学術界を知る

研究不正の裏に潜む任期付雇用の暗い影

2018年1月、京都大学iPS細胞研究所での論文不正が発覚しました。言わずとも知れた山中伸弥所長が率いるiPS研究のトップ研究機関における不正発覚。この事実だけでも衝撃的ですが、後を絶たない研究不正の裏に研究者の不安定な雇用があるとの報道からは、さらに深刻な問題が見えてきます。はたして、不安定な雇用とはどのようなものなのでしょうか。 ■ 雇用の多くは任期付の非正規 2014年に世界的な話題となったSTAP細胞問題から、学術界を挙げて研究不正への対策を強化してきましたが、実際に不正をゼロにするのは困難と言われています。今回発覚した不正は、2017年2月に京大の山水康平特定拠点助教らが米科学誌に発表した論文に掲載したグラフにねつ造と改ざんがあったと認定されたものです。山水助教以外の共著者(10名)は不正に関与していなかったと報じられました。 山水助教の役職名「特定拠点助教」とは、京大独自の特定有期雇用教員で、iPS細胞研で再生医療に従事する任期付の助教授のことです。将来的な実用性の高いiPS研究を担う職員ですらプロジェクト終了時までと期間を限定しての契約なのに驚かされますが、これが研究者を取り巻く現実です。iPS研究所所長である山中教授自身、2017年9月に同研究所の教職員の9割以上が非正規雇用であることを訴えていました。研究費獲得競争が激化する中、雇用期間に定めのある非正規雇用研究者たちは限られた予算と期間内に成果を出すことを求められています。非正規雇用研究員が増えているのは、研究機関だけの問題ではありません。国の基幹研究を担う大学でも同じ状況です。 ■ しわ寄せは若手に 経済効率性重視のアベノミクスのもと、国立大学法人運営費交付金は減り続け、国立大学は研究費(特に基礎研究)の確保に苦労しています。かつて潤沢な研究費が確保できていたころに雇用された常勤研究者(正規雇用)が高齢となるのに対し、研究費の確保ができない状況で採用される若手は任期付の非正規が多数。まさに、若手研究者が研究費削減のしわ寄せを受けている状況です。 少し古いデータですが、文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が2015年3月に発表した「大学教員の雇用状況に関する調査」が参考になります。東京大学などの主要11大学(RU11*)の教員総数は2007年度(平成19年度)26,518人、2013年度(平成25年度)29,391人でしたが、そのうちの任期無し教員は、2007年度では 19,304 人だったのが、2013年度では 17,876 人に減少。一方、任期付き教員は7,214人から11,515 人にと大幅に増えていました。年代別で見ると40歳未満の若手教員が任期付教員に占める割合が多く、残念ながら、この傾向は今も改善されていません。多くの研究者が40歳代になっても任期付雇用のまま研究を続けざるを得ない状況に置かれているのです。 任期内に成果を出せなければ次の職を得るのは難しい――不安定な雇用は研究者を不安に陥れます。iPS研究所で不正を指摘された山水助教も2018年3月末に迫った雇用期限を前に、何とか見栄えの良い成果を出そうと焦ったのかもしれません。 *RU11:日本の研究活動を牽引する主要な研究大学として学術研究懇談会(RU11)を構成する 11…

査読結果や査読者名を公開すべきか?

