学術界を知る

頭脳流出が進むラテンアメリカ-日本は大丈夫?

「イノベーション」につながる科学研究への投資は長期的に見て重要であり、政府負担の研究費が投入される一つの理由でもあります。日本では英語本来のinnovation(革新、一新)の意味に加えて、技術革新や新しいアイデアの活用などの意味も含まれますが、インターネットの普及やスマートフォン、電気自動車(EV)など、ここ10年程度の間に生活に浸透した「イノベーション」の成果には、目を見張るものがあります。このように、イノベーションを生み出す研究プロジェクトへの投資は計り知れない影響を世界に及ぼしますが、それを生み出すには、充実した研究環境も不可欠。研究費の削減、そして人材の流出というシビアな問題に直面する国が増えてきています。 ■ ラテンアメリカの深刻な現状 ラテンアメリカでは、政府の研究費削減が大きな問題に発展しています。低賃金や研究費不足、官僚制度の問題に頭を抱えた研究者たちが国外に出て行く、つまり頭脳の流出が進行しているのです。 最近出版された報告によれば、アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、ウルグアイ、メキシコの研究者の給料は、それぞれの国の首都にあるアパート(2LDK程度)の家賃より低いと示されていました。例えば家や新車などを持ちたい、生活水準を向上させたいと思ったら、食費や光熱費などの生活費を節約しなければ到底かないません。 世界銀行のデータによれば、これらのラテンアメリカ諸国が研究開発費に回す予算は概ねGDPの1%以下(1.24%のブラジルを除く)であり、GDPの約2.4%を研究開発費に投じている先進国とは大きな差が出ています。せっかく大学院を出て研究者になっても、研究費がなく生活にも困窮するとなれば、その国に留まるのは難しくなります。実際、アルゼンチンの大学で博士号(PhD)を取得する学生数は急増しているのに、その半数しか国内で科学研究関連の仕事に就けず、約20%の博士号取得者は国を出るか、他の職業に就くことになるようです。 ■ 経済低迷のブラジル、政情不安のベネズエラ…… 研究費のGDP比では1%を超えているブラジルですが、経済低迷の影響から、イノベーションに向けた科学研究資金は削減されるばかりです。ブラジルには州ごとに研究開発を支援する公的なファンドがありますが、そのうちの一つであるリオデジャネイロ州の科学支援団体FAPERJは、過去2年以上にわたり3,670もの研究プロジェクトへの支援を打ち切るなど削減を続けてきましたが、ついに経営破綻となり、1億5,000万ドルの助成金が支払われなくなってしまいました。 FAPERJの破綻は、リオデジャネイロ州政府がFAPERJへの支出を減らした上、2005-2016年に割り当てられた予算の40%しかFAPERJが受け取れていなかったことが原因と考えられています。2016年のオリンピック開幕前にリオデジャネイロ州が財政危機宣言を発したことは五輪関係者に衝撃を与えましたが、州の財政状況が急激に悪化したことの影響は学術界にも及んでいたのです。しかし、研究費削減の問題は同州に限らず、他の州でも深刻な状況となっています。 また、国の政情不安も人材を流出させます。社会主義国のベネズエラは、治安の悪化、経済マイナス成長、インフレにより国家崩壊の危機にあるとまで言われており、既にこの国から脱出した国民も多数。2016年の報道によれば、国外に住むベネズエラ人は150万人。90%が2000年以降に国を出たとされていますが、その中の90%が学士以上、40%が修士以上、12%が博士取得者と、学歴や技術を持つ人材が多いことから、ベネズエラでも頭脳流出が起きていると言えるでしょう。 ■  「頭脳」はどこに? 他のラテンアメリカ諸国もブラジルやベネズエラと同様の状況に置かれており、研究活動を促進し、先進的なイノベーションを促すためには、学術界および政府レベルでの改革が必要不可欠です。しかし残念なことに、この問題はラテンアメリカ諸国だけでなく、全世界で共通の問題となりつつあります。GDP比での研究費はラテンアメリカ諸国より大きいものの、ヨーロッパをはじめ先進国における頭脳流出も問題視されています。 では流出した頭脳はどこに行くのか?流出国と流入国は、先に述べたような経済的・政治的な要因によっても大きく変わってきます。近年は、経済的不安が増すヨーロッパから流出した頭脳(人材)がアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの英語圏に移住しているようです。しかしトランプ政権になって科学研究費が大幅に削減されたアメリカが、今後も研究者の流入を受け入れられるかどうかは不透明で、動向に注意する必要があります。 ■ 日本からの「頭脳流出」は大丈夫か この問題、日本も他人事ではありません。他国に比べて治安がよく、経済力も保持するこの国からも頭脳流出が起こっています。近年話題になっている「日本の」ノーベル賞受賞者にも米国在住あるいは受賞時点で外国籍を取得していた研究者が多数いることからも、それは明らかです。日本で博士号を取得した研究者が、語学力の強化や研究者ネットワークの構築などを目的に留学し、より自由な研究環境を求めてそのまま移住してしまい、結果、現地で研究成果をあげているというのが現実です。アメリカへの頭脳流出の傾向は以前からですが、有能な研究者への国際的需要は高く、海外からの「頭脳獲得」に積極的に動いている国も他にあり、今後も研究者の流出が続く可能性があります。…

