
水島 昇(みずしま のぼる) 教授
東京大学大学院医学系研究科教授
水島昇先生へのインタビュー - Share Your Story
[取材・編集] 研究支援エナゴ
細胞内で不要なタンパク質が分解されリサイクルされる仕組み「オートファジー」。研究のパイオニアである大隅良典(おおすみ よしのり)先生の論文に感銘を受け、医学の研究員であった水島昇先生はその門を叩きました。そしてその下で共同研究を進め、後に大隅先生はノーベル生理学・医学賞を受賞、水島先生もこの分野で非常に引用数の多い論文を多数発表されてきました。
今回の水島先生へのインタビューでは、オートファジーの研究を始められたいきさつなどを交え、豊富なバックグラウンドをお持ちの先生ならではの視点で、学際的な研究の意義や、研究キャリアを築く際のアドバイス、「基礎研究」と「応用研究」それぞれの価値、大学生を含む若手研究者へのアドバイスなどについてお話しいただきました。
総括を務められているCRESTの「生命力」分野や、創刊当時から関わられてきたジャーナル『eLife』にまつわるコメントは、アカデミアにいない人々にとっても、日本の学術研究のこれからや、AIの発展でゆれる学術出版や研究倫理などについて考えるヒントとなるでしょう。
科学に興味を持ったきっかけ
あまりはっきりとは覚えていませんが、おそらく小学校の時から科学が好きでした。一つのきっかけは、母が毎月渋谷にあったプラネタリウム1に連れて行ってくれていたことです。プラネタリウムは、毎月行っても内容はそんなに変わらないのですが、私が特に好きだったのは、天体の動きや望遠鏡の仕組みなどについてのたくさんの展示を見ることでした。帰りに本屋に寄って関連する本を一冊買って帰るということを続けていて、そういう点で小学校の頃は天文学などがとても好きでした。そういうところから始まったような気はしますが、もともと親戚に研究者や医者が多かったことからも影響は受けていたと思います。
医学分野からオートファジーの研究に転じた理由
医学部の内科の大学院にいた私は、大隅先生の論文を読んで初めて、細胞の中を分解する仕組みであるオートファジーについて知りました。オートファジーを面白いと思い、その研究に転向した理由は大きく3つあります。
1つ目はオートファジーという現象の普遍性です。これはもともと哺乳類で見つかっていた現象なのですが、大隅先生がそれを酵母においても見つけられました。おそらくほとんど全ての核を持つ生物(真核生物)に備わっている普遍的な現象だということです。
2つ目は、1990年の後半当時は細胞死=アポトーシスの研究が盛んになり始めていた時期で、線虫という単純な生物の遺伝学から研究が一気に広がり、私自身がそうした単純な生物の遺伝学から研究分野が広がっていくことに対する憧れを持っていたということです。大隅先生は線虫よりさらに単純な酵母を使い、オートファジーの現象や仕組みを明らかにしていこうということを始められていました。アポトーシスの研究で起こっていたことと同様のことが、オートファジーの研究においても起こるのではないかという期待がありました。

3つ目は、やはりオートファジーという現象は、私自身も知らなかった非常に新しい領域だったということです。内科での研究を始めたばかりの私でも、オートファジーのような新しい分野であれば、今からでも研究をやっていけるのではないかと思いチャレンジしたのです。
当初のオートファジー研究が目指したゴール
当初のオートファジーの研究では、老化現象を食い止めるとか、免疫を上げるといった応用的なゴールは全く考えられていなかったと思います。オートファジーという現象の仕組みがはっきり分かっていなかったため、その仕組みをちゃんと理解しようというところがゴールでした。単に現象を見るだけでなく、どの遺伝子の働きでそれが起こるのかを明らかにすることです。ですから酵母を使って遺伝子が次々と分かってきたことは非常に大きな手がかりになっていたわけです。
オートファジーが細胞の中のゴミを取る上で役立つといったことが分かったのはもっと後のことで、遺伝子が特定され、仕組みが分かり、オートファジーを起こせないと生物はどうなるのかを見ていくことで、そうしたことが明らかになっていったのです。大隅先生は、本当に純粋な好奇心から顕微鏡を見て、酵母もオートファジーを起こしているということを発見したと聞いています。
