論文を出版する

研究不正を起こした研究者にリハビリを

2013年1月、『ネイチャー・ニュース』は、研究不正を起こした研究者に対するリハビリテーション・プログラムが試行され始めたことを伝えました。 日本でも海外でも、研究不正事件が起こるたびに、研究不正をした研究者やその人物が所属する研究機関が批判されます。しかし、研究不正にかかわってしまった研究者をどう扱うべきかということはあまり注目されていません。 ノースウエスタン大学研究公正局の局長であるローレン・クォーケンブッシュは同記事で、研究不正を起こした者に対する罰として、研究資金の受け取り禁止といった「重い罰」と、オンラインの研修コースの受講や文書による注意(けん責)といった「軽い罰」との間には大きなギャップがある、と指摘しました。すべての当事者が白か黒かのどちらかというわけではなく、研究機関としてはその人物に研究者として復帰してほしい場合もある、ともいいます。 一方で、研究不正を防ぐための倫理教育に効果があるというエビデンスは乏しいようです。仮に有効な教育方法が開発されたとしても、不正の発生をゼロにはできないでしょう。そこで「重い罰」と「軽い罰」とのギャップを埋める試みとして、セントルイス大学の倫理学者ジェームズ・デュボアらは、問題を起こした研究者が受けるリバビリテーション・プログラムを開発しました。精神医学者や心理学者も運営にかかわっています。 このプログラムは当初、「研究における専門家意識と公正さの回復(RePAIR : Restoring Professionalism and Integrity in Research)」と呼ばれていましたが、現在では、「専門家意識・公正プログラム(Professionalism and Integrity Program)」あるいは「PIプログラム」と呼ばれています。プログラムの開発には、国立衛生研究所(NIH:…

「研究 再現性 の危機」 – nature、1500人を調査

研究論文に書いているものと同じ材料(研究対象)を用意し、同じ方法を試したら、同じ結果が出る。このような状態を「再現性がある」といいます。いうまでもなく、「再現性があること」は科学の条件の1つです。 ところが、研究論文に書いてある通りのことを行っても、同じ結果が出ないことがしばしばあることが、学術界では問題になっています。このことはしばしば「再現性の危機」と呼ばれます。英語では「reproducibility crisis」といい、「replication crisis」と呼ばれることもあります。 『ネイチャー』誌はこの再現性という問題について、オンライン・アンケートを実施しました。回答者は1576人。その結果は同誌5月25日付の記事で公表されました。「研究者の70%以上がほかの研究者の実験を再現しようと試みて失敗しており、半分以上が自分自身の実験を再現することに失敗している」という現状が浮かび上がりました。 実際のところ、どれだけの研究結果に再現性があるかということについては、情報が乏しいのが現状です。過去の研究では、心理学では40%、がん生物学では10%という数字が示されたこともあります(ただし心理学については反論もあります)。 「“再現性の危機”はありますか?」という質問には、52%が「はい、深刻な危機があります」と回答し、38%が「はい、若干の危機があります」と回答しています。合わせて90%の研究者が、程度は異なれど「再現性の危機」を自覚している、ということです。それに対して「いいえ、危機なんてありません」や「わかりません」と答えた人は合わせても10%にすぎませんでした。 また、「あなたはこれまでに再現を試みたことを公表(出版)したことがありますか?」という質問には、「再現に成功した」ことについては24%が「公表した」と、12%が「公表しそこなかった」と回答しました。一方、「再現しようとしたが失敗した」ことについては13%が「公表した」と、10%が「公表しそこなかった」と回答しています。「再現成功」は「再現失敗」よりも、やはり公表しやすいようです。 同誌は「研究結果の再現に失敗することは通過儀礼だ」という研究者のコメントを紹介しています。ブリストル大学の生物心理学者マーカス・ムナーフォによれば、 自分が学生だったとき、「文献でシンプルに見えたものを再現しようと試みましたが、できませんでした。そして私は信頼性について危機感を抱きましたが、その後、私の経験は決して珍しいものではないということを知りました」 とのことです。『ネイチャー』の調査に回答した研究者の大部分はある実験を再現することに失敗した経験があるのですが、ほかの研究者から研究結果を再現できなかったという連絡を受けたことがある者は20%以下でした。「そのような話をすることは難しいから」と、同誌は推測しています。 もし実験した者がもとの(研究を報告した)研究者に助けを求めて接触すれば、自分たちの無能さ、あるいは(もとの研究を報告した研究者に対する)非難の意を示すことになってしまったり、あるいは、自分たち自身のプロジェクトについて言わなくてもいいことを言ってしまったりするリスクがある。 再現実験(追試)を行って失敗した場合、その結果が公表されにくいことについても理由がありそうです。まず研究者は、他人の研究結果を再現できなくても、「完全に妥当な(そしてたぶんつまらない)理由がある」と思ってしまいがちです。またそもそも、再現実験の成功を報告する動機自体が弱いこと、そしてジャーナル(学術雑誌)は否定的な知見を公表したがらないこともあります。再現の失敗を公表(出版)したことのある複数の回答者が、出版元の編集者や査読者はもとの研究との比較を控えることを要求してきた、と言います。 ある研究者は、幹細胞にかかわるある技術がうまくいかないことを公表しようとジャーナルに原稿を投稿しました。彼は「冷たくてドライな却下」を予想していたのですが、原稿は採択されました。それはおそらく、その問題についての「次善策」を提案したからだ、と彼は推測しています。 アンケートへの回答者の3分の1が、再現性を高めるために具体的な措置を実施している、と回答しています。またある生化学分野の大学院生は、「研究を再現させる努力のために、時間と物資を倍かけている」と述べています。また、ある数理生物学者は「再現性を確かめる」ために「プロジェクト1つにつき労働時間を30%増やすことがある」と推測しています。…

