脳科学

脳に心地よく説得力ある英文を書くには

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、インガー准教授が、説得力のある文章を書くヒントを伝授。脳科学的な見地から分かりやすく明確な英語の文章を書く方法を説明します。さて、読みやすい文章、脳に心地よい文章とはどのような文章なのでしょう。 多くの研究者のように、私も毎朝オフィスに着くとたまった読み物との戦いが始まります。 正直に言うと、途中で戦いを投げ出すことがほとんどです。Publish or Perish(出版か死か)のプレッシャーの下、研究教育のようなマイナーな分野の研究者たちでさえ、毎年大量に物書きをしますが、「最新情報を得るため」だけに同じ分野の新しい論文すべてに目を通す時間はありません。論文を読むのは、どうしても読まなければならない場合(ほとんどは文献レビューを書くとき)だけです。私は今でもプライベートでは熱心な読書家なのですが、読むもののほとんどは、読者を引き込むタイプの人気のノンフィクション(と、ストーリーのある恋愛小説)です。 同じ分野の研究者の書く文献の多くを読んでいないということを認めるのは少し恥ずかしいのですが、弁明させていただくと学術論文というものはたいがい・・・つまらないんです。 退屈な文章を大量生産する同業者たちを責めるつもりはありません。私自身もその一人なのですから。ただ、私にとって幸運だったのは、ライティングについてのワークショップを教えるために、否が応でも自身のライティングスキルを磨く努力をし続けなければならなかったことでした。教えることが最良の学びだからこそ、キャサリン・ファースとショーン・リーマンとの共著で、ライティングについての本を2冊も上梓できたのです。好評だった1冊目の『How to fix your academic writing…

翻訳学と 脳科学

バイリンガルな人が翻訳もできるとは限りません。また、言語が得意な人はたくさんいますが、すべての人が優秀な翻訳者になれるとも言えません。言語を話すことと翻訳すること――人間の頭の中のプロセスに何か違いがあるのでしょうか。何が翻訳を可能にしているのか?不思議です。 そして、人間の脳の学習処理を模したニューラル機械翻訳(NMT)。実務翻訳において、翻訳支援ツール(CATツール)や機械翻訳(Machine Translation; MT)が日常的に利用されるようになり、翻訳効率の向上につながりました。特に、ニューラル機械翻訳は翻訳精度が格段に進歩しており、利用が拡大しています。それでも、さまざまなところで人間の翻訳者にしかできない部分が残されていると述べられているように、人間の脳における電気的な動きをコンピューターで再現できるとしても、まだ人間の脳と同じ翻訳結果を生み出すことはできないのです。これだけIT技術が進んだのに、なぜなのでしょう? 自分で翻訳作業を行っていると、機械翻訳の利用方法や仕組みを学ぶのに手一杯で、翻訳と脳の働きについて考える機会はあまりないかもしれませんが、この謎に取り組まれているのが、関西大学の山田優教授です。翻訳学と 脳科学 の関係を探求されている山田教授の研究で、人間が翻訳作業を行う時には脳の色々な部分を使っていることが判明しました。翻訳作業を行う時に活性化する脳の部位を調べる実験で、翻訳(深い処理)を行うときにはさまざまな部位が反応していることが確かめられたのです。それだけ翻訳作業は複雑な脳のプロセスを経て行われているということであり、脳の一部(左脳)の動きを再現するニューラル機械翻訳は、言語を置き換える「直訳」はできても、脳全体の複合的な働きの結果得られる「翻訳」と同じレベルのアウトプットを出せるまでに至っていないということでしょう。このプロセスを理解することは、我々人間が、言語をどのように理解しているか、そしてどのように他言語に置き換えているかを探ることでもあります。機械翻訳が、言葉をカウントベース(共起行列)で捉える意味と形式(文法など)から把握しているのに対して、人間は、言葉の意味と形式に加えて、その言葉を使っている社会で共有される文化的背景や価値観なども鑑みた上で、その言葉の使われている状況ではどの訳語への置き換えが適切かどうかを判断しています。このような複雑な処理を脳が行うためには、さまざまな知識や情報が事前にインプットされていなければなりませんが、人間は自分の経験や学習を通して膨大な量の情報を脳に蓄積させているのです。これは、まだ機械に追いつかれていない部分です。 実際、機械翻訳ではコーパス(過去の翻訳メモリなどから得られる異なる言語間の文と文の対訳データ)の量が翻訳の精度を左右するため、コーパスが多ければ多い言語ペアほど、翻訳の品質が向上すると言われています。これは経験を積んだ翻訳者がよりよい翻訳ができるのと同じです。コーパスの蓄積が進み、言語だけでなくあらゆる情報がデータ化され、それらの膨大な情報を使って今以上に人間の脳の処理に近い計算処理ができる画期的なアルゴリズムが実装されたら……ニューラル機械翻訳による結果が人間の翻訳者の出した結果と区別できなくなる日が来るかもしれません。幸いにして、それまでにはまだまだ多くの研究と時間が必要そうです。 急速にグローバル化が進み、ますます翻訳のニーズが高まっている現代における翻訳には、品質・コスト・スピード(納期)が求められており、機械翻訳は現時点で既にコストとスピードで人間の翻訳者を上回っています。残された品質について、どこまで重視するかは翻訳プロダクトの用途次第です。例えば、ビジネスメールの翻訳は内容が理解できるレベルになっていれば問題ないと判断されることがある一方、製品の解説書などはユーザーが適切に使えるように正確かつ分かりやすく書かれていることが求められるといった具合です。このような場合、前者は機械翻訳でも対応が可能でしょう。後者の、「ユーザーにとってわかりやすい解説」は、人間の翻訳者の腕の見せどころです。人間は、「自分がこの解説書を見たときに、どう書かれていればわかりやすいのか」を考えて翻訳することができるからです。翻訳に求められる3つの評価基準(品質・コスト・スピード)が変わることは考えにくい以上、翻訳者は翻訳技術の変化に追従しつつ、翻訳者(人間)ならではの翻訳ができるようにスキルを磨かなければなりません。 翻訳者として、どのようなスキルを向上させていくかを考えるとき、あるいは言語を学習するとき、自分の脳がどのように言語を理解しているのか想像してみるのも面白いと思います。翻訳学、言語処理研究の視点から人間の脳の働きを探る山田教授の研究において、今後どんなことが分かってくるかも楽しみです。 山田 優(やまだ まさる)教授の紹介 関西大学外国語学部・外国語教育学研究科教授 実務翻訳者としての経験を経て、現在は大学で翻訳プロセス論、翻訳テクノロジー論、翻訳教育論(TILT)などの研究に従事されている。日本通訳翻訳学会(JAITS)理事。関西大学の先生のご紹介はこちら(研究室のサイトはこちら)