研究室の荒波にもまれて

アカデミックライティングが悪文になってしまう理由(そしてそれを修正する方法)

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授がお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回はアカデミックライティングが悪文になってしまう理由と修正方法や、PhD過程とそのキャリア形成に役立つ文章力を生かすべき場面を提案するお話です。 「研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには」という投稿はちょっとした物議を醸したようで、24時間でのサイト来訪者数も過去最多でした。 そして、残りのPhD期間をどう過ごすべきかという質問が数多く寄せられました。これについては、いろいろ思うところがありますが、最も悩ましい話しから始めましょう。それは、多くの学生が卒業時には入学時よりも文章力が劣化してしまうということです。これは私たち教員が、特殊な‘学術的’スタイルでのライティングをじっくりと指導するからです。そしてこの学術的なスタイル、アカデミックライティングこそが、悪文の元凶なのです。 アカデミックライティングは一般的に大仰で、時代がかった独特のスタイルで、一部の読み手に知識を伝えながら、それ以外の読者に対してその知識を隠してしまうものです。アカデミックライティングの修得は、自分の知見と同時に、自分がその集団の一員であることを発信する手段を手に入れることなのです。 例えばコンマの使い方を見てみましょう。 コンマがあれば意味の通る長いセンテンスが作れます。コンマなしの文は単文です。単文は従属節をもたない単純な構文です。単一のセンテンスのみです。単文を続けて文章を作ります。単文は直截的です。一文が短くなります。短すぎるかもしれません。 コンマを多用することで、従属構文ができあがります。従属節の後にさらに従属節を使用すれば、センテンスは非常に複雑になり、コンマの間で少し混乱することになるかもしれませんが、それでも読者は、冷静で注意深い性格の学者が入念に、非常に丁寧なセンテンスを作りあげているのだ、ということを確信し、いかめしく重なりあう文節と従属節を、飲み込みにくいなりに理解しようとします。この様に、従属節をもてあそべば、直截的な物言いとは違い、何かを熱烈に支持したり貶めたりすることがないために、無難な記述ができるのです。学者は受動攻撃的であることを好む(つまり、考えを直接的に伝えること避けがちな)ため、「まじめな」学術的文章がこうした様式で埋め尽くされているのは当然と言えるでしょう。学者マインドを示すのはコンマだけではありません。以前、academic writing can be like a…

パンデミックでの研究停滞をいかに乗り越えるか

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授がお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回はコロナ禍での、PhD(博士号)取得に向けた研究停滞を乗り越える方法についてのお話です。 パンデミック関連(#pandemicpost)の別投稿で「COVID-19が収まるまでPhDを中断する?」という問いかけをしましたが、世界は今も非常に深刻な状況にあり、「普通」とは程遠い生活を余儀なくされています。このような生活が数か月あるいは数年間は続くとの認識が広がる中、学術関係者の話題は、実際の教室からオンライン授業への転換から、教員が自宅から授業を行う際の課題や、既に健在化している雇用喪失および今後の影響範囲に移ってきています。 毎朝ニュースを聞くだけで、不安や懸念が募ってしまい、気分は乱高下。こんな不安定な気持ちのまま複雑に入り組んだ研究プロジェクトの諸作業を進めるのは容易ではありません。学術ライティングに関するブログを書いているトロント大学のレイチェル・ケイリー(Racheal Cayley)がコロナ禍で執筆を行うことの難しさについて書いていますが、その困難さの反面で知的な作業はストレスを和らげてくれるとも言えます。とはいえ、私自身、多くのPhD学生や学術関係者と同じようになかなか行動に移せない――よしやるぞ!という気分にならないのです。 心理学で言うところの「フロー状態」、つまり目標に向けて集中し、時間の経過に気付かないほど没頭できる状態になれないのが難しいところです。フロー状態になれれば現実のプレッシャーから解放されるので、是非ともこの状態に到達したいのです。このコロナ禍でもPhD取得を目指して研究を続けるのであれば、フロー状態になる方法を見つけることが心の健康と研究自体にとってプラスになるでしょう。 では、どうやれば頭を研究に戻して、コロナ禍でもフロー状態に到達できるのか? ジャーナリスト兼ノンフィクション・ライターのアマンダ・リプリー(Amanda Ripley)は、著書『生き残る判断 生き残れない行動 – 災害・テロ・事故、狂言状況下で心と体に何が起こるのか(原題The Unthinkable:Who…

研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには(3)