間違いやすい用語や表現 -the one

代名詞「one」は日本人学者の論文で過度に使用されると思われます。熟語「the one」における誤用は特によく見受けられます。 「the one」が表現として誤っているとは言えませんが、学術論では一般に(「one」が代名詞となっている)「the one」よりは「that」の方が適切です。私が今まで読んできた学術論文では、ほぼ例外なく「the one」(「the ones」)はそのまま「that」(「those」)に置き換えるべきものでした。 以下は典型的です。 [誤] (1) This method is similar to…

【東京大学】佐藤 泰裕 准教授インタビュー(前編)

各大学の研究室に訪問し、研究者たちにおける英語力向上の可能性を探るインタビューシリーズ。十八回目は、東京大学大学院経済学研究科の佐藤泰裕先生にお話を伺いました。インタビュー前編では、学会における英語での発表や、そこで得た大切な教訓について語って下さいました。 ■ 先生の研究分野、研究テーマを教えてください。 経済学の領域で、その中でも都市経済学、地域経済学、空間経済学について研究しています。経済学とは元々、社会のルールや制度などをどのように設計すればより暮らしやすくなるのかを考える学問ですが、その中で都市や地域間の人口移動に関する分析や、地域経済政策の外部性を分析するのが専門です。いろいろな都市にある共通の問題を探ったり、都市に関する仮説を実証したりといった具合です。 例えば最近、大都市の混雑とか通勤などの問題が挙がっていますが、なぜ都市に企業や団体が集まるのか、その理由を理詰めで考えてデータで確認していくということをやっています。また、学歴の高い人ほど大都市に集まりやすいとも言われます。それをちゃんとデータで検証可能な形に整理するのです。そこが、私の研究が「理論分析」と言われる所以です。分析した後にあらためてデータを見て、実際に有意に観察されるかどうか、統計学を使って検証しているのです。 ■ ご自身の研究を発表するのは、学会が主な場所でしょうか。英語で発表される機会はありますか。 そうですね、学会や研究会です。国内と海外、両方ありますが、子供がまだ小さいので海外にはあまり頻繁には行かれず、年に1回か2回ですね。 国内の学会でも、状況によっては英語で発表をしたり、資料を作ったりすることがあります。大学によっては研究会を全部英語でやっているところもありますし、聴衆の中に日本語のわからない外国の方がいる場合には、英語で――となることもあります。外国の方が来るかどうかわかった時点で資料を英語に訳すこともあるし、逆に、英語でプレゼンテーションする準備をしていたのに参加者が全員日本人だったから日本語に切り替わるということもあります。 ■ 国内外問わず、英語で発表したり資料を作ったりしなければならない時のご苦労、大変だったご経験はありますか。 発表や資料作成ではそれほどないのですけれど、やはり質疑応答が・・・・・・。分野によって違うと思いますが、経済学の場合は、学会発表や研究会の発表でも(発表者が)しゃべっている間に質問が来ます。こちらがまだ話している間に手が上がって、「ちょっとこれの意味を教えてくれない?」とか「ここの部分をもっと聞きたいんだけど」っていうのが来る(笑)。国内の学会だと発表が終わるまで待ってくれますが、海外の学会は途中でも容赦なく手が上がります。 ■ 準備していない段階で、予期せぬ質問が来ると。 そういうことです。なまりの強い英語で聞かれたり、ネイティブの方に(文を)省略してしゃべられたりすると質問の意味がわからないことがあって、それをどうやって返したらいいのか、どう切り抜けたらいいのか、最初は苦労しました。 