研究室の荒波にもまれて

博士号はキャリアにおける最高の資産だ

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、オックスフォード大学で社会法学の博士論文を提出したオウェイン・ジョンストン(Owain Johnstone)が、社会に売り込める博士号取得者の有するスキルについて書いたコラムを紹介します。 この投稿はオウェイン・ジョンストン(Owain Johnstone)によって書かれたものです。オウェインは最近、オックスフォード大学の社会法学研究センターで社会法学の博士論文を提出しました。彼の研究は、2000年代初頭に英国で初めて奴隷労働や人身取引に関する法律が制定されて以来、この「現代奴隷法」の社会的構築に影響を与えた英国国家の役割について探求したものです。 オウェインのLinkedInはこちら:https://uk.linkedin.com/in/owain-johnstone-a1231344    博士課程が終わるころ、先に学術研究から離れた友人たちが登ったキャリアの階段(3年、あるいは4年、5年)を自分は博士課程に費やしていて登り損ねたような気分になるのは、私だけでしょうか。たまに、閉じられた学術の世界から抜け出そうと考えるとき、またイチからやり直さなければいけないのではと不安になります。 でも、学術研究界から出るべきかどうかはわかりません。実際、博士号を取得すれば、採用者(雇用者)にとって本当に価値のある有用なスキルの数々を身につけることができると思います。博士課程とはその世界を知らない人にとっては不可解なものなので、学術界の外から博士号取得者の有するスキルを理解するのは難しいかもしれません。理解を得るためには、私たち学生がもっと明確に主張する必要があるということでしょう。そこで、博士号を取得することでどのようなスキルが身につき、外の世界でどのように役立てられるのか、また、博士号取得者を採用する側はどのようなスキルを評価すべきかについて、話したいと思います。 以下に博士号取得までに身につくスキルのリストを挙げてみますので、他にも何かあればコメントをください。 自己管理能力 多くの分野の博士課程の学生は、ほとんどの時間を一人で行動しています。友人や家族を除けば、どこにいるか、どんな服装をしているか、何時に仕事をしているか、食事をしているかなどを気に止めてくれる人はいません。ということは、組織力、行動力、自己管理能力、時間管理能力がなければ、成り立たないということです。あなたが博士号を取得できたのなら、それは自分で行動できる人間であることの証明になります。 優れたコミュニケーションスキル 博士課程の学生は、さまざまな機会に多様な聴衆に向けてものを書いたり、発表したりすることに多くの時間を費やしています。学部のディスカッション・グループ、ポスター・コンペティション、学会論文、あるいはセミナーでアイデアを発表する時でさえも、常に、自分の専門知識(あるいは意見)を共有していない人々に自分のメッセージを伝えるにはどうすればよいかを考えています。それは、単に言葉を投げかける場合だけに言えることではありません。博士課程の間にも多くのネットワークを築いています。自分の研究に注目してもらう必要があるので、自分の研究が本当に興味深く重要であることを人々に説得するために多くの時間を費やします。時には苦しい闘いのように感じることもありますが、自分のメッセージを届けるために努力すること、そのためのコミュニケーションスキルは他の多くの人が持っていないスキルなのです。…

フィードバックがつらい理由

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、研究者であれば避けて通ることのできない「フィードバック」について。教授陣に酷評された傷がまだ癒えない博士学生に向けて先輩研究者が書いてくれた手紙をご紹介します。 この記事は、博士審査の研究発表で酷評された直後で、傷がまだ癒えていないPhD学生に宛て、ANUの経験豊富な研究者が書いた手紙です。 その学生自身がこの手紙を私に送ってくれて、素晴らしい内容だと感銘を受けたので、差出人である先輩研究者と学生本人に公開の承諾をいただきました。博士課程で、みんながこのような洗練された思慮深いフィードバックをもらえると良いのですが…。皆さんにも読んでいただければと思います。 口頭試問を無事終えた○○さんへ 審査の通過、おめでとう。しかし、君の表情を見ると、あまり勝利の達成感は感じていないようでした。教授陣はそれぞれの使命を果たすかのように、厳しく酷評されましたね。自分の時を思い出します。アカデミアでの勝利はなぜいつも敗北感を伴うのだろうか? 本当に、変な話ですよね。 我々はみな、承認欲求があります。でも、この学術界という世界では、笑顔で金星を授与されることは、まずない。その代わりに「フィードバック」を与えられます。僕らはフィードバックを贈り物のように感謝して受け取るべきだとされているが、否定されているように感じるものです。自分の仕事を徹底的に批判されることほど苦しいことはありません。学術界の人たちはフィードバックを適切にする方法を正しく教えられていないため、危なっかしく、矛盾して、とげとげしいやり方になっているのです。博士課程の学生側も、フィードバックの受け取り方は教えられておらず、従順に頷くしかない。学者を志す学生は、他人に素直に従うだけでなく、自分にとっても耳の痛いフィードバックを建設的に受け留める方法を学ぶことが大切です。“To make a silk purse out of…

