研究倫理

研究における「再現実験」の結果を公表するジャーナル登場

これまで、重要な研究論文が出た後に個々の研究者が再現実験を行ない同じ結果が出なかったとしても、その事実はなかなか共有されませんでした。その結果、多くの研究室が決して良質ではない研究のために再現実験を行なうこととなり、時間や労力、費用、資源が無駄に費やされてきました。 再現性という問題はとりわけ生物医学分野でしばしば指摘されてきましたが、最近には新たな試みも見られています。 2016年2月4日、オンラインのオープンアクセス・ジャーナル専門の出版社「F1000Research」は、再現実験の結果を公表することに特化したジャーナル「前臨床における再現性・頑健性チャンネル(Preclinical Reproducibility and Robustness channel)」を創設しました。編集委員には、著名な生化学者でカリフォルニア大学のブルース・アルバーツ氏教授と、バイオテクノロジー企業アムジェンのアレキサンダー・カンプ上席副社長が就任しています。 同誌はその意義を この『チャンネル』は、学術界と産業界を問わず科学者すべてに開かれており、研究者たちがオープンな対話を始められる集中型スペースを提供することで、再現実験を向上させることを手助けします。 とウェブサイト上で説明しています。 すでに4年前、アムジェンは警告を出していたといいます。2012年、当時アムジェンにいた研究者らは、『ネイチャー』への寄稿で、「画期的な」がん生物学の研究論文53本を選び再現実験を行なってみたところ、わずか6本しか論文通りの結果を再現できなかったことを報告しました。「前臨床研究の限界を承知しているとはいえ、これはショックな結果だった」とその研究者はまとめています。また、その結果は、その数年前に製薬企業バイエルが報告していた同様の分析を追認するものだったといいます。 しかしながら、『サイエンス』誌のブログ『サイエンス・インサイダー』によれば、「アムジェンの報告は批判された」といいます。 というのは、同社はデータを何も公表しなかったし、どの研究を調査したのかさえ明らかにしなかったからだ。(元アムジェンの科学者C・グレン・バグレーは、その理由の1つはもとの論文の著者たちの一部との秘密保持協定だという。) 今回創設された『前臨床における再現性・頑健性チャンネル』では、再現実験の方法もデータも公表することになっています。 創設と同時に公表されたのは、アムジェンの研究者たちが実施したのですが、失敗に終わった再現実験の結果3本です。第一に、マウスの実験で抗がん剤「ベキサロテン」がアルツハイマー病を改善させることを示唆した2012年の論文(Link)。第二に、「Usp14」という酵素をブロックすると、細胞がアルツハイマーやALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかわる毒性タンパク質を分解するのを手助けすることを発見した2010年の論文(Link2)。第三に、「Gpr21」というタンパク質の遺伝子を持たないマウスを調べることによって、Gpr21が体重や糖の代謝に影響することを発見した2012年の論文(2本)です(Link3)。いずれも「研究ノート(research…

論文の多くは「再現」に必要な情報がない!?

第三者が論文に書かれた研究を検証し、場合によっては追試( 再現実験 )を行なうためには、詳しい実験手順(プロトコル)が必要です。また、グラフなどの図表を検証するためには、そのもとになった「生データ(オリジナルデータ)」も必要です。エモニー大学のシャリーン・イクバルらは、研究報告を適切に評価したり再現したりするために必要な情報が公開されているかどうかを調べるために、2000年から2014年に公表された生物医学分野の論文441本を分析しました。 2016年1月4日付のオープンアクセス・ジャーナル『プロス・バイオロジー』で発表されたその結果は残念なものでした。ケーススタディ(症例報告)などを除外して、具体的なデータを含む論文268本のうち、完全なプロトコルを示していた論文はわずか1本しかありませんでした。著者たちはその論文について 実際のところ、この論文自体がある臨床試験のプロトコルであり、オープンアクセス・ジャーナルの『臨床試験(Trials)』に掲載されたものである。 と、皮肉まじりに書いています。また、図表などのもとになった生データすべてを第三者が参照できるようにされていた論文は1本もありませんでした。さらに、論文441本のうち、約半分には、研究にかかった資金の出所が書かれていませんでした。約7割には、企業など資金提供者との利害関係を意味する「利益相反」について何も書かれていませんでした。 『プロス・バイオロジー』の同じ号では、ドイツの研究者らががんや卒中にかかわる論文を調べたところ、その大部分が実験に使われた動物の数を示していないことを明らかにしました。同誌を発行するプロス社のプレスリリース*1は、 人間の医療において、患者の数、つまり研究の過程で何人がドロップアウトしたり亡くなったりしたのかという情報がないまま臨床試験の結果を公表することは考えにくいだろう。 と、動物実験においても基本的なデータを正確に示すことの重要性を指摘しています。 日本でも、論文そのものだけでなく、そのもとになった生データも公表すべきだ、という議論が高まっており、文部科学省などで検討されています。一方で、研究者が学会に加入したり学術誌を購読したりする必要がなくなってしまう可能性もあるわけですが、その影響も深く議論されるべきでしょう。 *1: https://www.sciencedaily.com/releases/2016/01/160104163155.htm