今では、聞き取れなかったら素直に「今、何て言ったんですか?」と聞き返します。すると相手は、違う言い回しで質問し直してくれることが多いです。質問を予測して「こういう質問ですか」と尋ねたりもします。そうすると、やり取りが割とかみ合うようになります。最初に確認をすることで、話が有意義に進むようにしています。 もちろん事前にフレーズをいくつか考えて臨みますが、学会の会場で発表をされているノンネイティブの上手な返し方をストックもしています。学会や会議の場で学んだことを発表に生かすということです。 ■ 発表の合間に質問が入るという以外に、経済学の分野で独特な「ルール」はありますか。 発表時間は長めです。学会だと1人の持ち時間がだいたい30分くらいで、短くて20分くらい。発表8割、質疑応答2割で構成されています。最初のころは原稿を発表時間に合わせて用意していたのですが、合間に入ってくる質問に対応していると網羅しきれず、やりにくさを感じたため、用意しなくなりました。スライドを見ながら説明して、質問が来たらその場で答えるという流れです。…

ウィキペディアは科学の「言葉」に影響する

「ウィキペディア」は、誰でも執筆・編集できるオンライン百科事典として知られています。何か気になることを調べるためにはとても便利なウェブサイトです。しかし、誰でも簡単に執筆・編集できることから、その信頼性には限界があり、論文などを書くときには、それを参照・引用することは慎重になったほうがいい、と一般的にいわれています。大学の教員のなかには、学生たちに対して、レポートを書くときにはウィキペディアどころかインターネットを参照すること自体を禁止する方もいるほどです。 しかし現実には、科学者もウィキペディアを参照しています。それどころか最近、科学者の「言葉(言語)」はウィキペディアの影響を受けている、と主張する研究結果が報告されました。 マサチューセッツ工科大学のイノベーション研究者ニール・トンプソンとピッツバーグ大学の経済学者ダグラス・ハンリーは、ウィキペディアが科学者の言葉にどう影響しているかを調べるためにある実験を行い、その結果をまとめた論文の原稿を9月20日、「社会科学研究ネットワーク(SSRN : Social Science Research Network)」が運営するプレプリントサーバー(論文の原稿を投稿するウェブサイト)に公開しました。 トンプソンとハンリーは大学院生らに、ウィキペディアにまだ書かれていない化学分野のトピックについての記事を書かせました。彼らはそうしてできた記事43件を無作為に分け、半分を2015年1月、ウィキペディアで公開しました。残りの半分は「コントロール(比較対照群)」として、公開していません。公開された記事は、2017年2月までに200万を超えるページビューを稼ぐ結果となりました。(彼らは大学院生らに経済学の分野の記事も書かせたようですが、この論文では主に化学分野での影響が分析されています。) ウィキペディアに掲載された記事の内容が科学論文にどのような影響を与えたのかを調べるため、彼らは、最も影響力のある化学分野のジャーナル(学術雑誌)50誌のテキストを分析して、ウィキペディアで記事が公開されてから約2年後の2016年11月までの期間に、論文で使用される言葉がどのように変化したかを調査しました。 彼らは、論文で使われている言葉の頻度や新しい単語が現れた時期などを計算した結果、 平均すればウィキペディアの記事1本の存在は、そうした科学論文内の意味ある単語のうち0.33%(つまり約300分の1)を変化させる ということを発見しました。これは「新しいウィキペディアの記事 → その記事を読む科学者…