オートファジー研究が広がっていった背景
まず大前提としてオートファジーは最初にラットなど哺乳類で発見された現象です。ですので酵母のような単純な生物でわかったことはおそらく哺乳類や他の生物にも応用できるようになっていくだろうということは最初から容易に予想はできました。実際に酵母で見つかってきたオートファジーに関わる遺伝子のいくつかは哺乳類にもほぼ同じものがあるということが当時のデータベースで分かりました。

しかし1990年代当時はヒトゲノムプロジェクト2が終わっていなかったため、ヒトのすべての遺伝子がデータベースに入っていたわけではなく、酵母のオートファジー遺伝子に相当する遺伝子の一部が見つからないという時期がありました。それについてはデータベースに頼らず、実験を通じて哺乳類にも同様のタンパク質、遺伝子があることを明らかにしていきました。今ならもっと簡単に分かったと思いますが、当時は苦労して一つ一つ手作業で見つけていったのです。そういうことを行ったのは、私自身が医学部の出身で哺乳類に興味があったからというのもありますが、おそらく、モデル生物を使って哺乳類に応用していこうということは誰もが考えることだろうとは思います。
現在は脳のオートファジーの研究にかなり力を入れています。オートファジーは脳においても非常に重要なのですが、調べた結果を通じて悪くなった脳の状態を改善できないかといった研究も行っていこうと思っています。
学際的なアプローチを行う理由
私自身、医学部を出てから酵母を研究されていた大隅先生の研究室に行けたことがとても良かったと思っています。2つの異なる分野をよく知り研究することで、他のことがらについての予想がつくようになっていきますので、それはその後の強みになっていると思います。
特に医学部というのは特殊なところで、もちろん医師になるための教育を受けますが、同時に人の体を隅々まで勉強する場でもあります。当時は意識していませんでしたが、結果的にかなりの知識を持つことができ、その後、分野横断的な研究をする上でも結果的に非常に役に立っていると思います。
加えて、最初に申しましたように、私は子供の頃から天文学などが好きで、高校生までは生物よりも物理や数学ばかり勉強しており、ギリギリまで物理の方に進もうと思っていたほどでした。生物分野の研究に入ってからも機会があれば物理的なことを取り入れたいと思っていたということもあり、物理の専門家の方にこの医学部の研究室にしばらく在籍していただいて共同研究も行いました。
普段見ている現象を、遺伝子やタンパク質だけではなく、物理的な裏付けを持って見ることで目から鱗が落ちるような経験を何度もしました。やはりそういう他分野の人と研究をしていくことには意味もありますし楽しいことだと思っています。時代的に、化学の分野、情報の分野といった垣根はどんどんなくなっていくと思いますので、私だけでなく生物学全体で異分野融合研究はますます発展していくと思います。
オートファジーのように細胞の中身を入れ替えてリサイクルしながら良い状態に保つという仕組みは、社会や色々なシステムと共通するところがあります。研究との直接の関わりはないかもしれませんが、様々なプログラムでそうした他分野の先生方と話をすることはとても楽しいですね。

指導する学生の研究テーマ選択時のアドバイス
学生のテーマを決めることは教員にとっておそらく最も大事な仕事の一つで、教員側にとても大きな責任があります。ただ、学生自身が面白いと思わないと研究はできないため、本人と相談しながら大きな方向を決めていきます。動物の実験が好きだとか、逆に動物はちょっと苦手だけど細胞を使った実験はやりたいとか、様々な希望があります。ただ、そうやって決めても、本人の能力をそこでうまく活かせるとは限らず、途中で学生のプロジェクトを変えなければならないこともよくあります。
学生が研究テーマを決める際は、まず、この研究室でどんなことができるかを提示します。こちらが面白いと思っていること、明らかにしたいと思っていることのリストのようなものを提示して、かつ学生が面白いと思うことを探ります。場合によっては、もう少しこういう風にやってみたい、などと調整をすることもありますが、こちらがまず熱意を持ってやりたいというテーマを提示するところからスタートします。