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(INGER MEWBURN)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。「研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには」と題して、PhD(博士課程)の問題点やあるべき姿を本音で語る3部作コラムの3本目。ここまで、研究者以外の種を考える学生が博士課程を有意義に過ごすための心構えについて話を進めてきましたが、いよいよ最後は、具体的にどのようにして新たな一歩を踏み出せばよいのかについてです。 PhDという学位は、取るか取らないか――二択しかありません。しかも、取得したからといって取得しなかった人に比べて就職戦線で優位に立てる保証は全くないのです。 誤解しないでくださいね。私は決してPhD課程での研究をおろそかにしていい、と言っているのではありません。ただ、論文に対する考え方を変えてみてはどうかと提案したいのです。論文自体に自分の研究者としてのアイデンティティーを見いだすのではなく、通過儀礼のようなものだと考えてみてはどうでしょう。10万語におよぶ壮大な論文を書くのも結構ですが、6~7万語以内でも十分価値ある論文を書くことができます。論文を短めにまとめることで浮いた時間を他のスキルを磨くことに使えばいいのです。 研究者の道に進むつもりがないなら、学術ジャーナルに論文を投稿することは時間と労力の無駄です(といいつつ、教える仕事をしている人は、ぜひ続けてください。コミュニケーション能力や組織内での対応力を高めることができるはずです)。とりわけ、人文科学を専攻としている人は、自分の研究成果を共有し、他の研究者から意見を聞くためには論文を書く以外に何ができるか考えてみてください。学術ジャーナルに投稿するための論文を書く方法を学ぶことだけに時間を費やすことはお勧めしません。文章力を磨きたいのなら、気の利いたレポートやメモの書き方を学ぶと良いでしょう。論文を書くのに費やす代わりに、技術的スキルや統計リテラシー、幅広いコミュニケーションスキルを向上させるために時間を有効に活用してください。 あえて、言わせてもらえれば――これを言ったら、あなたの論文に共著者として名前を連ねることで研究者としての実績を増やそうと思っている共同研究者から反感を買うかもしれませんが――他の研究者から論文を書くようにとプレッシャーを感じることがあっても気のせいではありません。論文に共著者としてでも名前が載ればCV(経歴書)に書けるのですから、論文は多い方がいい。ついでに、大手学術ジャーナル出版社にも文句を言わせてもらいましょう。出版社は研究者を食い物にして利益を得ていますし、発展途上国の研究者による論文へのアクセスをブロックしたり、購読料を跳ね上げることで大学図書館を追い詰めたりしています。 おっと、脱線してしまいましたね。 話を戻します。何事でも変化を起こすのは大変なことですが、学術生活における「普通」を変えるには、まずあなたが変わらなくてはなりません。個人的な経験から言わせてもらうと、私は自分を変えたことがいつも良い結果につながってきました。将来も学術界にいるという思い込みから自由になれば、別のクリエイティブな生き方が見えてくるかもしれません。もし研究の道に進まないとすれば、どんなことを書いて、どんなことを目標としますか?学術ジャーナル用の論文ではなく、政策に影響するような公的報告書を書いてるかもしれないし、ポッドキャストやブログを書いてるかも。あるいは、YouTubeの動画を作ったり、ドキュメンタリーの台本を書いたりしているかも……何だってできるってことを覚えておいて欲しいのです。 自分はどんな課題を解決できるのか、また誰がそれに対して対価を支払ってくれるのか、よく考えてみてください。そして、自分の学内の就職情報サイトを覗いてみてください。ワクワクする仕事が見つかるかもしれません。(このブログの末尾にPhD取得者の雇用について書かれた論文や記事をリストしておくので参考にしてもらえれば嬉しいです)。 何かを変えようとすれば反発もあるでしょう。そんな時は、多くの人は未来を見るにも過去に引きずられる傾向があることを思い起こしてください。もう、そんなことをしている余裕はありません。大学の中にある、あらゆる情報源や専門家の助言を活用して、自分自身がPhD課程の間にやりたいと思う経験を積むのです。専門的な経験を積んだ研究者になることも、コミュニケーター、問題解決者、あるいは新しい価値を創り出すクリエーターになるのもあなた次第。PhD取得の暁には、どんな課題にも挑戦できる人になっているはずです。研究で培ったあなたの素晴らしい洞察力を、購読料に縛られた学術ジャーナルの論文執筆に埋もらせるのではなく、世の中に役立つことのために使うこともできるでしょう。PhDを取ることによって、高い知性と学習能力とを合わせ持ち、このコロナショックによる不景気を乗り越え、望む仕事を見つけ、新たな道を歩み始めることのできる人材となれるはずです。 もはや新しい学術界への動きを止めるものはありません。あるとしても、そう長くはない学術界の過去へのノルスタジーだけです。学術界は確実に変わろうとしているのです。 一緒に前を向いて歩いていきましょう! 追伸:このブログに関するコメントがありましたら、お気軽にソーシャルメディアにタグ(@thesiswhisperer)を付けて発信してください。…

