翻訳者のシゴト論 – 第2回 K・Sさん

Profile
K・Sさん
翻訳者としての経験年数:5年
専門分野:遺伝学、ゲノミックス、神経生理学

翻訳者として英語と向き合う際に、一番難しいと感じることは何ですか?

原文を尊重しながら英文らしくすることです。
日本人の文章は独特の長い言い回しが存在します。いったいどこまで一文が続くのだろうと思うものが多々あります。 不必要な部分を削除して簡単にした方が良いと思われる事がよくありますが、あくまで原文を尊重するという視点ではそれができず、もどかしいです。
以前、意味が取りにくい日本語論文の英訳を依頼されたとき、原文の日本語を編集してから翻訳したことがありましたが、お客様から「原文にある日本語が翻訳されていない」とクレームがついてしまいました。それ以来、どんなに原文がわかりにくくても、あくまで原文に忠実に翻訳するようにしていますが、逐語的に訳すのではなく、「作者は何を言いたいのか」ということを翻訳する前によくよく考えて、それをふまえて英語としての論理性を備えた翻訳を心がけています。

日本人研究者が英語のスキルを伸ばすためにはどのような訓練・教育が必要だと感じていますか? ご自身が翻訳者となるために英語を勉強された経験を交えてお教えください。

論理的で、簡潔な日本語の文章を書くこと
驚かれるかもしれませんが、これができれば英語にするのはグンと楽になります。アメリカの子供たちは幼稚園からすでにwritingを毎日教えられます。日本でいう国語の時間は基本的にwritingです。その際にどのような構成で文を書けば良いかと言ういわゆる「ひな形」が与えられ、それにそって文章を書きます。それはその後、大学生、大学院生になっても使います。残念ながらこれがないのは日本の教育システムの弱みです。
私が日本語の論文を英訳するとき、原文に長すぎる一文があるときは短く切って、全体としてのテンポを重視した訳文を作成するよう心がけています。内容を問わず、ダラダラとテンポの悪い文章はそれだけで読者の集中を阻害してしまい、最後まで読んでもらえません。
名論文を真似すること
スポーツを習得するとき、憧れの選手の真似から入ります。私の幼少期は王選手の1本足打法でした。自分の分野で成功している人の発表論文で、自分が真似したいものを数点みつけ、声を出して何度も読んでみる。そうするとその人独特の英語のリズムが掴めてきます。良い論文は論理の展開が美しく、中学英語に毛が生えた程度の易しい英語で書かれています。

翻訳者としてのあなたにとっての座右の書を挙げてください。

Lowrey (Science 2000, Vol.288, pp483-491)
これはPhillip Lowrey (当時大学院生)の傑作で、サイエンスマガジンに出ています。このプロジェクトは実に8年の年月を要しており、論文はその8年をまるで歴史物語のように述べています。使われている英語は非常に平易でかつ、門外漢でも容易に理解出来ます。もちろん外国人でも。彼は今でも当時の指導教官と総説をよく書いています。文章は今も非常に簡潔で美しいです。
この論文は、まさに私の“バイブル”です。美しい論理構成を平易な英語で書く。ことあるごとに、この論文を読み返しています。良い論文は推理小説のようです。一文一文が非常に短く、テンポがよく読んでいて非常に気持ちが良い。何の深みも面白味もない“ドライ”な論文は誰も読んでくれません。

論文を執筆する日本の研究者に、日英のことばの壁を乗り越えるためのアドバイスがあれば教えてください。

一番大事なのは論理の展開をしっかりさせることです。そうなれば英語を書くのは非常に易しくなります。自分の中でバイブル的な論文を見つけ、ひたすら真似をする。そして自分のスタイルを確立する。英語の上達法は口に出して使うことです。しかし日本にいればそれは難しいと思います。だから文章を目で追い、声に出して読み、その音を耳から聞く。そして、その文章のリズムを身に付ける。そうすれば、自分がおかしな文章を書いた時にすぐ分かるようになります。

ご自身の研究をしながら翻訳の仕事もする利点は何ですか。

英語で良い論文を書くためには数をこなす必要がありますが、普段の自分の研究で論文を書くのは2年に一回くらいですので、それだけだと上達は望めません。翻訳の仕事をしていれば、自分の研究分野と似た論文の英訳を数多くこなすことができるので、執筆力の上達につながると考えています。

翻訳の仕事でどんなときに達成感を感じますか。

訳し終えた文章を最初から最後まで読んでみて、淀みない英文の流れを感じられたときに達成感を感じます。何か違和感を覚えるときは単語レベルだけでなく、文から文へのつながり、論理の展開に原因があることが多いので、その違和感がどこから来るのかとことん考えます。

研究や翻訳作業では長時間PCの前に座り続けることになります。身体のために心がけていること、続けていることはありますか。

歩いています。犬を飼っているので散歩も兼ねることもありますし、多い日には妻と1日3万歩くらい歩いたこともあります。歩きながら 翻訳 のことを考えることも多く、歩くことは頭の整理に良いと思います。目の疲れをほぐすために、歩いているときはひたすら遠くを見るよう心がけています。加えて、学生時代にボートをやっていたので、家でローイングマシンを使っています。

翻訳は集中力が求められる作業です。翻訳モードに入るためのスイッチのようなものはありますか?

人によって異なると思いますが、だれでも一日の中で最もパフォーマンスが良い時間帯があると思います。私の場合、それは朝の4時半から10時くらいで、訳文の全体的な確認などで特に集中力を求められる作業は、その時間帯に一気に集中してやるようライフサイクルを整えています。その時間帯は何も食べませんし、トイレ以外休憩も入れません。逆に夕食後は最もパフォーマンスが悪くなります。

もし過去に戻れたとして、今とは違うキャリアを選べるとしたら何を選びますか。

農業です。実家で、兄が兼業でコメを作っています。昔は農業といえばただ手伝いをやらされた記憶しかありませんでしたが、今あらためて、これは翻訳もそうだと思いますが、農業のような「モノづくり」は素晴らしい仕事だと思います。米作と土壌微生物の関係性などと、いま私が研究している腸内細菌の知識を絡めたら…などの想像をしてみるのも、また楽しいものです。

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