基礎研究と応用研究、それぞれが重要
基礎研究と応用研究は目指すところが違うので、どちらも重要としか言いようがないところがあります。しかし、例えば「基礎研究をやっていれば、その中から役に立つことが出てくる」という言い方に、私は若干違和感を持っています。そう言ってしまうと、将来的に役に立ったから基礎研究が大事だ、ということになってしまう。もちろん基礎研究から重要な応用研究に発展することはあるのですが、しかし仮に発展しなかったとしても、基礎研究は大切だと捉えた方が良いと思います。「将来役に立つから今基礎研究をやっておくのが大事」ではなく「基礎研究そのものが重要である」と。応用研究は私たちの生活などをより豊かにする、生活しやすいようにするなどの意味で大事ですが、基礎研究は「知りたい」という人間の持つ本質的な欲求に応えるものです。それに応えることがメインの目的になっても良いと私は思っています。

例えば「美味しいものを食べたい」などという欲求は、料理を作る人と食べる人という比較的一対一に近い関係性のなかで満たされていくことが多いと思いますが、基礎研究によって得られた知識は非常に多くの人々に提供できる成果であるという点で、若干違うとは思います。さらに言えば、良い基礎研究は次なるクエスチョンをたくさん生むもので、それらを解いていくということが、これまでずっと続けられて来たのだと思います。
自身の論文が多く引用される理由
それは、私が大隅先生のところに行かせていただき、初期のオートファジー研究に携わることができたということだと思います。どんな分野でも、最初の頃の研究は参考にされ、それを元に研究は広げられていくため、自ずと引用数は増えていきます。また、私の場合は哺乳類で研究を行ったため、やはり哺乳類を研究している人口が多いため、結果的にたくさんの方々が参考にしてくださった3ということだと思っています。
初期の研究においてコンセプトを提唱することができたことも理由になっていると思います。遺伝子の発見など個別の発見に加え、オートファジーがどういう点において必要で、どういう条件で起こりやすくなる、といった概念的なことを発見できたということが、振り返れば引用数の増えた理由になっていると思います。
総説論文に関しては、良い原著論文を多く書いてきた研究者の論文が引用される傾向にあると思います。つまり総説論文が引用されるかどうかは結果の結果ですので、幸い良い原著論文を書くことができたおかげで総説論文も引用されているのだと思います。総説論文の執筆は結構な手間のため、頑張って書いたおかげとも言えるでしょう。総説を書くにはだいぶ時間も掛かりますが、自分の知識の整理にもなりますし、面倒がらずに頑張って書くことが大切ですね。
「CREST」において「生命力」が研究領域として定められた背景、プログラムの展望
文部科学省がの戦略目標を毎年定めるのですが、令和6年度の一つの柱として「『生命力』を測る」という戦略目標が定められ、それに紐づく形でCRESTの研究領域「革新的な計測・解析技術による生命力の解明[生命力]」が立ち上がり、私がその総括に指名されたという流れです。すでに戦略目標に入っていた「生命力」という言葉がかっこよかったので私がそのまま使わせていただきました。総括をお引き受けした理由も、普段みんなが使っていながらちゃんと考えていなかったような力を明らかにできるのであれば面白いプロジェクトになると考えたということです。なかなか難しいことですが、思いもしない量を測ることで、新しい生命観を生み出していくというところを、プロジェクトのゴールにしています。
オートファジーもまさに生命力の一つだと思います。誰もそのような生命力を認識していなかった30年以上前に、大隅先生は比較的古典的な顕微鏡を使って酵母でそれを測ることに成功し、生物はこのような生命力を持っているんだということが分かったのです。今ではより現代的な計測方法があるため、それらによってオートファジーのような新しい生命力が理解できれば良いと思っています。

基礎研究に、世界の問題に対する知恵は提供できるか
間違いなくできると思います。全ての基礎研究にそれができるということではないですが、逆に基礎研究に端を発しない応用研究などないため、答えとしては「できる」となると思います。