博士論文提出を成功させる9の秘訣

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、論文提出をスムーズに進めるための、9つの秘訣を解説するジュヌヴィエーヴ・シンプソンによる記事を紹介します。 博士論文の提出を控える皆様に、ジュヌヴィエーヴが、そのプロセスをスムーズに進めるための素晴らしいポイントを教えてくれます。 2016年、ジュヌヴィエーヴ・シンプソン(Genevieve Simpson )は、住宅用太陽光エネルギー技術とその導入を支援する政策に対する地域社会、産業界、政府の認識の調査研究により博士号を取得しました。彼女は、これから自分の研究成果をいよいよ「現実の世界」に持ち出すことを楽しみにすると同時に、西オーストラリア大学で教えたり、大学院の仲間との毎日が終わることに寂しさも感じています。彼女のツイッターアカウントは @gensimpson_wa。以下はジュヌヴィエーヴ・シンプソンによる記事です。 友人から、博士論文を提出するのに何を注意すべきか、アドバイスを求められました。経験することは人それぞれだと思いますが、以下のポイントは博士号取得を目指す人のほとんどの人にとって有益だと言っても差し支えないと思います。 提出に必要な事務的要件をしっかり押さえる これは一番重要なことなので、最初に書いておきます。 自分の大学の提出プロセスを見て、各ステップにどれくらいの時間がかかるか、情報がどれくらい前に必要になるのかを把握しておきましょう。例えば、論文を書き終えてから、事務処理に取りかかりたいと思うかもしれませんが、提出日になってから、2週間前までに試験官を指名しておかなければならなかったと気付くような事態は避けたいでしょう。大学職員、教員、(必要があれば)研究室の、各レベルでの事務的要件を把握しておきましょう。と同時に、大学への未納の料金がないか確認しましょう。 先延ばしにしていた支払いがあれば、それが論文の受理を阻む要因にもなり、非常に大きな問題となり得ます。 事務的要件を知ることの一環として、提出のための作業を把握しておくこともあります。 たとえば、(1)論文をPDF形式にする、(2)論文をUSBに入れる、(3)提出書類にサインをもらう、(4)印刷所に財布(と関連書類)を忘れず持っていく、など。印刷所に着いてから、USBに論文のデータが入っていない、財布を(週末で帰省中の)指導教官のオフィスに忘れていることに気づいたなどという事態になったら、泣くしかありませんね。(泣いてもいいんです)。…

