気候変動と医療:「みどりのドクターズ」からのメッセージを考える

公開日:
Nov 4, 2024
この記事を読むのにかかる時間:
15 minutes

気候変動と医療-つながりがあるの?と思われがちですが、2024年の夏、世界ではすでに多くの人が猛暑(酷暑)による熱中症で死亡しています。6月にはイスラム教の聖地メッカでは大巡礼ハッジに訪れた巡礼者1,000以上が死亡し、インドでも6月18日までに4万人を超える人が熱中症になり100人以上が死亡したと報じられています。

健康被害をもたらすのは暑さだけではなく、豪雨や洪水が起これば直接的な被害に加えて感染症が拡大することもあり、干ばつになれば衛生的な水や食料の確保ができなくなります。近年は、著名な医療雑誌(ジャーナル)でも気候変動に関連する医療に関する話題が増えてきており、気候変動と健康被害、医療とは切り離せない問題となっています。

気候変動と健康被害

ここ数年、日本でも日中の最高気温が35℃以上(猛暑日)となる日が増えています。気象庁は今年の夏の長期予報を発表した際、6-8月は全国的に気温が平年より高くなり、南米・ペルー沖でラニーニャ現象が生じた場合には、8月の気温が非常に高くなる恐れがあると注意を促していました。

近年の夏の暑さは「災害級」とも表現されますが、毎年、多くの人が熱中症で搬送され、命を落とす人もいます。熱中症は世界中で起きており、英医学ジャーナル「ランセット」が主催する気候変動と健康に関する国際研究事業「ランセットカウントダウン」のレポートには、2013~2022年に65歳以上の高齢者や乳幼児といった社会的弱者が熱波にさらされた日数は、1986~2005年に比べて年間平均で108%増加し、2020年には65歳以上の高齢者の熱中症による死亡が1990~2000年と比較して85%増加したとの調査報告が記されています。さらに、地球温暖化が1.5℃、2℃、3℃と進行した場合の、50か国・地域の800地点における熱関連死亡率はそれぞれ0.5%、1.0%、2.5%増加すると示す論文も発表されています。

また、熱中症以外にも、気温上昇による蚊の生息地拡大によるマラリアやデング熱など伝染病の拡散にも注意が必要です。2014年の夏に、代々木公園からデング熱の感染が報告されたことは衝撃的でしたが、2022年にはアジアでデング熱が大流行し、例年を上回る患者数が報告されるなど、さまざまな危険があります。

気候変動による健康への影響例

  • 気温上昇による熱中症、脱水症状による腎機能の低下、熱帯感染症
  • 環境汚染による呼吸器系疾患の罹患率および死亡率の増加
  • 異常気象や土壌枯渇による食糧生産の低下、食料不足にともなう栄養失調
  • 生命および健康維持に必要な生態系(生息地)の破壊
  • 人獣共通感染症の発生

医療業界と環境汚染

気候変動による健康被害に対処する医療業界も気候変動悪化の原因となる温室効果ガス(GHG)の排出者であることは否定できません。2019年に発表された論文ですが、2000-2014年のOECD諸国と、中国、そしてインドのヘルスケア部門における二酸化炭素(CO2)排出量を推計した調査において、各国のヘルスケア部門のCO2排出量は平均すると自国の排出量の5%を占めることが示されていました。また、36か国のヘルスケア部門を合わせた2014年のCO2排出量は1.6Gt、世界総排出量(35.7Gt)の4.4%にあたるとも記されており、医療業界によるGHG排出量が無視できない量であることが明らかです。

医療機関や製薬会社の事業所や工場などで使用される電力の他にも、吸入剤のように薬によっては温室効果の高いフロンや代替フロンを噴射剤として使用しているものもあれば、麻酔剤のように使用時にGHGとして排出規制が課せられている亜酸化窒素(N2O)が排出されるなど、ひとつひとつは小さくても業界全体ではかなりの排出量となってしまうのです。

もうひとつの見えにくい汚染は、医薬品による水環境汚染です。医薬品開発が進み、大量消費されるようになったことで、医薬品が河川や湖沼に流入して残留する新たな環境汚染問題が世界的な規模で進行していることが指摘されています。私たちが服薬した薬は体内で吸収されますが、一部は吸収されずに薬効を保った状態で体外に排泄されます。下水は処理場で排水処理されますが、化学物質の中には難分解性でそのまま河川に放流されてしまうものもあり、結果として水環境中にさまざまな化学物質が残留することになってしまいます。まして国や地域によっては、排水処理されることなくそのまま河川や海に流れていきます。こうした残留医薬品による環境リスクの評価と対策を行うことは、社会的にも重要な課題だと認識されています。

逆に、目につきやすい環境汚染は医療用プラスチックの廃棄問題です。コロナ禍で医療用の使い捨てマスクや手袋といったプラスチックが大量に消費されたことは記憶されていることでしょう。プラスチック製品は医療と公衆衛生において不可欠ですが、プラスチックごみ処理は製品の需要増加に追いつけず、結果として一部は環境に排出されてしまいました。新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックの始まりから2021年8月までの間に193か国で関連プラスチックごみが840万トン発生し、このうち25,900トン前後が海洋に流出したと算出する論文も発表されています。2022年2月、世界保健機関(WHO)は、COVID-19パンデミックが数万トンの医療廃棄物を生み、人間の健康や環境の脅威になっているとする報告書を発表しています。