基礎研究の最大の目的は、知らないことを知ることだと言いましたが、人間にとって役に立つことが基礎研究の目的ではない、ということでは決してありません。人間にとって役に立つことは当然できた方がいい。それは基礎研究者の仕事の一つで、具体的に自分たちでできなくても、どういうことをすれば人の健康や地球の環境に役立つかということに対するアイデアを出すなどはやったほうがいいと思います。
査読を含めた現状の学術出版システムについて
多くの研究者は、今の査読システムが一番であるとは思っていないでしょう。かといって代替するものがないため現状のシステムが取り入れられているというところだと思います。今の査読が、一部には科学の進みに対してダメージを与えているという意見はあり、私も部分的にはそのように思っています。
私が創刊以来ずっとお手伝いさせていただいている『eLife』4というジャーナルはかなり先進的な考えを持っていて、成果をなるべく早く社会に出し、本当に必要な改訂だけを著者ができるようにする、というポリシーでこれまでやってきています。最近では、一旦査読に回った論文は全て掲載しリジェクトもアクセプトもしない、という、より過激な仕組みを採用しています。査読者のコメントの何にどう応えるかは著者自身が決め、そのかわり論文は5段階や6段階の評価とともに掲載され、それを受けてどう改定するかは著者が決めればよいというものです。非常に過激な方法ですが、私はこういうのもありだと考え、Reviewing EditorとしてeLifeをサポートしています。

これまでは、どのようなジャーナルに掲載されるかによって、その論文がどの程度良い論文であるかが間接的に判断されてきたのですが、論文はどこに掲載されるかではなく、何を発表しているかが重要です。しかし、それは論文を読み込まないとなかなか分かりません。それに対し、『eLife』の取っている方法では、ジャーナル名で論文の質は評価されません。アクセプト・リジェクトという二者択一ではなく、段階的な評価をつけるのが査読の役割だという考えに基づく新しい仕組みです。良い評価がつかなかった論文は、改訂を行うことで評価を上げることができます。実際、初回投稿版であまり良い評価がつかなかった論文のほとんどが査読者のコメントを受けた改訂版で評価が上がるというデータも出ています。この方法により論文の質も保たれ、 著者にとってもリーズナブルな範囲の改訂で済ますことができます。このような評価の仕方を、コミュニティがどの程度受け容れるかはこれから見ていかないと分かりませんが、一つの試みとして私はサポートしています。
『eLife』創刊時の編集主幹ランディ・シェクマン博士も現状のシステムを問題視
シェクマン博士は分野が近いため元々よく知っており、その関係もあって私も『eLife』に携わることになったのですが、彼は、査読あるいはジャーナルへの掲載はアクティブな研究者が研究者のためにやるべきだというポリシーで、このジャーナルを立ち上げました。マックス・プランク協会、ウェルカム・トラスト、ハワードヒューズ医学研究所という3つの研究助成機関からの支援を受けて始めています。
当初の査読システムは、著者に対して非常にフレンドリーなものでした。査読コメントの長さにも上限があり、3人の査読者たちのコメントがバラバラに著者に届けられるのではなく、私のようなエディターが作文し直してまとめられた1つの文章が著者に届きます。エディターにとってはかなりの負担ですが、著者にとっては必要最小限のまとまったレポートだけを受け取れるので、とてもありがたい仕組みであったと思います。
それが2年前の2023年から今の方向にさらに劇的に変わり、シェクマンさんはこの新しい方法に懸念を持たれて『eLife』を辞められました。ですからこの新しい方法には、まだ賛否両論があるにはあるのです。
英語力より日本語力
母国語が日本語ですので、どんな活動をするにしろ英語での苦労は当然あります。しかし、発表などで大事なのは英語力というより、プレゼンテーション自体の構成やスライドの見やすさです。それがしっかりしていれば、極端な場合しゃべっていることが分からなくても大丈夫と言えるぐらい、プレゼンテーションのその他の部分の影響が大きいのです。実は日本語でのプレゼンテーションがものすごく大事で、そこがクリアできていれば、そこから英語に行くのはそれほど大変ではないと思っています。
