プレプリントをめぐる動き

いかにして知識を入手して共有するかは、研究を進める上でとても重要です。できるだけ多くの論文やデータにアクセスしたいところですが、学術出版上の商業的な制約が課せられることも少なくありません。そのため、近年のオープンアクセス・ウィークでは「学術情報を商業的に扱うより学術コミュニティで使えるように」することが話題となってきました。研究によって得られた知識を共有することが、商業的な利害によって妨げられていると感じている研究者も多数いるはずです。

今回は、学術情報に関わる利害関係が、どのような影響を及ぼし、情報へのアクセスを制限しているのかという観点から、プレプリントをめぐる動きを見直してみます。

プレプリントによる反逆

プレプリントが登場して以来、研究者は購読料金を支払うことも出版まで待つこともなく学術情報を入手し、新しいアイデアについて研究コミュニティで議論できるようになりました。さまざまな取り組みが行われているにもかかわらず、プレプリントの潜在力はまだほとんど活用されていませんが、多くの意味でオープンアクセス運動の広がりの一翼を担うものとなっています。

著者が論文掲載料(APC)を支払って、論文をオープンアクセス化する動きは、学術出版に新たな動きを巻き起こしました。インターネットの普及とともに急速に発展したオープンアクセスは、著者あるいは所属大学などがAPCを支払うことによってネット上で論文を公開し、誰もが無料でその論文にアクセスできるようにするものです。従来の読者が購読料を支払うモデルとは全く逆です。

ところが、このオープンアクセスが浸透するにつれ、購読料モデルにおける不公平問題が解決するどころか、新たな問題が生じることとなりました。情報共有を制限する要因が、購読料を支払うことができる(大学あるいは研究機関に所属している)研究者から出版する余裕のある研究者に、つまり読者側から情報発信者である著者側へと逆転したのです。

プレプリントは、こうした学術出版の体制への反逆として始まったと言っても過言ではないでしょう。

プレプリントは新しい解決策に成り得るのか?

プレプリントが普及したのはここ10年ほどのことですが、その歴史はさらに遡ります。

プレプリントが初めて登場したのは1960年代。米国国立衛生研究所(NIH)が情報交換グループ(Information Exchange Group : IEG)間で電子メールを通じて論文の共有を行いました。しかし、予算の制約や反論が出たことにより、NIHはこの取り組みを中断してしまいました。

1990年代に初めてのプレプリントサーバー(arXiv – 物理学、数学、コンピュータサイエンスなどの論文を保存・公開しているウェブサイト)が登場すると、その後、特にこの30年間に、さまざまな分野のプレプリントサーバーが登場し、普及・拡大してきました。欧米では、Facebook創設者のザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)夫妻によるチャン・ザッカーバーグ・イニシアチブ(Chan Zuckerberg Initiative : CZI)や、科学・医学研究への普遍的なアクセスの実現をめざす「プランU(Plan U)」、EMBO(欧州分子生物学機構, European Molecular Biology Organization)のEMBO Review Commonsによるプレプリントの義務化、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation)の2025年から施行されたオープンアクセス方針(2025 Open Access Policy)といったイニシアチブによってオープンアクセス化が促進されています。

さらに、COVID-19の大流行は、医学プレプリントが受け入れられ、拡大するのに重要な役割を果たしました。命の危険が迫った時、関連する情報をまとめた論文を学術雑誌(ジャーナル)に投稿して査読に時間をとられるより、迅速に共有されることが重視されたのです。

出典: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8014163/

プレプリントの増加は、オープンアクセスへの支持の高まりを示すと共に、研究の普及、コミュニケーション、関与に関する状況の変化を反映しています。かつて購読モデルでは、論文や研究データへのアクセスは購読力(資金)のある学術コミュニティや特定の大学・研究機関、あるいは分野に限定されていましたが、オープンアクセスが広がるにつれ、より広範なコミュニティが利用できるようになりました。プレプリント・プラットフォームは、コミュニティが議論に参加し、関係を構築するための場を提供しているのです。

プレプリントが選ばれる理由

従来の出版モデルには、ペイウォール(支払い)とタイムライン(公開までの所要時間)という2つの大きな問題があります。ジャーナル出版に関連する経済的な変化や、政府や資金提供者が論文のオープンアクセス公開を義務付けたことは、オープンアクセス出版に弾みをつけている一方で、特定の分野や大学・機関に優位な状況を生み出すことにもなりました。

無料で、迅速かつ公平に研究を共有できるプレプリントは非常に有効な手段です。コストがかからず、かかってもわずかなコストと作業で、迅速に情報を提供し、早い段階で公平な研究成果へのアクセスを促すことで、科学の発展を促進します。

