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米国の2020会計年度の予算の行方は

学術界が、資金確保と科学的な知見への不信感から困難な状況に置かれています。とくに顕著なのが、トランプ大統領の率いる米国。米国は、最先端の研究を進め、学術雑誌への掲載論文数も多い「科学大国」でしたが、地球温暖化は「でっちあげ」だとの発言を筆頭に、平然と科学的知見に反論するトランプ大統領の就任後、科学への不信感が広がっています。同大統領は米国環境保護庁(EPA)や米国航空宇宙局(NASA)による温暖化研究を「税金の無駄」と評しただけでなく、主だった研究機関の 研究費 の大幅削減を試みています。特に、米国国立衛生研究所(NIH)と米国国立科学財団(NSF)への予算増加はしないと明言したことから、米国の科学研究の行く先が不安視されています。 大統領の姿勢 研究費の削減は、科学研究全体に多大な影響を与えるのは必至ですが、大統領の科学軽視の姿勢は、科学への不信感の増大に影響を及ぼすこともあります。かつて、トランプ大統領は、麻疹(はしか)のワクチン接種の副作用が自閉症につながるなどと科学的論拠を無視した発言を繰り返しツイートしていました。Anti-vaccinationistを示す「anti-vaxxer」と呼ばれる反ワクチン論者の集団は、米国中間選挙の裏で選挙資金を流して選挙に関与したとも言われていますが、その政治的な動きはともかく、予防接種率が低下したことではしかの感染が拡大してしまいました。このときの感染拡大を受け、ニューヨーク市のブルックリン地区では公衆衛生の非常事態宣言が発令されたほどです。幸いにしてトランプ大統領は、はしかワクチンについては「予防接種は重要だから受けなさい」と意見を覆しましたが、科学への不信感による影響には恐ろしいものがあります。トランプ大統領の科学軽視の傾向に加え、トランプ政権を支持する人の間には科学研究活動に対する不信感が根強いのです。そして、トランプ政権における科学技術への関心の薄さが研究費削減という予算案となって示されていると言えるでしょう。 トランプ政権による研究費削減策とその影響 2019年3月、トランプ大統領は、ほぼすべての政府系研究機関向けの予算を大幅にカットするよう議会に求めました。ここで対象外となったのは、米国エネルギー省(DOE)と米国航空宇宙局(NASA)の2機関のみです。 これに先立ち、2018年12月22日から2019年1月25日にかけて米国政府機関の一部機関が閉鎖されていました。35日間もの閉鎖は、歴史上での最長の長さにおよび、約30億ドルもの経済損失が生じたと試算されています。この影響は学術界にも波及し、NSF単体でも2000もの助成金申請処理が遅れたほか、さまざまな点で支障をきたす原因となりました。 そして今年前半、トランプ大統領はすべての政府系研究機関の研究費を削減するとの予算教書を提出したのです。NIHの研究費については、大統領による前年比5億ドル減の予算案に対して、下院が2億ドル増を提案し、同様に、NSFの研究費についても予算増の提案が出ていましたが、行政予算管理局(OMB)は増額案に反対。研究費などの削減分は軍事費の増額分に充てられるとの噂もあり、予算における攻防が続いています。 下院の民主党らは、トランプ政権は政府系研究機関による科学研究、特に基礎研究の重要性を認識していないと主張し、予算削減に抵抗しています。トランプ大統領の掲げる「国境の壁」建設費をめぐっても妥協点は見えていません。大統領は9月に11月21日までのつなぎ予算に署名しましたが、本来10月1日から始まる2020会計年度の予算は11月21日までにまとまらず、11月21日に大統領が継続予算決議(CR)に署名したことで12月20日まで交渉は継続されることとなりました。これで当面、政府機関の閉鎖は避けられてはいますが、また年末になって騒ぎにならないとも限りません。 トランプ政権による優遇 OMBは大統領府の付属機関であるため、予算については大統領の意向を反映させがちな傾向があり、予算削減の対象外とされた2機関については異を唱えていません。一方で、OMBのディレクターRussell Voughtは、NASAの研究開発プログラムに対し、2024年までに再び有人月面着陸を行う目標を達成するための研究開発費を含め7億ドルの増額が必要だとする書簡を10月23日に議会に提出しました。トランプ大統領は、宇宙開発においても「かつての偉大さを取り戻す」と約束しており、NASAの一部の研究開発については積極的に財政支援するようです。また、DOE科学局とエネルギー高等研究計画局(ARRPA-E)に対しては史上最高額の予算案が可決されています。DOEは、無人・自立システム、人口知能(AI)、極超音速技術、指向性エネルギーに関する技術開発を優先事項に掲げています。これらのことから、トランプ政権下の予算案の特徴としては、経済成長優先と、好む政策と好まない政策の予算案の増減について大きな落差があると言えそうです。 学術界の反応 トランプ政権が、基礎研究を軽視し、偏った予算配分を強行しようとしていることに対し、学術界はどう反応しているのか気になるところですが、多くの研究者、研究グループ、機関は前回の政府機関の閉鎖の影響から回復しきれていないのが現状です。閉鎖期間中は会議開催や研究活動の制限、あるいはキャンセルを余儀なくされました。政府系の博物館などの資料やデータへのアクセスも制限され、データセットへのアクセスができなかっただけでなく、データ自体に穴(抜け)が生じたりしており、それらの損失は計り知れません。しかも、同期間中、無給となってしまった研究者もいたのです。ひどい事態ではありますが、多くの研究者にとって、将来、研究費が大幅に削減された場合には同様の事態が起こり得るのです。…