論文も同じで、日本語でしっかりした論文が書けるのであれば、それを英語にするのはそれほど問題ではないですし、今ではAIツールもたくさんありますので、さらにバリアは低くなっていると思います。英語力というより、母国語できちんとできるかどうかというところが一番大事だと思います。
科学的に考えられる学生の割合は変化しているか
平均値は分かりませんが、私の実感ではそういうことに優れた学生とそうでない学生の差が広がっているかもしれません。できる学生は最初から非常によくできます。理由は分かりませんが、学部生の時点でのレポートやゼミナール形式の授業とかでも、やはり違いはあります。科学的な考え方や機能的な考え方ができるかどうか、ということかもしれないですが、大学に入るまでに大きく差がついているというのは不思議だと思いますし、何が違ったのかということには興味があります。高校までの基礎的な学習なのか学校以外の趣味的なところなのか、要因は分かりませんが、科学的なロジックで考えられるかどうかには随分差があるように思います。
例えば高校の科目の中では数学や物理は理屈で考える教科ですが、極端なことを言えばそれらは必修にすればいいのではないかとも思います。数学や物理、それ自体が大事というよりも、これらは理論で体系を構築していく学問ですから、そういうトレーニングをみんながやった方がいいのではないかと。もちろんこれは極端な考えで、数学も物理もやっていなくても科学的な考え方のできる方はいますので、そんな単純なことではないとは思っています。
学術英語についてのアドバイス、AIと学術研究
論文執筆を指導する学生に些細なティップスのようなものを伝えることはたくさんありましたが、AIがものすごいスピードで広がりを見せている今は、ほぼ必要なくなってきています。学生が書いてくる論文の英語の質はもう段違いに良くなっています。数年前までは、私が英語の先生みたいに添削をしていましたが、今はほぼそんなこともなくなりました。
AIはもはや避けられないですし、間違いなく有用だと思っています。 もちろん今時点のAIであれば注意しなければいけないことはまだあると思いますが、それもあっという間に解決していく可能性は十分あるでしょう。幸い私たちの実験科学では、仮にAIが何かを予想してモデルを作ってきても、それが正しいかを実験で検証することがある程度できます。そこに到達するまでに何年もかかっていたプロセスが一瞬でできるというように効率化されることは今でもありますので、そういう点で、AIが強力であるのは間違いないと思います。
研究キャリアを切り拓くために
自分自身、研究キャリアにおいて苦しかった経験はさほどなく、比較的ずっと楽しんでやらせていただいてきています。医学部を辞めて大隅先生の研究室に移ったのは自分で決断したことでしたが、それもそうするのが一番自然だと思ったからです。
私自身はすごく苦しんで決断をしたという経験はあまりないのですが、若い方々に言っているのは、悩んだり苦しいと思ったりするようなことがあっても、自分に合ったものがその後現れてくる可能性は十分にあるため、今、焦って全てを決めてしまう必要はないということです。
しかし、それが現れるのをただ待っているのではなく、何が自分にとって一番やりがいがあるかを正しく認識するための基礎力は若いうちにしっかりつけておくべきです。私が、医学研究からオートファジー研究への転換という大きな決断をしたのは30歳の時で、その時もまさかこんなことになるとは思っていませんでしたが、決断を下せたのは、大隅先生の研究を面白いと思える下地が自分の中にできていたからだと思います。ですから、そのような準備をしておくとよいというのがアドバイスです。

心身ともに健康的に研究活動を続ける秘訣
一つは、他の人の良い研究にたくさん触れるということだと思います。一人でやっていて煮詰まることやアイデアが枯渇することはあると思うのですが、他の人、特に分野の違う人の良い研究を聞いたり論文で読んだりすると、また研究に対する意欲も湧いてきてリフレッシュされると思います。特に最近、私は分野の違う研究会に行くことも多いのですが、すごい研究を聞くと本当に良い音楽を聴いたような感動を受けて、研究は面白いという思いがより強くなってくることがあります。ぜひ外に出ていい研究に触れてみるといいと思います。さらには研究だけでなく、良い音楽や良い映画に触れるといったことで体と心が踊るという経験をたくさんするのがいいのではないでしょうか。