ジャーナル(学術雑誌)における査読は、一般的には匿名で行われます。しかしながら本誌では以前、著者も査読者もお互いが誰であるかを明らかにして行う「オープン査読」でも、査読の質は下がらない、という研究結果を紹介したことがあります。 また現状の査読は不透明であり、バイアス(偏り)を伴いがちで、非効率であることも指摘され続けています。ある科学者が「査読を科学的なものにしよう」と提言したことを、本誌が紹介したこともあります。 査読の改善を図ろうとしばしば提言されることが「査読のオープン化」です。ただ査読のオープン化といっても、さまざまなものがあります。たとえば上述の「オープン査読」です。また、論文の公表と同時に、査読結果(査読レポート)も公表するという試みも始まっています。 ハワード・ヒューズ医療研究所などが主催し、今年2月にメリーランドで開催された「生命科学の査読における透明性・認識・改革」という会議では、100人ほどの出席者が査読のオープン化について活発に議論しました。その様子を『サイエンス』が伝えています。 それによると、出席者の多くは、査読結果を公開することに好意的なようです。しかしながら査読者の名前の公開については、コンセンサスが得られなかった、と伝えられています。 査読結果を公開することのメリットとしては、査読システムの理解につながること、特にキャリアの初期にいる若い研究者にとって役に立つことなどが指摘されています。また、査読結果に書かれている評価のなかには、研究者が自分の分野について新しい方法論で検討することに役立つ情報が含まれていることもある、という意見もあります。 デメリットも指摘されました。たとえば、訴訟や一般社会で起きている論争にかかわる臨床試験の結果をまとめた論文の査読結果に批判的なコメントが書かれていた場合などでは、誰かがそれをチェリー・ピッキング(自分の主張に都合の良い事実だけをつまみ食いすること)して、誤った認識を広めてしまうというリスクがあります。それについては、科学者の側が一般社会に対して査読の意義を説明する努力が必要だ、という意見も出ました。 会議で行われた非公式なアンケートでは、査読結果を公開し、それをオンラインで検索できるようにすることに、圧倒的な支持が集まりました。この結果は、2017年12月に『プロスワン』で公表された研究結果に一致します。この研究では、オーストリアの研究者らが、研究者ら3062人を対象にオープン査読に対する態度についてオンライン・アンケートを行ったところ、回答者の60.3%が「オープン査読は一般的な概念として、学術論文の査読方法の主流となるべき」とみなしていることなどがわかりました。 しかしながら査読結果を公表しているジャーナルはきわめて少ないのが現状です。非営利団体「RAND ヨーロッパ」が3700誌を対象に行った調査では、査読結果を公表することを認めているジャーナルは2.3%に留まりました。なお、査読結果を公開することを認めている『ネイチャー・コミュニケーションズ』では、著者の62%が公開に同意したことが、前述の「生命科学の査読における透明性・認識・改革」会議で明らかにされました。 一方、査読者の名前を公表することについては、根強い懸念があるようです。たとえば、査読者が若い研究者である場合、人事権などを握っている年長の研究者からの報復を恐れて、批判的なコメントを控えるようになってしまうかもしれません。査読への参加を完全にやめてしまう研究者もいるでしょう。 また、国立衛生研究所(NIH)はオープンアクセスになっている論文にコメントできるプラットフォーム「パブメドコモンズ(PubMed Commons)」を運営してきましたが、今月、閉鎖してしまいました。結局のところ、名前を明らかにした上でコメントする研究者はきわめて少なかったからだといいます(なお論文について匿名でコメントできる掲示板として「パブピア(PubPeer)」があります。悪名高いSTAP細胞論文の不正発覚はここから始まったといわれています)。 査読者の名前を公表することに賛成する意見もあります。査読者の名前を出すことで、たとえば、より慎重な査読を促したり、不当にネガティブなコメントを少なくしたりすることができる可能性があります。また、査読という仕事そのものが研究活動の一環として評価され、テニュア(終身在職権)や昇進などの審査対象になるようになるかもしれません。「えこひいきを排除するのにも役立つだろう」という意見もありました。ジャーナルの編集委員が、学会での有力者や知り合いなどが原稿を投稿してきた場合などに、査読を通りやすくするよう何らかの取り計らいをする、という話は筆者(粥川)も耳にしたことがあります。査読者を明らかにすることで、外部の者がそうしたバイアスを認識できるかもしれない、ということです。 しかしながら現状では、査読者の名前を明らかにすることを認めているジャーナルはごくわずかです。前述のRANDヨーロッパの調査では、3.5%でした。…

人工知能(AI)は学術研究に益か害か?