中国系研究者を狙い撃ちか?

がん治療・研究に特化した研究施設であり、がん研究では世界トップを走るテキサス大学MDアンダーソンがんセンターに米連邦捜査局(FBI)の捜査が入り、研究情報の窃盗の疑いでアジア系の教授を解雇したことが報じられました。このニュースについて説明します。 テキサス大学MDアンダーソンがんセンターの教授解雇 テキサス大学MDアンダーソンがんセンターで、2019年4月に研究者5名が相次いで同センターを去りました。同センターの発表によれば、2018年8月に米国国立衛生研究所(NIH)から数名の研究者に情報漏洩および論文査読における整合性が疑われるとの指摘を受けて調査を進めたところ、疑わしいと指摘された3名の懲戒免職の手続きに動き、そのほかの2名は違反が認められたものの免職には当たらないとしました。免職対象の3名のうち2名は解雇される前に辞職し、残る1名は調査中となりました(4月時点)。NIHもMDアンダーソンがんセンターも個別の嫌疑の詳細や3名の情報を明らかにしていませんが、情報の漏洩先は中国であり、嫌疑ありとされたのは中国系の研究者と報道されています。 内部情報を基にした報道によると、嫌疑の対象になったうちの一人は疫学部教授のXifeng Wuです。彼女は中国生まれですが、テキサス大学で博士号を取得し、米国籍を所有していました。数々の業績をあげ、MDアンダーソンがんセンターの疫学部長として、中国の研究者やがんセンターと密接な関係を築いてきました。中国の研究機関との共著論文も多数発表しており、その数は26研究機関、87本に及びます。しかし、2014年頃からMDアンダーソンがんセンターから中国の研究機関に情報が漏洩しているのではないかとの疑いがもたれるようになり、当センターはセキュリティを強化しましたが、FBIが2017年夏に研究および専門情報の盗難の可能性の調査を始めると、その調査途中の2019年1月にWu博士は辞職してしまいました。3月には中国に戻り浙江大学医学院公衆衛生学部の学部長の職に就いています。Wu博士の嫌疑が正当であったのか、辞任の理由が何であったのかは明らかにされていませんが、情報窃盗として容疑が固まるには至りませんでした。とはいえ、米国内の研究施設からの情報漏洩や知的財産盗難については警戒感が高まっており、同センターも秘密情報の窃盗については処分を強化すると言及しています。 事件の背景 こうしたケースはMD アンダーソンがんセンターに限りません。NIHが2018年8月に疑惑を指摘した研究機関は数十箇所に上り、中国をはじめとする外国が絡んだ情報漏洩の摘発を狙ったようです。米国上院の予算委員会でNIHの高官が2019年6月行った報告では、外国政府と秘密裏に関係している疑いにつき、HIHが研究資金を提供している研究機関のうち61箇所にFBIの協力を得て予備調査を行った結果、うち16機関に法律違反の可能性があると述べています。NIH高官は別の機会に「本来は秘密扱いとはならない基礎研究であっても、将来的には特許申請に結びつくものが含まれている可能性はあるので、そのような情報を外部に流すのは実質的に情報を盗むことと同義である」との趣旨の発言をしています。こうしたことを踏まえてメディアは、今回の事件は中国との貿易戦争を背景に、米国政府が学術関連の情報の取り扱いについて、中国および中国系の研究者に圧力かける意図があったと分析しています。 米国のあせり? トランプ政権による中国との貿易戦争は、上乗せ関税の応酬のニュースが目立ちますが、中国における国家主導の経済体制と並んで、米国が重視している争点のひとつに知的財産の保護があります。中国の知的財産の問題は、ブランド品の贋作の輸出や、国内での外国特許や著作権の侵害ですが、その手口は巧妙化の一途をたどっています。中国政府は11月24日に知的財産権侵害への罰則を強化すると発表していますが、ここにきて米国が特に研究情報の漏洩に強い姿勢を示している背景には、科学技術における中国の躍進への警戒もありそうです。 ここ20年ほどで中国の科学技術における発表論文数は大幅に増加しています。米国国立科学財団(NSF)が発表した報告書『SCIENCE & ENGINEERING INDICATORS 2018』によれば、科学技術分野の中国の論文発表件数は2003年から2016年に5倍に増加しています。一方、米国は同期間に約1.3倍になっただけであり、2010年以降は横ばいで、2015年に前年よりやや減少し、2016年には中国に抜かれています。こうした状況に、米国が焦りを感じていることは否定できないでしょう。…