プレプリントが直面する主な批判のひとつは、低品質な研究論文であっても科学的な記録となる可能性が捨てきれないとの懸念です。たしかに、プレプリントサーバーへの投稿には審査などがないので、どんな研究、どんな論文であっても投稿することが可能ですが、それほど恐れることはないでしょう。

まず、ジャーナルによるフィルター(選別)が信頼できる質を担保する安全装置であると考えることは止めるべきです。論文の「撤回」や「ハゲタカ・ジャーナル」が話題になっているように、ジャーナルに掲載されたからと言って、すべての論文が信頼できると考えるのは危険です。出版論文の信頼性については再考する必要があるでしょう。

2024年、クラリベイト社の著名なデータベース「ウェブ・オブ・サイエンス(Web of Science)」は、品質上の懸念から、シュプリンガーとエルゼビアが所有する2つのジャーナルをインデックスに掲載することを保留としました。研究インテグリティに関する調査を行ったグループは、シュプリンガー社が科学文献を不正や低品質の研究から守る義務を怠っていると指摘する公開書簡を Scientific Reportsに寄稿しています。

一方で、Nature誌が大量の論文を撤回したとの報告もあれば、ハゲタカ・ジャーナルは2021年には約15,000誌にまで増加していたとの報告もあり、ジャーナルに出版された論文や研究全般の信憑性に疑問を呈する事態となっています。

出典: https://blog.cabells.com/2021/09/01/mountain-to-climb/

プレプリントと査読付きジャーナル公開論文の差は何か?

ここで、少し考えてみましょう。インデックスに掲載されているジャーナルに論文を投稿することが、研究の信憑性や妥当性を証明する唯一の指標なのでしょうか。プレプリントは査読付きジャーナルで公開された論文よりも劣るのでしょうか。プレプリントと査読付き論文や、出版された論文の質には、それほど大きな差がないとする論文もあります。

査読付き論文ですら信憑性や妥当性が保証されていない状況で、プレプリントの知見をすべて正しいと盲目的に受け入れることが良策とは言えません。SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)が遺伝子操作されたHIVの変種であると示唆した悪名高いプレプリント(現在は撤回されています)は、ソーシャルメディアや学術討論会で論争を巻き起こし、波紋を広げました。この騒動の後、bioRxiv(論争の的となったプレプリントが掲載されていたプラットフォーム)は、サイトに注意書きを掲載しています。

この事件は、情報へのアクセスをめぐる偽科学あるいはフェイクニュースの脅威を浮き彫りにする一方で、広範なコミュニティが関与し、公開レビューを行うことで、いかに疑わしい研究結果に疑問を投げかけ、偽の研究を撤回させ、研究レベルを維持することができるかを例証することとなりました。

プレプリントを通じて研究コミュニティを築く

プレプリントは間違いなく研究コミュニティを築く強力な後押しとなり、研究者がつながりを作り、共同研究を行う方法を一変させるものです。プレプリントは、研究者がオープンに対話し、研究の早い段階でフィードバックを共有し、所属機関や地理的な境界を越えて有意義な共同研究を育むことができるダイナミックな場を創出することができます。さらに、最先端の研究への公平なアクセスを提供し、リソースが豊富ではない研究機関などに所属する研究者がグローバルな対話に参加できるチャンスを提供するものです。

プレプリント・プラットフォームのコメント欄は、実績のある研究者、若手研究者、分野の専門家がアイデアを交換し、建設的な批評を出し合い、将来につながる協力関係を見出すことができるバーチャルな出会いの場として機能しています。世界的に学術環境が大きく変容する最中にプレプリントが急速に普及したことは、コミュニティが共有する問題の解決と同時に、喫緊の研究の必要性に対処するために学術コミュニティを団結させる力を示していると言えるでしょう。

プレプリントによってオープンアクセス出版は終焉を迎えるのか?―未来に向けて

現在の研究コミュニケーションにおいて、プレプリントは今後も変わり続けていくことでしょう。出版後査読や、査読付きプレプリントモデルおよび同モデルにキュレーションプロセスを追加したPRC(publish-review-curate)モデルを通じてプレプリントの利点を生かす基盤(インフラ)や、組織、出版モデルなどが構築されつつあります。

オープンアクセス誌eLifeが導入しているReviewed Preprintモデル(査読で論文の受理・リジェクトを決めることを廃止し、査読を経た全てのプレプリントを“Reviewed Preprint”として掲載するモデル)は、完全なPRCアプローチのひとつの採用例ですが、F1000(オープンアクセス投稿プラットフォーム)のような選択肢もあり、オープンサイエンスに向けた選択肢は将来も増えてくると見られています。

