
泉 康雄(いずみ やすお) 教授
千葉大学大学院理学研究院化学研究部門 教授
泉康雄先生へのインタビュー - Share Your Story
[取材・編集] 研究支援エナゴ
固体表面を利用した触媒作用の研究を行い、そのメカニズムをオリジナルの機器を使った測定と最新の方法による分析で探究する泉康雄先生。最近では、光触媒を用いた二酸化炭素(CO2)光還元反応によって、水と二酸化炭素からエチレンやプロピレン、メタンといった有用な化学原料を持続可能に作り出す研究で世界の注目を集めています。
そんな現在の専門分野を選ばれた経緯から、研究におけるご自身の「趣味・嗜好」、スタンフォード大学への留学とそこでの経験からの学び、そして環境問題の解決につながる研究に主軸を移されるようになった流れなど、先生のこれまでと現在について、さらにこれからの日本社会と学術界について幅広くお話しいただきました。
また、エルゼビアやアメリカ化学会(ACS)が発行する著名なジャーナルでも頻繁に査読を行われている泉先生が、論文著者そして査読者両方の立場から、学術論文について語られている内容も示唆に富んでいます。
触媒を研究テーマに選んだきっかけ
学部時代の卒業研究に触媒の研究を選んで以来、一貫して触媒の研究を行ってきました。
まず化学を専門に選び、それから触媒を選んだという流れです。研究室で触媒のテーマを扱っていたということもあるのですが、実験で調べる内容を、絵的にグラフィカルに捉えること、観察し視覚的に表現するようなことをやりたいと思い、触媒を自分の研究テーマとすることにしました。自分のそれまでの学問的な背景からの流れで選んだというよりは、直感的な選択でした。
企業での勤務を経てアカデミアでの研究を再開
物事のよく分かっていなかった学生時代の私がなんとなく感じていたのは、大学の中は比較的小さな世界で、企業に行けば世界が広がるということでした。それで企業に就職して1年間勤務してみたのです。
企業での研究は短期間で終わったので、断定的なことは言えませんが、そこで実感したのは、自分には、会社で行う組織だった研究より、自分独自の考えで、個人技で進めていくアカデミアでの研究が肌に合っているということでした。いろいろ調べたり、緻密にまとめたり、コツコツ進めるようなやり方が自分は好きなのだなと。
そうした研究スタイルの好みもあって、大学での研究に戻ることにしました。結果的に自分に向いている仕事を選んだということだと思います。
また、一般的に、企業の方が出口に近い応用の研究を行います。実際のものを作る、あるいはものを作る前の段階の試験的な研究です。しかし私に合っているのはむしろ根本の原理を突き詰めることです。今では、そうした根本原理で、かつ持続可能性につながることを研究しています。
千葉大学 泉先生の実験室にて
1996年、スタンフォード大学へ留学
1992年に東京工業大学で助手として雇っていただきました。上司は大変見識の高い教授で、自由に研究させてくれましたが、専門的には応用的な研究を得意にする方で、原理をベースに研究を進めようとする私とは「研究の趣味」の相違みたいなものがありました。
それで3年半ぐらい経った時、文部省在外研究員という制度1で、助手(現在の助教)の派遣というかたちで海外留学できるポストを見つけ、これを利用してスタンフォードに行くことにしました。論文でよく目にする研究室や、アメリカでやりたい研究というのがあったので応募してみたところ採択されたのです。それで「自分の趣味」の研究をさせていただきました。
実際に現地に行く前の段階で、論文の内容について、研究室の先生と電子メールでやり取りしました。先生は多分20人ぐらい、あるいはポスドクも含めるとさらに多くの学生を抱えていて、1人1人に1日何回も対応しきれなかったはずなのですが、ちょっと特別に頻繁にメールをさせてもらっていました。そして、論文の内容について「ここは何ですか?」とか、「1ヶ月後そちらに行ったらこのテーマで研究させてもらえますか?」といった質問に、逐一返信をいただきました。
96年当時は論文自体をPDFでメール添付して、ということはまだありませんでしたが、メールでのメッセージのやり取りはあったのです。論文をPDFで添付してやり取りすることが定着したのは1990年代の最後の方のことだったかと思います。ウェブサイトも、1997年に日本に戻ってから東工大で作った記憶があります2。
事前に頻繁なやり取りをしたのは、ボリュームのある論文を書く研究室だったため、1年ではとても全部終わらないと思ったからです。論文を出すことができたのは、日本に戻ってからやりとりを続けて、1年ぐらい経ってからのことです。とはいえ、留学中は有意義に過ごすことができました3。