プランSの学術界への影響は⁈(2)

論文のオープンアクセス(OA)化に向けた公的助成機関によるイニシアチブ「cOAlition S」の開始と、OA推進の10の原則「 プランS 」についての概要、ならびに、このプランSへのフィードバック募集(期限:2019年2月8日)については別記事で紹介しました。学術研究者のみならず、出版界もこのプランSの動向に注目しており、600を超えるフィードバックが寄せられたそうです。それらの意見を踏まえてcOAlition Sが目指すOAの実現に向けた手引き「Guidance on the Implementation of Plan S(以下、手引書)」が改訂され、効力の発生時期を予定より1年遅れの2021年1月1日に延期するなどの変更が加えられました。この動きは学術界にどのような影響を及ぼすのでしょうか。 加速するオープンアクセス 2019年5月31日に発表された手引書の改訂版には、cOAlition S参加機関による研究助成を受けた研究成果(査読出版物)は、すべてOAジャーナルかOAプラットフォーム、またはOAリポジトリに即時発表しなければならないとされる日が、当初計画されていた2020年ではなく2021年1月1日となったことが記されています。OAへの移行には時間が必要であるとの指摘に対応し、出版社のビジネスをOAモデルにシフトする時間的猶予を与えるものと見られます。とはいえ、効力発生日までに学術界が適応しきれるのか疑問視する声は根強く残っており、さまざまな点で論議を呼んでいます。 改訂点…