研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには(2)

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(INGER MEWBURN)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。「研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには」と題して、PhD(博士課程)の問題点やあるべき姿を本音で語る3部作コラムの2本目。前回は、指導教官の指導に妄信し、既存の事例を追従しているだけでは社会に通用する人材になれない、という話でしたが、今回はPhD課程を有意義に過ごすにはどうすればいいのか、その心構えについてです。 PhD課程における最大の山場のひとつは博士論文の執筆でしょう。実に大変な作業で、博士論文を仕上げるには多くの時間を費やすようにと指導するのが一般的ですが、私自身はそこまで時間をかけるべきなのか疑問に思っています。論文執筆があまりに難しい作業であるため、オーストラリア国立大学(ANU)では執筆指導を専門とするスタッフが常勤し、学生のサポートに当たっています。実は、博士論文とはほとんどの人が読みたくないと思っている文章のひとつです。私は博士論文を出版した方が良いと思っているわけではありません。下手に論文を出版しようとすれば、査読プロセスや学術ジャーナルの出版における順番待ち、あるいはその両方で問題が起こり、さらに困難な状況に陥ってしまうことでしょう。 PhD取得には困難が付きもの。それはわかります。でも困難に直面するとしても別のことでもいいじゃないですか。もちろん審査は重要です。でも、ぎっしり、長々と書かれたコメントをもらったとしても負担にしかなりません。論文を書くという経験を積むために博士論文を書く以上に負荷をかけるようなものは要らないのです。 もちろん、大学側は以前からPhD課程のカリキュラムの不備は改善すべきだと認識しています。だからこそ、私のような職種が存在するわけです。私のチームはコミュニケーションやプロジェクト管理といった一般社会にも通用するスキルを伸ばす手伝いをしています。皆さんが自信をもってさまざまなキャリアに挑戦できるよう、困難な状況への適応力とそのような状況からの回復力を高めるための手助けをしているのですが、私たちのワークショップに参加してくれるのはANUのPhDの学生の約半分に過ぎません。 トレーニングを目的としたワークショップは他にもありますが、多くのPhDの学生は、民間企業でもすぐに役立つスキル(例えば、最先端の解析パッケージやデータ解析の手法)を習得するのに十分な時間を費やしているとは言いがたい状況です。学部生や修士課程のセミナーを指導するといった大学院のカリキュラムを少し変えるだけで、これらのスキルを習得する時間を工面できると思うのですが、それをやろうとする指導教官はほとんどいないのが実状です。他の大学同様に、ANUでも投稿論文の書き方に関するコースには人が集まるのに、人前で話す方法、つまりコミュニケーションに関するコースには人がほとんどきません。これこそ、研究以外でも役に立つスキルなのに。 多くのPhDの学生が、一般社会に通用するスキルを磨く代わりに、ひたすら指導員のふるまいを模倣し、研究者としてのキャリアを積むための行動をとっています。自分の可能性を狭めてしまうのを見ているのはつらいものです。PhD取得後、半年あるいは1年たっても職に就けない人のカウンセリングを行うことがありますが、これにはさらに心が痛みます。そこに至ってやっと、実社会では役に立たない、研究業績を上げることばかりに気をとられて貴重な時間を無駄にしてしまったことに気づく人が少なくないのです。 