今ではすっかり生活に溶け込んだ「人工知能」(Artificial Intelligence: AI)という言葉。この用語が初めて登場したのは、1956年。人工知能の基礎を築き「現代人工知能の父」とも呼ばれるジョン・マッカーシー博士が、ダートマス会議と呼ばれる、自身の主催した研究者のワークショップで初めて使用しました。人間の「知能」を機械に持たせる、つまり人間の脳が行っている知的な諸機能を機械に行わせることを目的に、ダートマス会議以降、研究が進められてきました。そして2016年12月、AppleがAI関連、具体的にはコンピューター生成画像を使い画像認識トレーニングを向上させる技術について記した論文を発表したことにより、AIの発展は転換期を迎えることになりました。それまで秘密主義を貫いていたAppleが同社による研究成果を学術機関で発表・共有したことで、IT業界へのAIの取り込みおよび情報のオープン化が加速したのです。AIが日々急速に進化している半面、本当に有益なのか、害となるか、どこまで信頼すべきなのか懸念も生じています。 ■ 拡大するAIの利用 AIと聞くとSF映画を想像する方もいると思いますが、AIの利用は、IT業界をはじめ産業界で拡大しており、ビッグデータと言われる大量のデータの処理や自然言語処理(人が日常的に使っている言語をコンピューターに処理させる)を活用して顧客向けの広報や顧客サポートを行うようになっています。 AIの基本は、ニューラルネットワークと呼ばれる、人間の脳神経細胞をモデルとした情報処理システムですが、近年のITの発展により、このニューラルネットワークによる学習(機械学習)機能が飛躍的に向上しました。自分で学習し知能を蓄えることができるようになったことで、AI搭載の将棋・囲碁ソフトが人間のプロを打ち負かすといったニュースも聞こえてくるようになりました。 AIには、科学者たちが、AIはイノベーションや新たな発見、科学の発展に貢献すると考えるに足る特徴があります。例えば、人間の脳にとっては複雑すぎる処理を行えたり、高速で情報を処理したり、間違いを減らしたり、データから傾向や真意を検出したりできるのです。AIは、生活をよりシンプルに、簡便に、高度にできる可能性を秘めているのです。 ■ 学術出版におけるAIの影響 AIの登場は、学術出版界にも影響を与えています。2014年、英語に限っても約250万本の学術論文が28の学術誌に掲載されましたが、これだけ多くの論文を掲載するのにAIが一役買っていることは言うまでもありません。一例として、AIを用いることによって不正データや盗用・剽窃を検出することが可能になるため、出版社は、投稿された論文が出版に値するかどうかの判断に役立てることができます。 また、AIは膨大な学術論文の内容を瞬時に処理することもできます。例えば、がん治療の標的とされている特定のp53タンパク質に関する論文だけでも、7万本以上が発表されており、研究者がどんなに努力しても、すべての論文に目を通すのは困難です。ところが、AIを使えば、自分が必要としている記述が含まれる公開論文を代わりに見つけてきてくれるのです。自分で研究活動を行えるとも言われるAI「Iris」は、研究者の代わりに論文を「読み」、論じている内容を判断し、結果を研究者に提示できるという特徴を持っています。他にも、AIが搭載された「Semantic Scholar」という研究者向けの検索エンジンは、論文を読み、キーワードなどを元にした分析を行い、影響力の大きな論文を検出・評価するなどの機能を備えています。このような機能も含め、AIの発展は学術界にも以下に挙げるような大きな利便性をもたらしているのです。 AIが学術界にもたらすであろうメリット ・研究のトレンドや重要な分野の明確化。論文のタイトルではなく、内容に基づいて抽出するので、研究者は各分野の傾向を特定できる。 ・新しい査読者の選定。AIは、編集者が思いもつかない潜在能力を持った査読者をオンラインから探し出し、名簿を提供できる。 ・盗用・剽窃の防止。AIは自然言語処理を用いて、書き換えられた文や段落を特定し、盗用・剽窃を探し出すことができる。…