日本の研究力低下を止められるか

2019年10月9日、テキサス大学のJohn B. Goodenough教授、ニューヨーク州立大学のM. Stanley Whittingham教授とともに、旭化成名誉フェローの吉野彰氏が2019年のノーベル化学賞を受賞され、日本中が喜びに沸きました。スマートフォンから電気自動車など、すっかり日常生活に溶け込んでいる製品にとって不可欠なリチウムイオン電池。この電池の開発で主導的な役割を果たした功績が称えられたわけです。 大変嬉しいニュースですが、喜んでばかりもいられません。日本のノーベル賞受賞数は、米国籍の研究者を含めて28人。化学賞に限っても8人が受賞しており、世界でも有数のノーベル賞受賞国となっていますが、将来この状況が続くとは期待できないと指摘されています。近年の受賞者を見てもわかるように、研究成果を発表してからノーベル賞受賞までにはタイムラグがあります。しかも、学術雑誌「Nature」の記事、または英国教育専門誌「Times Higher Education(THE)」の「世界大学ランキング」でも日本の科学技術力の劣化が示される中、受賞者だけでなく多くの研究者が研究力の強化と若手の育成が急務と指摘しています。 論文数減少 日本の科学技術力の低下が数字となって表れているものの一つが論文数の減少です。平成30年版「科学技術白書」で主要国における論文数の推移を見てみると、世界の論文数は増加しているのに対し、日本の論文数は減少。1990年代後半には横ばいとなり、2013年以降は減少に転じていました。国・地域別論文数では、論文発表数上位10か国・地域における日本の論文数は10年間で2位から4位に、被引用数Top10%補正論文数は4位から9位に転落しています。当然ですが優れた論文ほど引用される回数は多くなるので、論文数ともに被引用数が下がっていることも問題です。 予算削減の影響 これにはさまざまな原因が考えられますが、研究費の削減が科学研究を脆弱化させている一因と考えられています。2004年4月に国立大学の独立行政法人化が開始されて以降、研究活動の基盤となる運営費交付金、特に人件費が削減されたことで、教員や若手教員などの採用を抑制する動きが見られました。研究活動の基盤となる国立大学運営費交付金は13年間で12%(1445億円)減。長期的には、若手研究員の減少は研究力低下につながるとともに、任期付き雇用では落ち着いて研究ができない状況です。運営費交付金の減額をカバーするためとして、使途が決められている「特定運営費交付金」、または研究プロジェクトの費用が部分的に補助される「プロジェクト補助金」といった予算が計上されてはいますが、すべての国公立大学がこれらの競争的資金を獲得できるわけではないので、大学によってはどうにもならない状況に陥ってしまうのです。さらに競争的資金が増えても若手研究者の安定した雇用にはつながりません。このまま大学の予算が縮小すれば、ますます人件費は削減され、研究の継承や発展が困難となるでしょう。これが研究における支障となり、巡り巡って論文数の低下につながり、大学などにおける学術研究の根幹を揺るがす問題となってしまうのです。この状況を打開すべく、研究環境を改善し、科学研究を促進するための施策を見直すことが急務とされています。 大学だけではありません。The Japan TimesのOpinionに掲載された記事には、理化学研究所の研究機関への公的助成金が過去10年間で20%近く削減されたと書かれています。予算が削減された研究機関は、資金を確保するために国内外から資金調達をする努力を余儀なくされます。…

プランSの学術界への影響は⁈(1)

近年、学術界は論文のオープンアクセス(OA)化も含めたさまざまな変化に直面しています。かつては、ほとんどの研究者が学会に所属しており、自らの研究成果を提示する機会を学会に依存していました。学会の会合で発表したり、出版の誘いを受けて論文を投稿したりしてきたのです。しかし近年は、OAビジネスモデルに代表されるデジタル化の波により、学会の支配力は揺らいでいます。研究者は、学会に頼ることなく、多種多様な学術雑誌(ジャーナル)にいつでも、どこからでもアクセスできるようになっているからです。 新たな取り組み:プランS 2018年9月4日、欧州委員会(EU)と欧州研究会議(ERC)の支援を受け、欧州の研究助成財団・研究実施機関が加盟するScience Europeは、11の研究助成機関が助成した研究成果を完全かつ即時(論文発表直後)にOAにするためのイニシアチブ「cOAlition S」を開始すると発表しました。 発表時に署名した研究助成機関と国名 Austrian Science Fund (オーストリア)、French National Research Agency(フランス)、Science Foundation Ireland(アイルランド)、National…

査読レポートを書いているのは誰だ?