「研究不正」を防ぐための倫理教育に効果はあるか?

2014年に世界的に有名になってしまったSTAP細胞事件など、日本でも海外でも、研究不正(research misconduct)が相次いで発覚しています。そのため大学や研究所、民間企業のなかには、研究不正を予防するための講義やトレーニング、グループ・ディスカッションなど教育的介入 −「研究倫理教育」などと呼ぶこともあります− が行なわれているところもあります。そうした教育的介入には、実際に研究不正を予防する効果はあるのでしょうか? 研究不正には、研究結果をでっち上げる「捏造」や、研究結果を操作する「改ざん」、ほかの研究者のアイディアなどをコピーする「盗用」などがあります。こうした研究不正がない状態を「研究の公正さ(research integrity)」または「研究公正」が保たれている、ということもあります。 しかし、非常に書きにくいことなのですが、教育的介入が研究公正に対する研究者の態度や知識を向上し、研究不正を予防できる、という明確なエビデンス(証拠)は乏しいようです。 医学研究コンサルタントのエリザベス・ウェージャーらは、治療方法などの有効性を体系的に再評価(レビュー)し、その結果を公開する国際プロジェクト「コクラン共同計画 (The Cochrane Collaboration)」の一員として、研究不正を防ぐための教育的介入の有効性を評価した研究31件を集めて再評価しました。臨床試験の効果を再評価するときと同じように、です。その結果は同計画のデータベース「コクラン・ライブラリー (Cochrane Library)」で公表されました。 それらの研究31件は33本の論文で発表され、合計9571人の被験者(研究者や学生)が対象にされていました。31件のうち15件は「ランダム化比較試験」といって、臨床試験では信頼性が高いとされる方法を使っていましたが、それほど信頼性の高くない方法を使っているものも少なくありませんでした。 いくつかの研究は、教育的介入が「盗用」に対する研究者の態度についてポジティブに影響したことを示しました。「盗用についてのトレーニング、とくにそれが実践的なエクササイズをともない、テキスト・マッチングソフトウェアを使うときには、盗用の発生を減らすらしい」ことがわかったのですが、エビデンスのクオリティはそれほど高くないといいます。…

