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COVID-19が問いかける学術論文の在り方

中国の武漢に端を発すると言われている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、2019年の終わり頃から瞬く間に世界中に広がり、その猛威は今も衰えていません。日本を含む世界各国の感染者数および死者数は日々増え続けており、ワクチン接種が進んでいる国がある一方で、感染拡大に歯止めがかからない国では深刻な状況が続いています。

COVID-19が論文のオープンアクセス化を加速

この状況に対処すべく世界中の研究者が新型コロナウイルスの研究とワクチン開発を進める中、一気に加速したのが関連研究成果の共有とオープンアクセス(OA)化です。

武漢でCOVID-19の症例が報告された後、中国疾病対策予防センタ-(CCDC)の科学者は、患者のデータを分析し、肺炎患者の検体のシークエンシングから今まで知られていなかったウイルスを発見し、そのゲノムを特定しました。中国の研究者らは、この新型コロナウイルスのゲノム配列に関する研究結果を暫定的な段階から世界中の科学者と共有したのです。各国の研究者が分析や調査研究を進める傍ら、Springer Nature、Elsevier、Wileyをはじめとした大手学術出版社は、COVID-19に関する論文をオープンアクセスで即時公開する取り組みを開始しました。今では多くの学会や機関・団体、出版社がCOVID-19に関連するデータや論文などをオープンアクセスで公開しています。また、より短時間で研究成果を共有できるようにとの目的から、論文の査読プロセスのスピードアップも進められています。

プレプリントサーバー利用の拡大

出版社らは、この非常事態に対応すべく大量に投稿されるCOVID-19関連の論文をできるだけ早く共有するために、査読を急ぎ、オープンアクセスで公開しています。これにより、COVID-19関連の情報の共有化が促進され、ワクチン開発や治療法の研究が進むことについて異論を唱える人はいないでしょう。しかし、論文のOA化に関しては、さまざまな議論が出ています。研究者が出版するすべての論文をOAにすることを義務付ける「プランS」には賛否両論あるものの、研究論文の公開をOA化することの必要性が高まるにつれ、大手出版社がプランSに賛同する動きも出てきていました。そこに突如起こったパンデミック。COVID-19による非常事態が、従来の出版モデルからOAモデルへの移行を大きく後押しすることとなりました。

それと同時に、査読前論文をOAで公開するプレプリントサーバーに公開される論文も増えてきました。医学論文のプレプリントサーバーの代表的なものとしてはmedRxivがあげられます。こうしたOAへの流れ、プレプリントサーバー利用の拡大は、論文公開までの時間を短縮し、治療に携わる医療従事者に役立つ有用な情報を迅速に提供できる意味で大きな利点があります。一方で、査読前論文である以上、後から誤りが見つかったり、撤回を余儀なくされたりすることも頭に入れておく必要があります。medRxivにも以下の注意書きが掲載されています。

Caution: Preprints are preliminary reports of work that have not been certified by peer review. They should not be relied on to guide clinical practice or health-related behavior and should not be reported in news media as established information.

査読(peer review)とは論文の品質を保証するプロセスであり、プレプリントサーバーで公開されている論文はこのプロセスが省略されているのです。プレプリントサーバーを積極的に利用する研究者もいますが、論文の品質保証の面での懸念は捨てきれません。当然、研究者は査読付き/査読なし論文の違いを理解していますが、パンデミック下では査読前論文であっても査読付き論文と同じようにメディアなどで報道され、誤解を引き起こす可能性があります。例えば、COVID-19が人為的に創り出されたと示唆する論文がbioRxiv(生物学系のプレプリントサーバー)に公開された際、多くの研究者からの批評を受けて該当論文の著者は数日後にこの論文を撤回しましたが、撤回される前にSNSで拡散されてしまっていた情報は引き戻せません。非常時ということを理由に、品質の劣る論文が世界中に出回ってしまうこと、それがSNSやメディアによって拡散してしまうこと、まして「悪貨は良貨を駆逐する」となることは問題です。bioRxivの該当論文には以下のような注意書きが付記されますが、多くの人はこの注意書きを見ないのです。

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とはいえ、査読付き論文であれば間違いないというわけではありません。COVID-19対策が急がれるあまり、関連する臨床研究に不適切な問題があるとの指摘もあります。もうひとつ、他の権威ある医学雑誌NEJM(The New England Journal of Medicine)に掲載された論文の例を挙げてみます。この論文は、ドイツを訪れていた潜伏期間中の中国人女性からドイツ人男性が感染したという症例でした。ところが後日、該当の「潜伏期間中」だった女性は、実はドイツ滞在中から背中の痛みなどの軽い症状があり、解熱剤を服用していたことが判明したのです。該当論文はドイツ人患者からの情報を元に書かれており、論文発表前に中国人女性と話をしていませんでした。つまり、聞き取りを行わなかったため、女性が実際には有症状者であることを見落としたのです。できるだけ早く感染に関する情報を共有しようと論文の公開を急ぎすぎたのでしょうか。ただし、この事例は、論文に誤りがあったとはいえ、ウイルスの潜伏期に人からの感染が起こらないという意味ではありません。この論文は、2020年1月20日にNEJMに発表され、記載に誤りがあるとの指摘が2月3日のScience誌に掲載されており、そこにはこの論文がソーシャルメディアで広く引用されていたことも記されています。この事例の場合も、「潜伏期間中にも感染の恐れあり」という点では間違いありませんが、掲載論文に修正コメントが付けられても、ソーシャルメディアに流れた情報は修正できません。

パンデミック下における学術情報の在り方とは

以上で紹介した事例はパンデミック下における情報共有の在り方を問いかけています。論文公開を急ぐこと、査読前論文の公開を促進することが論文の信頼性を損ねることになっては本末転倒です。それでも、特に今回のパンデミックのように世界中で早急な対応が求められるような場合には、従来の学術出版のやり方に捕らわれず、OAやプレプリントを活用し、迅速な論文公開と議論を進めるべきと考える研究者は少なくありません。投稿論文に問題ありと指摘されたら撤回すればいいと考える研究者もいるでしょう。少なくともCOVID-19関連においては、新たな研究成果及び情報をオープンに共有することで研究者間の共業が促進され、研究成果を少しでも早く公表するために査読の迅速化が進んでいます。「Open Access to COVID-19 and related research」にはCOVID-19関連の研究論文を探すためのヒントや論文をOAで公開する方法が示されているので参考にしてみてください。

COVID-19関連の情報共有は学術界に留まりません。世界保健機関(WHO)は、世界のコロナ研究のデータベース「Global research database」を公開するとともに、COVID-19へのワクチン、検査薬、治療薬を国際共有財とするためのイニシアチブ「新型コロナウイルス・テクノロジー・アクセス・プール(C-TAP)」を立ち上げ、関連データの共有、臨床試験結果の公表などを推進しています。このイニシアチブには多くの国が参加しており、世界中が一日も早いCOVID-19の終息を望んでいるのです。

参照

以下に「Open Access to COVID-19 and related research」に掲載されているCOVID-19関連の情報をまとめているサイトを書き出しておきます。


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