査読は科学研究の正確性や質を確保するプロセスです。優れた学術雑誌(ジャーナル)の多くには査読が付いており、投稿された論文が出版にふさわしいかどうかを判断しています。査読は、当該分野の知識を豊富に持つと学術界に認識されている研究者によって行われるべきです。査読者は投稿論文の正確性、明瞭さ、完成度をチェックし、その結果を査読レポートにまとめ、編集部に提出します。これは論文出版に向けた重要なステップです。査読レポートは、学術ジャーナル、論文執筆者の双方に対して偏りがないものでなければなりません。著者は、編集部から査読レポートを受け取り、指摘された箇所・内容への修正を行います。査読レポートに書かれた修正依頼に応じて原稿を書き直すことで、ジャーナルへの掲載が可能となります。最近では、この査読レポートを(著者以外も見られるように)公開する試みが行われており、話題となっています。 投稿論文が出版に値するかどうかを評価する方法として広く定着している査読ですが、そのプロセスの問題も指摘されています。そこにさらなる問題提起として、査読レポートを若手研究者が書いているという研究報告が出てきたのです。 若手研究員が査読レポートの執筆を? 2019年4月、ライフサイエンス分野のプレプリントリポジトリであるbioRxivに「Co-reviewing and ghostwriting by early career researchers in the peer review of…

研究不正は筆頭著者の責任か?

研究不正は、学術界でよく議論される問題です。学術出版の不正がよく取り上げられますが、盗用・剽窃、ゴーストライターによる執筆、査読プロセスにおける問題など、不正の原因は多種多様です。しかし、すべてが研究倫理と研究不正がせめぎあっている状況を照らし出しています。研究不正は研究論文の撤回につながり、ひいては科学研究への信頼を損なうものです。 https://www.youtube.com/watch?v=EnXM-2EUPgg   ある研究には、大規模な臨床試験ではゴーストライターが当たり前になってきていると示唆されていました。ゴーストライターとは、研究に参加していても論文著者として名前が記されないまま研究・論文執筆を行う人です。他に、実際には研究にまったく関与していないにも関わらず名前が記載される偽の共著者(fake co-author)も問題となっています。名前が通った研究機関の研究者や、優れた出版実績を持つ研究者の名前を、共同研究者として加えているのではないでしょうか。 このようにオーサーシップ自体に関する不正問題が指摘される中、論文に不正ありとなった場合、誰が内容に責任を持つのでしょうか?名前が載った全員でしょうか?研究を行った研究チームの研究責任者でしょうか?あるいは、出版者?いろいろ考えられますが、筆頭著者(ファーストオーサー)に論文全体の責任があるとする研究が示されましたので紹介します。 筆頭著者の責任 オープン・アクセス(OA)の学術雑誌(ジャーナル)PLOS ONEに、2019年5月付けで掲載された論文は、筆頭著者に責任があるとの立場を示しています。この研究を行ったのはルクセンブルグ大学のKatrin Hussingerとルーヴァン・カトリック大学のMaikel Pellens。彼らが筆頭著者に論文全体の責任があるとした理由は何でしょうか?それは、US Office of Research Integrity(米国研究校正局)が不正調査を実施した80の事例を調べ、筆頭著者が不正の原因であるケースが最も多い傾向にあるとの結果を踏まえたものです。…