研究倫理

人間あるいは動物を対象とした実験や調査を行う際には、倫理綱領に従わなくてはなりません。関係する当該研究機関の倫理委員会による審査および承認を受ける必要があり、その事実を論文の本文中に明記することが条件となります。 詳しいことについては以下のウェブサイトをご参照ください。 日本語: https://www.lifescience.mext.go.jp/bioethics/ https://www.lifescience.mext.go.jp/files/pdf/37_139.pdf https://www.lifescience.mext.go.jp/files/pdf/40_126.pdf https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/administration/lifescience/torikumi.html https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/06060904.htm https://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/guidelines/captive.html https://www.niph.go.jp/wadai/ekigakurinri/ 英語: https://www.who.int/ethics/research/en/ https://www.unesco.org/most/ethical.htm https://www.ufrgs.br/bioetica/cioms2008.pdf https://www.apa.org/science/leadership/care/guidelines.aspx…

ベル研シェーン事件

今回は、「科学界における不正行為」の代名詞的存在となってしまったシェーン博士の研究者人生と、彼の不正行為が学術界におよぼしたインパクトについて考えてみたいと思います。2014年に日本で発覚し大騒動となった「STAP細胞事件」と、2005年に発覚した「韓国クローンES細胞事件(ファン・ウソク事件)と、この「シェーン事件」を合わせて、「三大不正事件」といわれることもあります。 1997年、当時弱冠28歳だった若手科学者ヤン・ヘンドリック・シェーン(Jan Hendrik Schön)は、世界的にもそのレベルの高さで有名なベル研究所に雇用されます。それから数年の間、シェーンは物性物理学とナノテクノロジーを中心に研究を続け、2000年から2001年にかけて、フラーレン(中が空洞の球、楕円体、チューブなどの形状をした炭素の同位体)における高温超伝導(比較的高い温度で電気抵抗がゼロになる現象)の研究を中心に、画期的な研究成果を科学雑誌『ネイチャー』や『サイエンス』 などで次々発表します。その量産ぶりには目を見張るものがあり、2001年には、シェーンが著者に名を連ねる論文が、平均して8日に1本のペースで発表された計算になります。しかも、これらの研究成果がもし真実であれば、人類がシリコンをベースとした無機エレクトロニクスから離脱し、有機半導体をベースとする有機エレクトロニクスに向かう大転機となりうる大発見であったため、シェーンは、2001年には「オットー・クルン・ウェーバーバンク賞」と「ブラウンシュヴァイク賞」を、続く 2002年には「傑出した若手研究者のための材料科学技術学会賞」を受賞し、「超電導の分野でノーベル賞に最も近い人」と賞賛されるまでに至ります。 シェーンは当時、ベル研究所以外にドイツの出身大学にも研究室を持っており、同僚たちも、もう1つの研究所で実験を行ったといわれると、その結果を鵜呑みにするしかない状況だったようです。また、あまりに華々しい成果に世論の賞賛の声が高まり、躍進的な研究結果に多少の違和感を感じていたほかの研究者たちも、なかなか正面切って疑惑の声をあげることができませんでした。 しかし最終的には、多くの論文で同じデータが重複して使われていることが指摘され、2002年にベル研究所が調査委員会を設けるに至ります。調査では、シェーンの論文25本と共同執筆者20人に不正の嫌疑がかけられ、世紀の大発見のほとんどがデータの捏造であったことが露見しました。その結果、『サイエンス』誌に掲載された論文10編および『ネイチャー』誌掲載の論文7編が無効扱いとなり撤回されました。 このシェーンのスキャンダルは科学者のコミュニティにおいて、共著者・共同研究者の責任をめぐる大論争を引き起こし、近代的な研究倫理の設定を促すことになりました。というのも、当時、論文に対する共著者たちの責任に対する一般的なコンセンサスがなかったため、不正行為はすべてシェーンが1人で行ったとみなされ、事件にかかわった共同研究者や研究グループリーダーは無罪放免となったからです。 また、完全無欠のように賞賛されていた査読付きジャーナルの限界も指摘されるようになりました。査読はあくまでも、論文のオリジナル性と妥当性を論文上の情報を元に審査することしかできず、論文の作成までのプロセスに不正があってもそれを見抜くことが不可能に近いからです。 共同研究者の責任や投稿する論文の正当性についての規制は、年々厳しくなる傾向にあります。自分の研究に「箔」をつけたいがために有名研究者の名前を借りること、有名研究者も自分の業績を増やしたいために名前を貸すという行為は近年、「ギフトオーサーシップ(贈り物としての署名)」と呼ばれ、批判の対象になっています。「STAP細胞事件」でも、若い研究者が持ってきた実験データを、シニアの研究者がまともに確認しないまま論文の共著者になったことが問題になりました。気軽に他の人の研究を後押ししたり、誘惑に駆られてデータの出典を確認しなかったりすることのないよう、十分気をつけてください。 [PR] 研究論文の英文校正はエナゴまで。 参考資料 有機エレクトロニクス…

