学者

学者なりに燃え尽き症候群を引き起こす完璧主義を分析してみた

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。なんとメンタルヘルスに悩む学生を支える側のインガー准教授ご自身が、働き過ぎのストレスから健康を損なってしまったようです。問題解決に向けて自己分析をされていますが、その方法とは? 昨年、長年の過労がたたって体調を崩しました。 概ね15年もの間、週50時間から60時間働いてきた私の中の何かが、ある時ふと弾けてしまったのです。仕事中に突然涙があふれたり、不安発作が起きたり、疲労感や気分変動に襲われたり……といった症状が急速に悪化してしまいました。そのまま進んでいたらうつ病になってしまったかもしれませんが、幸いにもそこまで悪化する前に行動を起こすことができました。 メンタルヘルスの問題を抱えている博士課程の学生を10年以上見てきたのに、自分自身の燃え尽き症候群に気付きませんでした。正直、かなり面食らったことに、ベッドにこもって、何にも誰にも関わりたくないという強い誘惑にかられていました。健康とバランスを取り戻す方法を見つけ出すには、いろいろ試したものの1年という時間を要することに。つらい1年でしたが、自分の限界を知り、過労が健康に及ぼす影響について考えるきっかけになったと思えば、良い経験でした。 症状改善に役立ったことの1つはセラピーです。セラピーを受けた結果、自分が心理学的に言うところの「反すう(rumination)」、つまり現在の状況や過去の出来事を自制できないほど何度も繰り返して考えてしまう思考パターンに陥る傾向があり、そのことで、物事に集中することや、その瞬間に居合わせていることが困難になってしまうことが自覚できました。私はいつも頭の中で「……だけど、もしかしたら?」と用心深く自問して、結果的に不安を募らせてしまう――まるで、自分の心と格闘しているような気分をずっと味わってきたのです。 博士課程の学生(そして研究者たち)にとって、メンタルヘルスが大きな問題である理由の一つがようやくわかりました。私たちには長年にわたる論争を経て積み重ねてきた考え方が染みこんでいます。私は、自分自身と向き合い、将来うまくいかなくなるかもしれないことについて入念に考えを組み立てておくことが得意です(言い添えておくと、その時点でのわずかな兆候を元にしてできる範囲です)。習慣付いてしまっている考え方を打ち消すために私がやっているのは、私に試練を与えるためだけにひょっこり出てくる古い考えに凝り固まった学内の重鎮たちでいっぱいの退屈な学術セミナーにあえて出席していると想像してみることです。そんな状況でどうやって反論するかって?「黙ってて」と言うのも大分上手になってきました。 セラピストが私に勧めたことのひとつは、自分の中の完璧主義的な傾向を探ることでした。私は今まで自分を完璧主義者だと思ったことはありませんでしたが、それは完璧主義であることは 「動きが取れない」状態だと考えてきたからだと思います。これまでに、失敗を恐れて動けない―あるいは、何度も何度もやり直しをしてそれまでに行った作業をすべて消してしまう学生たちにたくさん出会ってきました。でも、私はまったく逆で、どうでもいいことをこなすのも得意ですし、プロジェクトを完了させることもできます。 私の考えが及ばなかった点は、仕事上だけでなく、人生における自己基準がとんでもなく高いという点です。私は受けられる量以上に多くの、そして困難なプロジェクトを引き受けて、それらの難しいプロジェクトをやりきろうとするあまり、自分でもバカみたいと思えるほど長い時間を費やすのです。そのあげくに、十分な仕事ができていないのではと毎回心配する……。これはいわゆる自分を過小評価してしまう心理傾向の「インポスター症候群(障害とは診断されないとは言っても)」ではなくて、むしろ学術界という超批判的な世界で生き抜くために身についてしまった反応ではないかと思っています。 セラピストにこの問題について研究してみるように勧められたので、「機能型」完璧主義と「適応型」完璧主義に関する文献を探してみました。それらから見えてきた傾向は以下のようなものです。思い当たる方もいるのでは? 必要でない場面でも、常に高い目標を目指す 健康と幸福を犠牲にしてでも、常にベストを尽くしたいと欲する…