第二の「ソーカル事件」? フランスで起きた論文撤回事件

筆者のように学術情報の動向そのものに興味を持っている者の間では有名な「リトラクションウォッチ (retraction watch)」というウェブサイトがあります。文字通り、学術論文が「撤回」されると、その理由や経緯などを報告する記事が掲載されるメディアです。 いちど掲載された論文が撤回されるということは、もちろんその論文に何らかの問題があることが見つかったということです。こうした 論文撤回 がニュースになるのは、理科系のジャーナル(学術雑誌)でのことがほとんどなのですが、2016年4月7日付の同誌は、哲学のジャーナルである論文が撤回されたことを伝えました。 哲学者アラン・バディウについての研究論文を掲載するジャーナル『バディウ・スタディーズ』は昨年秋、「クィア・バディウ主義フェミニズムに向けて」という特集のための論文を募集しました。アラン・バディウはフランスの有名な哲学者で、日本語に翻訳された著作もあります。存命で、左翼的な政治思想でも知られています。ルーマニアにあるアレクサンドル・イアン・クザ大学のベネディッタ・トリポディという研究者は「存在論、中立性、そして(非)クィアのための闘争」という論文を書いて、その原稿を同誌に投稿しました。原稿は査読され、同誌はそれを一度は採択したようです。 そのアブストラクトの冒頭2センテンスだけを訳してみましょう。 「ジェンダー」はつねに、存在論的な差異と“ジェンダー化(gendering)”の失敗へとつながるジェンダーの制度化継続という弁証法の名称となってきたため、どんなものであれバディウ的存在論というツールを通じたジェンダー中立言説という観点に取り組むことには価値がある。『存在と事象(Being and Event)』でバディウによって確立されたように、数学は−集合論として−究極的な存在論である。集合は、反動的制度によるジェンダー化プロセスが保持しようとしているもので、主体としてのそれぞれの主体に特有な多様性状態に対立するものである。 一読しただけで、きわめて難解なものであることがわかります。しかし、フランスの思想家たちの著作ではこのように難解な文章は珍しくないため、「哲学の世界では、こんなものなのかな」と思う人もいるでしょう。 ところがこの論文は、フランスの哲学者フィリップ・ユヌモン(パリ第一大学)とアンノク・バルベルース(リール第一大学)が、いかにもバディウやバディウ主義者たちが使いそうな言葉を散りばめた文章を並べてでっち上げたインチキ論文でした。そしてアレクサンドル・イアン・クザ大学に「ベネディッタ・トリポディ」という研究者はいません。『バディウ・スタディーズ』編集部は、きっかけは不明なのですが、いずれかの段階でその事実に気づき、この論文を撤回しました。現在、同誌第4巻1号の目次にこの論文の題名はありません。ユヌモンとバルベルースは、このようなことを行なった理由を「ジルセル(Zilsel)」というウェブサイトにおいてフランス語で表明したようですが、それを「テンデンス・コーテジー(Tendance Coatesy」というウェブサイトが英語で要約しています。 彼らは、抽象的な存在論(ontology)という哲学を実質的に正当化しているものに対して異議を唱えているのだ。〔略〕このパロディは、その「マスター〔バディウのこと〕」がもとづく存在論についての基盤を掘り崩すためにデザインされている。…

「科学の科学=メタサイエンス」は学術界に根づくか?