利益相反

「利益相反」とは、一般的には「ある行為により一方の利益になると同時に、他方への不利益になる」状態を指しますが、研究における「利益相反」は、個人としての利益相反と組織としての利益相反の双方を含みます。具体的には「外部との経済的な利益関係等によって、公的研究で必要とされる公正かつ適正な判断が損なわれる、又は損なわれるのではないかと第三者から懸念が表明されかねない事態をいう」と定義されています。 英語では「利益相反」を「Conflict of Interest」と表記し、各ジャーナルの「Instructions for Authors」には「Conflict of Interest」の項目が必ずあります。論文を投稿する際はその指示によく従ってください。 研究における利益相反の詳しいことについては以下のウェブサイトをご参照ください。 日本語: 厚生労働省-研究に関する指針について 文部科学省-利益相反ワーキング・グループ報告書 英語: Resources for…

思わぬところに見られる「利益相反」

一研究者として何よりも大切なことの1つとして、客観性の高い研究を行うことがあげられます。そのためにも、自分の研究方法や分析方法に影響を与えかねない要素には、常日頃から注意を払う必要があります。この「自分の研究に何らかの影響を与えかねない要素」のことを、英語ではよく「conflicts of interest(利益相反)」事項と表現されます。「利益相反」というと、賄賂をもらったり買収されたりすることがまず頭に浮かびますが、研究を長く続ければ続けるほど、思わぬところに落とし穴があるものです。ここではよく遭遇する利益相反を4つ挙げてみました。このような場面に遭遇することのないよう、また予期せず遭遇してしまったら、関係者に相談したり利害の対立があることを即座に公表したりするなど、早急に対応をするよう努めましょう。 1. 金銭 前述の賄賂や買収がこれに当たります。お金のために自ら買収される研究者に関してアドバイスできることといえば、「よい弁護士とお友達になっておいたほうがいいですよ」といったところでしょうか? しかし実際には、買収されたり賄賂をもらったりしたつもりがないのに、気がついたらそういうレッテルを貼られてしまっていた、というケースのほうが多いのではないでしょうか? 研究の規模が大きくなればなるほど、いろいろな所から資金が調達されてきます。そのなかには、あなたの研究で特定の結果が出た場合、直接的または間接的に何らかの利益が出る個人や会社や機関があるかもしれません。研究に没頭したい気持ちはわかりますが、自分の研究の信頼性を揺るがさないためにも、資金がどこから出ているのか、いつも注意して確認することが必要です。 多くのジャーナルでは、論文の一部として研究資金がどこから出ているかを明記するよう規定しています。この場合には、金銭に限らず、物品の貸し出しなどどのような形式であっても、そしてどんなに小額でも申告することをお勧めします。もしジャーナルの書式規定として要求されていなくても、「謝辞(acknowledgement)」というかたちで論文の最後に出資元を書いておくほうがよいでしょう。問題は資金を受け取ったことではなく、それを隠したり、それによって影響を受けたりすることだということをお忘れなく。 2. キャリア 自分のキャリアのために、研究者としての行動に客観性を失ってしまうこともあります。 とくに査読者に選ばれたときや、大小にかかわらず学術雑誌の編集委員になった場合には、この点に十分注意を払うことが必要です。 通常、査読者は論文を書いた研究者の個人情報を知らされません。しかし論文の書き方や引用されている文献から、書き手のことがある程度わかってしまうことがあります。自分と同じ分野の同じような研究をしている人の論文を読むときも、違う分野の研究をしている人の論文を読むときも、同じように厳しい目で審査をするよう心がけてください。 とはいっても、「ライバルの論文を読んでベタ褒めする気にはなれない・・・」と思ったら、 編集部に簡単に事情を説明して指示を仰いだり、「客観的に読むことができないので」といって、査読を辞退したりすることも可能です。編集部が最も避けたいのは、ジャーナルの編集に何らかのかたちでかかわった人たちが、自分のキャリアへの利害相反関係を隠すことです。 3.…