ANUの状況が他より悲惨だというわけではないはずです。私は、指導教官からの期待とそれに応えようとする学生の行動について、どこの研究室でも起こっているであろう問題について、他の人よりもグローバルな見解を持っているだけです。私はこの15年ほどの間、将来を考えて指導教官の要求や期待を優先するあまり、自分自身の考えを犠牲にしてしまうPhDの学生を見続けてきました。これでも私をひどく落ち込ませるのに十分なのに、コロナ禍を経て世界が大きく変わろうとしている状況においてまで、相も変わらず古いやり方を推奨し続ける指導教官がいることを心から腹立たしく思っています。 ロックダウンによる自粛期間中に論文を書くようにプレッシャーをかける指導教官がいるというのにも怒りがこみあげてきます。せっかくの機会なのですから、データ解析の手法を習得したり、あるいは金銭問題を含む学術研究を続けるにあたっての不安に対処したりするのに時間を費やすのでもいいじゃないですか。学生がオンラインウェビナーを受講している最中に、指導教官が急にZoomでオンラインミーティングを始めようと学生を呼び出すのも考えられません(そこまで緊急なことって何?)。研究については指導教官のアドバイスを聞くべきですが、自分のキャリアについては自分自身の声に耳を傾けるべきです。学位が無事に取れたとしても、その半年後に泣いている、なんてことにならないでほしいのです。今なら間に合います。どうかPhD課程の時間を有意義に活用してください。 まずは、学術界に居続けることに固執せずにPhD課程の時間をどう過ごすかを考えてみましょう。この際、前回のブログに記載したやる気を喪失させる2つのパターンとなるような指導教官からの要求は頭から追い出しておきます。 今はすべてが中断されています。まさに「中断させられている」という状態。単に何かを自発的に「中断する」のとは大違いです。しかし、この「中断」をチャンスと捉え、個人のレベルでも、また社会全体においても本質的に変革していくことが求められています。PhD課程のこれまでの在り方から、全く異なる新しい在り方、PhDの学生が目標に向かって進んでいかれるような状況を作り出していかなければなりません。といいつつ、残念ながら変化を起こすには学生のみなさんの力に大きく依存することとなります。大きな変化を引き起こすには、あなた方読者のみなさんが行動を変えることから始まるのです。 この中断期間を利用して、学術ジャーナルの査読プロセスを切り抜ける方法を探るなど、従来の学術研究にとって役立つ情報の入手を行うのもアリです。でも、PhD取得後の雇用問題に関わってきた私として伝えておきたいのは、研究職がほとんどない状況では、いくら研究者として優れた資質を持っていたとしても職にはありつけないということです。大学でフルタイムの研究員に欠員が出た場合、補充採用を行う可能性はありますが、非常勤職員として雇うことが多いのはご存知の通りです。安定した研究職ポジションの数が極端に少ないため候補者間で熾烈な「椅子取りゲーム」をすることになるのです。実際、経済危機の予測が現実となれば、多くの経験豊富な研究者でさえ職を失い、学術界以外の業界に職を求めざるをえなくなります。彼らが失業すれば、研究職以外の雇用市場でライバルとなる可能性も捨てきれません。あらゆる業種の人たちを相手に勝ち抜いていかなければ職を得られなくなるかもしれないのです。 こんな話を聞くと、自分はハードワークと頭脳で乗り切るから大丈夫と思う人がいるかもしれません。それはそれで素晴らしい。自分を信じて進んで行かれる人がいるのは嬉しいことです。でも、ちょっと考えてみてください。学術界で生き残るために、いったいどれだけの労力を費やすことになるのか?ハードワークで体を壊さないだろうか?精神的にやっていけるのか?研究者としての仕事には、それを得るためのあらゆる努力に見合う価値があるか?…