その後の研究や論文執筆に影響したスタンフォード大学での経験
スタンフォード大学の化学科では、実験データを無理なく一流の論文に進めていくというのか、研究の背景となる考え、そこからの流れ(論理展開)をしっかりさせていれば、こじつけで論文を書いたりしなくてよい、ということを学びました。ある意味、当然のことかもしれませんが、研究テーマを立案して、実験をして、無理なく解釈していくという研究の進め方の本質的なところです。学術的にしっかりとベースを作っていくことや、勉強している内容を生かして丁寧にきちんと進めていくやり方が身に染みて分かったのは、この留学の時でした。

スタンフォード留学中 ソロモン教授宅にて
2016年以降の固体表面の触媒を対象とした研究
2016年頃から環境とかエネルギーに関する触媒に注力して研究しようと思っていましたが、その当時メソドロジー等でまだ完成していないところがあったのを、それ以降少しずつ、自分たちなりに改良してたくさんの人に見てもらえるような研究にステップアップしていったという感じです4。
他の研究室の真似をするのではなく、できるだけ根本に立ち返って光触媒がどうやって働くのかを自分たちのやり方で調べていきました。大きなモチベーションとして、他の研究室がやっていない方法を開発していくということがあって、設備を自分たちで作ることもあります。私たちが作った光反応装置を既製の設備に直結させるなど、既製の装置類を改造するような場合もあります。この私たちの設備を使えば、従来の注射(実験用のシリンジ)で試料を分析装置に導入する測定法で3%ぐらい誤差が出るところを、0.001%ぐらいまで正確に捉えられるようになり、既存のやり方では分からない領域が分かるようになりました。
また、分光スペクトルに関わるガラス細工の装置など、設備を一から作るような場合もあります。このように工夫をすることで、他の人たちが見えていないものが見えるようになるのです。そうしたことが2016年以降に行っていった努力です。その前も努力はしていましたが、まだまだ未熟で、他の研究室とそれほど変わらない結果しか出せていなかったのを、装置を作ることを含め、少しずつ改良していったということです。

実験室のライトを消し、自作反応・分析装置で光触媒反応を追跡する
このように、研究手法にぴったり合う装置を偶然導入できたり、またずっと行なっている放射光X線実験データを新たに理論的に解析したりするようになり、only oneの要素を少しずつ出せるようになりました。特に明確な転換点は、2019年に出版したJournal of the American Chemical Societyの論文です5。
石油を基にする触媒の研究から光触媒の研究へ
放射光X線の実験(つくばの高エネ研やSPring-8、スタンフォードだとSSRL)を続けているのですが、千葉に移って2009年頃、石油を基にする触媒の研究、つまり熱をかけて反応させる触媒ですが、これから光により励起、作動する光触媒の研究に転向しました。理由は、放射光X線の実験で光の方がリアルで敏感、パルス状の応答が得られる気がしたからです。急に温めたり、冷やすよりも、光をオン/オフするのが簡単、ということです。

1999年 放射光実験施設SPring-8に自作分光装置を運ぶ
CO2に関する研究に注力していった経緯
二酸化炭素の研究は、環境に関わることなので興味はありましたが、始めたきっかけは某エアコンメーカーの人に「先生、二酸化炭素の研究をやりませんか」と誘われてしばらく共同研究したことです。光によって二酸化炭素を燃料や資源にするという研究に、多くの研究者たちが集中し始める少し前の時期だったと思います。もっと前から始めていたパイオニア的な研究者もいましたが、比較的早い段階で始めました。それで、先ほど申し上げたように、テクニックや、考え方、設備等を、少しずつ改良していったというところです。
カーボンニュートラルにつながる研究成果の社会実装
最近エナゴで複数回校正してもらった論文があります。それは当初、水を分解してできた水素とCO2を反応させることをメインで書いていたのですが、一流誌に出そうとしたところ、CO2と水との直接の反応を示して、サステイナビリティに直結する結果を見せてくださいと言われました。そこで、かなりの数の研究室メンバーに加わってもらい、追加の実験を行い、論文を書き換えていった6のです。論文が大幅に変わったため、何度も英文校正をお願いすることになりました。