「捕食ジャーナル」で誰が論文を発表しているのか?(後編)

前編では、カナダのオタワ病院研究所の疫学者デーヴィッド・モーハーらが捕食ジャーナルに掲載された論文の「責任著者(corresponding author)」の所属国を調査した結果、最も多かったのがインド、次がアメリカであったことなどをお伝えしました。後編では、論文著者たちの捕食ジャーナルに対する認識と、捕食ジャーナルの特徴について見てみましょう。 モーハーらは、捕食ジャーナルで論文を発表した著者たちが所属する研究機関の責任者16人を選んで問い合わせのメールを送りました。「著者たちに警告した」、「対策を検討している」などと返信してきた研究機関もあれば、返信がなかったところやメールが戻ってきてしまって届かなかったところもありました。 また、彼らは著者87人にも直接メールを送ったところ、18人から回答を得られました。そのうち2人は、投稿するジャーナルが捕食ジャーナルである可能性を認識していたと答えました。4人はビールズ・リストの存在を知っていました。そして、3人が捕食ジャーナルでの採択以前に、ほかのジャーナルに原稿を投稿したことがあると答え、7人が、どのジャーナルに投稿するかについて何らかのガイダンスを受けたことがあると答えています。自分たちの研究が引用されたことがあると答えた著者も7人いました。 モーハーらは、捕食ジャーナルに論文を掲載することは「非倫理的である」と主張し、それらの問題点を「貧弱な査読と貧弱なアクセス」とまとめています。本連載でも伝えたように、適当に言葉を並べただけの無意味な原稿を投稿しても、捕食ジャーナルの編集部はそれを論文として採択してしまうことが広く知られています。また、そうした論文はパブメド(PubMed)などの論文データベースに収載されないことがあるので、見つけにくいことも指摘されています。 彼らは、捕食ジャーナルを通常のジャーナルと区別することは難しい、と指摘します。しかし一方で、彼らは以前に『BMCメディスン(BMC Medicine)』に投稿した論文で捕食ジャーナルの特徴を分析し、以下の13点にまとめたことがあります(彼らの箇条書きに筆者が加筆)。 1. その対象範囲には、生物医学的なトピックと並んで非生物医学的なテーマが含まれる。 2. そのウェブサイトにはスペルや文法のエラーがある。 3. 画像が歪んでいたり、ぼやけていたりする。未許可のものである可能性もある。 4. そのホームページは読者ではなく著者らをターゲットにした言語で書かれている。…

【工学院大学】藤川 真樹 准教授インタビュー(後編)