研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには(1)

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(INGER MEWBURN)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。「研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには」と題して、PhD(博士課程)の問題点やあるべき姿を本音で語る3部作コラムの1本目。コロナショックで世界が変わろうとしている今こそ、PhD課程を有意義に過ごしたいものです。研究者以外のキャリアを視野に入れている方は必見です! 高学歴就職難が問題となっています。読者の中には、求職中の人や今後どうやって食べていけばいいのか真剣に悩んでいる人もいると思います(ご苦労、お察しします)。新型コロナウイルスの影響で、来学期の授業も予定通り開講されるか、そうだとしてもオンラインなのか対面授業なのか?はたまた希望のコースが定員を満たせずキャンセルされたりしないか?先が見通せない状況が続いています。 将来に対する不安はあらゆることに影響する 不安要素が多すぎてPhD課程の研究計画を立てられず、集中することも難しい状況に置かれているのではないでしょうか。このような状況下でPhDをとる価値があるのか?と改めて自問している人もいるでしょう。学術界は競争が激しく、研究者としてのポジションを獲得するのは狭き門です。PhD取得後の就職を考えると、不安と恐れ、落胆、時には怒りさえこみ上げてくるかもしれません。研究職以外の可能性について考えてみても、なかなか具体的なイメージがわかないし、自分が持っているさまざまな専門知識やスキルが、果たして一般社会で通用するのかどうか自信が持てないと感じている人も少なくないはずです。 将来の就職についての不安を抱えているところに、このコロナ禍が重なり、絶望感を感じていたりしませんか。朝は起き上がることができず、身だしなみに気を配る余裕などない、という人もいるかもしれません。 これは、そんなあなたに向けたブログです。 私は、まだ希望が残されていることを知ってもらいたい、そして挑戦することをあきらめないで欲しいと伝えたくてこのブログを書いています。ただし、最初に断っておきたいのは、PhD課程での過ごし方を変えない限りPhDという学位の価値はない、ということです。アフターコロナの世界に向けて大学は変わらざるを得ませんが、それを待っている余裕はありません。私たち自身が変わるのです。 思えば変わる――自分が変わろうと思えば自分を変えることはできる 今こそ変わらなければ駄目なんだと言いたくて、今回はいささか過激なタイトルを付けましたが、私自身はまだPhDという学位の価値を信じています。私たちの調査では、たとえ研究関連の職に就けなかったとしても、他にも多くのチャンスがあることが分かっています。なので、きちんとPhDを取得した方がいいと思っていますし、PhDへの進学を考えている人は、是非そのまま進学した方がいいと思っています。世界は、未だかつてないほどに、研究で培ったスキルを求めています。まさに、研究スキルを有する人材(あなたです!)が必要とされる時代が到来しているのです。考えてもみてください。PhD課程には頭がいいだけではなく、創造性に富んだ人が集まっています。PhD課程にいる間は、研究に没頭できる潤沢な時間と、研究に利用できるさまざまな施設・設備があり、しかも専門家のアドバイスを受けながら未知の世界を探求できるという、理想的な環境が整っているのです。そして、簡単には解決できない大きな課題に取り組むチャンスも与えられているとなれば、まさしく自分自身が成長するチャンスじゃないですか。 大学という所は、PhDの研究を行うのに最適な場所です。図書館、実験室や研究室などさまざま施設が利用できるだけでなく、教官、研究員、技術サポートスタッフからいろいろな面でサポートを得ることができます。大学には豊富な知識があり、あなたはほぼ無制限にこれらの恩恵を受けることができるのです。 一方、PhDは大きな可能性を有しているにもかかわらず、院生が指導教官に多くを期待され、言われるがまま働き、意味のないことにさえも多くの時間を費やしてしまうことが問題となることもあります。 指導教官からの期待が大きすぎてプレッシャーとなってしまうこともあります。象牙の塔の独特の社会統制システムを「宗教的なカルト集団」と揶揄されることすら……。指導教官が学位取得まで導いてくれると妄信するあまり、PhD課程で享受できるはずのさまざまなメリットやチャンスを逃してしまう学生も少なくありません。古くからある徒弟関係が今なお影響力を持ち続け、学生の将来の可能性に影を落としているのです。…

PhDになるべきかならざるべきか-それが問題だ

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回のお題は、「生きるべきか死ぬべきか(To be or not to be)」になぞらえて「PhDになるべきかならざるべきか」という、とても根本的な質問に立ち戻っています。さて、ミューバーン准教授からのメッセージは? ―――――――――― PhD課程がいかに徹底的に学生の人生の意味を見失わせるほどの問題を引き起こせるのか、驚かされることが多々あります。時間とともに気持ちが収まるケースもたくさんありますし、良い結果をもたらすこともあります。ここに書くのはあなたの心の声ですので、ちょっと耳を傾けてみてください。 先週、ANUの学生(仮にリサとしておきます)が勤務時間中に大学の私の部屋を訪れてきました。彼女の訪問の目的は、PhDをやめるべきかの相談でした。 私がこのような相談を受けるときは最初に、なぜPhD取得を目指したのかを聞きます。リサの話によると、彼女は大学の人文学科を卒業後、事務職やコールセンターの仕事しか見つることができませんでした。すぐに仕事が退屈になった彼女は、自分がいつも知的幸福感を感じていられた場所、つまり大学に戻って来ました。リサはPhDとして研究に従事したいとは思っていましたが、PhD取得後に何をするかについては漠然とした考えしか持っていませんでした。PhD課程に入れた彼女は知的生活を楽しんでいます―― とはなりませんでした。 「Music…