当初は、CO2から燃料となるメタンを作る研究でした。自然光だけの光触媒でCO2から作られたメタンを使えば、カーボンニュートラルになります。しかし、メタンは場所によってはかなり豊富にあるため(実は千葉県には豊富にあります)、よりカーボンニュートラルになりやすいものということで、最近はエチレンやプロピレン、あるいはエタンやプロパンを作る研究をしています。
エチレンやプロピレンは、メタンより高価な化学原料で、例えばプラスチックになります。すでに出版した論文で、それらを作るまではできるようになりました。今、研究室で進めているのは、より反応速度を速くし、より安定してそれらを作ることです。実験条件に拠らず、常にエチレンやプロピレンが高選択に出るような触媒の研究です。
企業から、「メタノールはできませんか」とか「エチレン、プロピレンはできませんか」といった問い合わせが来ることもあります。プラスチックを主力とする企業はエチレンに、酢酸が必要な企業はメタノールに興味を持つなど、企業によって求めるものはまちまちです。共同研究では、特にサステイナブルであることに軸を置いた会社さんとご一緒させていただくようにしています。今、サステイナブルであることは一つの流れではありますが、「模索中」という企業が多いのが実情です。模索中ではお互いに方針を決めきれない場合もあるため、作りたいものがはっきりとしている企業と目的のものを共同で開発しています。現在は、CO2と水から、エチレン、プロピレン、メタン、あるいはメタノール、エタノール、酢酸などを作り分けられるように研究を進めています。
例えば、右のスキーム(化学反応式)で、赤字の生成物が実現していて、さらに持続可能な光触媒を開発しているところです7。一方、緑字の生成物も持続可能社会で重要ですが、現状では研究途上になります。
上述の持続可能社会での実現可能性が重要で、企業で同様の目標を持っておられる方々と実装可能性を進めるのと、またN2から光アンモニア合成、CH4から光メタノール合成等を進めています。

研究者としての喜びを感じる瞬間
通り一遍の答えになってしまうかもしれませんが、成果となる論文を書くのはあまり楽しくはなくて、論文が出版される時は少しだけうれしい、というのは確かです。ただし、執筆者にとっては論文の内容はすでに出来上がっているものですから、一番の喜びではないかもしれません。
一番喜びを感じる場面は、多分研究をされている方なら誰でもそうかと思いますが、発見となるデータやこれまで解決できなかった問題への答えになるデータが得られた時、およびそのロジックを説明できるようになった時でしょうか。これは、研究している最中のことで、そこから論文にする時はそれほど楽しくはない。ただ、自分は性格的に物事をきれいに整然とまとめ上げることが好きで、データ、記述、見た目、が整ったきれいな論文が完成した時には、喜びというか、深い満足感を感じますね。
私の趣味的なことで言うと、緻密に自分たちの考えを組み立てていって、「ああ、これなんだ」と、今まで分からなかったことが分かる時、説明がつくようになった時に、やはり喜びを感じます。
日本の学術研究を発展させる上で社会に求められること
私自身は途絶えることなく研究を続けてこられたので不満はないのですが、私の感覚では特にここ最近、外国と比べて日本の優秀な研究者たちが、必ずしも実力や成果に見合った評価をされていないのではないかという気がしています。
研究や科学技術の進展が、直接国力を決めるものだと私は考えていますが、一番優秀な人材が研究を行うようにしていかないといけないところ、今の日本では必ずしもそうなっていない。優秀な研究者の多くがあまり尊敬されていなかったり、十分に研究費や給料を得ていない気がします。ここから状況を改善しないと、日本の科学の国際的位置づけはさらに低下する恐れがあり、かなり注意して皆が考えなければいけないステージに差し掛かっており、日本の科学技術の何十年後かの位置づけを考える必要があると思います。
「優秀な人材が研究を行うようにしていかないといけない」 千葉大学 泉先生の居室にて
英語での研究論文執筆について
あくまで私個人が、学校で学んできて、今こうした仕事で世界中の人に読んでもらえる英文を書いてきたという経験談としてお話しさせていただきます。
もともと英語の勉強は好きでした。特に試験の点数を取りたかったというよりは、お金をかけない方法で純粋に英語の勉強をしていました。中学の時からラジオ講座で1日15分、昔のソニーのラジカセに録音もしたりして聴いていました。今から考えると、ネイティブのしっかりした英語を聞いて、それをリピートして勉強したのが良かったと思います。学生の時は、電車の中で、芸能人や政治家や科学者へのインタビューをカセットテープで聴いたりしていました。それも場合によってはリピートしたりして。それがベースになったと思います。最初から研究者になるという将来像があったわけではなかったので、結果的にそれが現在に生かされたということになります。
