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【聖徳大学】北川 慶子 教授インタビュー(前編)

各大学の研究室に訪問し、研究者たちにおける英語力向上の可能性を探るインタビューシリーズ。十九回目は、聖徳大学 心理・福祉学部教授の北川慶子先生にお話を伺いました。インタビュー前編は、自身の原点であるアメリカ留学や、留学が持つ可能性についてのお話です。


■ 先生のご専門について教えてください。
高齢者や子供たちが住みやすい社会とはどのようなものなのかを研究しています。近年は、災害時におけるソーシャルワーカーの実務支援機能や被災者生活復帰支援など、被災者に機能する支援のあり方を探求しています。実は社会福祉分野の研究を始めたのは、大学院からです。大学では「あえて不得意なことをやってみたら?」という親の薦めで、工学部機械工学に進学しました。高校時代は完全に文系でした。博士課程を修了してからは大学の教員になりました。
■ 先生は「英語が得意ではない」と公言されていらっしゃいますね。
はい、今も勉強中です。エナゴさんには本当にお世話になっています(笑)。英語を学ばなければと思い始めたのはアメリカに留学してからですね。これも親の影響で、親が、まだ留学が珍しかった1960年代にアメリカ留学の経験があり、「あなたも留学しなさい」と。語学はダメだと思っていた矢先に、「この先は英語が絶対に必要になるから」と言われて。留学ではなく完全に遊学でした(笑)。
■ その後、英語の学習は…?
30代になり、教員2年目に、研究留学しました。行き先はカリフォルニア。この時も、勉強する代わりに国内のいろいろな所を旅して回りました。2-3日の旅程であちこちに行き、誘われればそちらに行きと。
遊んでばかりのように聞こえるでしょうが、私にはこれが重要でした。人との出会いで何となく英語に親しみが持てるようになりました。もし真面目に勉強していたら、間違いなく嫌いになっていたと思います。教授や事務職の人たちと「普通に生活できるようになった」という実感が一番うれしかったですね。ある時、毎日私の身を案じ電話をかけてくる母が、「日本語のスピードが落ちたみたい・・・」といったことに何となく自信めいたようなことを感じたことも思い出します。大学のキャンパスで、学生たちが気軽に話しかけてくれるようにもなりました。
その後、行動範囲も格段に広がりました。国際学会に出席するようになったのも研究留学後です。海外に出る機会も増えました。そして研究の対象が、今も関わりを持つアジアの国々の福祉に徐々に広がりました。
 何があったのですか?
韓国の教員の方が「来ませんか」と誘ってくれたのです。帰国してすぐのお誘いだったのですが、アメリカで行動力を身につけた私は「そうですね」と即決し、それからは頻繁に行き来するようになりました。
外国に行くと、日本人のアイデンティティをしっかり持つようになりませんか?いい加減なことを言えないからと歴史の勉強をしたら、いつしか目がアジアに向くようになりました。韓国から中国、台湾とどんどん広がって……。いつしか中国と台湾で客員教授をやっていました(笑)。ご縁が重なったこともありますが、結局はアメリカに行ったことからすべてが始まりました。
■ 留学が研究生活の原点である、と。
子供時代は海外経験もなく、怖がりで親と一緒じゃないと動けなかったのに、アメリカを独りで旅行をしたり友達を作ったりしているうちに、殻が破れたのだと思います。実を言うと、昔は高所恐怖症で、飛行機に乗るのも怖かったのです。でも、飛行機しか手段のないアメリカ国内を移動しているうちに、気付いたらすっかり治っていました(笑)。
留学中に人種差別も経験しました。1980年代でしたが、アジア人と同じ空間にいるのをあからさまに避けようとする人たちにも出合いました。どこの国の人も同じだと思っていた私にとっては衝撃でした。当時は意識しませんでしたが、帰国後にそれが英語学習のモチベーションになり、英語で論文を書くようになったのだと思います。
■ 留学後に英語での論文執筆を始められたのですね。
そうですね。災害研究を始める前後だったでしょうか。20年数前に、アメリカの学会The Gerontological Society of Americaで初めて発表しました。親やネイティブに練習に見てもらい、文章を書くのと発表は何とかなったのですが、質問が怖かった……。「後で答えます」と言えたらよかったのですが、緊張している上にネイティブの質問も聞き取れず……。ショックでした。翌年からその学会ではポスターセッションにしました。ポスターだと聞かれていることが分からなくても、「ここに書いてある」と示せる(笑)。ただポスターでも、実際は発表と同様に大変ですね。現在では、どちらかというと国内学会より国際学会への参加が多くなってきています。国際共同研究をしているということもありますが。
■ 英語で論文を書かれる頻度は多いのですか?
海外で年間に数回は発表しますので、英語で書くことが多いですね。日本語ではほとんど書いていません。英語で論文を書いているとは言っても、社会福祉学は生活科学ですので、文章自体が極端に難しくないような気はします。とはいえ、書く際はいつも四苦八苦しています(笑)。それでも、外国の方たちと一緒に研究をしていると、毎日のメールのやりとりに英語を使わざるを得ないですし、あとはとにかくおしゃべりをします。下手でも下手なりに、英語を磨く方法はあると思います。
■ 下手なりに英語を磨く方法、ですか。
はい。英語には慣れたものの、いつまでたっても、書くこともしゃべることも大してできず、日常はあまり英語を使う機会がないのでむしろ劣化しています。(笑)。その割には「しゃべれないのによくしゃべる」とか「間違っていても平気でしゃべる」とか「人の話を遮ってしゃべる」とか……いろいろ言われます。それは、自分からしゃべらなければ相手がどんどん話してしまうので、待っていては話す機会を逃します。ネイティブは待ったなしですので、礼儀に反するかもしれませんが、人の話を中断してでも話します。考え込んでいたら話は進みますし、そのうち言いたいことを忘れてしまいます。だから、何を言われても、間違っていてもしゃべる。でも、結果的にこの方法でも通用しています。こんな私でも、中国や韓国、ネパールなどでも講演し、教えることができてきたのですから。
私は全然身につきませんでしたが、留学するなら早いうちがよいと思います。学生には「一緒に行きましょう」と言っていますし、留学はせずとも、積極的に海外の学生と交流する機会を持つことを薦めています。
後編では自身が携わられてきた海外交流プログラムや、英語の指導法について伺います。

【プロフィール】
北川 慶子(きたがわ けいこ)
聖徳大学 心理・福祉学部 教授
1999-2014年 佐賀大学文化教育学部 教授
2009-2014年 佐賀大学女性研究者支援室副室長・佐賀大学男女共同参画室長
2014年-現在 聖徳大学 心理・福祉学部 教授(2014年~)/佐賀大学 名誉教授(2014年~)/佐賀大学 工学系研究科 客員研究員(2015年~)/韓国忠北大学国家危機管理研究所招聘研究員/ネパールルンビニ佛教大学客員研究員
2006年から国立台北大学 客座教授(台湾)、2007年から華東師範大学社会学研究所 併任研究員 (都市防災・福祉研究室)(中国上海市)、2008-2014年には輔仁カトリック大学特聘教授 国際交流諮問委員(台湾)など海外の役職にも就かれている。2015年モンゴル教育アカデミー優秀女性研究者賞、2016年には財団法人 日本女性科学者の会 功労賞と佐賀県 佐賀県政功労賞を受賞。
2016年9月には学文社より「科研費採択に向けた効果的なアプローチ」を出版。
ご専門分野:社会福祉学(高齢者福祉、地域福祉、児童福祉)

 

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