PhDにチャレンジする人へのメッセージ

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。従来は既にPhD過程に入っている人向けの内容ですが、今回は、PhDに進もうとしている人からミューバーン准教授に寄せられたメールを題材にしたお話です。 ―――――――――― 長年ブログを書いてきたのに、とても基本的なこと、PhD過程に進学する方法のことすら取り上げていなかったことに気付いて驚いています。きっかけは、まさにANUの入学希望者向けのオープンキャンパスで話すことを準備していたところに届いた1通のメッセージ。 PhD過程に進むのがスムーズにいくこともあれば、非常に複雑になってしまうこともあります。新たにPhDに進もうとしている人は、既にPhDに進んでいる人たちの経験から多くを学ぶことができると思います。私が受け取ったメッセージを紹介します。 ミューバーン先生  長年、先生のブログを読んでいますが、初めてメッセージを送ります。私は36歳ですが、まさにオーストラリア大学のPhDへの願書提出のための諸手続を終えようとしているところです。申請してみて、プロセスが非常に複雑なことに驚きました。まるで試験かと思ったほどです。私はまだ大学院に入学してもいませんが、先生のサイトには非常に役立つ情報が満載なのを知っているので、出願手続や研究提案書についてもブログに書いてくれるかもしれないと思った次第です。 まず、申請書は仕事に就くことなく大学から直接大学院に進む学生向けに作成されているため、私のようにGPA(大学の成績評価)を気にすることなく何年も前に学部を卒業した者にとっては記入しづらいものになっています。学術とは関係ない職に就いている場合、多くの人は大学の図書館資料にアクセスすることはできませんし、将来指導してくれる教員が素晴らしい人だとしても、すべての事前準備をお願いするわけにはいきません。 大学側が、研究計画書がどのように書かれていることを期待しているのか、どれほどの完成度を求めているのか、応募者の選考を行う際や応募者を比較する際どれほど研究提案書を重視するのかなどに関する助言はあまり得られません。例えば、入学してからでなければ文献調査ができないのは分かっていても、文献調査を行いながら研究計画書を書くことができれば、内容を深めることができるのにと思う次第です。  将来のPhD学生より ここからは、私の返信です。 将来のPhD学生さんへ 同じような悩みを持つ人はたくさんいると思うので、あなたの経験をここで紹介させてもらいます。学部から修士号を取得あるいは優等学位で卒業して早々に大学院に上がる学生は、スムーズにPhD過程に進むことができるでしょう。しかし、応募者の年齢が上がるにつれ、プロセスは難しくなるようです。オーストラリアでPhDを取得する平均年齢は32歳であることを踏まえれば、大学はこれを考慮するだろうと考えてしまいますが、残念ながら実際にはあまり考慮しません。…

論文が審査員に却下されたらどうする?

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、論文が審査員に却下されたらどうすべきかというアドバイスです。 ―――――――――― ブログを書いていると、読者から助言を求められることがあると思います。ところが私に届くのは、動揺したり混乱したり、怒っている学生からのメッセージ……たくさんの学生が先輩や指導員に不満があるようです。 メールが来る頻度はまちまちですが、平均すると1週間に4通ぐらいでしょうか。私の所属する大学以外、世界中から届きます。なぜか女性からより男性からのが多い。私のFacebookやコメントのスレッドから察するに、女性の方が社会の中での自分たちの弱さを受け入れやすいのかもしれません。 私は、メールをくれた学生を気の毒に思うのと同時に、彼らと同じように不満を感じることがあります。多くの有能で素晴らしい指導員を知っていますが、経験が浅い人や人との付き合い方に問題がある人がいるのも分かっています。学生の助けにならない指導をしがちな指導員について聞いたことはありますが(そんな人は滅多にいないことを強調しておきますが)、彼らのやり方/スタイルを変えることはできませんし、きっと変わらないでしょう。 英国ノッティンガム大学のパット・トムソン(Pat Tomson)教授(社会科学)が彼女のブログで指摘しているように、指導することには困難も伴います。私は、すべての指導員が、大学が提供する何らかの職能開発のようなプログラムに参加すべきだと考えていますが、全員に参加を促すことはできません。そのようなプログラムがあることを知らない人もいれば、悪いことに、そのような職能開発は役に立たないと思いこんでいる人もいます。彼らが正しいと思えることもあります。既に知っていることばかりしか教えてもらえない技能開発ワークショップは「退屈」以外の何物でもないでしょう。馬鹿にされてる?と思っても仕方ありません。幸いにして私はヒドイ内容のものに当たったことはありませんが、ハズレに当たってしまった人がいるかもしれません。 少ないとは思いますが、問題のある指導員は長年その人のやり方で過ごしてきているので、心から自分のやり方が正しいと思っていて、問題を抱えた学生がいたとしても、その学生はグループの中の落ちこぼれだから放っておけばよいと思っているのかもしれません。もちろん、そんな指導は間違っています。PhD課程に入れたなら、卒業できるべきなのです。 私に届いたメールは、PhD課程の経験で得られる特徴的かつ貴重な見解なので、私にとっても役立つ情報です。できる限り考えて返信をしようとは思っていますが、何せ時間が足りず……。つい忙しくて、助言依頼が受信トレイの下の方に押しやられてしまい、それらを掘り起こして返信を出すまでに大分時間を要してしまうのです。送信者がそのメールを書くのにどれだけ時間を費やしたか、どれだけ行き詰る気持ちで書いたかを思うと、返事を書くまでに時間が空けば空くほど罪悪感が募ります。そして反省しながら何とか自分を奮い立たせて書き終えるのです。 まさにこの原稿を書いているように、必死で作業していると、うんざりするような問題が見えてきます。 10通以上のメールを書いていますが、内容は多少の違いこそあれ本質的には同じ。学生と指導員の関係における問題には多様性がある反面、いくつかの共通する傾向がありそうです。 私は最近、前述のパット・トムソン教授の論文「Why…