各大学の研究室に訪問し、研究者たちにおける英語力向上の可能性を探るインタビューシリーズ。十七回目は、工学院大学情報学部コンピュータ科学科の藤川真樹先生にお話を伺いました。インタビュー後編は、英語への取り組み方法や、英語の指導方法、さらに工学院大学のユニークな英語学習についてのお話です。 ■ 英語の学習方法について教えてください。 オンライン英会話のレッスンを毎日続けています。また、単語は使わないと忘れてしまいますので、毎朝必ず勉強しています。普段が日本語の環境ですので、どうにかして英語に触れる機会をつくらなくちゃと思って、Japan Times STなどを1日1ページ読むとか、英語のボキャブラリーを増やすために地道に取り組んでいます。講義で英語を使うことはないですし、海外のスタッフがいるわけでもないので、自分から触れにいくことを常々意識しています。 ■ 論文を英語で書かれる機会は多いのですか? 日本語と合わせて年に2・3本でしょうか。論文を書く際は、まず日本語で書いて、それを英語に翻訳します。その後、御社に校正をお願いをするという段階を踏んでいます。 発表は3回か4回です。授業の合間に国際会議に行きますので、回数は限られます。まずは国内でやって、研究成果の上がったものを海外用の原稿に織り込み、国際会議に投稿する。そして無事に採択されたら、発表しに行くという。 事業化、実用化につながる可能性があるので、国際会議での発表は非常に有意義です。研究者の方々と話をしながらニーズを探ったり、オーディエンスからいろいろなご提案をいただけたりするのはありがたいです。 質疑応答には、答えられる範囲で答えます。発表の後のQ&Aは、たかだか5分くらい。受けられる質問の数も限られているので、そこで受けた質問にはその場で答えますが、どうしても答えられない、時間がないという場合には、セッションの後で個別に「あの時のご質問ですけど……」と内容を確認してから、図やイラストを描きながら説明することもあります。 ■ 論文を書かれる際、専門用語や今までにない言葉などの英訳にご苦労されることはありませんか? この分野には先達のフロンティアがいらっしゃるんです。横浜国立大学の松本勉先生が「人工物メトリクス」という概念を作られました。これは、人によって異なる指紋のような情報を、人工物にも付けてみようというものです。それは、製造過程において自然偶発的かつランダムにできる情報で、それを用いると一つひとつ識別できるようになるという考え方です。私はこのコンセプトに沿ってアプローチしているんです。今は陶磁器ですが、次は合成樹脂でやってみようとか、いろいろな人工物に適用しているだけなので、表現で困ることはないんです。 松本先生が「Artifact-metrics(人工物メトリクス)」という言葉を作られました。ただ世界での認知度はそれほど高くないようなので、「Anti-counterfeiting method」など別の表現を使う時もあります。私は、松本先生に敬意を表して「Artifact-metrics」と最初に使って、後で「This metrics…

「捕食ジャーナル」で誰が論文を発表しているのか?(前編)

本連載では、どんなにひどい原稿でも、掲載料さえ払えば査読らしい査読なしで掲載してしまう「捕食ジャーナル(predatory journals)」について、何度も取り上げてきました。最近では、「フェイク・ジャーナル(fake journals)」と呼ばれることもあります。 捕食ジャーナルで研究成果を発表する者たちは、主としていわゆる開発途上国の医師や研究者だと思われてきました。実際のところ、そうした捕食ジャーナルに投稿される論文の著者がインドなどのアジアに集中することを明らかにした調査もあります。ただ筆者は「日本人も少なくないのではないか?」と思ってきました。 カナダのオタワ病院研究所の疫学者デーヴィッド・モーハーらは、そうした論文の共著者たちのなかでも、ジャーナル編集部や読者など外部との窓口役を果たす「責任著者(corresponding author)」の所属国に着目すると、インドの次に多かったのはアメリカであることなどを、『ネイチャー』への寄稿で明らかにしました。 この調査の対象となったのは、1907件の論文です。モーハーらは、捕食ジャーナルのリストとして知られ現在は閉鎖されている「ビールズ・リスト(Beall’s List)」などを参考にして、生物医学分野の捕食ジャーナルを発行している出版社の中から、1誌だけを発行している出版社41社と、複数誌を発行している51社を選びました。その上で、これらの出版社が発行するジャーナル計179誌に最近掲載された論文3702件から、純粋な生物医学研究と体系的レビュー(複数の論文のデータを統合して分析する研究)を抜き出したところ、1907件が残ったのです。 彼らの調査で、そうした論文では、主流のジャーナルに載った論文に比べて、ガイドラインが守られていない傾向があることが浮かび上がりました。たとえば、臨床試験を報告する論文では「登録情報」が書かれていないこと、体系的レビューでは「バイアス(偏り)」のある可能性が評価されていないこと、動物実験では「盲検化(ある動物が実験群であるか比較対照群であるかを実験者がわからないようにすること)」に関する情報が書かれていないこと、などが明らかになりました。 また、倫理委員会の承認を得ていることを明記した論文が、主流のジャーナルでは70%を上回る(ヒトを対象とした研究で70%以上、動物を対象とした研究で90%以上)のに対し、モーハーらが調査した捕食ジャーナルでは40%に留まりました。さらに、資金源を書いていない論文は、約4分の3に上りました。責任著者の所属国は、インド(27%)、アメリカ(15%)、ナイジェリア(5%)、イラン(4%)、日本(4%)など世界103カ国に広がることもわかりました。 モーハーの調査とは別に、シンクタンクである民主主義・経済学研究所(IDEA : Institute for Democracy…