学術ソーシャルメディアの「クソ化」

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回の記事では、研究プロモーションなどに有効なツールとして考えられてきたソーシャルメディア(SNS)について、教授の2023年7月時点での考えを紹介します。 もし私が今日(2023年7月10日)、「研究室の荒波にもまれて(The Thesis Whisperer)」を始めていたら、誰も私のことを知ることはなかったでしょう。 私は自分の仕事をオンラインで共有することで、学術研究界の片隅で読者を獲得し、ある程度の影響力を築いてきました。SNSで10万人のフォロワーを獲得した方法を尋ねられると、2つの答えを紹介してきました。 何か作り上げ、それを共有する  自分の文章よりも別の人の文章を共有する 私は、皆さんが興味を持ちそうなことをここに書いています。また、良いものを見つけ、SNSを通じてそれを皆さんにお知らせできることに誇りを持っています。このようなアプローチにより、私は博士号やアカデミック・ライフに関する情報源として信頼されるようになりました。多くの人がX(旧ツイッター)などで私をフォローしてくれるのは、私の紹介する人やリンク、アプリ、本などに対する私の嗜好を信頼してくれているからです。情報過多の世界では、信頼は影響力になるのです。 私はインフルエンサーを名乗っても許されるでしょう。もちろん、ボトックス注射して外見を繕ったタイプのインフルエンサーという意味ではなく。「ニッチなマイクロ・セレブ」になったことは、残念ながら、巨万の富をもたらしてくれませんでしたが、良い仕事に就いたり、ANUの教授に昇進したりするのには役立ちました。 私はANUで研究者向けにソーシャルメディアの講義をしています。この10年間、オンラインでの存在感を高められるよう研究者をサポートしてきました(このテーマに関する本を共同編集したこともあります)研究者にとってSNSが重要だった理由は、自分の研究についてSNSで語ることで論文の引用などが増えることが証明されていたからです。 しかし、状況は変わりました。今日のアルゴリズム主導のプラットフォームを使って“キャリアを成功に導く”などと研究者に言うのは、ミレニアル世代に“アボカドトーストを食べる量を減らせば家が買える”と言うようなものです。残酷な嘘なのです。なぜなら、今のソーシャルメディアは、自分の研究を共有する上では、クソみたいな手段だからです。 ちょっとしたクソではありません。とてつもなくクソです。 ソーシャルメディアは、コーリー・ドクトロウ(Cory…

博士課程のニューロダイバーシティ(発達障害)

(訳者注:本記事のテーマである「ニューロダイバーシティ」は日本語では一般的に「発達障害」と呼ばれる脳機能の特性を表す語ですが、筆者の「障がい」ではなく「特性」であるという考えを尊重し、以降、「ニューロダイバーシティ」と表記しています。一目で内容を分かりやすくするためタイトルに「発達障害」という表現を使用していますが、何卒ご容赦ください。) _________________________________________________________________________________ まさか自分が泣くとは思いませんでした。 私は感情的なテーマを研究することはあまりありません。「トラブル・トーク(troubles talk)」や管理システム、博士号取得後の雇用可能性などを研究してきましたが、ニューロダイバーシティ(脳の特性による個性の多様性)と博士号取得後の経験に関する今回の研究はそれまでの研究とは違います。学術的な文章に感動して涙したのは、間違いなくこれが初めてです。それは、この研究が個人的なものだと感じられたからでしょう。 どこかの博物館に「普通の脳」として解説される「瓶に漬けた脳」など存在しないとトニー・アームストロング(Tony Armstrong)は言うものの、私自身は自分を「定型脳」かなと思っています。でも、ニューロダイバーシティについて読めば読むほど、自分自身に対する疑問が湧いてきます。私には、過集中状態に陥る能力などADHDの特徴もあれば、連想思考やルーティーンを強く求める性向など自閉症的な特徴もあります。しかし、私はどちらのタイプのニューロタイバーシティの診断基準にも当てはまらないし、自分の「癖」を障害とは感じていません。例えば、社会的な状況での曖昧さに比較的慣れているし、「やるべきこと」リストの優先順位付けに苦労したり、「タイム・ブラインドネス」(時間の感覚があいまいで上手く時間を把握できないこと)を経験したりすることもありません。 しかし、血縁も、結婚相手の家系も含めた、私の家族の多くはニューロタイバーシティの特性を持つことが分かっています。家族が正式な診断を受けるようになったのは、子どもたちが学校に入って以降、ここ15年ほどのことです。子どもたちはそれぞれ、いろいろな意味で学校に行くことに辛さを感じていました。教師たちの名誉のために言っておきますが、彼らは子どもたちをただあがき苦しませていたわけではありません。70年代や80年代から、教育は劇的に進歩していたのです。ニューロタイバーシティが認識され、子どもたちは勉強するためのスキルや意見を言うためのスキルを教えられています。対照的に、私を含む家族の中の大人のほとんどは、学校では勉強面でも人付き合いでも苦労してきました。それでも自分たちが変人や、オタク、個性派である、などと思って納得してきました 現在では、こうした個性に名前が付けられています。自閉症、ADHD、強迫性障害、ディスレクシア、トゥレット症候群などです。 私は日々、ニューロタイバーシティ特性を持つ家族の驚くべき長所と才能を目の当たりにしています。学校生活や人生におけるさまざまな葛藤の中で、私は彼らとともに歩んできました。成功を祝い、助けられるところは助けてきました。でも、時には助けや共感が足りないこともありました。定型発達寄りの私は、ニューロタイバーシティ特性を持つ家族の行動を不思議に思ったり、迷惑に思ったり、苛立たしく思ったりすることがあるのです。逆に、私の定型発達的な期待や要求は、彼らにとって迷惑で、いらいらさせる、理不尽なものなのです。 イライラしたり、腹が立ったりしたときは、自分自身に言い聞かせるようにしています。自分たちは発見の旅の途上にいるのだと。私たちは皆、お互いに愛と優しさと忍耐の蓄えを見つける必要があるのです。そしてたいていの場合、私たちは上手くやっていると思います。 ここ10年ほどの間に、私自身のニューロタイバーシティへの認識が深まるにつれ、博士課程の学生を含め、いかに多くの研究者が私の家族と似ているかということに気づかずにはいられなくなりました。それが、私が学問の世界を快適な業界だと感じる理由のひとつだと思いいます(人々が文字通り「家族のように馴染み深い=familiar」なのです)。 学問の世界では、自閉症の特徴である「特殊な興味」と過集中の傾向がある人が多く、また、ADHDに特徴的な、好奇心や創造性を常にうずかせている人もいます。才能と苦労は隣り合わせなのです。自閉症スペクトラムの人は、学生よりもスタッフのように振る舞うことが求められる(学部内の人間関係や政治に関わることも含めて)、博士号取得レベルの学問の場の非常に社交的な性質に戸惑うことがあります。ADHDの人は、好奇心によって開かれた多くのウサギの穴に落ちていくうちに、博士号の射程が広がりすぎて制御不能になっていることに気づくかもしれません。 非定型発達の脳が、長時間の読書や分析に必要な集中力の発揮に困難をきたす場合がありますが、理由は様々です。光や音に対する感覚に問題がある人もいれば、単にじっとしているのが苦手な人もいるのです。 もちろん、2つとして同じ脳はなく、私の甥の1人のように、自閉症であると同時にADHDであることもあります。また、この甥のように、適切な条件下で素晴らしい才能を開花させることもあります。しかし、私の家族の他の人々のように、平均的な才能の場合もあります(ニューロダイバーシティ特性の人々に他の領域の「才能」を期待するのはある種の障がい者差別です)。また、私のように、ニューロダイバーシティの特徴をいくつか持っていても、特定の疾患の診断基準を満たさない人もいます。同じ脳は二つとないのです。だから、ニューロダイバーシティの経験は膨大で多様で、ジェンダーや階級、民族といった他のアイデンティティとも交錯します。…

