竹中平蔵氏・竹中平蔵・東大
2001年から2006年まで、小泉内閣の経済担当閣僚として、強いリーダーシップと経済学者ならではの専門性でもって日本経済の構造改革を次々に断行してきた竹中平蔵氏。竹中氏はまた「英語で魅力的なコミュニケートができない人は、リーダーになるべきではない」という持論をもつ英語の使い手としても知られる。例えば、大臣として渡ったアメリカでは、記者会見の席で通訳の英語を自ら訂正。また、世界各国の経済要人が集うダボス会議に招待され、英語で対等に議論を繰り広げる。しかし、そんな竹中氏にも、30歳目前で初めて海外留学したときには、マクドナルドの店員に英語をまくしたてられて反応できず、悔しい思いをしたこともあったとか。このグローバル時代、英語のネイティブスピーカーではない日本人が国際舞台で存在感を示していくためにはどうしたらいいのか。現在は政界を引退し、学者生活を歩む竹中氏に聞いた。
取材・構成=古屋裕子(クリムゾンインタラクティブ)   撮影=太田拓実
竹中平蔵氏・竹中平蔵・一週間で英論文を書く方法

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私が大学を受験したのは、ちょうど東大入試が学園闘争で中止された年で、まさに団塊世代のまっただなか。普通に受験英語を勉強して、一橋大学に入りました。大学で感じたのは、自分は受験英語しか知らないということ。当時18歳くらいというのは、世界を舞台に活躍できるようになりたいと思いますよね? それで大学と並行して英会話の学校に通い始めました。ちょうど学園紛争で大学がほとんど機能しない時期でもありましたので、英会話学校で英語を勉強しました。

よく思い出すのは、ある日、英語の先生がコーラの空き缶を持ってきて、ぽっとひっくり返すんです。で、「何も出ない」と言う。何も出ないということは、中に何もないからだと。あなたたちが英語をしゃべれないのは、あなたたちの中に英語が入ってないからだと。その先生は、有名なスピーチの暗唱をやれとすすめていました。今にして思えばよくあんなことできたなと思いますけれど、キング牧師の“I have a dream"とか、ケネディの大統領就任演説とか。ケネディのスピーチなんて20~30分あるでしょ。あれを全部覚えましたね。英文の復唱というのは、初期の訓練方法として効果があるのかなと思います。

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29歳のころ、ハーバート大学の国際問題研究所に客員研究員として行きました。一応、英語の勉強はしていったつもりでしたけれど、本当に英語が全然通じなくてね。英語の壁を痛切に感じました。自分でやれるだろうかという不安がすごくありました。たぶん、留学を経験された皆さんが全員感じることだと思いますけれど、最初はもう大変ですよ。最初の半年ぐらい、誰もが大変。どんなにTOEFLで優秀な成績を収めていようが、ネイティブの間に混じって対等にやるというのは、大変なことですよ。

ハーバード大のあるボストンに到着して1週間ほど過ぎたころの話です。まだ英語が十分に通じなくて悶々としていたころでした。ボストンマラソンがあったんです。瀬古選手が優勝したマラソンが、このとき私が見た1981年のボストンマラソンです。瀬古は前評判が高かったけれど、強力なライバルも大勢いて、混戦模様でした。で、誰が一番最初に来るだろうとゴール間近で待ってるときに、白地のユニフォームに赤い日の丸がぱっと見えたわけですよ。英語が通じなくて苦しくて、でもその中で、外国で頑張っている日本人を見て、それはものすごくうれしくて、自分も頑張らなければいけないと強く思ったのを覚えています。勇気をもらった。励みになりましたね。

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ハーバード時代、英語学習法なんてたいそうなものはありませんが、もちろん努力しました。例えば、「朝あった出来事を英語でブツブツ言う」ということを意識的にやりました。つまり、テレビでこんな番組やっていたとか、このニュースについて私はこう思うとか、思いついたことを英語でブツブツ解説する。独り言をブツブツブツブツ。そうすると、言葉に詰まるところがあって、英語の用法のどこに自分は弱いのかが次第にわかってきます。すごくいい方法だったのに、ブツブツ言っているから、家族にもまわりにも迷惑かけるよね。いよいよおかしくなったんじゃないかって(笑)。