PhDの研究を学術書として出版するには

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、PhDの研究を学術書として執筆して出版するには何から手を付ければ良いかという話です。最初は、本当に出版すべき?という入口からの3つのステップを紹介します。 ―――――――――― 多くの学術分野、特に人文科学では、PhDで行った研究を学術書としてまとめることが研究者としての成功の第一歩になるので、学術研究のキャリア戦略の一環としてPhD取得後早々に書籍の執筆にとりかかる人が多いようです。私は、PhD取得時点で既に仕事をしていたのと、他の分野で研究者としての評価を築きたかったので、学術書の執筆には手を付けませんでした。その代わりにブログは書き始めましたが。 学術書の執筆経験が無いのにこの題目でブログを書くのは、やや気が引けていたのですが、私のPhD学生のひとりであるグエン(Nguyen)の旦那さんのトン(Thong)が、私が既に出版された5冊の学術書やこれから出版される2冊の作成に関わってきていることを指摘し、背中を押してくれました。トンは、私が学術出版プロセスについて有用なアドバイスを与えられると自信を持たせてくれたのです。そこで、それならと書き始めました。 1つのブログで学術出版に関するすべてを話すことはできないので、3つに分けてお話しようと思います。これは、1つ目。私のお勧めは、質問や分からないことを書き出して、考えていくことです。定評のある研究者の中にもブログを読んでくれている人がたくさんいることを知っているので、より役立つコメントを追加してくれるのは大歓迎です! ステップ1:学術書にするか、他の媒体にするか?慎重に検討する 最初の質問は、本当に学術書として出版するのが良いかどうかです。確かに学術書として出版すればCV(職務経歴書)に追加できるのですが、書籍を執筆するとなれば、既に書き上げた論文から抜粋するとしても大変な時間がかかります。しかも、それだけ時間と労力をかけても本が売れるとは期待できません。もし本が売れてお金になればラッキーですが、期待していなければ、がっかりすることもありません。その程度です。研究実績として目に見えるようなインパクトが得られるとも期待しないでおくのが賢明です。被引用数を増やすことにもつながらない小ロットで出版費用の高い本を出すことになるのが関の山です。 あなたの研究を多くの人に活用してもらえるようにしたいのであれば、いろいろなブログに紹介記事を書いたり、e-book(電子書籍)を個人出版/自費出版したり、ドキュメンタリーフィルムのような公開方法を検討するほうが理にかなっているかもしれません。あるいは、無料でダウンロードできる大学図書館に原稿を登録しておくことも一案です。多くの大学の論文レポジトリの中でも、博士論文は最もダウンロード数の多い文書なので、ただ論文をアーカイブしておく、つまり手のかかる書籍の執筆なんてやらないという選択もありでしょう。書籍化しなかったとしても、あなたの研究が興味を持ってくれる他の研究者の目に止まる機会はあるのです。 書籍出版の目的が学術関係者以外の人に本を読んでもらいたいというのであれば、まったく別の話です。歴史のような分野の成果は商業的な(売れる)可能性を秘めていることもあります。そのような可能性がある場合には、追求することをお勧めします。大衆向けの一般書は、学術出版よりは俗物であるとされていますが、本が売れて高額な著作権料が得られればいいじゃないですか。売れれば大成功です! ステップ 2:出版してくれそうな出版社と連絡を取る 実は、学術出版社を選ぶのは、多くの人が考えているよりははるかに簡単です。本の背部分を見てGoogle検索してみてください。代理店に依存している一般書市場とは異なり、学術書出版業界では、出版社に直接問い合わせをすることができます。ウェブサイトの著者向けの情報を見て、連絡先/問い合わせ先が書かれていれば連絡してみてください。…