今日、プレプリントは分野横断的に活気づいています。ほとんどのジャーナルが、以前はプレプリントとして共有されていた研究を受け入れるようになっており、プレプリント専用のリポジトリは分野だけでなく地理的にも広がっています。新たなトレンドや方針によって出版環境が急速に進化し続ける中、未来に向けたアイデアを幾つかご紹介します。

  • 出版業界全体でプレプリント・リポジトリを統一的かつ標準的に採用する
  • 原稿投稿時に(予備的なレベルで)情報の妥当性と真正性を検証するための、予備的なスクリーニングと自動化された研究インテグリティチェックを実施し、偽データが入り込むリスクを最小限に抑える
  • 有害な可能性のある、または危険なコンテンツに対する明確なガイドラインを策定し、目を引くメッセージを提示する
  • 出版社やジャーナル中心ではない、普遍的な出版後査読モデルを積極的に推進する
  • プレプリントと公開査読履歴のついている論文を関連付ける。そこには、ジャーナル主導の査読と研究コミュニティによる査読による両方の履歴も含める
  • 論文のバージョンごとの変更を記録しておき(サマリーノートの作成)、すべての論文履歴付きの版を関連づけておく。健全なコミュニティの参加を促すため、コメントやフィードバックのモデレーション(投稿されたコンテンツのチェックと排除)システムを導入する

以上は、最高レベルの研究を維持するために、専門家とコミュニティ主導のイニシアチブの間のコミュニケーションと対話を促進することを目的としたアイデアの一例です。

「あなたは大海の一滴ではなく、一滴の大海である。」
– 13世紀ペルシャの詩人ルーミー(Rumi)

論文を1本プレプリントに投稿することは、膨大な研究論文の中では小さな一つ(一滴)に過ぎないかもしれませんが、小さな積み重ねが増えるほど、学術出版における研究コミュニティ主導、コミュニティ優先のアプローチへと流れを変えることができることでしょう。

研究に従事し、成果を発表する中で、学術出版に関するあらゆる情報にアクセスできるようになることを望んでも、実現は容易ではありません。読みたい論文がペイウォールの向こう側にあり、所属機関が掲載ジャーナルを購読していないと気づき、がっかりしたことは誰もが経験していることでしょう。次回、購読モデルの抱える問題に直面したら、その論文のプレプリントが入手可能になったときに見つけ出してくれるブラウザ拡張機能(unpaywall)をチェックしてみてはいかがでしょうか。

自分の研究論文のプレプリントを投稿し、誰かが自分の研究を見たいときに無料で見られるようにすることで、研究へのアクセシビリティを促進し、ペイウォールの壁に悩まされている研究コミュニティに貢献することができます。名前も顔も知らない読者に情報へのアクセスを提供するだけでなく、自身のDOIを付けた論文を引用・共有可能な研究記録として残すことができるのです。研究と研究結果を優先してプレプリントとして公開することで、査読を待つ間に他の研究者に出し抜かれる心配も危険もありません。また、ジャーナルに掲載される前に、非公式なフィードバックを得ることもできます。6ヶ月後、チームの半分がいなくなり、他のプロジェクトに集中している頃より、早い時点でフィードバックを得られることは大変有用です。

最後に加えておきたいのは、プレプリントを投稿することは、研究コミュニケーションの公平性を高めるのに役立つということです。自分の論文をプレプリントに投稿するということは、自分の研究を自由に他者と共有できるという利点でもあります。インターネットに接続できる人なら誰でも、いつでも、研究論文を読み、引用し、それを基に新たな研究を進めることもできるのです。投稿されたすべてのプレプリントが、より公正な研究コミュニケーションのあり方に向けて投じられた一滴となり、変化を求める議論に重みを加えることになるのです。

情報へのアクセスは権利です。購読モデルではできなかった、より多くの人との研究成果、論文の共有を可能にするプレプリントの拡大に向け、投稿を検討してみてください。

なお、一般に公開される以上、論文をプレプリント・プラットフォームに投稿する前には専門家による英文校正の利用をどうぞご検討くださいね。

東京大学大学院医学系研究科水島昇教授へのインタビュー

 

水島昇先生へのインタビュー – Share Your Story

細胞内で不要なタンパク質が分解されリサイクルされる仕組み「オートファジー」。その研究分野で非常に引用数の多い論文を多数発表されてきた東京大学大学院医学系研究科水島昇先生へのインタビューです。創刊当時から関わられてきたジャーナル『eLife』についてもお話しいただいています。

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