中国の臨床試験 80%に不正か規定違反あり

本シリーズでたびたび取り上げている中国学術界の不正問題。新薬申請の臨床試験に対する取り締まりも強化されています。 国家食品薬品監督管理総局(China Food and Drug Administration,CFDA)が2016年9月に公表した調査結果によると、2015年に調査を行った1622件の新薬申請のうち80%以上(1308件)の臨床試験において、試験自体が終了できていないか、追跡できない、あるいはその両方の理由で結果が出ていない状況にあり、またデータに不正があるため、臨床申請を取り下げるべきであると判断されたのです。実験結果の捏造や不正確なデータの使用など、臨床試験における不正行為には、臨床試験指令の責任者、製薬会社、医療関係者などが複合的に関わっていたものと見られています。 ■ 違反者には極刑も辞さず 80%という数字に驚いた方は少なくないかもしれませんが、中国の創薬業界では「想定内」との声が聞かれます。中国国営新華社系の経済新聞「Economic Information Daily(経済参考報)」は、臨床試験の結果が、実際の医学研究が行われる前に執筆されることや、既に市場に出回っている薬と併用するような試験が行われることすらある、と報じています。 この事態を重く見た中国政府は、臨床検査の実施方法についての新しいルールを作成しました。2017年4月、CFDAは、健康に関わる臨床試験に不正データが使われた場合、不正を行った製薬会社からの新薬の許認可申請を、同様のカテゴリーの場合は3年間、他のカテゴリーからの場合も1年間受け付けないと表明したのです。このルールの対象は、臨床試験用に不正なデータを提供した機関にも及び、新規の臨床試験の実施や進行中の臨床試験への参画も禁止されます。さらに、該当機関が作成したデータを使った他の新薬申請も却下されることになります。 中国政府の対策はこれに留まりません。CFDAの発表の当日、臨床試験に不正データを使用した場合、刑法で裁かれる可能性もあるとの通達が、最高裁判所より出されました。不正データを使って臨床試験を行った製薬会社などに対し、3年以内の懲役と罰金が課せられるのです。それだけでなく、不正データが公衆衛生上、重篤な被害をもたらした場合には、死刑もあり得るとしています。過失により誤ったデータを提出した場合には刑を逃れるとしつつも、中国政府の本気度が垣間見える厳しい政策です。 ■ 問題の根源は…… 臨床試験の不正となると中国がやり玉に挙げられがちですが、日本でも、スイス製薬大手のノバルティスファーマ(日本法人)による高血圧症治療薬の臨床データ操作事件が、ニュースで大きく報道されました。この件では、同社が薬の効果を高く見せるようデータを改ざんしたとして薬事法違反に問われました(他にも、慢性骨髄性白血病治療薬を用いた臨床研究の不正でも世間を騒がせました)。残念ながら、臨床検査の実施を製薬会社に依存する「製薬会社主導」の構造が、この問題に拍車をかけているのが実態です。 製薬会社による臨床試験での不正は、試験自体や医薬品に関する学術論文の信頼性を損なうものです。それを防止するための法律や倫理指針は存在するものの、研究者や製薬会社が意識しなければ、臨床試験における不正を根絶することは難しいと言わざるをえません。規制によってそれの改革を促す中国の取り組みが、果たして功を奏するのか。注意深く見守る必要がありそうです。…