みどりのドクターズ

年々気候変動が悪化し、医療による環境問題も指摘される中、2022年9月に日本プライマリ・ケア連合学会の医師や薬剤師らが集まり、気候変動や環境問題を考慮した健康・医療のあり方を考えるワーキンググループとして「みどりのドクターズ」を結成しました。プライマリ・ケアとは、健康を基本的な人権と考え、地域の診療医や家庭医が病気だけでなく健康や生活問題に総合的・継続的に対応するヘルスケアサービスです。

みどりのドクターズは、研修会などを通じてヘルスケア業界向けの気候変動関連の啓発活動や、医療従事者ができる温暖化対策の共有、環境対策に関連する政策に向けた署名活動などを行っています。医療業界の脱炭素にも力を入れており、2024年3月6日には、気候変動に強いヘルスケアシステムの構築と、医療保険介護業界の2050年までの温室効果ガス排出ネットゼロ宣言を求める署名647筆を厚生労働省に提出しています。さらに、日本プライマリ・ケア連合学会が2024年6月9日に開催した学術大会で学会を挙げて気候変動対策に取り組む「プライマリ・ケアにおける気候非常事態宣言(通称:浜松宣言)」を公表するなど、業界の脱炭素に向けた取り組みが進んでいます。

世界の医療業界における気候変動対策

2020年10月、英国NHS(国民保健サービス)が、気候変動がもたらす健康への深刻かつ増大する脅威に対応するため、世界の医療保険制度として初めて「2050年ネットゼロ」を打ち出しました。NHSの報告書『Delivering a Net Zero Health Service』には、NHSが直接管理する排出量については2040年までにネットゼロとする、NHSが影響力を行使できる排出量については2045年までにネットゼロとする、との2つの目標が明確に記されています。

翌2021年9月には、米国医学アカデミー(NAM)が、医療部門のリーダーシップを通じて気候変動に対処することが極めて重要であるとして、米国の医療部門の脱炭素化に関するパートナーシップ・プログラム「Action Collaborative on Decarbonizing the U.S. Health Sector」を立ち上げています。このパートナーシップには、政府、生物医学研究者、製薬業界、病院、医療専門職など多様な関係者が参加し、医療部門の脱炭素化と、持続可能性と回復力の強化のための行動計画を策定、実施することを目的とした活動を行っています。

2023年に中東ドバイで開かれた国連気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)では、開催期間中の12月3日を気候変動と健康との関係を議論する「Health Day」とし、気候変動交渉の歴史上で初めて各国の保健相を招いた関連会合が開かれました。先述のランセットの報告を含め、気候変動の悪化が人々の健康と命に対する脅威となることが示されていることを意識したものとみられていますが、この会合で日本を含めた約120か国は医療提供体制の強化などを進める「気候と健康に関する宣言」に合意しました。


ランセット報告書に記された気候変動の悪化にともなう健康へのリスク(抜粋)

  • 世界の夏の平均気温は大幅に上昇しているが、陸地、特に都市部は世界平均を上回るスピードで高温化している
  • 気候変動対策が遅れると気温上昇による熱中症の死亡数が増加する(特に高齢者が死亡する割合が増加する)
  • 高温にさらされることで作業効率が下がる(2022年は1991~2000年と比較すると失われた潜在的論同時間は約42%増加した)
  • 食料不足に直面する人が増加する(2041~2060年までに約5億2,490万人増加)
  • 海水温の上昇により細菌が増殖しやすい海岸線が拡大する(毎年329kmずつ拡大している)

 

こうした中、WHOは、医療分野の脱炭素や気候変動による被害の軽減を目指す国が連携する枠組み「ATACH(気候変動と健康に関する変革的行動のための同盟)」を主導しています。COP28では未参加だった日本も、2024年5月後半にジュネーブにて開催され世界保健総会においてATACHに正式に参加することを表明しました。なお、4月に政府に先駆けてATACHにパートナーとして加盟したことを発表していた日本医療政策機構(HGPI)は、日本政府代表団のATACHへの参加を歓迎するリリースを発出するとともに、日本の保健医療システムが気候変動に対して強靭さを高め、脱炭素に転換し、持続可能性を高めるための具体的な施策を示す「保健医療分野における気候変動国家戦略~気候変動に強く、脱炭素へ転換する保健医療システムの構築に向けた提言書~」を公開しています。

まとめ

国内外でさまざまな業界が気候変動を喫緊の課題と位置付けて取り組みを進めている状況で、人の命と健康に関わる医療業界もこの問題への対策に無関心ではいられません。気候変動や環境問題への対応は医療機関、製薬会社なども含めた業界全体にも多大な影響を及ぼすものとなっています。昨今では、事業を通じて排出されるGHGを2050年までに実質ゼロ(ネットゼロ)にすることを目指す方針を表明する製薬会社も出てきていますし、みどりのドクターズのような活動や、個々の病院や医療関連事業者などがサステナビリティへの取り組みを促進することは、医療業界の脱炭素化を後押しすることになるでしょう。

一方で医師や医療機関にかかる立場からも、気候危機により私たち自身の健康がどのような被害を受けているのか、健康で暮らし続けるためには気候危機に対してどのような行動を取らなければならないのか―熱中症対策をしながら考えてみませんか。

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