科学を含めた公共財について考える―前編

グローバル公共財の代表―ワクチン

COVID-19のワクチン開発が進められていた2020年5月に開催された世界保健機関(World Health Organization: WHO)の総会で採択された決議には、「安全で、質が高く、効果的で、アクセス可能で、安価なワクチンが利用可能になった際には(once safe, quality, effective, accessible and affordable vaccines are available)」、 COVID-19の広範な免疫化は健康のための「グローバル公共財(a global public good)」であるとの表現が盛り込まれました。また、2021年4月2日に開催された国連総会の非公式会合で公開された「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチンへの世界的に公平なアクセスに関する政治宣言」には、「我々は、すべての人にとって負担可能な費用で公平・公正なワクチンへのアクセスを確保することで、COVID-19のワクチン接種をグローバル公共財として扱うことを約束する(We pledge to treat Covid-19 vaccination as a global public good by ensuring affordable, equitable and fair access to vaccines for all.)」とあります。

パンデミックの特質上、国の経済的な発展の度合いに関わらず全世界にワクチンを供給する体制を整えることは、途上国にとってだけでなく、巡り巡って先進国にとっての危機抑止につながります。それをふまえると、大規模な感染症のワクチンは、グローバルな公共財(Global Public Good)とすべきだということです。

ワクチンと同様に、気候変動の対策や地球温暖化への適応に関する知見や技術もグローバル公共財とすることが現在では一般的です。こうした全人類が直面する課題にダイレクトに関わる科学的知見が公共財となるのは多くの人の納得するところでしょう。

しかし、特定の研究が、国全体、人類全体に関わる研究であるか否かについて明確な線引きは簡単ではありません。ある分野の研究が、異なる分野のブレイクスルーにつながることだってあります。どのような研究であっても、先人の積み上げてきた知の礎の上に成り立つ学術研究の成果には公共財としての性格があるのです1

そもそも公共財/コモンズとは?

では、そもそも公共財とはどのようなものでしょうか。

経済学では、「競合性」と「排除性」という2つの指標によって財を4つに分類する考え方があります。大まかに言うと、その財を誰かが利用・消費することによって財の量や質が減ずるようなものは競合的、そうでないものは非競合的。また、その財の利用・消費が対価を払った利用者・消費者に限定されるものは排除的、そうでないものは非排除的です。競合的かつ排除的なものが私有財で、非競合的かつ非排除的なものが「純粋な公共財(Pure Public Goods)」とされます。対価を払わずに人々が享受でき、それによって財の量や質が減ずることのないもの、例えばきれいな空気や花火大会の花火といったものです。

広義の公共財に入るのが、競合的かつ非排除的な「コモンプール財(Common-Pool Goods)」あるいは「コモンズ(Commons)」と、非競合的かつ排除的な「クラブ財(Club Goods)」です。これらは公共財を特徴づける非競合性と非排除性の一方のみの特性を有するということで「準公共財(Quasi-Public Goods/Impure Public Goods)」とも呼ばれます。前者は例えば森林や漁業資源、鉱物資源などで、後者では動画や音楽のサブスクリプションサービスなどが分かりやすい例です。

このうち、コモンズについて、アメリカの生物学者ギャレット・ハーディン(Garret Hardin)は、1968年に『Science(サイエンス)』に発表した論文「The Tragedy of the Commons(コモンズの悲劇)」の中で、共有資源は多数に開かれるがゆえにやがて枯渇や荒廃に至るという法則を提示しました。この論文を土台に様々な議論がなされるようになりましたが、現在の地球上で自然環境や生物多様性が大きく損なわれていることは、このコモンズの悲劇(共有地の悲劇)の最たる例です。

ハーディンは、共有地がオープンアクセスであるがゆえの乱獲・過剰採取など資源の枯渇を避けるための方法として、コモンズを完全に公的な管理に置く(国有化する)か、完全な私有化をするという2つを挙げていますが、これに対しては多くの批判的な議論も巻き起こりました。2009年に女性として初めてノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者・政治学者エリノア・オストロム(Elinor Ostrom)は、長きにわたってコモンズの悲劇を回避しながら運用されてきた共有地の事例を分析し、持続可能なコモンズの原理を示しています2。そうしたコモンズには、完全にはオープンアクセスでなく、適正なルールに基づいた維持管理が行われるなど、いくつもの条件があるといいます3。つまり、コモンズを特徴づける非排除性自体が完全でなければ、コモンズの悲劇が必ず起こるわけではないということです。ここでは純粋公共財と準公共財の線引きはさほど明確ではありません。