【工学院大学】藤川 真樹 准教授インタビュー(前編)

各大学の研究室に訪問し、研究者たちにおける英語力向上の可能性を探るインタビューシリーズ。十七回目は、工学院大学情報学部コンピュータ科学科の藤川真樹先生にお話を伺いました。インタビュー前編は、世界の最先端を走る先生の研究についてのお話です。 ■ 先生の専門分野、研究テーマを教えてください。 主にセキュリティに関する研究を行っています。セキュリティといっても今日では非常に幅が広いですが、ここでフォーカスしているのは、物理的な物に関連するセキュリティです。例えば、世の中には偽造品がいろいろと出回っていますが、それが本物か偽物かを見分ける必要があります。そして、本物をどうやって守るか、偽物を作りにくくするにはどうすればよいか……。そういう研究をずっと続けています。特に私たちが今、注目しているのは、工芸品で、中でも陶磁器です。日本には多種多様な伝統工芸品がありますが、偽物が非常にたくさん作られています。例えば、有田焼などの有名な窯元の作品の偽造品が多数出回っている。それなのに、どうやって偽造品を作りにくくするかといった議論や技術開発は進んでいない。そこで、日本の伝統工芸品は日本人の手で守るべきという考えに立脚し、研究を進めています。 ■ 先生がご参画されている「経済産業省・戦略的基盤技術高度化支援事業」での研究を拝見しました。陶磁器の中に情報を入れ込むという。 はい、平成23年度から継続しています。かつて、ディスプレイに表示されている機密情報をカメラで撮影して持ち出すという情報漏洩がありました。羽田空港の管制官がグローバルホークなどの飛行計画、機密情報を撮影して持ち出したのですが、あってはならないことです。その時、ディスプレイに表示される情報を撮影によって持ち出されるのを防ぐには、ディスプレイの表面に赤外線を発光するような透明なシートを貼ればよいのではないかと考えました。人間には見えませんが、カメラは赤外線を情報だと認識するので、撮影された画像に赤外線が写り込み、情報を読めなくするという仕組みです。 この材料となるのが赤外線を発光する蛍光体なのですが、これを他の分野にも応用できないかと。これを擦りつぶして粉状にして、釉薬や絵の具に入れて陶磁器に焼きつけたらどうか、となったのです。実際に焼きつけたものを赤外線カメラで撮影すると、指紋のようなまだら模様ができるんですね。人間の目には見えない。この模様により、本物であることを証明できるんじゃないか、ということで転用し始めました。 ■ 盗品や偽物の市場への流入が、世界中で問題になっています。研究内容を公表することで、偽造品を作り出す人間が対策を立てやすくなるということはないのでしょうか。 お札の偽造防止技術やクレジットカードのホログラムの製造方法のように、公開しないことでセキュリティが保たれているものもありますが、われわれの研究は、そういうものではないんです。人工物の中に特徴的な情報を埋め込む技術を公開しても、意図通りには作れません。私たちの研究は、同じものを作るのをいかに難しくするかを競っているのです。 ■ 材料の組み合わせや製造方法を公にしても、個々の陶磁器に付けられた指紋のような模様を再現するのは難しいということですか? はい.QRコードに例えると、分かりやすいかもしれません。通常のQRコードは人間の目で見えますが、私たちは見えないQRコードを焼き込んでいる。赤外線や紫外線などの特殊な光を当てると、その時だけ情報が出てくるんです。さらに、このQRコードの模様が同じであっても、コードを形成する蛍光体の粒子の大きさや厚みなどを変えることで、一つひとつをまったく異なるコードにすることが可能になります。一見同じに見えても、世界にたった一つしかないQRコードが作れるので、個々の識別が可能になるんです。 私の研究は、先行する研究者がいない、いわば「ブルー・オーシャン」。誰もやっていない未開拓分野を走っていくようなものです。ライバル不在のニッチな分野の第一人者に、という野心的な思いもあるのですが(笑)、この技術をビジネスにも活かしてもらえるのではと思っています。 ■ ユニークかつ実用的な技術ゆえ、研究成果をご発表される機会が多いのではないでしょうか? 国内外の国際会議で、偽造防止技術の発表をさせてもらうことがよくあります。ただ、英語のスキルはないほうなので、英語で発表する時、十分な受け答えができているとは思えません。 言葉の壁を感じることはよくあります。特に、この技術の実用化に関する話が出た時には苦労しました。英語の発表とは別ですが、ドイツのメーカーに話を持っていこうとした時のことです。私がうまく伝えられないがために、話が進まない……。結局、交渉事はドイツ人に任せて、その結果だけ受け取ることにしました。 大変面白い研究のお話でした。後編では、英語への取り組みについてなどをお伺いします。…

