本の科学を盛り上げていきましょう!」

share story 1

基礎研究の価値 インタビュー紹介

東京大学大学院医学系研究科教授水島昇先生へのインタビュー – Share Your Story

「『知りたい』という、人間の本質的な欲求に応える基礎研究。良い基礎研究は次なるクエスチョンをたくさん生みます。」

オートファジー研究のパイオニアである大隅良典先生の論文に感銘を受け、大隅先生の研究室の門を叩いた水島昇先生。学際的な研究の意義や、基礎研究の価値についてお伺いしたインタビューです。

参考

CRDS 研究開発戦略センター 研究開発の俯瞰報告書 主要国・地域の科学技術・イノベーション政策動向(2025年)

文部科学省 令和7年版科学技術・イノベーション白書 本文(PDF版) 第3章 我が国の科学技術・イノベーションの振興に向けて

東京大学出版会『「役に立たない」科学が役に立つ

科学技術・学術政策研究所 科学技術に関する意識調査 -2001年2~3月調査-

Global Note 世界の研究開発費 国別ランキング・推移(UNESCO)

経済産業省 データで見る我が国の民間部門における研究開発投資状況

文部科学省 基礎科学力の強化に向けた今後の方向性

Science Portal 基礎科学の重要性もう一度強調したい(大隅良典 氏 / 東京工業大学栄誉教授)

内閣府 基本計画専門調査会(第3回)議事次第 資料3 伊藤委員提出資料

総務省 第5回研究開発戦略委員会 委員会報告のとりまとめに向けた論点整理(その2)

経済産業省 令和6年2月 産業技術環境局 資料4 イノベーション循環をめぐる現状と課題

PR TIMES 株式会社Inner Resource 【企業研究者の抱える課題とは?】約9割の企業が「研究の生産性」を重視 購買業務のDX推進で、約半数が「発注手続き・承認プロセスの手間削減」を期待

X

今すぐメールニュースに登録して無制限のアクセスを

エナゴ学術英語アカデミーのコンテンツに無制限でアクセスできます。

  • ブログ 560記事以上
  • オンラインセミナー 50講座以上
  • インフォグラフィック 50以上
  • Q&Aフォーラム
  • eBook 10タイトル以上
  • 使えて便利なチェックリスト 10以上

* ご入力いただくメールアドレスは個人情報保護方針に則り厳重に取り扱い、お客様の同意がない限り第三者に開示いたしません。

研究者の投票に参加する

以下の項目のうち、AI利用に関する開示声明に含めるべきだと思うものはどれですか?