第二の「ソーカル事件」? フランスで起きた論文撤回事件

筆者のように学術情報の動向そのものに興味を持っている者の間では有名な「リトラクションウォッチ (retraction watch)」というウェブサイトがあります。文字通り、学術論文が「撤回」されると、その理由や経緯などを報告する記事が掲載されるメディアです。

いちど掲載された論文が撤回されるということは、もちろんその論文に何らかの問題があることが見つかったということです。こうした 論文撤回 がニュースになるのは、理科系のジャーナル(学術雑誌)でのことがほとんどなのですが、2016年4月7日付の同誌は、哲学のジャーナルである論文が撤回されたことを伝えました。

alain_badiou哲学者アラン・バディウについての研究論文を掲載するジャーナル『バディウ・スタディーズ』は昨年秋、「クィア・バディウ主義フェミニズムに向けて」という特集のための論文を募集しました。アラン・バディウはフランスの有名な哲学者で、日本語に翻訳された著作もあります。存命で、左翼的な政治思想でも知られています。ルーマニアにあるアレクサンドル・イアン・クザ大学のベネディッタ・トリポディという研究者は「存在論、中立性、そして(非)クィアのための闘争」という論文を書いて、その原稿を同誌に投稿しました。原稿は査読され、同誌はそれを一度は採択したようです。

そのアブストラクトの冒頭2センテンスだけを訳してみましょう。

「ジェンダー」はつねに、存在論的な差異と“ジェンダー化(gendering)”の失敗へとつながるジェンダーの制度化継続という弁証法の名称となってきたため、どんなものであれバディウ的存在論というツールを通じたジェンダー中立言説という観点に取り組むことには価値がある。『存在と事象(Being and Event)』でバディウによって確立されたように、数学は−集合論として−究極的な存在論である。集合は、反動的制度によるジェンダー化プロセスが保持しようとしているもので、主体としてのそれぞれの主体に特有な多様性状態に対立するものである。

一読しただけで、きわめて難解なものであることがわかります。しかし、フランスの思想家たちの著作ではこのように難解な文章は珍しくないため、「哲学の世界では、こんなものなのかな」と思う人もいるでしょう。

ところがこの論文は、フランスの哲学者フィリップ・ユヌモン(パリ第一大学)とアンノク・バルベルース(リール第一大学)が、いかにもバディウやバディウ主義者たちが使いそうな言葉を散りばめた文章を並べてでっち上げたインチキ論文でした。そしてアレクサンドル・イアン・クザ大学に「ベネディッタ・トリポディ」という研究者はいません。『バディウ・スタディーズ』編集部は、きっかけは不明なのですが、いずれかの段階でその事実に気づき、この論文を撤回しました。現在、同誌第4巻1号の目次にこの論文の題名はありません。ユヌモンとバルベルースは、このようなことを行なった理由を「ジルセル(Zilsel)」というウェブサイトにおいてフランス語で表明したようですが、それを「テンデンス・コーテジー(Tendance Coatesy」というウェブサイトが英語で要約しています。

彼らは、抽象的な存在論(ontology)という哲学を実質的に正当化しているものに対して異議を唱えているのだ。〔略〕このパロディは、その「マスター〔バディウのこと〕」がもとづく存在論についての基盤を掘り崩すためにデザインされている。

『バディウ・スタディーズ』の編集部は、著者たちの意図には賛同するが、その方法を批判している、といいます。同誌のスポークスマンは「リトラクション・ウォッチ」の取材に対して次のように答えています。

バディウの思想に対して哲学的に挑戦するためになされた重要な研究(そのうちいくつかは本誌に掲載されています)とは違って、われわれは、この著者たちがこんな時代遅れの攻撃方法を選んだことを惜しく思います。

そしてユヌモンらによる「攻撃」は「“マスターがもとづく存在論の基盤を掘り崩す”ためにというよりも、著者たち自身のキャリアを進めるためにバディウの名前を利用するようデザインされたように見えます」と批判しています。

また「リトラクション・ウォッチ」には、4月12日付でユヌモンらのコメント(英語)が追記されました。

『バディウ・スタディーズ』におけるでっち上げの目的は、哲学を実践することにおけるある種の方法、主にバティウによって強化されてきたものを暴くことです。バディウの名声や哲学的な高い評価は、われわれには正当ではないように見えるのです。

いかにもバディウやバディウ主義者たちが使いそうな言葉遣いでこのインチキ論文を書いた理由は「このようなジャーナルでの採択はただのまぐれ当たりであるということが簡単にわかるように」だとのことです。そして

われわれは2人ともフランスの学術体制のなかでシニアのポジションを得ており、これ以上の昇進はなく、この出来事によってわれわれのキャリアが進むことは望めないこと(当然のように主張されているが誤りである)、どんな報復も恐れていないということを強調しておく。

と付け加えています。

この出来事は、有名な「ソーカル事件」によく似ています。

1994年、ニューヨークの物理学者アラン・ソーカルは『ソーシャル・テキスト』という評論系ジャーナルに「境界を侵犯すること」という論文を投稿し、同誌はそれを掲載しました。しかしそれは、当時流行していたポストモダン思想家たちの言葉を引用しつつ、それを数学や物理学の理論のデタラメな説明に結びつけたもので、まったく意味のなさないインチキ論文でした。しかもそれは、ポストモダン思想家による科学論への批判に対する反論を集めた「サイエンス・ウォーズ」特集号に掲載されました。ソーカルはこの事実を別の雑誌で明らかにし、『ソーシャル・テキスト』はこの論文を撤回したのですが、一般マスコミを含めて大反響が起きました(その経緯は、金森修『サイエンス・ウォーズ』東京大学出版会に詳しく書かれています。またソーカルはその後、物理学者ジャン・ブリグモンとともに『「知」の欺瞞』田崎晴明ほか訳、岩波現代文庫で、ポストモダン思想家たちへの批判を継続しました)。

ユヌモンたちのイタズラはソーカル事件とは異なり、批判された者たちと同じ哲学者たちによってなされました。またソーカル事件当時、『ソーシャル・テキスト』には査読がなかったのですが、『バディウ・スタディーズ』には査読があるといいます。

しかし、一部の哲学者や社会学者など「思想家」たちの文章が、ほとんど誰にも理解できないほど必要以上に難解になっているにもかかわらず、ジャーナル編集部も含めて多くの者が理解できているふりをし、彼らの文章をありがたがっている風潮を批判することが目的であったことは、2つの出来事に共通しています。ただ目的がどうであれ、ソーカルのようにデタラメな論文を意図的に投稿することが研究倫理的に許されることなのかどうかは微妙で、当時、かなりの賛否両論がありました。ユヌモンらの行為についても同様でしょう。
 
 


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ライター紹介:粥川準二(かゆかわじゅんじ)
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。明治学院大学、日本大学、国士舘大学非常勤講師。著書『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森川麻衣子ほか訳、人文書院)。博士(社会学)。

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