BREXITでEUの研究開発費削減か

十分な資金なくしては、革新的な研究は生まれない。これは研究に関わる人たちにとって確固たる事実でしょう。EUでは「Horizon 2020」とよばれる研究および技術革新を促進するためのプログラムを通して、巨額の公的資金を研究開発に投入しています。さらに、EUの立法機関である欧州議会は、今後7年間のEU予算における研究支援費の増額を検討していました。ところが、状況は経済大国イギリスのEU脱退、いわゆるBREXITにより一変しました。研究費申請の増加とBREXITによる深刻な財政問題の間で、EUが今、揺れています。 ■ 高まる研究開発費の需要 Horizon 2020とは、2014年から2020年までの7年間にわたるEUでの革新的な研究および開発を促進するためのフレームワークプログラムで、770億ユーロ(約10.5兆円)の公的資金が投入されています。このプログラム内で行われる研究プロジェクトには、EU以外の国からも参加することができ、その応募は多数に上ります。中でもヘルスケアや宇宙に関する研究への助成金申請が今後も増加すると考えられ、現状の予算では十分ではないとの認識が持たれています。 そのため、欧州議会は後継プログラムである「フレームワーク9(2021年~2028年)」において、計1200億ユーロの投入を計画しました。このフレームワーク9では、環境に配慮したエネルギー利用、ナノテクノロジー、食の安全性といった分野にも注力することが支持されています。同時に欧州議会は、科学・技術分野におけるEU加盟国間の人材交流計画の一部であるエラスムス計画(The European Community Action Scheme for the Mobility of University…

オルトメトリクスが2017年の論文ランキング100を発表

オルトメトリクス社が、2017年に最も影響力のあった学術論文のランキング「Altmetric Top 100」を発表しました。オルトメトリクス(Altmetrics)とは、学術論文の影響を評価する新たな指標で、被引用回数だけでなく、オンライン上の引用数を考慮して算出される、近年利用が拡大している指標です。ソーシャルメディアの種類によって重みづけをし、計算がなされます。このシステムは発展途上にあり、計測方法と注目度合いの定量化方法に一部で疑問が呈されていることは確かですが、従来とは異なる指標が示す影響力のある論文とは果たしてどのようなものだったのか、チェックしていきましょう。 ■ 影響力のある論文トップ10 まず、このリストで上位に選ばれた論文の内容を見ていきましょう。最も注目された論文は、『ランセット』誌に掲載された栄養学の研究に関するものです。低脂肪食品は脂肪の代わりに大量の糖分を含んでおり、結果として体重増加を招くという、今まで考えられてきた脂肪の考え方を否定する研究内容でした。オンライン注目度スコアは5876で、最も多くのメディアとソーシャルプラットフォームが、この論文を引用したことを示しています。その他のトップ10の論文とジャンルは以下の通りです。 ■ 2017年 注目論文の特徴 2017年のリストには、臨床研究、心理分析、症例研究、後ろ向き調査、古生物学、疫学、バイオエンジニアリングなど、多岐にわたる分野が取り上げられています。その中でもオンラインメディアで取り上げられた回数が高かった分野は、以下の通りでした。 ・ 医学(53) ・ 生物科学(17) ・ 地球環境科学(9) ・…

2017年に学術界を揺るがした衝撃的事件(後編)

