博士課程のニューロダイバーシティ(発達障害)
(訳者注:本記事のテーマである「ニューロダイバーシティ」は日本語では一般的に「発達障害」と呼ばれる脳機能の特性を表す語ですが、筆者の「障がい」ではなく「特性」であるという考えを尊重し、以降、「ニューロダイバーシティ」と表記しています。一目で内容を分かりやすくするためタイトルに「発達障害」という表現を使用していますが、何卒ご容赦ください。) _________________________________________________________________________________ まさか自分が泣くとは思いませんでした。 私は感情的なテーマを研究することはあまりありません。「トラブル・トーク(troubles talk)」や管理システム、博士号取得後の雇用可能性などを研究してきましたが、ニューロダイバーシティ(脳の特性による個性の多様性)と博士号取得後の経験に関する今回の研究はそれまでの研究とは違います。学術的な文章に感動して涙したのは、間違いなくこれが初めてです。それは、この研究が個人的なものだと感じられたからでしょう。 どこかの博物館に「普通の脳」として解説される「瓶に漬けた脳」など存在しないとトニー・アームストロング(Tony Armstrong)は言うものの、私自身は自分を「定型脳」かなと思っています。でも、ニューロダイバーシティについて読めば読むほど、自分自身に対する疑問が湧いてきます。私には、過集中状態に陥る能力などADHDの特徴もあれば、連想思考やルーティーンを強く求める性向など自閉症的な特徴もあります。しかし、私はどちらのタイプのニューロタイバーシティの診断基準にも当てはまらないし、自分の「癖」を障害とは感じていません。例えば、社会的な状況での曖昧さに比較的慣れているし、「やるべきこと」リストの優先順位付けに苦労したり、「タイム・ブラインドネス」(時間の感覚があいまいで上手く時間を把握できないこと)を経験したりすることもありません。 しかし、血縁も、結婚相手の家系も含めた、私の家族の多くはニューロタイバーシティの特性を持つことが分かっています。家族が正式な診断を受けるようになったのは、子どもたちが学校に入って以降、ここ15年ほどのことです。子どもたちはそれぞれ、いろいろな意味で学校に行くことに辛さを感じていました。教師たちの名誉のために言っておきますが、彼らは子どもたちをただあがき苦しませていたわけではありません。70年代や80年代から、教育は劇的に進歩していたのです。ニューロタイバーシティが認識され、子どもたちは勉強するためのスキルや意見を言うためのスキルを教えられています。対照的に、私を含む家族の中の大人のほとんどは、学校では勉強面でも人付き合いでも苦労してきました。それでも自分たちが変人や、オタク、個性派である、などと思って納得してきました 現在では、こうした個性に名前が付けられています。自閉症、ADHD、強迫性障害、ディスレクシア、トゥレット症候群などです。 私は日々、ニューロタイバーシティ特性を持つ家族の驚くべき長所と才能を目の当たりにしています。学校生活や人生におけるさまざまな葛藤の中で、私は彼らとともに歩んできました。成功を祝い、助けられるところは助けてきました。でも、時には助けや共感が足りないこともありました。定型発達寄りの私は、ニューロタイバーシティ特性を持つ家族の行動を不思議に思ったり、迷惑に思ったり、苛立たしく思ったりすることがあるのです。逆に、私の定型発達的な期待や要求は、彼らにとって迷惑で、いらいらさせる、理不尽なものなのです。 イライラしたり、腹が立ったりしたときは、自分自身に言い聞かせるようにしています。自分たちは発見の旅の途上にいるのだと。私たちは皆、お互いに愛と優しさと忍耐の蓄えを見つける必要があるのです。そしてたいていの場合、私たちは上手くやっていると思います。 ここ10年ほどの間に、私自身のニューロタイバーシティへの認識が深まるにつれ、博士課程の学生を含め、いかに多くの研究者が私の家族と似ているかということに気づかずにはいられなくなりました。それが、私が学問の世界を快適な業界だと感じる理由のひとつだと思いいます(人々が文字通り「家族のように馴染み深い=familiar」なのです)。 学問の世界では、自閉症の特徴である「特殊な興味」と過集中の傾向がある人が多く、また、ADHDに特徴的な、好奇心や創造性を常にうずかせている人もいます。才能と苦労は隣り合わせなのです。自閉症スペクトラムの人は、学生よりもスタッフのように振る舞うことが求められる(学部内の人間関係や政治に関わることも含めて)、博士号取得レベルの学問の場の非常に社交的な性質に戸惑うことがあります。ADHDの人は、好奇心によって開かれた多くのウサギの穴に落ちていくうちに、博士号の射程が広がりすぎて制御不能になっていることに気づくかもしれません。 非定型発達の脳が、長時間の読書や分析に必要な集中力の発揮に困難をきたす場合がありますが、理由は様々です。光や音に対する感覚に問題がある人もいれば、単にじっとしているのが苦手な人もいるのです。 もちろん、2つとして同じ脳はなく、私の甥の1人のように、自閉症であると同時にADHDであることもあります。また、この甥のように、適切な条件下で素晴らしい才能を開花させることもあります。しかし、私の家族の他の人々のように、平均的な才能の場合もあります(ニューロダイバーシティ特性の人々に他の領域の「才能」を期待するのはある種の障がい者差別です)。また、私のように、ニューロダイバーシティの特徴をいくつか持っていても、特定の疾患の診断基準を満たさない人もいます。同じ脳は二つとないのです。だから、ニューロダイバーシティの経験は膨大で多様で、ジェンダーや階級、民族といった他のアイデンティティとも交錯します。…