効率的な文献レビュー

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、文献レビューをシステマティックで効率的に行う方法について解説します。 _________________________________________________________________________________ 最初に、私がケンブリッジ大学で開催する一般公開のイベントをいくつか紹介しましょう。 6月6日(火)午後5時30分からケンブリッジのウルフソン・カレッジで、サイモン・クリューズとの共著『Be visible or Vanish』のテーマについてのレクチャー。ケンブリッジまで来られる方は直接会場にお越しいただくこともできますし、そうでない方はオンラインでもご予約いただけます。 7月10日(月)午後5時30分~7時30分には、ケンブリッジのキングスカレッジで、不確実な時代における博士号についての講義を行い、英国の研究スキル市場に関する最新のデータについてお話しします。 さて、ここからが今月の投稿、文献レビューの執筆をいかにスピードアップするかというシリーズの第1弾です。 私は文献レビューをするのが苦手です。 研究者は素晴らしいアイデアや知見を持っているのに、それを難解な専門用語や厄介なペイウォールで隠してしまいがちです。広大なデジタル空間から論文を掘り出したとしても、そこからが本当の苦痛です。一度にたくさんの論文を読むと、本当に気が変になりそうなのです。 私はサバティカル(研究休暇)中なのですが、愚かにも、その間にニューロダイバーシティ(神経多様性)と博士号に関する大規模な文献レビューを行うとボスに言ってしまいました。大変なことになってしまいました。私がサバティカルを過ごしているのはケンブリッジ大学ですが、みんな本当に面倒見が良い人ばかりです。ランチやディナーのお誘いに「No」とはいえません。特に、中世建築の(あるいはモダニズム建築の)大学の食堂で、大昔のアカデミックな装飾品に囲まれ、聡明で面白い人々と一緒に食事できるのであれば、なおさらです。 ケンブリッジで提供される料理の素晴らしさをご覧ください。これはグラスゴーでは「フィッシュ・ティー」と呼ばれるメニューで、豆のマッシュが添えられています(ThinkLabの客員研究員として私が「所属」するウルフソン・カレッジにて)。…

