
久堀 徹(ひさぼり とおる) 名誉教授
東京工業大学名誉教授、総合研究大学院大学監事
久堀徹先生へのインタビュー - Share Your Story
[取材・編集] 研究支援エナゴ
酸化還元タンパク質チオレドキシン研究の第一人者、久堀徹先生は、ご自身の研究分野を取り巻く環境が激変する中で常に新たな視点を模索しながら、新しい標的タンパク質を次々と発見するなど多くの業績を残されてきました。
インタビューではご自身のバックグラウンドや国内外の先達・後進との縁から、新技術と研究、基礎研究の普遍的価値、そして大隅基礎科学創成財団や総合研究大学院大学の組織についてなど、幅広いテーマについてお話しいただきました。
研究キャリアの形成が以前に増して厳しくなり、アカデミアに関わる様々な問題が喧伝されるなか、久堀先生が繰り返されたのが「好奇心」の大切さです。研究者にとっての原動力であり、人々と社会が研究を支える文化を根付かせるための推進力。日本の研究力向上の素地を整える鍵のひとつは、研究する側と研究を支える側の双方の好奇心かもしれません。
生物学に興味を持ったきっかけ
私の年代の小学生の多くは、学研の雑誌の『学習』か『科学』のいずれかを取っていましたが1、私は『科学』の方を選んでいて、科学的なことにはずっと興味があったと思います。ただし、本当に科学の道に進もうと思ったのは高校に入ってからで、それまでは社会科にも興味がありました。部活動ではお寺巡りをして、寺社仏閣に詳しい高校生でした。そんな中、生物が自分にぴったりとはまり科学を勉強しようと思いました。授業でDNAがATGCという4文字だけで構成されていることを習い、たった4種類の文字で我々の体を形作るものの情報全てが示されるのは、ものすごく単純で、神秘的で面白いと思い、そこから生物学を選んだのです。
大学に入学した時に父親から一つだけ言われたのは恩師を見つけなさいということです。私が入った当時の早稲田大学の生物学教室には教授が8人いましたが、櫻井英博先生2という方が1年生の学年担任となっていました。1年生といっても30人ぐらいの少人数のクラスで、その30人が例えばクラス合宿をするような際には先生が付き合ってくださっていました。
いろいろ話をしてこの先生は信頼できる方だなと強く感じ、学部1年の時点で卒業研究は櫻井先生の下でやろうと決めていました。卒業研究の選択をする時に他のクラスメートはどの先生の研究室に行くかについてわいわいがやがやと話していましたが、自分は最初から決めていた櫻井先生のところで研究を始めることにしました。
また、大学に入って大学の先生方の仕事ぶりや生活を見て、こんなに趣味と実益を兼ねた職業があるのだと気づいて、学部の1、2年の時には大学教員を将来の目標にしていたと思います。

生物のエネルギー変換を研究テーマに選んだ理由
最初から自分で生物のエネルギー変換の研究を目指していたわけではなく、エネルギー変換を研究テーマとしていた櫻井先生とどんなことをやるかについて相談しながらその世界に入りました。
それから40年間ATP合成酵素3を研究してきたのですが、これは櫻井先生の重要な研究テーマのひとつで、当時、葉緑体のATP合成酵素の研究者は日本には3人ぐらいしかおらず、非常に特異的な研究ができるということでも重要だと思いました。また、ATP合成酵素というのは、生物界の中で生き物のATPを作るという最も重要な酵素で、これを持っていない生き物は存在しません。そのような酵素を研究するって夢があるじゃないですか。それでATP合成酵素を研究しようと決めたんです。
大学院まで進んだ仲間が4人いるんですが、その4人とは今でも連絡を取り合って仲良くしています。
研究に影響をもたらした革新技術
酵素の研究はいわゆる生化学研究で、その中の一つの大きな転換点は、分子生物学が使えるようになったことです。遺伝子の配列からタンパク質が分かり、遺伝子を書き換えて変異体を作ることで機能の研究ができるようになりました。これはATP合成酵素の研究に限らず、当時のタンパク質の生化学研究全般に関わる技術進歩で、それが、私が大学院に進んだ80年代ごろに起きたのです。
また研究とは少し離れますが、私が学部4年の時、NECがPC-8001というパーソナルコンピューターを発売しました。その後、PC-8001から88、98と、日本のコンピューターが、ちょうど私の大学院進学と同時にどんどん発展していき、その結果、数値計算などがすごく簡単にできるようになってきたのです。これは、研究の進展の大きな助けになりました。
今では表計算など誰でも当たり前に使いますが、私の学部生時代は表計算ソフトというものがまだなくて、ノート一面に表を作って数値を書きながら電卓を叩いて計算し続けていました。そこから結果の数値を算出して、それをグラフ用紙にプロットしてグラフを書き、ようやく実験結果がわかる。今なら表計算ソフトに数値を入れると一発でポーンと結果が出るじゃないですか。それはものすごく大きな進展で、本当に研究を加速的に進めることになったと思います。