2017年に学術界を揺るがした衝撃的事件として、前編では海賊版論文サイト「サイハブ」訴訟と、ドイツの主要学術機関とエルゼビアとの契約交渉が決裂した件を紹介しました。後編では、研究者を食い物にする「捕食出版社」と研究論文の盗用・剽窃に関する話題を取り上げます。 ■ 捕食出版社として訴えられたOMICSへの仮差止め OMICSグループはインドに本社を置く、オープンアクセスジャーナル専門の出版社ですが、「捕食出版社」 (著者から掲載費用を得る目的で、適正な査読を行わずに論文を掲載する出版社)として知られています。「ハゲタカ出版社」とも呼ばれ、いわゆるジャンク・サイエンス(論理的根拠に乏しい科学)の流布をはじめ、たびたび問題となっています。米国の連邦取引委員会(FTC)  は2016年8月、OMICSグループのCEOであるSrinubabu Gedela氏を相手取り、詐欺的ビジネスを理由に提訴 しました。 OMICSは700の学術雑誌を出版し、3000の学術会議を運営する出版社です。FTCは、OMICSが研究者らに、論文を掲載する動機付けとなるインパクトファクター(学術雑誌の影響力の評価指標)を偽って伝えていると主張しています。その上、OMICSは論文の掲載料を著者らに公表せず、さらに著者が論文の掲載をやめたり、他社で発表したりすることを妨害していたということです。 OMICSへの疑惑はまだあります。FTCは、OMICSが開催する学術会議でも不正が行われていると指摘しています。例えば、OMICSは学術会議での研究発表に架空の論文「鳥-豚の生理における飛翔特性の進化」を採択し、手数料を払えば発表も可能としたとの報告があります。採択されるはずのないジャンク・サイエンスの論文にも関わらず、発表が許可されたのです。また、査読を行っているという偽りの発言をしていることも疑われています。OMICSの編集委員のリストには著名な科学者の名前が連なっていますが、証明するものはありません。このような申し立てが積もり、OMICSは捕食出版社だとの疑惑が高まっているのです。 2017年11月、ネバダ州の地方裁判所のGloria Navarro裁判官は、Gedela氏とOMICSグループ、関連会社のiMedPub、Conference Seriesの3社に、仮差止め命令を下しました。OMICSが研究者に虚偽の説明をして論文を掲載するように誘導していることや、著名な科学者の名を無断で用いて投稿を依頼するメールを送っていたことが、今回の命令の根拠とされています。 この仮差止め命令はOMICSグループに向けたものであるため、OMICSは、会議に出席する予定のない講演者の名を語って宣伝することや、ジャーナルの編集委員として虚偽の名前を連ねることは、無論できなくなります。裁判所はOMICSに対し、論文の投稿前に、掲載にかかる費用の総額を著者に伝えるよう要求しています。また、FTCは研究者らに、OMICSによる仮差止め命令への違反があればすぐに報告するよう伝えており、新たな不正が発覚した時点で、法廷侮辱罪として訴える考えです。 一方、OMICSのCEOであるGedela氏は、FTCの訴えの内容を否定しています。この告発は、市場シェアを失った従来の出版社が、オープンアクセス出版社に対して腹いせに起こしたものであり、仮差止め命令の後もOMICSの活動は制限されない、と反論しています。米国の裁判所命令ではインドの出版社の活動を効果的に止めることはできない、と主張する研究者もおり、出版投稿や国際会議での発表を行わないようにする以外、捕食出版社の活動を実際に抑制することは難しいと見られているようです。 このような捕食出版社が登場した背景には、一本でも多くの論文を出版し、学術会議で発表しさえすれば、研究者として評価されるという、学術界の悪しき習慣があるのかもしれません。仮差止め命令の影響とOMICSの今後の動きが注目されるところです。 ■ 多数の編集者を辞任に追い込んだScientific Reportsの剽窃問題 2016年に発刊されたScientific…

2017年に学術界を揺るがした衝撃的事件(前編)