ChatGPTを活用してライティングを上達させる

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、ChatGPTを活用して、研究や論文執筆を効率化する方法について解説します。 私はこれから3ヶ月間のサバティカルに入るので、ニューロダイバーシティ(脳の多様性)とPhD研究に関する文献レビューを書くと約束してしまいました。ぶっちゃけ、文献レビューを書くのは嫌いです。ほとんどの学術論文は退屈で、大規模なレビューをするということは、たくさんの論文を読むことを意味するからです。3ヶ月で200本以上の論文を読むと思うと、ペンで自分の目を突き刺したくなります。 しかしありがたいことに、このレビュー執筆にChatGPTを役立てることができます。ChatGPTをめぐっては多くの人々が「モラルパニック」を起こしている様子で、私の双子の妹は愛着を込めて「チャッティー君*」(*原文ではChattieG)と呼んでいます。誤情報の危険性や学生の不正行為を阻止する方法について、私たちはよく耳にしています。ChatGPTにまつわるプライバシーや環境負荷、労働者の搾取などについて正当な懸念がある一方で、多くの論評は的外れなものだと私は思っています。 研究者には、これらのツールを創造的かつ倫理的に使用する方法を学生を含む他の人々に対して示す責任があるのです。億万長者主義的な後期資本主義のもとでは倫理的な消費はありえず、テクノロジーの使用について葛藤を感じるのは自然なことです。私たちは、この技術がどのように作られ、どのように使われているかについて批判的な目を向け続けるべきですが、関わりを持たないという選択肢は現実的ではありません。魔神がランプから出てきてしまった今、私たち自身がこのテクノロジーを使いこなさなければ、私たちの仕事は本当にロボットに奪われてしまうのです。 さて、高みの見物はこれぐらいにして、本題に入りましょう。 ChatGPTを本当に使いこなすには、かなり時間がかかりました。この記事の残りの部分は、私がこれまでに学んだことを記録したものですが、私のやり方を踏襲する前に、ご自身の大学にも確認してみてください。ANUからの声明は漠然としたもので、使い方を探ってみることを認めていますが、異なるスタンスの大学もあります。 大まかに言うと、ChatGPTを使用する上で最良の方法は、それが、才能はあるものの惑わされやすく、性差別や人種差別やその他の種類の「イズム」など、悲しい傾向を持つインターン/研究助手であると想定して使うことです。 このような欠点を持つ人間に対するのと同様に指示出しすれば、より良い結果を得ることができるのです。また、これは変な話ですが、ChatGPTに人間の顔を持たせることも役立ちます。AI画像生成ツールDALL・Eに「メガネをかけたキュートでスマートなインターン」と入力すると、こんな感じになりました。 もちろん、「キュートでスマート」と言えば、白人の若者になりますね(まったく!)。この画像は、あらゆる種類のAIツールに度し難く組み込まれているであろうバイアスを、いい意味で浮彫りにしてくれます。さて、文献レビューにどのように役立つのか、見ていきましょう。 ブレインストーミング ChatGPTにアイデアを提案してもらうことができます。ChatGPTはデタラメの源泉になることもありますが、それ以上に問題なのは、アイデアが退屈でありふれたものになりがちなことです。退屈であることは悪いことばかりではありません。事実を確認したり、まやかしを打ち壊したりするための出発点になることもあるのです。 私の基本的なプロジェクトの題材「非定型発達脳の博士学生をよりよくサポートするために指導教官や大学ができること」、というテーマについてどのようなアイデアを出してくれるか見てみましょう。 プロンプト:…