学術論文の出版における倫理

2014年、日本の学術界は、理化学研究所の若き研究者が起こした研究不正に揺れました。「STAP細胞」と呼ばれた画期的な細胞の作成がトップジャーナルである『ネイチャー』で報告されたのですが、多数の研究不正が疑われて、論文は撤回されました。 今回は、学術論文を出版するさい、とくに気をつけなければならない「倫理」について考えてみたいと思います。 1. 著作者の権利(オーサーシップ、Authorship) 学術論文を書くにあたり、誰の名前をどのような順番で記すのかということは、今後の予算獲得などにも影響を及ぼす重大な問題です。そこで、研究を始める前から、誰がどのようなかたちで研究に参加または助力したかを書きとめておく習慣をつけましょう。また学術雑誌によって、「principal investigator(研究責任者)」や「senior researcher(主任研究者)」などという表現を使って、その研究の責任者を明示するよう求めてくる場合があります。とくに共同研究をする場合には、誰がどのような責務を負うのか、適宜話し合いを繰り返して、誤解のないよう進めたいものです。 STAP細胞をめぐる問題では、責任者として名前を連ねているはずの研究者が、責任逃れとしか思えない発言をするなどして、批判されました。なお何も貢献していない研究者の名前を、論文に「箔」を付けるために著者に加えることを「ギフトオーサーシップ(贈り物としての著者名)」といい、近年、問題になり続けています。 2. 重複出版(Duplicate Publication) 同じ研究の結果を使っても、論点や主旨が違えば複数の学術雑誌に投稿・掲載が可能です。しかし、英文校閲を行って言葉使いを大幅に変えたり、グラフや写真を追加したりするだけでは、違う論文とはいいかねます。もし同じ研究結果を元に論文をいくつか執筆する場合は、問題を避けるためにも、先に出版された論文があることと、その論文との違いを明確に示すことをお勧めします。 3. 捏造と改竄、盗用(Fabrication, Falsification…