ワシントン大学の微生物学者フェリック・ファン教授は、『感染症と免疫学』の編集長を務めた経験からメタサイエンスに取り組むことになりました。同誌は彼の努力もあって、ある研究者が論文中の写真の改ざんを行なっていたことを明らかにし、彼の論文3本を撤回しました。それがきっかけとなり、その研究者の論文には次々と研究不正が見つかり、最終的には30本もの論文が撤回されました。ファンは研究成果の発表システムそのものに問題があると考えるようになり、論文の「撤回」や研究不正を研究テーマに加えることになったといいます。 イリノイ大学の人類学者キャスリン・クランシー助教授は、大学院生の女性がフィールドワーク中に性的な被害に遭ったという経験を聞き、それを個人的なブログに書いたところ、インターネットで大きな反響がありました。彼女は、フィールドワーク研究の倫理に関するシンポジウムに登壇するよう依頼を受けたのですが、査読者は彼女のアブストラクト(プレゼンの要約)を却下してしまいました。わずか2人の経験をまとめたものにすぎなかったからです。彼女は定量的なデータが必要であると考えるようになり、ほかの研究者とともにアンケート調査とインタビューを開始し、そのプロジェクトを「学術フィールド調査研究(SAFE)」と名付けました。その結果、調査対象となった女性のうち、64%が何らかのフィールドで嫌がらせや暴力を受けた経験があることが明らかになり、論文にもまとめられました。 ブリティッシュ・コロンビア大学森林保全科学部のポスドク、ジェレミー・ヨーダー氏は男性同性愛者として、科学技術分野における性的少数者(セクシャル・マイノリティ。LGBTともLGBTQAとも呼ばれます)の行動や経験について、定量的なデータが存在しないことに気づいて、教育学の研究者と組んで、その調査を行いました。自分と同じようなマイノリティの労働環境を改善したり、彼らがステップアップしたりすることに貢献できるかもしれないと思ったからです。 科学者がこうした自分自身の本来の研究からは外れた問題を研究することには、メリットとデメリットがあります。クランシーは会議に登壇者として招かれたことがあり、ヨーダーは大学から賞を授かりました。ファンは「合理的なワークライフバランス」や「高い倫理基準」を推奨される環境をつくることは「トレーニングを受ける者にとって好ましい」ことであり、「質の高いサイエンスを世代継承するためのステージをつくることになる」と考えています。フー記者は3人の話を聞いたうえで、下記のように語っています。 こうしたプロジェクトへの取り組みは、強力な職業倫理、優れたタイムマネジメント、科学を推進するための情熱、そして分析スキルの強化を示していている。これらは全て、学者候補としてきわめて望ましいスキルである。 しかしデメリットもあります。まずメタサイエンス研究は、たとえ論文になったとしても、その科学者自身の専門領域での業績としては認められない可能性があります。また科学者は一般的に、とくにキャリアの初期においては、狭い専門分野に集中して取り組むことが好まれます。メタサイエンスに取り組む研究者は、専門分野をおろそかにしているとみなされるかもしれません。さらにこうしたメタサイエンス研究の結果は、善かれ悪しかれ、メディアや一般市民など科学コミュニティ以外からの注目を集めることがあります。科学者のなかには、そうした目立つ行動を取る同業者を好まない者もいます。とくにメディア出演が多い科学者について、「あの人は『タレント科学者』で、ちゃんとした研究をしていない」といった陰口を聞くことは少なくありません。 しかしながらフー記者は「メタサイエンティストたちはみな、ほかの者たちがどう思っているかにかかわらず、自分たちの研究が重要であるという確信を共有している」と、彼らの意義を擁護します。日本ではどうでしょうか? 実は、筆者も偶然、「メタサイエンス(メタ科学)」という言葉を好意的に使ったことがあります。しかしそれは、科学史、科学哲学、科学社会学、そして科学技術社会論(STS)など、自然科学を人文社会科学の観点でメタ的に研究する学問、という意味でした(斉藤勝司ほか著『教えて!科学本』、洋泉社)。フー記者は、科学者自身が科学をめぐるシステムを研究すること、という意味で使っているので、定義が微妙に異なります。実際、日本では、ファンやクランシーやヨーダーが行なっているような研究は、主として、(自然)科学の現場からやや離れた位置にいる研究者によって取り組まれているように思います。 メタサイエンスをどのように定義づけても、メタサイエンスを嫌う科学者がいてもいなくても、メタサイエンスは科学にとって重要な意味を持っているし、これからもっと重要になりそうです。予算やポストなど、メタサイエンスが正当に評価される制度の整備も必要になるでしょう。