子育てをしながらの博士号(PhD)取得

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、2人のティーンエイジャーの息子を育てながら博士号を取得したフラン・ハイドから寄せられた体験談を紹介します。 この投稿は、生涯学習という考え方を常に実践してきたフラン・ハイド(Fran Hyde)によるものです。フルタイムで働く傍ら、マーケティングの修士号だけでなく、複数の専門資格を取得し、複数の非営利組織のマーケティングチームにも積極的に関与してきました。キャリアを変え、「中年期」に博士号を取得するというフランの決断は、「困難」と思われる状況でのマーケティングの実践を研究したいという思いと、高等教育機関で正規雇用の地位を確保するには博士号が必要であるという認識からでした。このようなことは完全に論理的に聞こえるかもしれませんが、「ほぼ」ティーンエイジャーの子供を抱えながら学業に復帰することは、ここに書かれているように、困難を伴うことでした。子供たちのもう一人の親でもある素晴らしいパートナーが博士課程の間をサポートしてくれたこと、特に4年に渡って家計を支えてくれたことについてフランは感謝を述べています。以下は、フランによる記事です。 博士課程(2013年~2018年)の間、幾度となく私の周りの人の人生を凍結させる「一時停止ボタン」が欲しいと願いました。一番の理由は、博士課程に入った時点で13歳と10歳で、論文を提出する前にティーンエイジャーになってしまった息子たちの人生を一時停止させたかったのです。博士号を取得しながら親業を続ける他の人たちが、論文を推敲しながら昼寝をしている赤ちゃんの写真を投稿したり、乳歯が生える時期の子供の夜泣きで不眠になったことについて語ったりする中で、私の経験は少し違っていました。私が博士号取得に取り組んでいる間、息子たちは受験し、Secondary School(訳者注:Secondary Schoolは日本の中学・高校の学年に相当)に入学し、小論文を書き始め、GCSE(General Certificate of Secondary Education=全国学力試験)を受け、髭を剃り始め、パーティーするようになりました(最後のやつは、別の意味で、親を不眠に陥れます)。 卒業の日の、フランと「ベイビー」たち 博士課程に入って間もない頃に、研究がうまく行かず落ち込んでいた時、下の子が私を見て、すごく冷静に「ママ、何を期待してたの?博士号なんだから大変に決まってるじゃない」と、多くの指導教官が敬遠する率直な表現で、この言葉を伝えてくれました。彼の言う通りでした。私は研究が予想以上に大変なことに気づきましたが、息子がそれをして理解してくれていることに、なんだか少し救われました。 同じ頃のある日曜日、私は大学図書館での仕事に行く前に、サッカーの試合の審判に行く上の息子を車で送っていました。車中で私たちは計算してみたのですが、息子の審判をするアルバイトの時給は、私の大学教員としての時給を超えることがわかりました。ゼロ時間契約に比べれば、などと話して雰囲気を和らげようとしましたが、気が重くなる会話でした。私は彼に「不安定労働」という概念について伝えました。その頃の私は、編集を過剰に加えられたデジタルな世界とは対照的な、自分の経験を元にした「会話」を試みていたのです。博士号取得の課程における「混乱」や、新しいキャリアを構築する際の困難を目にすることで、息子たちが資格取得とはどういうものかを理解できるかもしれないと私は考えていたのでしょう。この当時の家庭生活を決定づけていた私の「血と汗と涙」から、有益な何かを生み出せないかと思っていたのです。…

博士号…さらに子供4人?

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、4人の子どもの妊娠・出産・育児と並行して博士号を取得したサラ・スタンフォードの記事を紹介します。 博士号取得のための子育てについて何度か書いてきましたが、私には子供が一人しかいないので、他の人の話を聞くと、ちょっとラクな部類の子育てをしているような気がします。4人の子供を抱えて博士号を取得するなんて話しに比べたら!今回はサラ・スタンフォード(Sarah Stanford)による記事をご紹介します。サラは、青少年に関わる牧師やユースワーカーとして、自傷行為を行う多くの若者のサポートをしてきました。 そして、より広い活動で貢献したいという思いから、自傷行為についての研究で博士号を取得し、学校、教会、その他の地域社会で、自傷行為への理解と対応、予防を促す活動を行っています。詳しくは彼女のウェブサイトとツイッターアカウントは、@DocStanfordで見つかります。 以下はサラによる記事です。 4人も子供がいると、奇異の目で見られることがあります。また、博士号を取得している人も、変わり者扱いされがちです。ですから、ここ数年、私が変な目で見られることが多かったのは想像に難くないでしょう。よくあるのは、以下のような反応です。 「正気なの?」 「スーパーママだね。」 「どうすれば、そんなことができるの?」 そしてもちろん、みんなが口にしないけど思ってる「…なぜ?」です。 博士課程では、良かれと思ってアドバイスをくれる方がたくさんいました。でも結局、そのほとんどに従いませんでした。ここでは、私が破ったルールと、私にとって効果的だったことを紹介します。 (先に断っておきますが、私にはとても協力的な夫がいました。彼は子育てや家事のあらゆる面で協力してくれました。ですので、これはあくまで私の経験であり、事情は人それぞれでしょう。) 私が破ったルール:…

論文執筆は、どこまでやれば「十分」か?