科学論文ですから、書く内容が最重要であるのはもちろんですが、研究者となってから英語を勉強するというのではなく、それ以前にこのように英語をいわば、趣味のように楽しむのがアドバンテージになったとは思います。
研究者として最も苦しかった時期
最も苦しかった時期は、多くの研究者がそう答えるように思うのですが、助手からその先のポストを探す時期ですね。助手の業務をしながら次のポストを見つけなければいけなかった時が一番大変だったでしょうか。
東工大で助手のポストをいただけたので、これは大変幸運だったのですが、東工大では真面目にやっているだけで、助教授、教授に昇任するような感じではなかったです。学生の時から属している研究室で助手になっている場合であれば、まだ先生に媚びを売れば昇進させてもらえるのかもしれませんが、自分はそうではなかったし、先ほど申し上げたように「研究の趣味」の相違で、東工大で昇任するとは思えませんでした。いろんな大学の助教授ポストに応募しましたね。
実験装置について説明してくださる泉先生
今振り返ると、この頃に自分は実力不足だった、とは言い切れない気がします。行き詰まりは多くの若手が感じるのではないかと想像します。ここで重要なのが、少しずつでいいのであきらめずに原著論文を出版し続け、また科学研究費等研究費をなるべく切れ目なく獲得できるように調書作成を頑張ることだと思います。
研究でうまくいかないことは誰にでもあることと思います。特にそれが助手や講師の職のときには、周りの評価が危うくなりますので、粘り強く研究を続ければ道は拓けます。粘り強く続けていると、思わぬところから、研究を支持する人や、ファンのような人たちが必ずふと現れてきます。
査読したいと思う論文の基準
これも研究の趣味やスタイルとも関係があるので、あくまで一個人の見解になりますが、光触媒に関して、何がどうしてそうなるのかが分かった、とか、今まで全然なかったようなものが見つかったとかいうのが、特に面白いと思います。その価値観は、基礎研究では、ある程度共通かもしれません。
査読の時は、まず概要を見て、今までになかったことや知らなかったことが書かれているかどうか、特に大元のところで分かったことが書かれてあるかで、読んでみたいかみたくないかが自分の中では決まります。最近は、いわゆる一流誌に投稿された論文はある程度それをクリアして、その中から編集者が審査に回してきているような傾向があり、それを査読するわけなのですが、「ああ、そうなんだ!」と感じる箇所が全くない論文は全てrejectします。最近は、編集者の方々はほぼ総じて私のこの感じ方に同調してくださり、acceptかrejectかを決めていらっしゃいます。
以前はエルゼビアのジャーナルの投稿論文も結構見たのですが、最近はアメリカ化学会(American Chemical Society: ACS)のものをステディーにやっています。自分なりの発見が含まれているものを優先的に査読すれば勉強にもなる、というので積極的にやっています。査読は、一度引き受けるとある程度一定の頻度で依頼が届くようになり、現在は週1本ぐらい査読しており、エルゼビアのジャーナルの査読を引き受けていた時も週1本か、3週で2本ぐらいやっていました。
光触媒でも分光スペクトルでもいいですが、良い論文を査読するとその分野の今の動向が分かります。研究費の申請を書く上で、その分野の最新動向を把握するため個々の研究室に研究内容を聞きに行ったり、講演する代わりに相手の研究内容を教えてもらったりすることもありますが、査読をすることで最新の状況が分かるというメリットもあります。
逆に出版を勧められない論文を読めば、その論文の弱いポイントが分かります。そんな中で、こうしていたら良くなるのにと分かることもあるんですね。それは、著者にそう書いて送ります。それにより著者自身が論文を改善できるかもしれないじゃないですか。
若手研究者への、査読者の立場からのアドバイス
査読では外国の著者の論文を読むことの方が多いのですが、日本の若手研究者で査読等の経験がまださほどない方への論文執筆のアドバイスでいうと、もちろん研究環境の選択や研究費の確保、研究テーマの選択が重要なわけですが、その上で、査読する論文の書き方については、自分の研究の考えを簡潔に書くこと、論文の最初から最後までを緻密に書いて、数値をちゃんとチェックし丁寧に取ったデータを考え尽くすこと、論文の論理展開を明確にすること、等をお勧めしたいです。
研究に情熱を持ち続けるには?