300ドルであなたも論文の共著者に

本連載では、掲載料さえ払えば、どんなにいい加減な原稿でも論文として掲載してしまう「捕食ジャーナル(predatory journals)」やそれを発行する出版社「捕食出版社(predatory publisher)」のことをたびたび取り上げてきました。そうした出版社やジャーナル(学術雑誌)をまとめてリストアップした「ビールズ・リスト(Beall’s List)」もあったのですが、2017年1月に閉鎖されてしまったことも伝えました。 インドのIT企業に勤める研究者で、医療ライターでもあるプラヴィン・ボージートは、この捕食出版という問題に興味深い角度から疑問を投げかけました。研究に何も貢献していない者でもお金を払えば、論文の共著者になれるのか、ということです。 ボージートがビールズ・リストに載っていた出版社を以下の方法で調査したところ、約16%が論文の共著者に名前を加えることに同意したといいます。 ボージートは、2015年11月にビールズ・リストに載っていた出版社906社の中から、分野を生物医学分野に絞って調査を行いました。実際に稼動している706社のうち、2016年12月の時点で400社が生物医学分野のジャーナル4924誌を発行していることを確かめました。そのうち119社がインドの、94社がアメリカの出版社でした。 ボージートは架空の名前を使って、そうした出版社にメールしました。その文面の一部を学術情報ウェブサイト『リトラクション・ウォッチ』が紹介しています。 私は多忙な上、多くの患者を抱えているため論文を書いたり出版したりすることができないのですが、宣伝のために論文が必要です。同僚の1人から、貴社のジャーナルはこの件について手助けしてくれると聞きました。貴社が医学関連の論文の共著者に私を追加したり、あるいは誰かが私の代わりに論文を執筆してくれたり、発表を手助けしてくれたりできるならば、幸いです。 彼は返信を期待していなかったのですが、117 社(44.5%)から回答を得ました。共著者として名前を追加することを断ったのは44社(37.6%)、はっきりと答えなかったのが21社(17.9%)。しかし19社(16.2%)は、共著者として名前を加えることに同意しました。自分たちが論文を書いて出版する、と答えた出版社も10社(8.5%)ありました。 『リトラクション・ウォッチ』はその回答の一部を紹介しています。 以下は著者2名が掲載準備を整えた論文タイトルの一部です。(略)この著者たちは掲載のために支払うお金がないので、論文の掲載費を支払うことができて共著者に加えられる人を探しているのです。   私たちは、研究の共著者としてあなたの名前を追加するように、何人かの著者に依頼することができます。あなたは掲載料(論文2件に300…