否定的な研究結果の出版はなぜ重要か

ほとんどの基礎研究・前臨床研究には再現性がない、と言われています。しかし、再現性のない研究でも文献としては残り続けるため、その結果を再現しようと他の研究者が時間と研究資源を無駄にしてしまいます。この無駄を防ぐため、否定的な研究結果の出版が必要とされています。否定的なデータが出版されることにより、無駄な実験に費やす時間を減らすことができるほか、不適切な手法のために再現できなかった事例の報告としても役立ちます。このような要望に対して、以前に学術英語エナゴアカデミーの記事でも取り上げた、オープンアクセスジャーナルのF1000Researchは否定的な研究結果も積極的に掲載する取り組みを行っています。こういった試みに対し、おおよその研究者は好意的に受け止めているものの、出版はまだ進んでおらず、効果が出てくるのはこれからと考えられています。 専門家たちの意見を伺ってみましょう。 蓋然か、偶然か-否定的データの価値を見極めよ 客観性を目指す科学において、無駄な努力を省き、新しい仮説を立てられるようにするため、否定的な研究結果を出版する必要があることは明らかです。しかし、これは科学哲学の核心に関する問題であり、実用を考えない純粋科学という考え方にかなりの影響を及ぼします。現在支配的な実用を目指す科学において、否定的な研究結果は、間違った考え方を示すもの、期待された効果を得られなかったもの、と見なされることが一般的です。しかし、アインシュタインは原子爆弾を発明しようとしていたわけではないですし、また、100年前の物理学者は自分の研究が現代の情報技術に使われるとはまったく考えていませんでした。それと同様に、弦理論研究者はその数学的モデルが将来どのように使われるかを予測することはできません。 否定的なデータは確かに無駄ですが、存在する否定的なデータを入手できないというのも無駄です。もちろん、否定的なデータにはそれを検証する努力に値しないものもありますし、出版する価値のあるものはさらに少ないでしょう。結果はどうであれ期待できる計画に基づいて行われる臨床試験も多いですし、その一方で、否定的なデータが出たらすぐに方向転換するような基礎研究もあります。生命科学分野の基礎研究は、分子集合の複雑なネットワークを扱っており、システム生物学における研究によって、すべての分子経路はきわめて難解なかたちでつながっていることが示されてきています。このような、生命の操作不可能な複雑さを考えれば、ある分子集合を再現できなくても、それを蓋然性が高いものだと解釈するより、たまたまだと解釈すべき場合があるでしょう。したがって、生命科学の内、より複雑な分野においては、再現可能性に科学的価値を置いて否定的なデータを報告してもあまり実りがなく、研究室の実験ノートに記録しておけばよいという場合もあるでしょう。 博士(癌研究) 豪州にて12年以上の科学・医学文献執筆経験 「否定的な結果」は、「肯定的な結果」と同様に科学を進歩させる 実験によって仮説を検証しようとする際に、その仮説を支持する結果が得られた場合、その結果は出版に値すると見なされます。しかし、その仮説が誤りであることを示す予期しない結果が生じた場合、それが出版されることはほとんどありません。歴史を見ると、否定的な研究結果を出版しなかったことが科学に大きな影響を与えた様々な事例があります。 マイケルソンとモーリーによって行われた実験は、否定的な実験結果が科学的に重要な帰結をもたらした古典的な例です。マイケルソンとモーリーは、異なる慣性系―地球の自転方向とその逆方向―における光の速度を計測し、光の伝搬についてその当時一般的だった理論が予想するように、速度に違いが出るだろうと考えていました。しかし二人は、どの方向でも光の速さは同じであるという結果を得ました。この否定的な結果は、物理学者たちを驚かせ、特殊相対性理論が生まれるきっかけになりました。この「否定的な結果」は、「肯定的な結果」と同様に科学を進歩させたわけです。この実験は、現在の世界にもうひとつの大きな影響を与えています。それは、LIGO(レーザー干渉計重力波観測所)による重力波の検出です。LIGOの検出器は、光のビームがたがいに「干渉する」あり方を突きとめ、検出器の中を光が移動していく際にどう変化するかを明らかにしました。この考え方は、マイケルソンとモーリーが1887年に行った実験の基礎になったものと同じです。 出版社は、否定的な研究結果の出版に対してより前向きになりはじめています。インターネットで誰でも無料で読める学術誌であるf1000Research は、生命科学における肯定的な研究結果と否定的な研究結果の両方を掲載しています。また、Journal of Negative Results…

