第18回 学術界におけるカラーユニバーサルデザインの動向と展望

より多くの人に伝わりやすく・わかりやすい、色覚バリアフリーなスライドを作るために覚えておきたい「CUD: カラーユニバーサルデザイン」について迫る連載シリーズ。最終回の今回は、東京慈恵会医科大学解剖学講座教授、CUDO: Color Universal Design Organization 副理事長岡部正隆(おかべ まさたか)氏へのインタビューです。


色のバリアフリープレゼンテーション法について早くから国内外の学術界に対して情報発信してきた岡部氏に、最近の動向と今後の展望を伺いました。

学術界の外に動きの主体が広がった
■岡部先生と伊藤啓(いとう けい)先生(東京大学分子生物学研究所准教授、CUDO副理事長)がともに色弱者として学術界に対して声を上げてから、この15年間に状況は変わりましたか?
2001年から活動を始めて今に至りますが、最初の時期から比べると学術界に対するアピールから、学術界の外に動きの主体が広がってきました。
学術界での配慮は基本的に個人レベルになります。しかし、次から次に出てくるデバイスを考えると、研究者の態度というより、企業による商品開発レベルですでにいろいろな工夫がなされていないと研究者1人1人が戦っても及ばない部分があります。そこで、最近は企業に対応を求めることが増えました。
男女共同参画などは政府も後押しして、学会レベルで半ばルールのように推進されていますが、カラーユニバーサルデザインに関してはそのレベルに至っていません。毎年のように学会から教育講演の依頼はあって、今年は日本産科婦人科学会と日本微生物生態学会でCUDに関するセミナーをする予定があります。そのほか、ポスター発表のガイドラインに記載してもらったり(日本分子生物学会、日本発生生物学会)、論文の投稿規定に入れるように依頼したりしていますが、継続的に行うにはパワー不足です。
■学会の聴衆の立場では変化を感じますか?
だいぶ改善はしてきていると思います。自分の専門分野では蛍光染色の図版を見る機会が多いので、見分けにくい「赤と緑」の二重染色を「マゼンダと緑」に変えるように以前から要望してきて、そのように対応されている図版も増えましたが、なぜ「マゼンダと緑」なのか自覚せずに使われている可能性もありますので、もっとしっかり理解を得ていかなければならないと思っています。
■学会の外の動きとはどのようなことですか?
2002年に色覚検査が廃止されて10年以上経ちましたが、新たなトラブルとして、色弱に気付かないで社会人になり就職時に問題が起こるケースが出てきました。国は学校保健において色覚検査を復活させることはないと言っていますが、現場サイドで色覚検査が必要なのではないかという見解が出てきて、学校医や地域の眼科医会と教育委員会の間のせめぎ合いが生じています。そのような関係で、色弱児童への配慮についての啓発セミナーの依頼が増えています。検定教科書のCUD検証作業も行っています。


学術界に多い色弱者の1人1人が声をあげれば!
■トップジャーナルの『Nature』誌でも2007年に岡部先生らが英語で発信した図版に関する文書が紹介されていますので、日本の取り組みがいかに先駆的であることがわかります。
最近、『Washington Post』紙が記事を書いてくれました。もう少し前には『Science』誌もとりあげてくれました。海外の国々は、人種問題などもあり、色覚の問題に取り組む余裕はないのでしょう。アメリカでは、color-blindという言葉が‘肌の色で人を差別しない人’という全く違った意味で使われることもあるくらいですから、red-green(赤緑色弱)の話なんて二の次、三の次という感じです。
■学術界ではもっと取り組まれていてもいいように思います。
日本でも少数派の色覚を持つ人は実はすごくたくさんいるはずです、特に教授陣に。彼らがもっと声をあげてくれると状況がもう少し良くなるという期待はあります。われわれは色弱をカミングアウトして気にしないという、ある意味で特殊な考えの持ち主ですが、遺伝子の問題も含むため家族への遠慮などからカミングアウトできない人は多いです。大学などの高等教育現場で、CUDについて口酸っぱくアピールする人がもう少し増えてくれたらいいように思います。
P型、D型色覚の日本人男性は5%と言われますが、学術界にはそれ以上の割合で存在するように思います。研究所で助手をしていた頃には知る限り、教官の1割ぐらいが色弱者でした。多分、他の多くの人と違う感覚を持っていることは、人の気がつかないことに気がつくチャンスが多いのではないかと思ったりもしています。そんな気質は研究者向けなのかもしれません。そのような人々が声をあげてくれるといいのですが、世代的にそれでいやな思いをしたり進学上悩んだ経験があるとなかなか難しいです。
徴兵時の身体検査に石原式色覚検査表が使用されていた頃に悩んだ人々の孫の世代と考えると、負のイメージを強く持っている人たちもいるように思います。したがって、このような状況が是正されて多様性が受け入れられ、色覚に配慮することの重要性を自らの身をもって皆に知らせるということを複数の人が行い始めるには、もう少し時間がかかるのではないかと感じています。