それからもう一つ、ハーバードにはノーベル賞をとるクラスのキラキラ星のような先生が世界から集まっているわけで、とにかく時間を見つけては、10分、20分でも会ってくださいと色々な人にインタビューを申し込みました。ボストンに住んでいる学生は、時間があればニューヨークにミュージカルを見に行ったものですが、私は絶対そんな時間はもったいないと思ったんですよ。知的レベルの高い人たちと話すと、たとえ英語の表現が不自由でも、コンテンツはわかる。言葉というのは、表現のうまさよりも内容次第ですから。もっとも、世界の一流の先生と英語でディスカッションしたあとで気分よく町へ出て行って、マクドナルドでまくしたてられて全然わからなかったり(笑)。そんな苦労話は山ほどあります。

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竹中平蔵氏・東京大学・英文校正

初めて書いた英語論文については記憶があいまいですが、ハーバード時代、日本とアメリカの設備投資の比較について論じた英文ペーパーが初期のものではないでしょうか。もちろん苦労しました。なかなか書き始められない、書き始めるとすごく長くなる。これが一番苦労した点です。要するに、頭の中に書くべきコンテンツが整理されていないから、最初はなかなかページが進まない。そして適切な表現が見つからないから、途中からはどんどん長く冗長になり、ページが増えすぎて困る。同僚に添削をお願いしました。やはりネイティブチェックを受けないと。私は今でも冠詞がわからない。外国語として英語を勉強した人間の明らかに限界です。これは致し方ないですね。そこはもう、堂々とチェックしてもらえばいいと私は思います。

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私は今でも英語の壁を感じますよ。そりゃ毎日感じます。先々週はダボス会議に出席するためにジュネーブに行きました。これはすごい人たちの集まりで、前イギリス首相のブレア氏、元メキシコ大統領のセディージョー氏、ドイツ銀行の総裁…そういう人たちばかりの会議です。東洋人は私と香港の人だけ。そういった中で議論するのは本当に難しい。しかし主張できないと日本の存在感が示せないわけです。とくに大臣としてダボス会議に出たときなど、自分の英語力というよりも日本のプレゼンスを背負っているっていう思いがありましたから、それはプレッシャーでしたね。

私は学生にもよく言うんです。学会や国際会議では「真っ先に質問しろ」と。つまり、議論の流れが他の人たちによって作られると、そこに割って入るのは難しい。だから、最初に自分の土俵で議論をするように持って行くのが一つの工夫だよと。英語のネイティブスピーカーどうしが議論しているときは、逃げたくなる気持ちを抑えて、「近くに行け」と。近くに行ったら「肌で聞け」。耳で聞くんじゃなくて、肌で聞け!

そしてもう一つ、スピークアウトするというのが重要です。日本のスマートな話し方というのは、ちょっと気の利いた一言、つまり「点」をぽんと提示して、聞き手に雰囲気を感じ取ってもらうというやり方ですが、英語は違います。スピークアウトして二度でも三度でも何度でも言い直して、丁寧に徹して、「線」を追って説明し尽くすという、その厚かましさが重要ですよね。この手の厚かましさというのは、日本人にとても弱い部分です。

グローバル時代を日本人が生きていくには? 私たちに英語の壁があるのは仕方ない。でもそこは「向かっていく精神」を持つしかないと思います。聞いていてわからないことがあれば、臆せず何度でも聞き直す。遠慮なくスピークアウトする。そういうことをずっと続けなければいけない。だから私はよく「向かって行け」ということを学生に言います。

金田一秀穂5

竹中平蔵(たけなか・へいぞう)経済学博士


1951年和歌山県和歌山市生まれ。1969年一橋大学経済学部入学。1973年に同大学を卒業し、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。1981年ハーバード大学、ペンシルバニア大学客員研究員。1989年にはハーバード大学に准教授として赴任する。2001年、小泉純一郎首相に指名され、民間人として経済財政政策担当大臣に起用。2004年には参議院議員に当選。以後、2006年に政界を引退するまで、経済担当閣僚を歴任する。また、専門書から初心者向けまで経済学関連の執筆も数多く、1984年には「研究開発と設備投資の経済学」でサントリー学芸賞を受賞。現在は慶應義塾大学教授、グローバルセキュリティ研究所所長のほか、日本経済研究センター特別顧問など多数の要職に就いている。

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