どんな年にも事件は発生しますが、中でも2017年は、学術界を揺るがす衝撃的な事件がいくつも起きた年でした。訴訟、ボイコット、辞任……。1年を通して、研究者と学術出版界の関係に大きな影響を与える事件が多数発生しました。2017年に学術界を騒がせた注目すべき事件を、前編・後編に分けて振り返ってみます。 ■ 海賊版論文サイト「サイハブ」訴訟 「サイハブ(Sci-Hub)」は、公式出版社のサイト以外から学術論文を無料で閲覧できる、いわゆる「海賊版論文公開サイト」です。2017年6月、サイハブは、大手学術出版社エルゼビアが起こした訴訟に敗訴し、やはり論文を違法に無料で入手できるサイト「ライブラリー・ジェネシス(Library Genesis/LibGen)」などとともに、著作権侵害の損害賠償として1500万ドルの支払いとウェブサイトの閉鎖を、ニューヨーク州地方裁判所に命じられました。 同年11月3日には、米国化学会(ACS : American Chemical Society)がバージニア州の地方裁判所に起こした訴訟にも敗訴し、480万ドルの損害賠償の支払いを命じられました。また、この判決には、サイハブに協力する運営会社、ドメイン登録・検索エンジンやプロバイダーなどのインターネットサービスに対し、サイハブへのリンクやアクセスをブロックすることが可能となる差止め命令も含まれました。 もともと、ACSは、積極的にリンクを貼るなどユーザーをサイハブに結びつけることの禁止を求めていましたが、検索エンジンやプロバイダーへの措置までは求めていませんでした。実際、ISPが積極的にサイハブに協力していたわけではないことから、検索エンジンやプロバイダーにサイハブへのアクセスを禁止することまでは必要ないと考えられていたのです。しかし、バージニア州地方裁判所は、多くのインターネットサービスに影響を与える全面的差止めを命じました。 結果として、2017年11月、少なくともサイハブの4つのドメイン(sci-hub.cc, sci-hub.io, sci-hub.ac, aci-hub.bz)は恒久的に閉鎖されました。もっとも、ツイッター上では、サイハブのドメインがまだ使用されているようですし、サイハブ自体は、アメリカの司法の力が及ばないロシアのサーバーで今もサービスを提供し続けています。 この差止め命令に納得していないプロバイダーやユーザーもいます。日米欧の大手コンピューター企業/通信会社で組織する業界団体(CCIA:…

【聖徳大学】北川 慶子 教授インタビュー(後編)

