被験者に関する倫理問題

研究の遂行には、動物あるいは、ヒトを対象とする実験が欠かせない場合もあります。生体実験を行う際に問題となるのが、「 研究倫理 」です。例えば、ある特定の病気を研究しているような場合、その治療法や治療薬が本当にヒトに有効なのか――動物実験で有効性が確認されたとしても、どこかで必ずヒト(人)での実験を行う必要が出てきます。実験に参加する人は、被験者あるいは研究対象者と呼ばれますが、実験である以上、すべての人によい結果がもたらされるとは限りません。そのため、実験に参加してもらう場合には、正確かつ十分な説明を行い、本人の意思による同意を得ておかなければならないと決められています。しかし、時に、研究者が被験者に関する倫理規定に従わず、問題となることがあります。今回は、被験者に関する倫理問題について学んでみましょう。

■ HeLa(ヒーラ)細胞が提起した倫理問題

ヒトを対象とする研究は、研究倫理および被験者の自発的な合意に基づいて行われるべきとされています。医学研究における科学的な透明性と被験者の同意の重要性は、ヒト由来の細胞株である「HeLa(ヒーラ)細胞」によって注目されることとなりました。

HeLa細胞とは、1951年に子宮頸がんで亡くなったアフリカ系アメリカ人女性のヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)の腫瘍病変から分離され、細胞株として樹立された(細胞株として培養に成功した)ものです。この細胞の名称は、原患者の名前から2文字ずつ取って命名されました。培養細胞株であるため、無限に分裂を繰り返すことが可能であり、ヘンリエッタの死後も、不死化した彼女の細胞は、継代培養されて生き続けています。HeLa細胞は、世界で初めて樹立されたヒト細胞株として、ポリオワクチンの開発やヒトテロメラーゼの発見などにつながる研究に貢献したことも含め、現在に至るまでさまざまな細胞を用いる試験や研究に幅広く使われているのです。実際、2013年に発表された論文だけ見ても、74,000を超えるPubMedの要約に、HeLa細胞を使用した実験であることが示されています。

しかし、HeLa細胞が問題となったのは、患者であるヘンリエッタ・ラックスに断りなく培養されたものであるためです。1950年代当時は、切除された組織や細胞を研究に利用することにつき、患者や家族に対して説明し、同意を得る必要がなかったのです。ヘンリエッタの遺族は、30年以上もの間、基礎科学におけるHeLa細胞の重要性について説明を求めてきましたが、対応されてきませんでした。2013年になって、ようやくゲノムデータの開示を条件付きで許可することが了承され、研究者が被験者に対する倫理と科学研究の透明性についての考えを変える大きなきっかけとなったのです。

■ 被験者への科学的成果の開示

米国政府は、政府が助成するヒト試料を扱う研究と臨床試験について「コモン・ルール(Common Rule)」と呼ばれる規則を適用しています。そして、米国科学工学医学アカデミー(NASEM: The National Academy of Sciences Engineering Medicine)は、研究で得られたデータを被験者と共有するよう求める新しい範例を制定しました。自発的に参加した被験者に研究成果を知らせることは、科学研究への貢献に対して興味を持ってもらうだけでなく、倫理的であり、かつ貢献への敬意を示すことになります。まだ一般的ではありませんが、HeLa細胞の論争を考えれば、ヒトが関与する研究の透明性は格段に改善されたものとなってきています。NASEMの新しい報告書は、規制当局や政策決定者が、研究に関わる被験者の権利を擁護するようガイドラインを改訂することを推奨するとともに、研究成果を被験者と共有する方法についても示唆しています。

■ 研究情報共有の倫理

NASEMの報告書の著者は、研究成果を共有する際は、慎重に判断する必要があると述べています。従来は、すぐ利用できるデータから考えられることを研究結果としてきましたが、より長期的な見方をすれば、研究成果の重要性は、将来の研究によってさらに拡大する可能性を秘めています。現時点での研究結果を共有し、さらに「未来の」研究をも踏まえて同意を得ることが重要なのです。研究者は被験者に、彼らのヒト試料に関する情報を「将来にわたっても」共有することを希望するかを尋ね、その答えに対応しなければなりません。

科学研究の進歩は、患者とその家族を尊重しながら、医学研究を著しく発展させる可能性にも備えた倫理的協力関係を築けるかにかかっています。貢献者に医学研究データを共有することは、今後研究に協力してくれる人を増やすことにもつながります。自らの組織、細胞、さらにDNAを提供してくれる人々の意見を研究に反映させることは、科学におけるその人達の役割を拡げることにもなりえます。しかし、この問題に関わる研究倫理は、いまだにあいまいで、一貫性のない規則ばかりが目につくのが実情です。

■ 研究の透明性の確保

倫理的および同意に基づく研究の課題は、科学研究における透明性と再現性の重要性に要約されます。過去の研究で得られた新しい発見を再現する力は、科学研究の進歩に大きく影響するものです。うまくいかなかった結果を出版し、失敗を開示することは、科学の透明性を維持するのに役立ちます。このように研究の透明性を認めることは、すでに同じ分野で研究している研究者が同分野で活躍する上でプラスとなるでしょう。

医学研究の最近の発展は、ヘルスケアにおける科学的透明性にも重点を置くようになってきています。例えば、世界で初めてマリファナ由来の治療薬エピディオレックス(Epidiolex)が承認されたことも、この動きを促進しています。研究室での実験が臨床試験につながる今回のような医学研究は、極めて注意深く、かつ透明性の高い科学研究なしには有り得ません。基礎研究は、新たな治療法や治療薬の開発と適切な利用を通して、医学研究を進歩させているのです。そのために、研究に貢献してくれる人は必要とされ続けます。そして、科学研究に対して自発的な貢献者が得られるかどうかは、研究の再現性、倫理と透明性のある同意を築けるか次第なのです。

 

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