研究室立ち上げを巡るジェンダー格差

学術界における ジェンダー格差 は根深いものがあり、さまざまな場面で顕在化しています。今回は、ある女性研究者が自分の研究室を立ち上げ、研究責任者として研究を進めていく際の苦労を見てみましょう。 まわりの女子学生が減っていく 女性研究者(仮にJさんとします)は疫学が専門で、優秀な成績で大学院を卒業し、博士号を取得しました。彼女は大学、大学院と進むに従い徐々に周囲の女子学生の割合が下がっていくことに気付きました。学部生のときには同級生に女性が何名もいたのですが、大学院で修士課程・博士課程と進むと、次第に女子学生の数が少なくなり、研究室に所属するころには女性は自分一人となっていました。学会に出席すれば登壇して発表するのは男性ばかりであることが多く、読む論文の執筆者もほとんどが男性です。指導教官も男性ばかりです。博士課程に進んだときに、同じ学部にいた若い女性の教授に指導を受けたいと考えていましたが、その教授は出産のために退職してしまいました。代わりに指導を受けた男性の教官は、幸いにして女子学生が学術研究を続けることにも理解があり、女性が自分だけという研究室でも無事に博士課程をやり遂げることができました。 新米PIだから?それとも… 博士号を取得したJさんは、首尾よく研究助成金を獲得して、自分の研究室を立ち上げて研究責任者(PI)となることができました。これで思う存分に自分の研究をすすめることができるのだ、論文をどんどん発表するのだと意気込んだのですが、現実はそれほど甘くはありません。獲得できた助成金は決して少なくはありませんが、十分でもありません。研究助手を8名採用したいと考えていたのですが、予算上許されたのは3名でした。人手不足は自分で埋めざるを得ず、論文執筆も計画通りに進まなければ、学会への出席もままなりません。Jさんは、研究室を立ち上げたばかりの新米PIとしては致し方ないことと、無理やり自分を納得させて奮闘していたのですが、どうやら同じ新米研究責任者でも境遇が異なる人がいることが発覚しました。同じころに研究室を立ち上げた男性のPIが「研究助手が10人いるから助かるよ。今年中に論文を発表できそうだ。」と休憩室で言っているのが、Jさんに聞こえてきたのです。 研究助成金にもジェンダー格差が 研究助成金の金額にジェンダー格差があるということなのでしょうか?米国医師会が発行する学術雑誌(ジャーナル)JAMA (Journal of the American Medical Association)に掲載された研究によると、米国の国立衛生研究所(NIH)が2006年から2017年に付与した約5万4千件の研究助成金を対象にした調査では、初めて助成金を受給した研究者の平均受給額が、男性は16.6万ドルであるのに対し、女性は12.7万ドルと4万ドル近い差があることがわかりました。本人が知らないうちに女性というだけで、助成金の額が男性研究者よりも少なかったのです。同じくJAMAに2015年に掲載された論文にも、男性研究者は研究キャリアの初期段階で女性より潤沢な資金提供をされていたことが示されていました。…

ゲノム編集食品は安全?