学術界の外はサーカス。成功に必要なのは、ピエロの靴? 後編

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。前編では研究者が学術界を出るのがどれだけ想像がつかないことなのかを話しました。この後編では、それまでの経験を活かして研究者がビジネスで「成功」するヒントが詰まった本を紹介します。 古代ローマの詩の分野で博士号を持つクリストファー・L・カテリーン(Chris Caterine)博士は、研究者がビジネスで成功するためのガイドを書くにうってつけの人物でしょう。理系の大学院生は、「売り物になる」技術スキルを持っていることが多く、自らをデータサイエンティストに変身させることができます。残念ながら、人文系の大学院生は、学術界の外の雇用者に対し自らのスキルが役立つことを納得してもらうのに苦労します。『Leaving Academia: a practical guide』の中でカテリーン博士は、バックグラウンドに関わらず、自身のリサーチスキルを活用できる仕事を見つけるためのプロセス全般を説明しています。 カテリーン博士は、学術界の外の仕事への道筋を、ブラックホールを見つめることに対比させながら話を始めます。 「そこに何かがあることは分かっていても、すべてを謎に包み込んでしまうブラックホール、事象の地平面の向こうを見ることはできない。そして、引力のせいで、その境界面は、引き返すことのもはや不可能な限界地点となっている。事象の地平面を越えた者は、不可逆的かつ完全に姿を変えでもしない限り、帰ってくることができないのである。こうした特質のせいで、学術界を離れることは途方もない、恐ろしいこととなっているのである。」 彼は、人々は恐れと未知という2つの要因により、外縁にさえ近づかないのだと述べています。私の経験上、これは正しいと思います。博士課程にいる限り、しきたりをよく知っている学術界だけが、自分の全世界となるからです。低賃金・不安定であっても、やりがいと面白みにより、多くの人がそこに居続けるのです。私自身9年以上そこで頑張ってきましたし、行き詰まった感覚も十分に理解しています。学術界を離れることについて熟慮するということは、自分の職業上のアイデンティティを再考し、新たな仕事関連のネットワークを構築することと同じです。どこから始めていいかさえ判然としないのです。 この本には実に多くのヒントが含まれます。「恐怖」と題された第1章では、「外縁、境界面へとアプローチする」感覚が臨場感を持ってつづられています。彼は、学術界で打ち砕かれる夢や、学者としてのキャリアを追求する上で迫られる苦汁の選択について嫌というほど理解しているのです。新たな一歩を踏み出すため、知人の一人もいない町で仕事を始められるか?その見返りに何がえられるのか?この章は、あたかも「学術界で夢を追い続ける」人物の語りかけのようです。私は、不安との闘いと投薬治療について書いたことがありますが、他の仕事に就いていた場合でも薬物治療が必要になったかは疑問です。この本を読んでみて、あんな犠牲を払う価値があったのかと考えさせられました。 研究職は快適な精神生活を送ることのできる仕事と考えられがちですが、それは20年以上も前の話です。学術界では大量の仕事を非常に不安定な立場でこなすことを求められるのです。私の息子は、とても幼いころから「お母さんはお父さんより沢山働くのに、給料が少ない」という理由で研究者にはなりたくないと言っていました。息子が気付いていたのは、「成果」を出さねばならないという恒常的なプレッシャーに対応するために私が長時間働いているということでした。仕事量のせいで趣味に割ける時間は限られています。実際、私の趣味のほとんど(ブログ投稿や本のためのライティング、ポッドキャスト配信等)は、形を変えた仕事のようなものです。…