各大学の研究室に訪問し、研究者たちにおける英語力向上の可能性を探るインタビューシリーズ。十九回目は、聖徳大学 心理・福祉学部教授の北川慶子先生にお話を伺いました。インタビュー後編では、英語指導法や上達法についてお話しくださいました。 ■ 佐賀大学にご在職中、学生の皆さんを海外に連れて行かれたそうですね。 佐賀大学が約10年前に環黄海地域の国々、つまり韓国と中国と日本で「環黄海教育プログラム」というものを作りました。言語専門の教員に対してプログラムへの参加を募ったのですが、手を挙げる人がいなかったので、私が立候補しました。 内容としては、環黄海の3カ国以上の国から教員を集めて行う授業に、各国の大学院生を参加させるという教育プログラムでした。選出された教員が、各大学院で持っている授業を一週間、オムニバス形式で行います。私の場合は社会学の授業でした。授業はすべて英語で、その後のグループディスカッションも、3カ国の学生が入り混じって全部英語。最後にはどんなことを話し合ったかをプレゼンし、その後に評価もする。それで2単位を取れるというプログラムでした。これは、長期休みの間にお互いを訪問し合うプログラムだったのですが、佐賀大学の院生は全員、韓国と中国と台湾に行きました。 ■ プログラムに参加された学生の成長ぶりはいかがでしたか? 学生たちは飛躍的に成長しましたね。本当に全然しゃべれない学生もいましたが、一緒に夕食を食べて、お酒を飲んでいるうちに話し始めるのです。できる・できないは別にして、コミュニケーションを取ろうとしているのがわかって、すごくよかったですね。メールのやりとりでも、英語ができない中国人相手に漢字だけで書いていたり、韓国人相手に(ハングルは読めないので)英語で書いていたり。その中で国際カップルもできました。このプログラムを経験した学生たちは、私がそうだったように「今度は韓国に行きましょう」などと気軽に言うようになりました。 ■ 先生の英語の指導方法についてお聞かせください。 学生にはできるだけ「機会」を与えるようにしています。カジュアルな国際会議に連れて行ったり、アブストラクトだけでも投稿させたり。私は英語の添削はいまだに苦手ですので最終的には、外国人共同研究者に見てもらいます。災害研究は外国でも進められており、ここ10年ほどで外国の研究者方との共同研究が増えました。そのおかげで、添削をお願いできる人脈も増えました。 おかげさまで、私のところで学んだ院生の多くが教員になっています。韓国で教員やポスドクになった学生もいれば、中国に帰国して教員になった院生もいます。 ■ 卒業された皆さんは、韓国や中国でも英語を使われているのですか? 韓国でも中国でも、英語で学会の運営をすることが多くなっています。このよいところは、(英語)ネイティブではないことです。ESL(English as a second language)状態なので、若い人たちも気後れしないでしゃべるようになっています。英語が母国語でない人たちとの会話のほうが精神的に楽ですよね。若い人たちにとっては英語圏に行くのが一番かもしれませんが、英語を気軽に自分たちのものにするためには、アジアでもよいのではないかと思います。英語が通じない地域もありますが、Ph.Dを持っている台湾の人たちの9割はアメリカで学位を取得しているといいますし、国外でのPh.D.取得が韓国や中国でも多くなっています。私が台湾に2度ほど3か月と半年間、客員教授として迎えられましたが、英語だけで通じるので、まったく中国語ができない状態で行って、できないまま帰ってきました(笑)。…

米NIH、「捕食ジャーナルで論文公表しないで」

前回記事の後半でお伝えした通り、米国の研究費の支出機関である国立衛生研究所(NIH : National Institute of Health)は、2017年11月3日、関係各所に対して同研究所の助成を受けた研究は「明確かつ厳密な査読プロセスを持たないジャーナル(学術雑誌)」での論文発表を控えるように、という通達を発行しました。要するに、本誌で何度も取り上げてきた「捕食ジャーナル(predatory journal)」では論文を発表しないでください、ということです。 通達を出した目的は「発表された論文の信頼性を守るため」であり、NIHが研究費を支出した研究については、「評判のよいジャーナル」で論文発表することを奨励する、と述べています。 NIHは、自分たちが研究費を支出した研究の結果として執筆された論文のなかで、学術機関が推進する「ベストプラクティス(最良の実践)」に従っていないジャーナルで発表されているものが増えていることに気づいている、といいます。学術情報のウェブサイト「リトラクションウォッチ」が、NIHの外部研究助成部門の担当者にインタビューし、「この通達を出すに至る問題が何か起こったのですか?」と尋ねたところ、担当者は「いくつかの最近の記事で、一部のジャーナルや出版社の行動に懸念を持つようになりました」と述べました。具体的な件数については「共有できる数字はありません」と答えています。 担当者のいう「いくつかの最近の記事」がどの記事なのかははっきりとしませんが、NIHの関連ページに書かれた文章には、ウプサラ大学の研究者らが2016年に発表した論文と、『ニューヨークタイムズ』が2017年10月に掲載した記事がリンクされています。 NIHの外部研究助成部門次長マイケル・ローワー博士は公式ブログで、このことは、NIHが研究費を支出している研究については「大きな問題ではないかもしれない」と書いています。というのは、NIHが研究費を支出した研究を報告した論文81万5000件以上のうち、90%以上は生物医学分野の論文データベース「MEDLINE」に収録されているからです。MEDLINEは、米国国立医学図書館(NLM : National Library of…