先ほど、世界が狭い気がして企業にいたが、やっぱり辞めて大学に戻った、とお答えしましたが、いま研究していると世界中から研究の交流があったり、一緒に論文を書いたりと、退屈することがありません。自分の趣味に合うことを自分の好きなように続けることは簡単です。いやなことは、最近はほとんどありませんが、あっても本能的に忘れてしまうでしょう。
身体の健康はとても大切です。毎日ジョギングしたり、腹筋や腕立て伏せを続けたりしています。しかしそれ以上に心身のバランスが重要な気がします。私たちの研究室では正直で明るい学生たちが揃っているので、比較的自由に任せて研究を進めています。格式ばったことはしないで、面白い成果を見つけようという目的を持ってやっていくことで、心身ともに楽しくやっていけるというか。
研究室の他のメンバーにも、無理やりノルマとして何かを課すようなやり方はしません。「一番興味のあるものからやりましょう」というようにして、それでも、「これができたら一流誌に載るよねなど」と言いながら、楽しんでやるようにしてます。

2022年富山大学で開催された触媒討論会にて、学生さんと一緒に
ですからジョークやユーモアを飛ばして、楽しく研究を進めるのがよろしいかと思います。
脚注:
1 文部省在外研究員規程(昭和38年4月22日 文部省訓令)に基づき運用され、2004年の大学法人化とともに廃止された若手研究者の海外派遣制度。
2 泉先生の現在のウェブサイト(http://cat.chem.chiba-u.jp/)は、「1997年に横浜市緑区で開始した『泉 康雄のウェブサイト』の系譜を汲む、インターネット界の老舗」。
3 スタンフォード大学留学中、泉先生は、無機生物化学が専門のEdward I. Solomon教授とKeith O. Hodgson教授に師事。Solomon教授の指導の下、モリブデン触媒の酵素作用をX線の実験と理論計算から調べる研究を行い、Hodgson教授にはX線の実験および解析について指導を受けられた。両教授の研究室からは、生物無機化学、フォトンサイエンス、触媒化学、表面化学など様々な研究分野で活躍する多くの有名教授が輩出されている。
The Solomon Laboratory
Stanford Profile – Keith Hodgson
4 2016年にエナゴが実施した泉先生へのインタビューはこちら:エナゴ学術英語アカデミー 【千葉大学】泉 康雄 教授インタビュー
5 Dual Photocatalytic Roles of Light: Charge Separation at the Band Gap and Heat via Localized Surface Plasmon Resonance To Convert CO2 into CO over Silver–Zirconium Oxide
6 光触媒に関する泉先生の最新(2024年12月取材時)の論文は、化学分野ではトップ10に入る難関国際誌 Angewandte Chemie Vol. 136, Issue51に受理された:Exchange of CO2 with CO as Reactant Switches Selectivity in Photoreduction on Co−ZrO2 from C1–3 Paraffin to Small Olefins
7 光触媒でCO2を燃料化する仕組みの謎を解明!~酸化ジルコニウム表面酸素欠陥とニッケル / 鉄 / コバルトとの役割連携が鍵~