バイデン次期政権へ:科学技術政策はどう変わるか
白熱していた2020年の米大統領選ですが、現地時間12月14日に選挙人による投票でバイデン氏が過半数を獲得し、正式に当選が確定しました。これを受けたバイデン氏が「民主主義が勝利した」と強調したことからもこの大統領選挙の混乱ぶりを表していますが、この大統領選では学術コミュニティーが政治に踏み込むという前例のない動きを示したことにも注目されました。
学術雑誌の意思表明
学術雑誌Scientific Americanは9月15日付けの記事で(発刊後にその後の情報を踏まえて10月1日付けで編集されている)、バイデン候補を支持すると発表。同誌が特定の候補を支持したのは175年の歴史上初めてのことでした。トランプ大統領が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の対策で医療関係者や科学者の意見を無視したこと、さらには環境問題や医療において研究者や公的研究機関を攻撃したことに対する危機感が、バイデン氏への指示言明につながったと記されています。トランプ大統領が、自分自身が罹患するまでCOVID-19の脅威を軽視した発言を繰り返していたことも、公衆衛生の専門家たちの危機感を募らせることとなりました。
また、Natureも10月6日付け Editorialでより多くの政治的ニュースを掲載していく必要があるとの姿勢を示していましたが、その後、10月14日にはトランプ大統領のCOVID-19対策を酷評するとともに、「(科学機関や米司法省、選挙制度そのものといった極めて重要な機関や制度を)これほど執拗に攻撃し、弱体化させた米大統領はいない」と非難し、バイデン氏支持を表明していました。
米大統領選において明確な姿勢を示したのは、上2誌だけではありません。医学雑誌のLancet、New England Journal of Medicine (NEJM)もトランプ大統領を再選させないように有権者に促していました。
反トランプの3年間
思い返せば、就任から日も浅い2017年4月には世界500以上の都市でトランプ大統領に抗議するための「March for Science(科学のための行進)」が行われ、18ヶ月経過後の2018年8月に発表された16の連邦機関に関わる科学者の声を集めたレポート「Science under Trump」では、トランプ政権下での科学の在り方への問題が指摘されていました。同じ年、米国科学アカデミーのメンバーは、科学に基づく政策の回復を求める声明を発出しています(同声明は2020年6月にも更新されている)。
今回、2020年の大統領選において科学界で起こったことは、過去4年間の蓄積と言えるかもしれません。COVID-19のパンデミックという後押しがあって問題が表面化したとも言えます。とはいえ、権威ある学術雑誌が大統領の行動および政策を非難するようなことは、考えられないことでした。多くの科学者が特定の候補者を名指しで非難するなどということも、前例のない事態だったのです。
バイデン政権への移行と科学界への影響
そしてバイデン氏の勝利が確定。バイデン氏は政権移行に向けて開設したウェブサイトで、米国が直面する問題として、コロナ(COVID-19)対策・経済・人種差別・気候変動の4つを優先課題としています。トランプ大統領は就任期間中、オバマ前大統領が行った科学技術政策にことごとく反する政策を進め、真実と証拠の重要性と科学の信頼性を損なってきました。世界の190カ国以上が署名した地球温暖化対策の国際的な枠組みであるパリ協定から離脱(アメリカは大統領選の翌日11月4日に離脱)したことや、新型コロナウイルスへの対応をめぐり世界保健機関(WHO)を脱退すると国連に通告したことも含め、科学界に与えた影響は計り知れません。トランプ大統領が、宇宙飛行士を再び月に送る「アルテミス計画」を推進し、AIや量子コンピューティングの研究開発への資金を増額したことを評価する声もありますが、基礎科学研究の予算は大幅に削減していました。また、一部のビザの発給停止を進めたことから優秀な人材を排除することにつながったと指摘されています。トランプ大統領は、科学的事実を否定し、アメリカの科学技術政策を危険な状況に追い込んでしまいました。4年間にトランプ大統領が科学に及ぼした影響を、バイデン氏はどこまで修復できるのでしょうか。少なくとも、大統領就任初日にパリ協定には復帰すると主張し、WHOを支援すると表明していますが、国民の信頼と科学の完全性を取り戻すには、トランプ大統領の任期よりも長い時間がかかると見られています。
バイデン氏が直面する課題
まず、いまだに収束の目途が見えないCOVID-19パンデミック対策は喫緊の課題です。12月21日にバイデン氏は自らテレビカメラの前でワクチン接種を受けていましたが、COVID-19に関する誤った情報や非科学的な認識を改め、パンデミックで混乱に陥っているアメリカの状況を好転させるには着実な対策と時間が必要です。
気候変動対策にも猶予はありません。選挙戦では積極的な温暖化対策を打ち出していましたが、問題は2050年までに温室効果ガス排出実質ゼロを実現する方法です、トランプ氏に覆された温暖化対策や環境規制を復活、あるいは強化させるとしていますが、これらの変更を議会で承認させ、目標を達成するには困難を伴うでしょう。
パンデミック対策と気候変動対策という大きな課題に取り組むためにも、科学研究の優先順位を調整することは重要です。バイデン氏の政治家としての経験で重視してきたのは外交と司法であり、副大統領となるハリス氏の背景も司法です。二人の研究政策と何をどう優先させるかはまだ分からない部分もあり、科学研究に優先順位をつけ、予算案を作成するには、幅広く科学研究について助言できるアドバイザーを早急に選出する必要があると指摘されています。現在は、オクラホマ大学の気象学者ケルビン・ドロゲマイヤー氏が米国科学技術政策局(OSTP)の局長の任務に就いていますが、トランプ政権で彼が選出されるまで、この席は2年ちかく空白でした。ここにもトランプ大統領の科学への関心の薄さが見えます。12月9日付けのロイターは、バイデン政権の閣僚・要職の有力候補者をまとめていますが、どのような人物が科学政策に関わる役職に就くかは注目です。
科学者を困惑させたトランプ大統領の政策のひとつに、入国制限および渡航禁止が挙げられます。これは国際研究の連携に大きな影響をおよぼしました。バイデン氏はトランプ大統領が出した特定国を対象とした渡航禁止行政命令を取り消し、外国人研究者らがアメリカで研究や業務に従事しやすくなるようにすると述べているので、アメリカが研究者や学生にとって学術研究の場として魅力的だと思われ、人材が戻ってくるようになる可能性はあります。しかし、科学研究でも中国が存在感を増し、論文発表数でもアメリカに迫る勢いで増えている中、アメリカが科学界における世界的リーダーとしての地位を完全に回復することはできるのでしょうか。
バイデン氏は科学を尊重し、問題解決のために科学者の意見にも耳を傾けてくれると期待されます。しかし、重大な課題に取り組むためには科学的知見に従うことが第一歩であるとしても、それだけでは十分ではないとも指摘されています。通常、意思決定者は、価値観、経済や政治、さまざまな人の意見など、多面的な要因を考慮します。ここに科学が加わり、議論が深まることでアメリカが前進する助けとなるでしょう。国のリーダーが発するメッセージと行動はとても大切なのです。
バイデン新政権のメンバーは着々と決まりつつあります。12月17日には環境保護局(EPA)長官が、翌18日には内務長官が選出されました。バイデン氏が適正な陣営を整え、政策を進めることでアメリカ政府における科学の役割を回復すること――多くの科学者が期待を込めて見守っていることでしょう。