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ベル研シェーン事件

今回は、「科学界における不正行為」の代名詞的存在となってしまったシェーン博士の研究者人生と、彼の不正行為が学術界におよぼしたインパクトについて考えてみたいと思います。2014年に日本で発覚し大騒動となった「STAP細胞事件」と、2005年に発覚した「韓国クローンES細胞事件(ファン・ウソク事件)と、この「シェーン事件」を合わせて、「三大不正事件」といわれることもあります。
1997年、当時弱冠28歳だった若手科学者ヤン・ヘンドリック・シェーン(Jan Hendrik Schön)は、世界的にもそのレベルの高さで有名なベル研究所に雇用されます。それから数年の間、シェーンは物性物理学とナノテクノロジーを中心に研究を続け、2000年から2001年にかけて、フラーレン(中が空洞の球、楕円体、チューブなどの形状をした炭素の同位体)における高温超伝導(比較的高い温度で電気抵抗がゼロになる現象)の研究を中心に、画期的な研究成果を科学雑誌『ネイチャー』や『サイエンス』 などで次々発表します。その量産ぶりには目を見張るものがあり、2001年には、シェーンが著者に名を連ねる論文が、平均して8日に1本のペースで発表された計算になります。しかも、これらの研究成果がもし真実であれば、人類がシリコンをベースとした無機エレクトロニクスから離脱し、有機半導体をベースとする有機エレクトロニクスに向かう大転機となりうる大発見であったため、シェーンは、2001年には「オットー・クルン・ウェーバーバンク賞」と「ブラウンシュヴァイク賞」を、続く 2002年には「傑出した若手研究者のための材料科学技術学会賞」を受賞し、「超電導の分野でノーベル賞に最も近い人」と賞賛されるまでに至ります。
シェーンは当時、ベル研究所以外にドイツの出身大学にも研究室を持っており、同僚たちも、もう1つの研究所で実験を行ったといわれると、その結果を鵜呑みにするしかない状況だったようです。また、あまりに華々しい成果に世論の賞賛の声が高まり、躍進的な研究結果に多少の違和感を感じていたほかの研究者たちも、なかなか正面切って疑惑の声をあげることができませんでした。


しかし最終的には、多くの論文で同じデータが重複して使われていることが指摘され、2002年にベル研究所が調査委員会を設けるに至ります。調査では、シェーンの論文25本と共同執筆者20人に不正の嫌疑がかけられ、世紀の大発見のほとんどがデータの捏造であったことが露見しました。その結果、『サイエンス』誌に掲載された論文10編および『ネイチャー』誌掲載の論文7編が無効扱いとなり撤回されました。
このシェーンのスキャンダルは科学者のコミュニティにおいて、共著者・共同研究者の責任をめぐる大論争を引き起こし、近代的な研究倫理の設定を促すことになりました。というのも、当時、論文に対する共著者たちの責任に対する一般的なコンセンサスがなかったため、不正行為はすべてシェーンが1人で行ったとみなされ、事件にかかわった共同研究者や研究グループリーダーは無罪放免となったからです。
また、完全無欠のように賞賛されていた査読付きジャーナルの限界も指摘されるようになりました。査読はあくまでも、論文のオリジナル性と妥当性を論文上の情報を元に審査することしかできず、論文の作成までのプロセスに不正があってもそれを見抜くことが不可能に近いからです。
共同研究者の責任や投稿する論文の正当性についての規制は、年々厳しくなる傾向にあります。自分の研究に「箔」をつけたいがために有名研究者の名前を借りること、有名研究者も自分の業績を増やしたいために名前を貸すという行為は近年、「ギフトオーサーシップ(贈り物としての署名)」と呼ばれ、批判の対象になっています。「STAP細胞事件」でも、若い研究者が持ってきた実験データを、シニアの研究者がまともに確認しないまま論文の共著者になったことが問題になりました。気軽に他の人の研究を後押ししたり、誘惑に駆られてデータの出典を確認しなかったりすることのないよう、十分気をつけてください。

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