COVID-19が収まるまでPhDを中断する?前編

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界中に拡大し、あらゆる人間活動に影響を与える中、ミューバーン准教授からのコロナ禍でPhDを継続するか止めるか悩んでいる人へのメッセージです。2回に分けて掲載します。 最近、10年のブログ作成生活で初めて更新を一時中断する事態となりました。 私は毎週更新するタイプのブロガーではありませんが、クリエイティブなインスピレーションを与えことは好きです。なので、常に6か月分ぐらいのネタを準備しておくのですが、ここオーストラリアでは3月の半ばに非常事態に突入し、2020年に予定していたものをすべて計画通りに投稿するには、「世界中で通常通り物事が進んでいる」状況下でこそ可能なのだと気づいたのです。私たちの生活が「通常」に戻るのはいつになるのでしょう?分かりません。そのため、私はネタを保留しています。中には投稿されるものがあるかもしれませんが、当面皆さんに読んでもらうのは無理そうです。  このブログはパンデミック状態での最初の投稿ですので、この厳しい状況下のPhDについて取り上げてみます。コロナ禍が終息したときには不要な情報になるかもしれませんが、その時には私たちが現在直面している多くのことは「史上初の恐ろしい事態」として記憶されていることでしょう。  私は今年、毎月第1水曜日にブログを投稿すると約束し、そのスケジュールを守ろうとしてきました。いつものように実用的で思慮深いブログを提供できるようにと思っていますが、それについて今コメントすることは控えておきます。従来は誰でも私の確認を待たずにコメントを投稿できるようにしていますが、これは大変な作業を要します。今は、挑発的なメッセージの投稿や論文代筆業者の広告に対処する時間や余力がありません。この投稿記事について議論が行われるとすれば、社会のどこかで行われることになると確信しています。  ご理解に感謝します。 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が拡大している中、PhDの途中で諦める(退学)べきか?もしくは一時中断(休学)すべきか? 今回のコロナ感染拡大のようなパンデミックの状況に置かれたとき、PhDを継続するのか、中断するのかは「苦渋の決断」で正解はありません。どちらにも良い点と悪い点があることに疑いの余地はありません。特に、奨学金を受給している学生は、PhDに留まりたいと思うかもしれませんが、現在直面している博士課程での停滞は、将来予期せぬ結果をもたらすかもしれません。また、PhDをすぐにでも断念したいと思っている学生は、どんなに絶望的だと思えたとしても、今回が進路を変えるのに最適なタイミングではないかもしれません。 (COVID-19に関する研究に従事している人たちは、とても忙しい時を過ごしていることでしょう。皆さんの研究活動に感謝します。継続してください!) もちろん、私はすべての問いに対する答えを持っているわけではありません。それでも、読者の皆さんに自問自答してほしい質問を幾つか持っています。この投稿記事が、現在起こっていることが個々のPhDプラン(将来の予定)に及ぼす影響について考える助けになればと思っています。PhDプランは、不確実なウイルス抑制までに要する時間によって、一層複雑かつ解決困難になっていきます。オーストラリア国立大学(ANU)は、オーストラリア国内での感染ピークが収まると期待される6月末まで閉鎖されています。しかし、ロックダウンや学校閉鎖は先が見えず、さらに長期におよぶ可能性もあります。実際には、ワクチンができるまで、国際的な移動やグローバルサプライチェーンには影響が残り、経済的低迷がいつまで続くかほとんど分かっていません。 この投稿では、研究の段階や学生を支援する仕事の有無、PhD取得者の長期雇用の見込みなどに関連する題材を取り上げていきます。すべてを考える必要はありませんが、これらはさまざまな状況下でPhDを継続するかについて助言を求めている多くの人々と私が話し合っている項目です。 ここではオーストラリアの詳細に焦点を当てていますが、このブログがよく読まれている国でも、多くの所見は役に立つと思います。私が現時点で考えられる最良のアドバイスを書いておくので、どうか読んでみてください。だって、私はPhDを終了させるのを助けるプロですから。私は自分の経験をもとに、できるだけパンデミックがもたらす学業の中断による影響を考え、穏当と思える幾つかの予想をたててみたので、役立てるとともに力になれれば幸いです。…