シカゴ大学や東京大学で教鞭を執った経済学者の宇沢弘文(うざわ ひろふみ)先生が「社会的共通資本」と呼んだものには、大気や海洋、森林などの「自然環境」、公共交通機関、道路や水道、電気などの「社会的インフラストラクチャー」、医療や教育などの「制度資本」の3つのカテゴリーがありますが4、これらも前述した古典的な財の4分類の枠内には収まらないものです。『社会的共通資本』の序章ではコモンズの悲劇回避のための国有化/私有化の二択は否定されます。「社会的共通資本はいいかえれば、分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的条件であるといってもよい。(中略)したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件に左右されてはならない。5

また、マルクス研究で著名な斎藤幸平(さいとう こうへい)先生が2020年に上梓した『人新世の「資本論」』(集英社新書)が、マルクスの思想を扱った書籍としては異例の売り上げを記録した背景にも、行きすぎた資本主義や新自由主義的な流れに対する違和感や、日々ニュースで見聞きし体感する気候変動への危機感を、多くの人が抱いているということがあるでしょう。共通資本(斎藤先生の言葉では「コモン」)の囲い込み・商品化や、それがもたらすネガティブな結果が現在と未来の人々を幸せにはしないという感覚です。この本の中でも提示されるのは、国家による管理か私有化か、といった二者択一ではない共通資本の自治的・民主的な管理です。

グローバル公共財としての科学

ワクチンや温暖化対策に関する研究・開発の成果は、誰もが享受できるべきもの(=非排除的)で、誰かが享受することが他の人々にとっても利益となる(=非競合的)ため、公共財としての性格がありますが、研究者や研究者を抱える企業の立場で言えば、それなりの時間や労力、資金を投じた研究の成果から、期待されるほどの対価が得られないのであれば、研究を行う動機は損なわれてしまいます。実際にワクチンに関する知的財産権の保護免除に関し製薬業界から反発があったことは記憶に新しいところです6

一国内で完結する公共財に結びつく学術研究であれば、研究開発のための研究資金、開発後の特許からもたらされる利益などについては、国による助成や対価の支払いによるインセンティブの付与はできないことはないでしょう。しかしパンデミックや地球環境などといった世界規模の問題に関わるグローバル公共財の場合、研究成果のアクセシビリティと研究のインセンティブをどのように両立させるかは大きな課題です7

オープンサイエンス拡大の流れの中で、学術研究の持続可能性を担保するため、公的支援の仕組みを構築する試みが各国で行われていますが8、最近では、新たな学術出版や助成のシステムを含めた「分散型のガバナンスに支えられた民主的なサイエンスシステム9」の構築を、ブロックチェーン技術などを用いて行うことを標榜する分散型サイエンス(DeSci、ディーサイ)などの動きも出てきています10。コミュニティレベル、国レベルでは解決できない問題に対する科学的探究とそれを支える仕組みづくりが今後も注目されます。

1 グローバルな公共善としての科学-国際学術会議 (International Science Council) https://council.science/wp-content/uploads/2020/06/ScienceAsAPublicGood-JP.pdf

2 エリア・オストロム著、原田禎夫・齋藤暖生・嶋田大作訳『コモンズのガバナンス』晃洋書房(2022)(原著:Ostrom, E. (1990). Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action. Cambridge University Press. https://doi.org/10.1017/CBO9780511807763

3 https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/zu/h24/html/hj12010302.html

4 宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書(2000)

5 同書、5ページ

6 「新型コロナ対応にWTOも必死(その5)「貿易と保健イニシアティブ」及びワクチンと知的財産権」

https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/it/page24_001420.html

7RIETI – グローバル公共財は誰が供給する?:ワクチン開発のインセンティブとアクセスの両立は可能かhttps://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0598.html

8 内閣府科学技術・イノベーション推進事務局「論文等のオープンアクセスについて(論点とりまとめ)」https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20230525/siryo1.pdf

9 https://note.com/hirotaiyohamada/n/n82e5c7d22c31#dcfad109-5a6a-445a-bab3-3e643e1c2e5e

10 https://desci-tokyo.jp/

参考動画

What is the tragedy of the commons? – Nicholas Amendolare

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