猛暑や豪雨などの天候不順の影響で、野菜や穀物の供給が不安定になるなど、食品の安定供給が危ぶまれる中、ゲノム編集食品が静かに市場に入り込んできそうです。これは外国の話ではなく、日本の話です。 ゲノム編集食品が食卓に? 今年3月、Scienceに掲載された記事で、日本政府が安全審査や表示義務もないゲノム編集食品を市場に出すための準備を進めていることが報じられました。そもそもゲノム編集とは、遺伝子を切ったりつないだりして新たな形質を人工的に生み出す技術で、短期間での品種改良を可能にします。該当記事は、日本でゲノム編集食品の流通が容認されることで、食品として消費される植物および動物のゲノムを、ゲノム編集技術CRISPRによって作り替えることに門戸を開くことになると懸念したものでした。 ゲノム編集食品の登場まで 2013年1月、厚生労働省は薬事・食品衛生審議会 食品衛生分科会新開発食品調査部会の下に遺伝子組換え食品等調査会を設置。2018年9月の会合からゲノム編集技術を利用して作られた食品等の取り扱いについて審議を本格化させ、同年12月5日には方針を固めました。その結論は、ゲノム編集技術のうち、目的の遺伝子だけを編集する手法は、安全審査の対象外とするもの。ゲノム食品は、食品衛生法上で遺伝子組み換え食品とは異なる扱いとすることを妥当とし、その情報の届出は法的に義務化されないとしたのです。遺伝子組み換えが、一般的に他の生物から特定の遺伝子を他の生物に入れ込むのに対し、ゲノム編集は、CRISPRのような新しい技術を使って対象とする動植物の遺伝子を機能しなくする、あるいは改変することです。日本だけでなく、世界中で新技術を活用した品種改良が広がっています。そしていよいよ、厚生労働省は10月1日から開発者の届け出に先立つ相談受け付けを開始しました。ゲノム編集食品の解禁です。 ゲノム編集された食品は安全なのか? 食生活に大きな影響を及ぼす可能性を持っているゲノム編集食品。厚生労働省の新開発食品調査部会は、専門家による調査会での審議を踏まえ、2019年3月27日に、外部の(該当する生物以外からの)遺伝子を組み込まない手法でゲノム編集された食品は、食品衛生法に基づく安全性審査がいらないとする報告書を提出しました。これは任意の届けでのみでゲノム編集食品の販売を可能にするものです。表示が義務となっていないので「ゲノム編集食品は不安なので食べたくない」と思っても、消費者にはどれがゲノム編集食品なのかわかりません。厚労省側の主張としては、対象生物のゲノムを編集することは、自然に生じる突然変異や従来の品種改良などと同様であるため、表示を義務化するのは難しい――との見解です。消費者庁は任意での表示方法について考え方を示すとしていますが、ゲノム編集食品が区別できなければ消費者の不安が収まるとは思えません。 しかも、ゲノム編集の中には外部からのゲノム挿入を伴うものもあり、ゲノム編集食品と遺伝子組み換え食品の境は曖昧になり得るのです。ゲノム編集技術によって該当動植物以外の遺伝子を挿入し、外部の遺伝子がゲノム編集食品に残る場合には、遺伝子組み換え食品と同様の安全性審査や表示義務が課せられるとはいえ、消費者がこの2つの技術を分けて理解できるか、区別できたとしても不安が解消されるか――疑問です。 米国では遺伝子組み換え食品の規制緩和が進む 世界的に食糧難が問題視される時代において、食品の収穫量を増やしたり、気候変動による環境変化に適合できる作物を作り出したりするためには、ゲノム編集は有用な技術でもあります。しかし、その安全性に不安を感じる消費者は多く、ゲノム編集食品の扱いは国によって異なります。米国は、遺伝子組み換え食品の規制を緩和し、市場拡大を後押しする姿勢を打ち出しました。トランプ大統領は6月11日に、ゲノム編集食品を含む遺伝子組み換え食品の開発を推進するために、規制緩和の見直しを関係省庁(農務長官、EPA長官、食品医薬品局)に命令する大統領令に署名しました。ゲノム編集食品を有機食品として認める可能性にも言及しているため、健康な食を求めて有機食品を購入している消費者からの反発が予想されます。このように米国が規制緩和を進める一方、欧州は2018年7月にゲノム編集食品を従来の遺伝子組み換え食品と同等であるとし、規制する方向で安全審査を義務付けています。 米大統領令は、遺伝子組み換え食品の輸出するための戦略を確立するようにも指示しています。まさに9月21日からワシントンで日米貿易交渉が行われ、その中には牛肉などの食品に関する議論も含まれていました。日本が米国の農産物の大口輸入国であることも鑑みれば、トランプ政権による遺伝子組み換え食品の規制緩和方針は日本の食品安全行政にも影響を与えること、さらには日本にも同様の規制緩和を求める可能性も懸念されます。しかも、この米国の規制緩和とほぼ同じ時期に、日本政府はゲノム編集食品の安全性審査や表示義務の見送りを決めているのです。 ゲノム編集を推進する背景 日本国内でも大学や研究機関がゲノム編集食品の研究開発に取り組んできました。既に、栄養価を高めたトマト(筑波大など)、収穫量の多いイネ(農研機構)、筋肉量の多いマダイ(近大など)などが実現しており、今年中に販売開始を予定しているものもあります。その背景には、政府が6月15日に閣議決定した「統合イノベーション戦略」の中で、ゲノム編集技術のような革新的な技術を国策として推進する姿勢を示したことがあります。ゲノム編集技術は従来の遺伝子組み換え技術よりも、速くかつ低コストでゲノムの書き換えが行えることで、世界中で注目され、次々に新しいゲノム編集作物が作られています。日本の消費者が気づかないうちに、ゲノム編集食品が静かに食卓に浸透してきているのです。 厚生労働省では、届出の前に事前相談のシステムを設定しており、企業からの事前相談を受けたところで専門家が、安全性審査は必要ないのか、あるいは品種改良に比べてリスクが上がっていないのかをチェックするとしています。しかし、どのような手続きを経たとしても流通上の表示が曖昧であれば不安はぬぐえません。表示がなければ消費者は「食べない」という選択することすらできないのです。最先端の科学が食卓に上る日は近いのです。実際の販売が開始されるまでにきちんとした議論が行われ、消費者に必要な情報が届くようになることが重要でしょう。…