査読は匿名かオープン、どちらが質が高い?

「片側盲検(single blind)」では、査読者の側からは著者が誰かわかりますが、著者の側からは査読者は誰かわかりません。「オープン査読(open peer review)」では、著者も査読者もお互いが誰かをわかったうえで査読が行なわれます。「二重盲検(double blind)」では、著者も査読者もお互いが誰かわからないまま査読します。 一般的に、片側査読もしくは二重査読を適用しているジャーナルがほとんどで、オープン査読が採用され始めたのは比較的最近のことです。査読者の数は通常、2~3人です。ジャーナルのなかには、採択された論文といっしょに査読者レポート(reviewer report)や著者の返信を、署名または匿名で公表するところもあります。また多くのジャーナルでは、原稿を投稿した著者が査読者になりうる人を提案することを認めています。なかには著者にそれを要求するジャーナルもあります。 査読の形式が異なることによって、査読の質も異なるのでしょうか? オープンアクセス・ジャーナルの出版社として知られるバイオメド・セントラル(BioMed Central)の「研究公正グループ(Research Integrity Group)」と、ロンドン熱帯衛生医学大学院のフランク・ダドブリッジ教授は、合計800本もの査読者レポートを分析し、2015年9月29日にその結果を『BMJオープン』で発表しました。その結果からは、オープン査読は片側盲検よりも優れた質の査読を実施できるという可能性が示されました。 この研究では、バイオメド・セントラルが発行するなかで、採択率や扱っているテーマが似ているジャーナル2誌が比較されました。オープン査読で運営されている『BMC感染症(BMC Infectious Diseases)』と、片側盲検モデルで運営されている『BMC微生物学(BMC Microbiology)』です。また、『炎症ジャーナル(Journal…