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、研究や論文執筆において、どこまでやれば「十分」なのか、という悩ましい問題について解説します。 私はもう10年以上、博士課程の学生だけを相手に仕事をしてきました。マルコム・グラッドウェル(Malcolm Gladwell)が言う「専門家になるために必要な10,000時間」を積み重ねたので、自分は研究教育問題の専門家であると言わせてもらいます。 「専門家」という称号を本当に名乗れるようになるしるしのひとつは、自分が遭遇した問題を認識し、即座にテーマに分類するようになることです。これは、純粋な専門知識とは異なる「実践における知識」の一種です。博士課程の学生が抱える問題で最も一般的なものは、「指導教官が悪い」、「研究デザインが悪い」、「残された時間が少ない」です。私が長年見てきた「こんなの書けない!」という問題のバリエーションについてはここでは触れないでおきます(実際、この問題についてはショーン・レーマン(Shaun Lehmann)とキャサリン・ファース(Katherine Firth)と共同で一冊の本を書きました)。 ここ数年、研究教育の実践の中で、本当の意味で新しい問題に遭遇したことはありません。専門家である私には、どんな状況にも適用できる対応策や行動の「レパートリー」があります。博士課程の問題のほとんどには、励ましの言葉、ホワイトボードの図、本、新しい戦略の提案などといった解決策がありますが、中には解決策のないものもあります。最も困難で手に負えない博士課程の問題は、「どこまでやれば、十分やったといえるのか?」というものです。 この問いは、文献、データ収集、単語数、アイデア出し、参考文献など、あらゆる場面で質問されます。どれくらいの量であれば十分なのか?学生も論文も、それぞれ異なるため、「十分さ」という問いに対する明確な答えはありません。状況によって大きく左右されるこのような問題に対し、私は断片的な答えしか提示できませんが、ここではそのうちの3つと、それぞれに対する戦略を紹介します。 文献を十分に読んだと判断するには この問いに対する唯一の答えは、「一生わからない」です。毎年発表される論文の数をキリマンジャロ山に例えた人がいますが、これは頂上に降り積もる雪の層を、2回以上ダウンロードした論文になぞらえたものです。学術の産物がおそろしく過剰に生み出されているのです。あらゆるテーマの文献が山ほどあるため、高山病を避けるには、明確な基準で引いた境界線を設定するようにしなければなりません。 1つの方法として、自分のテーマに関連するものとそうでないものの判断基準を挙げておくことをおすすめします。例えば、研究の進展が速い分野では、3年前まで、5年前までなど、時間を基準にして関連性がありそうなものだけを読み返すようにします。あるいは、地理的な場所、時代、参加者のタイプなどで絞ったトピックの中に読む指針となる強いテーマがあるかもしれません。例えば、小学生に関する論文を書くのであれば、高等教育に関する文献を読む意味はほとんどないでしょう。また、「研究方法」も基準を決定するための強力な指針となり得ます。科学的な研究をするのであれば、質的研究を参照することに意味はないかもしれませんし、その逆もしかりです。もちろん、例外はありますが、研究方法を混ぜ合わせることには慎重になるべきでしょう。 何をするにしても、論文中のどこか、できれば文献レビューのセクションで、設定した基準について説明する必要があります。政治的、理論的な理由から、非常に具体的な基準を独自に設定する人もいます。引用するのを先住民の研究者に限定した学生や、女性の著者のみを引用した学生にも出会ったことがあります。このような戦略にはリスクが伴いますが、私は、十分に検討された理由があれば、うまくいくはずだと思います。 実践:自分の選択について振り返り指導教官と話し合うため、文献検索に用いた戦略と基準について1~2段落の短い文章を書いてみましょう。…