被験者の人権保護と“Do the Right Thing”の難しさ

第二次世界大戦中のナチスによる人体実験を教訓に生まれた「被験者の人権保護」という思想は、その後、医学実験における人権保護を念頭に、70余年の月日を経て、現在のかたちへと一般化されてきました。たとえば世界医師会が制定した「ヘルシンキ宣言」などがその一例です。その内容の多くは、「研究者は、被験者が実験に参加するかどうか決める前に、その実験のあらゆるリスクについて説明しなければならない」とか、「被験者の個人情報は守秘されなければならない」など、現在は常識化し、実験にかかわらない一般人にもよく知られている事項が少なくありません。 しかし、簡潔にみえる被験者の人権保護も、実際に研究を始めると一筋縄では行かないのが現実です。国内でごくまれな難病を背負った人に実験参加を依頼した場合、「50代女性」といっただけで誰のことかわかってしまうこともあるでしょう。また特殊な方言を話す人たちの会話を録音した場合、その会話を言語学の学会で、不特定多数の聴衆を前に流してもいいのでしょうか?人類学などでは、被験者(研究対象)の身振り手振りが研究の理解に不可欠で、ビデオデータを公開できなければその価値が半減してしまう研究もあるでしょう。過激にビジュアル化していく昨今の研究発表の流れの中で、本当の意味での人権保護は、今後もどんどん困難になっていくでしょう。 また、被験者や研究に協力してくれた人たちの匿名性と人権の保護は、その研究が発表されたらすぐに、研究者の力の及ぶ世界から、まったく予期しない世界へと広がっていくことも忘れてはいけません。研究が複雑になればなるほど、ほかの分野の有識者に助言を求める場合が多くなります。その有識者の名前を明らかにすれば、その人の株が上がる場合もあるでしょうが、研究結果によっては、非難が集中する場合も考えられます。一度公開された情報を撤回することは不可能に近いものがあります。被験者の了解を得たからといって、気軽に研究に協力してくれた人の情報を公開することは控え、どのようなリスクがあるか、詳しく検討し最善策を考える必要があります。どの程度の匿名性が最適なのかは、その研究分野や研究内容によって違うでしょう。 まず基本的なこととして、自分が所属する研究機関や学会が、研究者が守るべきことをまとめた「倫理指針」や「ガイドライン」を定めており、そのなかで「倫理委員会」へ研究計画を提出して、研究実施の認可を得ることなどが定められていることがほとんどのはずなので、それらをじっくりと読んでから対応してください。また、国(たとえば厚生労働省や文部科学省など)も、さまざまな指針やガイドラインを設けていますので、チェックしてください。 必要であれば、アメリカの大学のウェブサイトにアクセスして、「human subject」などをキーワードにして検索して見つかる文書を読んでみることもよいかもしれません。ほとんどの大学では「被験者保護委員会(Human Subject Committee)」や「研究責任局(Office for the Responsible Conduct of Research)」といった専門機関を設置し、被験者の人権保護問題に関するテストや例題を提供しています。 ただしどのような場合でも最も重要なことは、こうした倫理指針やガイドラインをチェックシートのように機械的に利用するのではなく、一研究者としてあらゆる可能性を考えて最善を尽くすこと、そして、人権保護のためにどれだけのリスクを背負う心積もりがあるか自問し続けるということです。最新情報をもとに、自分の研究がおかれた状況を考慮し、研究者として当然のこと“Do…

ペインテッドマウス事件(サマーリン事件)

科学における不正行為としては、たとえば文部科学省は、存在しないデータや研究結果などを作成する「捏造」、研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果などを加工する「改竄」、ほかの研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果などをその研究者の了解もしくは適切な表示なく流用する「盗用」を主なものとしてあげています。そのほか論文の成立に直接貢献していないのに共同執筆者として名を連ねる「ギフト・オーサーシップ」などがあります。 今回はそうした不正行為でも、実験のデータの捏造で一躍有名になったサマーリン事件についてお話したいと思います。 1973年、ニューヨークのスローン・ケタリング記念がん研究所で勤務するウィリアム・T・サマーリン(William T. Summerlin)博士は、記者相手のセミナーや研究所の理事会で、人間の角膜をウサギの目に移植することに成功したと発表しました。 昨今では小規模な皮膚移植などはあちこちの病院で行われており、ニュースにもなりませんが、1970年代当時では画期的なことで、医療技術の大躍進として注目されました。しかし多くの研究者がこの実験の追試に失敗していました。サマーリンの指導教官で有名な免疫学者のロバート・A・グッド(Robert A. Good)は、当初、サマーリンの業績を強調していましたが、次第に、サマーリンの部下でさえ追試に失敗している事実を公表するべきではないかと考えるようになりました。 1974年、サマーリンは、色の違うネズミ間での皮膚移植は成功したということを、実際に2匹のネズミをグッドに見せて説得しました。ところが、黒いネズミの皮膚が移植されたように見えた白いネズミは、その体の一部を黒色のマーカーペンで塗られたものであることを研究室の助手が発見しました。グッドはその際は気づきませんでしたが、事件の発覚後サマーリンはすぐに研究の現場から外されました。 スローン・ケタリング記念がん研究所はこの不正事件の原因を、サマーリンの「情緒的障害」だと説明しました。同研究所の調査委員会は、グッドにも責任があるとしながらも、多忙などを理由に弁護しました。サマーリンは、グッドから研究成果を早く出すことを強くいわれていて、プレッシャーを感じていた、と釈明しました。 その後、科学実験におけるデータの捏造の象徴として、「サマーリンの塗られたネズミ(Summerlin’s painted mouse)」という言葉が生まれるに至ります。 科学による不正行為は、科学界を揺るがす事件となりえるだけでなく、その内容によっては、一般報道機関を通じて世界中の人々の期待と絶望を招く可能性があります。そのため、データの捏造などの不正が露見すると、研究者は学会での信用を失い研究者としての活躍の場を奪われるだけでなく、社会的にも信用を失い、人生のやり直しもままなくなります。 さらに、その研究者が所属している研究機関や論文を発表したジャーナルの編集部も、管理すべき立場としてその責任を追及されることがあります。…

