論文の公表は焦らず慎重に
近年、学術論文の公開スピードが以前よりも速まっています。学術出版における電子化や、オープンアクセスの拡大、プレプリントサーバーの利用などに後押しされ、研究者は新しい研究結果を少しでも早く公開しようとしています。重要な成果は、研究者間で共有されたり、一般公開されて共有されたりしていますが、特に新型コロナウイルス感染症に関する研究では、一刻も早く研究結果を発表することがこの感染症の治療・感染防止に役立つと同時に、研究の重複を防いで効率化を図ることにもつながるため、公開が急がれています。
研究論文の出版を急ぎたい理由は人それぞれでしょう。短期間で出版リストを充実させるチャンスと捉える研究者や、現状では感染症関連研究の成果により多くの注目が集まっているからという研究者もいるでしょう。どんな理由であれ、研究者は迅速に論文を公表する方法を模索しています。
少しでも早く論文を公開するためにはどうすればいいのか? 多くの研究者は、査読を経ずに論文を公開することができるプレプリントサーバーを利用しています。BioRxivのようなプレプリントサーバーには、論文の公開および論文へのアクセス(閲覧)が無料で、かつ迅速に公開できるというメリットがありますが、一方でここに掲載される論文は査読を経ていないので、「悪質な科学研究(bad science)」を拡散する可能性が捨てきれないというデメリットもあります。
コロナ禍において、認知度の高い学術雑誌(ジャーナル)のいくつかは、投稿された論文が出版までに要する時間を短縮する取り組みを進めてきました。同時に、査読プロセスがあまり厳しくないために評価が低めのジャーナルが、少しでも早く論文を公開したいと急ぐ研究者を引きつけているのも事実です。
研究論文の公開においてスピードを優先すべきなのでしょうか。あるいは、従来同様、研究者は高品質な研究出版を目指して努力すべきなのでしょうか? もちろん、研究成果を迅速に共有することはよいことです。しかし、研究の質を犠牲にしてまで公開を急ぐことはすべきではありません。
速さか品質か
学術論文の発表を研究の質よりも優先すべきでない理由はたくさんあります。このことは、プレプリントサーバーへの投稿でも、ジャーナルへの投稿でも同じです。
まず、仕上がった論文を見直すために十分な時間をとることが極めて重要です。この点は学術出版における肝心要であり、「良質な科学研究(good science)」のためには不可欠なことです。どんなときでも悪質な科学は良くないのですが、特にパンデミック下のような非常事態ではさらに悪い影響を及ぼすことが懸念されます。誤った結果や紛らわしい結果が、人の健康に直接的な害を及ぼしかねないからです。
研究者は、適切な査読プロセスを有する評価の確定したジャーナルに自分の研究論文を投稿すべきです。プレプリントサーバーに公開する場合でも、研究結果を自分と共同研究者で注意深く確認してから投稿すべきです。
やってはダメなことは
研究成果を少しでも早く公開したいという気持ちは理解できます。しかし、研究成果の質に妥協すべきではありません。特に、コロナ関連の研究は急ぎすぎているのではないかとの指摘にもあるように、慎重な対応が求められています。ここでは、やってはダメなことを確認しておきましょう。
急ぎすぎは禁物
良質な科学研究のアイデアをまとめ、研究を実行し、得られた結果を論文にまとめるには数ヶ月あるいは数年を要することが一般的です。しかし最近では、このプロセスをたった数日で済ませてしまう研究者がいます。このような場合、重視しているのは(論文を公開するという)目的であり、科学研究のプロセスではありません。彼らは、刺激的でニュースになりやすい結果を見つけることに注力し、科学研究におけるプロセスをおざなりにしがちです。また、急ぎすぎると、サンプルサイズが少ない、結果を選択的に報告するといった研究の方法で問題を起こしてしまう可能性も捨てきれません。
透明性は忘れるべからず
研究論文である以上、公開されるあらゆる科学研究における研究の透明性は必須です。論文を読んだすべての人が、研究にアクセスするのに必要なあらゆる情報を得られるようにしておかなければなりません。短時間で論文を公開することが必要不可欠な情報を掲載しないでよい理由とはなりません。もし、定評のあるジャーナルに必要な情報を欠いたまま論文を投稿したら、速攻でリジェクトされることでしょう。ただし、関連するデータが大きな場合には、投稿論文とは別にレポジトリにデータを掲載して読者が入手できるように配慮することは可能です。
方法の選択は慎重に
一般的に、コロナ関連の研究を進める研究者は、非常に明確な目的を持って研究に取り組んでいます。例えば、特定の治療が有効かどうか知りたい、あるいは、特定の人口において何人が感染したかを探るといったことです。これらの論点は人の健康にとって大変重要なことなのですが、答えを出すことが目的となってしまうと、最も科学的な方法よりも、時間をかけずに答えが得られる方法を選んでしまいがちです。サンプルサイズが小さければ、一見すると顕著な結果が得られたように見えますが、その研究成果の影響力は限られてしまうでしょう。
統計の取り方にも注意
コロナに関しては、分からないことばかりです。結局のところ、このウイルスはどのような悪影響を人に及ぼすのか?感染したときの危険性は?この感染症で死亡する確率は?
これらの質問には、統計値から答え(メディアが喜ぶ回答にならないとしても)を出すことが可能です。しかし、科学者が統計を利用するときには、状態が良くなっていると見える数字か、あるいは関心をひきやすいか、などと言った先入観を持たずに数字を見ることが重要です。研究報告では、具体的にどのような統計分析を行い、それが何を意味しているのかを常に明確にしておかなければなりません。
恐れずに修正する
最後に覚えておいて欲しいことは、論文の公開を急ぐとミスを犯しやすいということです。それでもプレプリントサーバーに投稿した論文であれば、一度投稿を取り下げて、改めて改訂版を再投稿することで簡単に修正が可能です。修正することが、後に該当論文を定評のあるジャーナルで出版するチャンスを高める可能性もあります。
ジャーナルについて気をつけること
プレプリントサーバーへの投稿が増えていると書きましたが、プレプリントサーバーがこの問題においてそれほど大きな割合を占めているわけではありません。というのは、ここ数ヶ月で公開されたコロナ関連の研究論文のうち、約80%はジャーナルに出版されているからです。
論文公開を急ぎ過ぎることの問題は、研究者だけが責任を負うものではありません。ジャーナルにも責任があります。幾つかのジャーナルが査読プロセスの迅速化を進めましたが、この取り組みは良いこともある反面、ジャーナルは少しでも早く論文を出版するためとは言え、通常行っている査読基準を落とすわけにはいきません。この点については、ジャーナルの編集者は、通常の査読基準およびガイドラインに則って査読が進められていると主張しています。
コロナ関連研究にかかわらず、これからも研究論文の公表数は増加し続けていくと予想されています。公開スピードが加速する中、研究の質を如何に守るかは学術研究にとって引き続き大きな課題となるでしょう。発表を急ぎ過ぎないことも大切です。
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