「心理学研究の再現性は低い」に心理学者が反論

2015年8月、非営利団体「オープン科学センター」のエクゼクティブ・ディレクターで、ヴァージニア大学の心理学者ブライアン・ノセック教授ら270人の研究者からなるチームは、2008年に有力なジャーナル(学術雑誌)に発表された心理学論文100本で報告された研究の再現を試みたところ、同じ結果が得られた、つまり再現できたのは全体の36%にすぎなかった、と『サイエンス』で報告しました。再現性の指標として使う基準を変えても、再現率は47%にとどまりました。この結果は「OSC(オープン・サイエンス・コラボレーション)」と呼ばれる緩やかなネットワークによる「再現性プロジェクト」の一環だといいます。 「心理学研究は再現性が低い」と理解せざるを得ないこの研究結果は、日本国内のメディアでも報じられましたので、記憶している読者の方も少なくないと思います。ところが、ハーバード大学の心理学者ダニエル・ギルバート教授らはこの結果に疑問を持ち、再現率を計算し直してみました。その結果、OSCが行なった再現の試みのなかには、もともとの論文で行なわれた実験を忠実に再現したものではないことなどがわかりました。この結果を受け、ギルバート教授らは下記のように主張しています。 われわれが示すところでは、この論文には3つの統計学的なエラーが含まれ、このような結論への支持を導かない。実際のところデータは反対の結論と一致しており、はっきりいうと、心理学研究の再現性はきわめて高い。 この分析結果は『サイエンス』2016年3月4日号で「コメント」として発表されました。しかしノセック教授らは同じ号の『サイエンス』で、この批判に対してただちに反論しています。 彼らのとても楽観的な評価は、統計学的な誤認と選択的に解釈された因果推論、相関データによって限定されている。 彼らの分析によれば、「再現性については楽観的な結論も悲観的な結論も可能で、どちらもまだ正当化されていない」とのことです。主張がやや後退したような印象もありますが、同じデータからまったく異なる分析が導かれていることがわかります。なお偶然だと思われますが、同じ号の『サイエンス』では、経済学の研究論文18件のうち、少なくとも11件が再現され、7件は再現されなかったという検証結果も報告されました。 科学的な真理というものは、1本の論文だけでつくられるわけではありません。ある論文で示されたある研究結果は、再現実験(追試)を含むさまざまな方法で検証され、その一連の議論ややりとりのなかで、科学的真理は生まれてくるのです。つまり再現実験もまた、さらなる再現実験やデータの再計算など科学的検証の対象になるのです。心理学や経済学もその例外ではないでしょう。

臨床試験の結果、いまだ半分以上が未公開

臨床試験の結果の公開には2つの方法があります。1つはいうまでもなく、ジャーナル(学術雑誌)で論文として出版(publish)することです。もう1つは事前に臨床試験のデータベース「ClinicalTrials.gov」に登録し、その結果を報告(report)することです。 ClinicalTrials.govは、アメリカの国立衛生研究所の国立医学図書館(NLM)が運営する世界最大の臨床試験のデータベースで、臨床試験とその結果を登録することを奨励しています。現在、ClinicalTrials.govには世界170カ国以上から約20万件の臨床試験が登録されています。一方で、これまでの調査により、実施された臨床試験のうち、結果が出版されてたのは全体のわずか25〜50%、ときには終了後何年経っても出版されないままであること、多くの臨床試験の結果がすぐに報告されていないことなどが明らかにされています。 イェール大学医学部のハーラン・クルムホルス教授の研究チームは、2007年10月から2010年9月までにアメリカの主要な研究機関51カ所によって実施され、ClinicalTrials.govに登録されている臨床試験4,347件の結果のうち、過去2年間でどれだけ出版・報告されたかを調査しました。その結果、4,347件の臨床試験のうち、終了から2年以内に出版されたのはわずか29%(1245件)、ClinicalTrials.govに結果を報告されたのはわずか13%(547件)であることが明らかになりました。また、研究機関によって、臨床試験結果の公開の比率には、際立った差があることもわかりました。研究の開始から結果の公開までの平均時間には2倍の差があり、研究機関における公開率には3倍以上の差があることが判明したのです。 研究チームはこの結果を論文にまとめ、『英国医学ジャーナル(BMJ)』で報告しました。 研究終了から24カ月以内に公開された臨床試験の割合は、医学研究機関の間で16.2%(6/37)から55.3%(57/103)まで及んだ。研究終了から 24カ月以内に出版された臨床試験の割合は、医学研究機関の間で10.8%(4/37)から40.3%(31/77)に及んだ。一方、ClinicalTrials.govに報告された結果は、1.6%(2/122)から40.7%(72/177)に及んだ。 そのうえでチームはこう結論しています。 このような、タイムリーな出版や報告の欠落を修正するためには、新たなツールやメカニズムが必要とされる。このような欠落は研究活動を阻害し、エビデンス(根拠)に基づく臨床判断を損なうおそれがあるからである。 臨床試験の結果が公表されないことについてはずっと以前から問題になってきました。(日本語で手軽に読める論考としては、ベン・ゴールドエイカー著『悪の製薬』(忠平美幸ほか訳、青土社)の第1章「行方不明のデータ」などがあります。) 臨床試験は被験者を副作用などのリスクにさらして実施するものです。したがってその結果を公開しないことは、被験者や社会に対する責任を果たしていないことになります。何よりも、わかっているはずのことが公開されていないことは、患者や社会の利益を損ない、実害をもたらす可能性もあります。一刻も早い改善が望まれます。

生命科学分野は「プレプリント」を導入すべき?