素直に成功を喜べない?燃え尽き症候群になるその前に

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授がお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。自身の成功を素直に喜べなくなってしまう「インポスター症候群」は燃え尽き症候群の前兆かも。今回はミューバーン准教授が研究者だからこそ感じて当然なプレッシャーとどう付き合っていくべきかをアドバイスします。 失敗は嫌なものです。 そして私の場合、失敗を避けようとするあまり働きすぎてしまいます。同じ立場の誰よりも自分にハードワークを課してしまうのは、仕事が好きだからというよりも、失敗が怖いからということが大きいのでしょう。不安によって私は良き職員となっているのですが、同時にその不安は私を燃え尽き症候群の予備軍にしてしまっています。 他人事ではない。 そんな風に感じられる方も少なくないはずです。そんな人は特に、地球規模のパンデミック下において、失敗を避けようとする態度が何をもたらすかを真剣に考えた方がよいでしょう。 以前は自分のことを完璧主義者と呼ぶのに抵抗がありました。私は、ひどく雑なところもあり、細かいことが苦手で、「許容範囲」で、仕事を仕上げることもあります。私の家は片付いていますが、これはパートナーの衛生基準が私よりずっと高いおかげです。しかし、心理テストを行うたびに出るのは、顕著な完璧主義者という結果です。 実際、ひどくだらしない完璧主義者というのも存在するのです。分かりづらいので、私は自分のことを失敗回避の完璧主義者だと考えることにしています。 自分の失敗回避の完璧主義的傾向は、整理整頓が出来ることとは関係のないことが分かってきました。私が望んでいるのは、いえ、私が必要としているのは、自分の仕事の価値を認められることです。それに失敗したと思うだけで、理屈抜きの羞恥心と恐怖心に襲われてしまうのです。こうした感情を極力抱かないように「完璧」になるまで仕上げようとするのですが、問題はどこまでやっても「完璧」と思えることがないのです。 この完璧主義の一種は「適応障害」ではありませんが、健全なものとも言えません。私は締め切りに遅れたからといって自分を罰するようなことはありませんが、誰かが良いと言ってくれるまでは、自分がだめな人間であることが「バレてしまわないか」心配なのです。他人に認められるとつかの間の安堵感が得られるのですが、次の仕事が始まると完璧主義思考に陥ってしまうのです。 一方で、何かを達成しても喜びはそれほど感じられません。もちろん、私も一定程度は成功がもたらす称賛をどこかで求めていて、だからこそ大変な仕事をしているのでしょう。ただ、実際に褒められると、非常に居心地が悪いのです。スピーチ前の紹介で著名人呼ばわりされたり自分の成果を並べ立てられたりすると、たじろいでしまいます。誰か他の人のことのように思え、その人が成し遂げた偉業に対する称賛を代わりに受け止めなければならないように感じるのです。 学術界は、私みたいな失敗回避の完璧主義者的傾向を培養し拡張させるシャーレのような場所なのではないかと考えています。私と同じ種類の人間が無数にいるからです。 私が開催しているライティングのワークショップや集中講座の生徒にも、こうした傾向の学生や研究者がいます。彼らの多くは「完璧」に仕上げるための「法則」を躍起になって求めています。(私には、それに対するアドバイスはほとんどできません。)そして多くの場合疲れ果て、燃え尽きています。このような理想の高い生徒たちの作業を褒め、目標に近づきつつあると伝えると、彼らはすぐに、自分たちはまだまだだと返してきます。彼らは勤勉すぎるほど勤勉で、途中で引き下がるということができません。やりすぎだなどと指摘すれば狼狽さえするのです。そして自分の成果に満足することはなく、プロジェクトをやり遂げる前に、より困難なプロジェクトに取り組み始めたりもします。…

学者のためのニッチマーケティング

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授がお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は論文被引用数を上げることにもつながる研究者自身のニッチな読者層とのコミュニケーション方法についてのお話です。 ガーディアン紙の“私は真面目な学者で、プロのインスタグラマーではない”という記事が私のいるオンラインコミュニティで波紋を呼びました。 記事では、ソーシャルメディアに携わる人間は自己顕示をしているに過ぎないという主張がなされています。これに対し、Tseen Khooは謙虚を装ったあざとい自慢についての記事を「Research Whisperer」というブログに投稿し、Sophie Lewisは「学者でありながら楽しくブログする」という記事を自らのブログに書いており、これ以上あれこれ言う余地はないように思えます。 しかし、ガーディアン紙の記事とそれに対する反応は、自己宣伝という概念について多くの学者が抱いている不快感に関して(再度)考えさせられるきっかけとなりました。 出版はそれがゴールではなく、読んでもらうための活動も重要 ソーシャルメディアに関しては多くの否定的な意見がありますが、しかしそれ自体は新しいコミュニケーション技術のひとつに過ぎません。コミュニケーションの中身は変わっていないのです。学術界は常に騒々しいアイデアのマーケットです。自分や自分の研究に人々の注目を集めることは、次の仕事を見つけたり、共同研究を行ったり、あるいは次の助成金を獲得したりする上で不可欠です。そのためにソーシャルメディアが役立つのであれば、使うべきだと私は考えます。 アイデアのマーケットが機能している最も具体的な例として、出版と‘インパクト’という漠然とした概念を取り上げてみたいと思います。 世界中の政府は、研究者たちに研究資金に見合った価値を生み出させるよう、私たちが研究を広める仕事を行っているかを様々な方法で計っています。そうした施策は、政府から大学を通じて、論文を出版することへのプレッシャーとして研究者たちに降りてくるのです。出版すればそれでいいという訳ではありません。出版することにより、評価や測定が可能なある種の「インパクト」を起こす必要があるのです。学術的なインパクトを計る最も簡単な方法は引用です。つまり、その論文が誰の論文によって言及されているかです。 研究の成果と生産性を計ることに関する問題については多くの議論がなされています。しかし、数字が存在すれば昇進期間や採用判断に適用されますので、被引用件数を完全に無視することは出来ません。…