スランプ

インターンシップで博士過程のスランプを脱出

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。研究論文執筆の半ばで精神的に追い詰められるMid-thesis crisisというスランプ状態に陥る大学院生は少なくありません。今回はインターンシップを機にスランプを抜け出した博士課程の学生ミア・タープ・ハンセンの経験をインガー准教授が紹介してくれています。 今回は、メルボルンのラ・トローブ大学政治学科の博士課程3年のミア・タープ・ハンセン(Mia Tarp Hansen)の投稿を紹介します。ミアはカザフスタンと中央アジアにおける市民社会の状況と政策を専門に研究をしています。カザフスタンとタジキスタンを中心に1年半のフィールドワークを行い、外交官や現地NGO、独立系メディアなどとも関わりながら、この地域の調査研究をしてきました。彼女が中央アジアに特段の興味を持つようになったのは、12歳の時に見知らぬ土地であったカザフスタンに住むこととなり、その地が彼女にとってかけがえのない故郷となったからです。現在は論文を執筆中で、まもなく提出できる見込みです。ぜひ、ツイッターの@AlmatinkaMiaをフォローしてください。 ここからはミア・タープ・ハンセンによる投稿です。 ある暖かい夏の日のことでした。カザフタンにいた私はかなり追い詰められていました。Mid-thesis crisis、つまり論文執筆のスランプに陥っていたのです。中央アジアでの精神的に厳しいフィールドワークと彼氏との破局に加えて、フィールドワークやPhDの研究が上手くいかないのではという不安に押しつぶされそうになっていました。もともとカザフスタンの政治に関するフィールドワークで一定の成果を上げるつもりでしたが、インタビューや調査について不満を抱えたまま時間が過ぎていってしまうと焦っていたのです。 研究を続ける気力を失っていたのです。研究に疲れ、大学で受けたアドバイスにもうんざりしていました。大学でのセミナーといえば、学術的キャリアを築くための方法についてのものばかり。そんなキャリアを望まず、現場での仕事をしたいと思っている私にとって、全然役に立たない情報です。それでデスクワークに戻ることも、PhDに向き合うことも嫌になってしまったのです。自分はダメ人間で、優秀な研究者ではないと感じていました。 どうにもならなくてパニックになって、作業を放り出しましたが、何の解決にもなりません。そんなとき当時のパートナーが、その年にもらった中でも最高のアドバイスをくれたのです。それは自分の研究や専門分野に関連した無給のインターンシップに応募することでした。彼は、私が燃え尽きて、進むべき方向を見失っていることを分っていたのでしょう。「もうどうにでもなれ」という気分で応募することにしました。大学院生に無給で仕事をさせる(こき使う)中央アジアの外交機関のいくつかに応募書類を送ってみたのです。結局2箇所からオファーをもらうことに成功し、条件の良い方の申し出を受けて実際の外交機関で働くことになりました。 そして1ヶ月後、私はタジキスタンに飛びました。中央アジアのタジキスタンは貧しく、ワイルドでも美しい国です。私が籍を置くオーストラリアの大学が予想外に(ありがたいことに)支援してくれた上、このインターンシップが研究活動に関連することを説得できたことで、奨学金の継続も確定してくれました。こうして、このインターンシップは、私の博士過程において非常に大きな意味を持つものとなりました。 私は、現場で働くことが何とかしたいと思っていたスランプからの脱出につながると、すぐに実感できました。やりたかったことに近づけたのです。一方で興味深かったのは、博士課程で学んだ研究スキルが、どのように現場での作業に適用できるか、そして中央アジアに関する私の知識がそこで実際にどう役立つのかを掴めたことです。…

博士課程終盤に「ダメ人間」の症状が出てしまったら

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。人は得てして何らかの理由で追い詰められると、簡単なことがうまくできない「ダメ人間」状態に陥いってしまうことがあります。自らも経験者であるミューバーン准教授が原因を考察し、そんな状態と上手く付き合っていく方法を話してくれました。はたして、その対処法とは? PhDの研究を行う間、研究は上手くこなしているのに、それ以外のことがほとんど何もできなくなってしまうことが起こることを、私は「Loopy la-las」と名付けました。 私自身に「Loopy la-las」が起こり始めた日のことは忘れられません。とにかく、簡単なことができなくなってしまい、自分が「ダメ人間」になったと感じたのです。 2008年のある日、フーコーの本に没頭していたところに、大学のリサーチ・アドミニストレーターから電話がかかってきました。私が提出した学会出席の助成金申請書に不備があり、名前の記入ミスがあったことを知らせてくれたのです(ありがとう、ジェーン!)。メールをチェックして、彼女が申請書を処理できるよう返信すればいい――だけですよね? 私はログインして申請フォームをダウンロードしました。そして、何をしようとしていたのか理解しようと、フォームを凝視しました。 私は、苗字と名前の両方を記入させるフォームの形式について考えはじめました。イギリスが自国の名前の付け方を植民地にも浸透させるため、植民地主義の下でランダムに姓(名字)を与えていたプロセスに思いを巡らせ、さらに家父長制と、母や自分の名前に比べて父や夫の名前がどのように提示されているかを考えました。そこから、そもそも「名前」とは何なのかについて考え始めてしまったのです。 ダメダメ、何やってるの!私は頭を振って自分の名前を書き込みました。それからさらに3分間、自分の名前のスペルが正しく書けているのか疑って自分の名前を凝視してから、不安なままフォームを保存してジェーンに返信しました。 すると今度はジェーンがわざわざ電話をかけてきて、私が添付ファイルを付けずに返信メールを送っていたと教えてくれました。彼女は大笑いをして「まったくあなたらしいわ、インガー。みんなにフォームに記入してもらう作業で私の1日の半分はつぶれるのだけれど、頭が良いはずの博士課程の学生は、どうしてこんな簡単なことができないのかしら?」と言うのです。 ジェーンの言葉は、私の心にずっと響いていました。なぜなら、私はその後半年以上、この「簡単なことができない」状態に陥ったからです。単純なことを行うのに苦労する一方で、信じられないほど複雑で抽象的な概念について考え、それについて書くことは1日中続けていても全く苦にならないのに。物事によってそれを処理する頭の回転が異なる状況は奇妙で、自分が「ダメ人間」になってしまったのではないかと思いました。しかし、博士課程の学生と接してきて、これが珍しい状態でないことが分かりました。そして、このような状態になるのは論文執筆プロセスの副産物なのではないかと思うに至りました。まさに『フラバー うっかり博士の大発明(原題:…