プレプリントとは、ジャーナルに論文として掲載されることを目的に書かれた原稿を、完成段階で査読の前にインターネット上のサーバーにアップしたもののことをいいます。物理学分野で始まったといわれていますが、コンピュータ・サイエンスや数学、経済学でも一般的になりつつあります。 2016年2月16日と17日には、メリーランド州にあるハワード・ヒューズ医学研究で、「ASAPbio(生物学における科学出版の加速)」という会議が開催されました。カリフォルニア大学の細胞生物学者ロン・ヴェール教授やロックフェラー大学の神経生物学者レズリー・ボッシャル教授など有力な研究者らが呼びかけたもので、生命科学分野におけるプレプリントの活用について議論されました。『ネイチャー・ニュース』では、生物学者のなかには物理学分野にいる同僚たちの後を追おうとしている者がいる兆しもある、とレポートしています。 物理学分野では、すでに一般化されているプレプリント。物理学分野では、毎月8000本ものプレプリントが「arXiv」という1991年に設立されたプレプリントサーバーに投稿されているといいます。生命科学分野では、2013年に専門のプレプリントサーバー「bioRxiv」が設立されました。設立当初はひと月あたり50本ほどの投稿数でしたが、徐々に増え続け、2016年1月には200本が投稿されるようになりました。2016年2月時点では、合計3100本ものプレプリントが公開されています。 生命科学分野でも普及しつつあるプレプリントですが、研究者たちは下記のようなリスクを指摘しています。 ・ライバルにアイディアを盗まれ、名声を得る機会を逃してしまうのではないか ・査読を経ていない研究結果が公開されることで、科学としての質が低下するのではないか ・査読のあるジャーナルに掲載されるチャンスを失うのではないか ASAPbioの主催者たちによれば、生物学者たちの多くはまだプレプリントについてよくわかっておらず、どのような影響があるのか話し合われてさえいない、という見解を示しています。2点目の疑問については、自分たちの評価が公開されている初期段階の研究に基づくようになれば、研究者たちはより注意深くなるだろう、とプレプリントの支持派たちは考えています。また、bioRxivの設立時、ジャーナルの出版社のなかにはプレプリントサーバーに投稿された研究でも出版を認めるとルールを変更したところもあり、業界全体の流れも変わってきているようです。 なお、ASAPbio主催者の1人であるボッシャルのプレプリントはすべて、「堪え難いほどノロマな査読プロセス」を経て通常のジャーナルに掲載されたといいます。『ネイチャー・ニュース』は、彼女の過激な言葉を次のように紹介しています。 「そのほとんどは何も変わったように見えません。だとしたら、ジャーナルなんてなぜ必要なのでしょうか?」 その一方で、プレプリントを牽引してきたはずの物理学の研究者のなかにも、プレプリントに批判的な者もいます。ストックホルム大学の宇宙物理学者ヤン・コンラッドは2015年、同じ『ネイチャー』に寄せた論説で、いくつのも実例を挙げながら次のように批判しています。 arXivに投稿された不正確な論文は、見当違いの研究結果というノイズをもたらす以上のことをしている。資金提供に関する決定は歪められ、理論家たちは説明を訂正しようとして多大な時間を無駄にし、そして一般市民は報道によってミスリードされる。 ヤンの見解はASAPbioの主催者たちとは異なるようです。はたして生命科学は物理学の後を追うべきなのかどうか、今後の展開に注目が必要です。