【聖徳大学】北川 慶子 教授インタビュー(前編)

各大学の研究室に訪問し、研究者たちにおける英語力向上の可能性を探るインタビューシリーズ。十九回目は、聖徳大学 心理・福祉学部教授の北川慶子先生にお話を伺いました。インタビュー前編は、自身の原点であるアメリカ留学や、留学が持つ可能性についてのお話です。 ■ 先生のご専門について教えてください。 高齢者や子供たちが住みやすい社会とはどのようなものなのかを研究しています。近年は、災害時におけるソーシャルワーカーの実務支援機能や被災者生活復帰支援など、被災者に機能する支援のあり方を探求しています。実は社会福祉分野の研究を始めたのは、大学院からです。大学では「あえて不得意なことをやってみたら?」という親の薦めで、工学部機械工学に進学しました。高校時代は完全に文系でした。博士課程を修了してからは大学の教員になりました。 ■ 先生は「英語が得意ではない」と公言されていらっしゃいますね。 はい、今も勉強中です。エナゴさんには本当にお世話になっています(笑)。英語を学ばなければと思い始めたのはアメリカに留学してからですね。これも親の影響で、親が、まだ留学が珍しかった1960年代にアメリカ留学の経験があり、「あなたも留学しなさい」と。語学はダメだと思っていた矢先に、「この先は英語が絶対に必要になるから」と言われて。留学ではなく完全に遊学でした(笑)。 ■ その後、英語の学習は…? 30代になり、教員2年目に、研究留学しました。行き先はカリフォルニア。この時も、勉強する代わりに国内のいろいろな所を旅して回りました。2-3日の旅程であちこちに行き、誘われればそちらに行きと。 遊んでばかりのように聞こえるでしょうが、私にはこれが重要でした。人との出会いで何となく英語に親しみが持てるようになりました。もし真面目に勉強していたら、間違いなく嫌いになっていたと思います。教授や事務職の人たちと「普通に生活できるようになった」という実感が一番うれしかったですね。ある時、毎日私の身を案じ電話をかけてくる母が、「日本語のスピードが落ちたみたい・・・」といったことに何となく自信めいたようなことを感じたことも思い出します。大学のキャンパスで、学生たちが気軽に話しかけてくれるようにもなりました。 その後、行動範囲も格段に広がりました。国際学会に出席するようになったのも研究留学後です。海外に出る機会も増えました。そして研究の対象が、今も関わりを持つアジアの国々の福祉に徐々に広がりました。 ■ 何があったのですか? 韓国の教員の方が「来ませんか」と誘ってくれたのです。帰国してすぐのお誘いだったのですが、アメリカで行動力を身につけた私は「そうですね」と即決し、それからは頻繁に行き来するようになりました。 外国に行くと、日本人のアイデンティティをしっかり持つようになりませんか?いい加減なことを言えないからと歴史の勉強をしたら、いつしか目がアジアに向くようになりました。韓国から中国、台湾とどんどん広がって……。いつしか中国と台湾で客員教授をやっていました(笑)。ご縁が重なったこともありますが、結局はアメリカに行ったことからすべてが始まりました。 ■ 留学が研究生活の原点である、と。 子供時代は海外経験もなく、怖がりで親と一緒じゃないと動けなかったのに、アメリカを独りで旅行をしたり友達を作ったりしているうちに、殻が破れたのだと思います。実を言うと、昔は高所恐怖症で、飛行機に乗るのも怖かったのです。でも、飛行機しか手段のないアメリカ国内を移動しているうちに、気付いたらすっかり治っていました(笑)。 留学中に人種差別も経験しました。1980年代でしたが、アジア人と同じ空間にいるのをあからさまに避けようとする人たちにも出合いました。どこの国の人も同じだと思っていた私にとっては衝撃でした。当時は意識しませんでしたが、帰国後にそれが英語学習のモチベーションになり、英語で論文を書くようになったのだと思います。…