旧石器発掘捏造事件

2000年に世間を騒がせた「旧石器発掘捏造事件」と言えば、記憶に新しい方も多いかと思います。本コラムでは、事件の背景を改めて追いながら、捏造事件がなぜ起こってしまったのかに迫ります。 当事、民間研究団体「東北旧石器文化研究所」の副理事長を務めていた考古学研究家・藤村新一氏は、周囲の研究者が期待するような石器を期待される年代の地層から次々に掘り出す「神の手」をもつ発掘者として注目を浴びていました。そして彼の発掘成果は、日本列島の前・中期旧石器時代がアジアでも最も古い部類にあたる70万年前にさかのぼることを「証明」し、学校の日本史の教科書にまで「事実」として記載されるに至りました。また、この考古学的新事実に町おこしの夢を託した東北地方などの多くの自治体もまた、観光行事を催したり、特産物を作ったり、関連遺跡を国の史跡に指定するよう後押ししたり、石器を文化庁主催の特別展に展示したりするなどして、その信憑性を高めることを手助けしました。 この「東北旧石器文化研究所」の躍進的発掘成果に対しては、当初から疑問視する声もあげられていました。しかし、そうした声をあげた研究者の多くは、輝かしいニュースに影を落とす存在として、考古学界の圧力により研究の現場から締め出されていきました。 そして、「日本の旧石器時代は70万年前にまでさかのぼる」という藤村氏の学説が確立してから20余年を経た2000年11月5日、『毎日新聞』で報じられたスクープによって、発掘結果が人為的に捏造されていたことが発覚するまで、その傾向は延々と続いたのです。 その後、宮城県教育委員会の調査などによって、藤村氏が自ら事前に別の遺跡で集めた縄文時代の石器を大発見となり得る地層に埋め直し、自分で掘り出して見せたり、言葉巧みに石器を埋めた場所へ他の人を促して掘り出させていたりしたことが判明しました。その結果、多くの遺跡が旧石器時代の史跡としての認定を取り消され、日本史の教科書の改訂が施されるに至りました。 一方、歴史教科書問題で日本と対立している中国、韓国、北朝鮮のマスコミがこの捏造事件を大々的にとりあげ、日本人全般の傲慢で自己中心的な歴史認識観であるとして批判を繰り広げました。さらには、同時期に発掘結果に不明瞭な点が見つかった聖嶽遺跡に対し、マスコミが発掘責任者であった賀川光夫氏に不正の嫌疑をかけたため、同氏がそれに抗議する形で自殺してしまいました。 ここで見落としてはいけないのは、科学というものは何度も検証されてのみ前進していくべき存在ということを忘れ、「科学的発見」を盲目的に信じてしまうマスコミと、その受け手である社会全体の責任です。そして、一度受け入れられてしまった学説を鵜呑みにし、異論を笑殺してしまう傾向にある学会の閉鎖的体質でしょう。 その傾向は残念ながらいまも続いています。たとえば、最近の「STAP細胞」研究論文をめぐる騒動では、インターネット上ではかなり早い時期から問題の指摘があったにもかかわらず、当事者である理化学研究所や関連学会の動きは鈍かったことが思い出されます。 そのうえでいえることは、研究不正はそれを行った当事者やそれを防止できなかったアカデミズム、批判的視点を怠ったマスコミに責任があるのはもちろんなのですが、社会の一員としての一般国民にも冷静で客観的な見地が必要だということです。