日本の学術研究を発展させていく上で社会に求められること
一つは、国民の皆さんが基礎研究を大事だと思って支援してくださることです。
私は日本の国民は基礎研究に対しては既にすごくサポーティブだと思っていますが、基礎研究をより一層支援していただくためには、私たち研究者やメディアが基礎研究をもっとしっかり、分かりやすく伝えていくということが必要だと思います。すごいことをやっているんだ、というだけではなく、分かりやすく説明する必要がある。では分かりやすく説明するとはどういうことかというと、表面的なことだけを説明するのではなく、科学的に一歩踏み込んできちんと説明することだと私は思っています。
例を挙げると新型コロナのパンデミックの際、ウイルスがタンパク質でできていて何番目のアミノ酸が何から何に変わるとウイルスとしての性質が変わるなど、ある程度踏み込んだ説明をメディアがするようになっていました。そうすると、タンパク質がアミノ酸からできていることや、アミノ酸が1つ変わればこれほど変わるということをみんなが知るようになってきて、結果的に事象を理解しやすくなっていたと思います。そういうところを説明せずに、タンパク質やウイルスについて話す方がかえって分かりにくくなった可能性があるため、私たちやメディアがもう一歩踏み込んだ説明をするようにしてもいいのではないかなと思っています。
物理でも、加速度と速度の違いなどは日常生活の中で山ほど感じる機会があり、理屈さえ分かれば十分理解できることですし、三角関数や微分積分など何の役に立つのか、といったことを言う方もいますが、私たちの生活の中でそれらが関係していないところはむしろないほどで、やはりそういうことはもう少し説明できるのではないかなと思っています。
説明のレベルを少し変えることで、結果的に基礎研究や学問がどのような意味を持っていて、どれだけ支援すべきものなのかということが理解されるのではないでしょうか。研究者として研究だけやっているんだから支援してください、ではやはりなかなか通じないだろうと思っています。とはいえ、全体としては日本の方々は非常に研究に対して理解があると思います。テレビ番組や雑誌にも非常に良いものがたくさんあり、それらを活かしていくことができれば、状況はずっと良くなっていく可能性もあると思います。
脚注:
1 天文博物館五島プラネタリウム。東京都渋谷区の渋谷駅前、東急文化会館の8階で1957年から2001年まで営業。閉館後、渋谷区に寄贈された資料の一部はコスモプラネタリウム渋谷に展示されている。
2 Human Genome Project。ヒト細胞の核内にあるDNAの全塩基配列を解読することを目的に1990年に米国政府が発足した計画で、2003年に完了報告がなされた。
3 2000年The EMBO Journalに発表された共著の原著論文「LC3, a mammalian homologue of yeast Apg8p, is localized in autophagosome membranes after processing」の引用数は5,000以上、2008年Natureに発表された総説論文「Autophagy fights disease through cellular self-digestion」の引用数は5000以上、2011年Cellに発表された総説論文「Autophagy: Renovation of Cells and Tissues」の引用数は5000以上、2010年Cellに発表された原著論文「Methods in Mammalian Autophagy Research」の引用数は約4000と、水島先生の論文はオートファジー研究分野の基礎文献と呼べるほどに引用されている(引用数は2025年10月現在Clarivate社公開の数値を参照)。
4 インパクトファクター重視の学術出版に対して疑念を持つノーベル生理学・医学賞受賞者ランディ・シェクマン博士が初代編集主幹を務め2012年に創刊された。