Preproducibility:再現性の前提

研究における再現性(reproducibility)は、非常に重要であると同時に懸念すべき問題です。再現性または再現可能性とは、別の研究者が同じ方法、同じ条件で同じ実験を行った場合、同じ結果が得られることを意味します。結果を再現できなければ研究の結果が正しいことが立証されず、そのような状況は「再現性の危機(reproducibility crisis)」と呼ばれています。再現性は、研究の透明性が確保され、研究手法について理解を得るために必要不可欠です。 学術雑誌(ジャーナル)に発表する論文は「再現性がある」ことが前提です。しかし、多くの論文では、情報が不足しているなどの理由から、書かれている通りに実験を行っても同じ結果が再現できないということが起こっています。重要な情報が抜けていると、査読者はその研究に再現性があるかの判断ができず、研究の科学的な価値が大きく損なわれてしまいます。 Preproducibilityとは 2018年5月にカリフォルニア大学バークレー校の統計学のPhilip B. Stark教授が、Nature誌に寄稿した記事の中で「Preproducibility」という新しい用語を提唱しました。 Stark教授は、論文中に実験を再現するのに必要な情報が十分かつ正確に記載されていれば、その実験を「Preproducibilityがある」と表現したのです。Stark教授は、Reproducibility(再現性)の前提(pre-)となる情報が備っていることを、料理になぞらえて説明しています。例えば、パンを焼くためには、材料だけでなく、作り方も記したレシピが必要です。Preproducibilityは、「科学研究レシピ」にあたるもので、詳細に書かれた情報(レシピ)があれば、誰もが同じ結果を得ることができる(料理が作れる)はずだと言うのです。 Preproducibilityがないとどうなるか? Preproducibilityがなければ、当然ですが研究が再現不可能となる可能性は高くなります。再現可能な研究論文が分野全体の25%しかないと指摘されている学術分野もあり、まさに重大な再現性の危機です。論文に必要な情報が十分書かれていないと実験を再現できず、研究者の時間と研究資金を無駄にすることになりますし、医薬研究であれば、再現性のない研究は確かめようがないため、治療への利用が遅れ、患者と医者の双方の大切な時間を奪うことになりかねません。 Preproducibilityのない論文は査読も大変です。研究の再現性の有無を確かめられない場合、査読者はどうやって論文を評価するのでしょうか?Stark教授がNature誌に書いたように、科学とは『信じてください』ではなく『証明します』であるべきなのです。Preproducibilityのない研究は、科学研究における信頼を損ないかねません。 Preproducibilityを確保するために Preproducibilityを確保するためには、系統的にまとめた研究報告を作成する必要があります。きちんとした報告書は、査読者が研究評価を行い、他の研究者が研究を再現させるのに役立ちます。Stark教授は、可能な限り生データとデ-タ処理に使用したソフトウェアを公開していると語っています。データに関する情報を公開することから始めるのは、ひとつの策です。また、文書や論文を執筆する際に入れ込むべきポイントを挙げて確認するよう促しています。 考慮すべきポイント 生デ-タを論文に記したか? デ-タの収集方法は記載したか?…