時間をかけて心のバリアが解ければ、一気に進む
■目に見える形で、少しずつ動き始めていますね。
ただ時間がかかることだと思います。とつぜんぱっとエレベーターを作ったり点字ブロックを埋めていくという勢いとは違う方法でやっていかなければなりません。その理由は、色弱者は法律上、障害者ではありません。もしマスコミで“色覚障害者”というのと同じレベルで障害者として扱われているのであれば、これは法律上、社会保障のなかで対策がとられてしかりですね。
しかし、われわれは自分たちのことを障害者だと思っていないし、異常と言われるのもいやだと思っている人が多い。それぐらいの“個性”だと思っているわけですから、逆にそのような対策で物事が進む方が不本意なのかもしれません。そういう意味では、ゆっくりしか進まないでしょう。意識の問題なのです。
あとは、われわれ当事者が発信して、配慮を求める動きがもう少し広く行われるために、気持ちの上でのバリアをどうほぐしていくかという課題があります。時代や時間も解決を助けてくれるでしょう。また、さまざまな形で情報が発信されて配慮がなされ、ノーマライズの方向に進んでいくことによって当事者がもう少し話しやすくする環境を作る。そういう方向に進んで行けば、おそらくもっと一気に話が進むのでないかと考えます。
2001年にこの活動を始めて、2002年に色覚検査の義務化が廃止されました。2〜3年前に朝日新聞でも色覚検査復活の兆しについて指摘されていましたが、やはり知らずに成人になって、進路を大きく変えなければならない事態になって非常に悩ましくなったという話が多く出てきました。知らないで過ごすデメリットが出てきだしたわけですが、やはり、と感じる部分はあります。
色覚検査が廃止された当初は、当然社会がそれに対応しなければならないということを逆に追い風にしてCUDを広げようと考えました。それはある程度その通りに進んでいる気がします。一方で、色弱者自身がそれを知らなくていいのか、知っていた方が自分の身を守れるのではないかという議論も以前からあり、検査が廃止された現在では色覚検査を自主的に進めるような方向になっています。国が色覚検査を行わないなか、CUDのあり方も変わってくるかなと思っています。
■企業の取り組みも増えており、社会的に認知が広まれば違う角度からのサポートになるのではないでしょうか。
そうですね。色覚検査を再開するにあたっては、どのように再開するのかということも大切になります。以前は、検査したら「あなたは色弱ですよ」と告げて終わりでした。「気にすることありませんよ」の一言で終わりです。学校の先生方も対応の方法を知らないなかで、何を変えられるのかと。われわれはCUDの啓発をしてきた流れで、「家庭のなかでできるCUDってなんだろう」ということにも取り組み始めました。
非常にテクニカルに学術界に特化した話ではなく、もっと、ごく一般的なところからつっこみ、もっと広くの人をカバーするようなCUDのあり方のようなことを模索しています。
■貴重なお話をありがとうございました。


参考資料:
『Washington Post』紙のデジタル版ブログ記事(2015年2月27日)
http://knowmore.washingtonpost.com/2015/02/27/what-do-colors-really-look-like-to-colorblind-people/

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