それともう一つはプロテオーム4ですね。私のやっている植物の研究では、2000年にシロイヌナズナの全ゲノムが公開されてタンパク質の全配列が分かったことで、それまで分からなかった情報がたくさん得られるようになりました。私はATP合成酵素の研究に加えチオレドキシンの研究を行っていたのですが、そのチオレドキシンの研究の過程でも、2000年のゲノム公開により実際に研究がものすごく進展したということがありました。
以上の3点ぐらいが、研究をガラッと変えたと思います。
酸化還元タンパク質チオレドキシン研究の第一人者として
私が東京工業大学(現:東京科学大学、以下、東工大)で助教授を務めていた1997年、教授の吉田賢右先生5のグループが、ATP合成酵素が回転する酵素であることを明らかにして世界的に有名になりました。そのような研究室にいる助教授として、やはり自分もあっと驚くようなことをやりたいという野心的なモチベーションがあったのです。そして、吉田先生のグループが使っている好熱性バクテリアのATP合成酵素と植物のATP合成酵素が一番違うのはスイッチがついていることなので、そのスイッチの研究をしようと思ったのがチオレドキシン研究を始めた最初の取っ掛かりです。
当時チオレドキシンの分子メカニズムはある程度分かっていました。2本の手を順番に相手のタンパク質とつないでいくことでスイッチをオンにする(相手タンパク質を還元する)のです。それを知った私は、2本目の手がなければ面白いことができると思いつき、学生たちにこういう研究をやらないかと持ち掛けたのです。ところが東工大生はみんな頭が良くて、「そんな単純な実験で上手く行くのなら、とうの昔に誰かがやっているのではないですか?」と言うのです。論文を読んでもそんなことを試した研究者は誰もいなかったのですが、ぜひやろうよと言っても、誰も挑戦してくれませんでした。

そこにたまたま卒業研究で入ってきた学生がいて卒業研究の学生ならということで、君のテーマはこれと決めてやらせてみたら、やはり私の言った通りになったのです。自分でも慧眼と言ったっていいのではないかなと思っています。
シンプルなポイントに着目できた理由
私が学会などで研究の話を議論しているときに、ある程度分子機構が分かっているものについて「こんなやり方もできるのでは」と別の見方をすると、「あなたの発想は東工大的だね」とよく言われました。
東工大に行ってよかったと思うのは、周りに機械や電気、化学など、様々な分野の研究者がいて、そういう人たちと話をする機会がすごく増えたことです。そのような環境で、知らず知らずのうちに違う分野のいろいろな研究のやり方が自分の中に蓄積されていたのかもしれないですね。
酵素はタンパク質ではあるものの結構機械的です。例えばATP合成酵素は回転する分子モーターであることが分かっていますが、そのようなタンパク質に対する発想は異分野の研究に常日頃から触れることで少し変わってくると思います。モーターとスイッチというと、どちらかというと電気屋のような話じゃないですか。そのような着眼で研究を行えたのは、東工大にいてよかったと思える点のひとつです。
チオレドキシン研究の権威たちへの質問
東工大にいてよかったことは他にもあり、その一つが最先端の研究が行われていた吉田研究室にノーベル賞受賞者などが訪ねて来ていたことです。そのような環境にいると、彼らのような人たちと話すことに対してあまりハードルがなくなってきます。
そしてチオレドキシンというタンパク質を自分の研究分野として開拓しようと思った際には、まずその分野の権威たちと話をしてみたいと思ったのです。学会や留学先でレナーテ・シャイベ(Renate Scheibe)教授やペーター・シューマン(Peter Schürmann)教授と会えるという機会があったため、聞きたいことを事前にノートに書き留めておき、こういうことは分かっていますかと質問をしに行ったのです。一番嬉しかったのは、まだ分かっていないのではないかと思って質問したことについては、全部答えが「ノー」だったことです(注釈 私はNegative Questionをしたので、わかっていないよという回答はNoだったという意味です)。つまり、それらを研究すれば第一人者になれると考えて、ぜひ自分で研究しようという気持ちになりました。
自身の研究の継承、広がり
チオレドキシンの片手を潰してプロテオミクス研究6を始めたのが1997年頃なのですが、論文を出したのは2001年です。2001年に論文を出してから、多くの研究者がこの方法の真似をしてどんどん論文を出してきました。
私が始めた頃には、植物でチオレドキシンの標的(注釈 チオレドキシンが還元する相手タンパク質)として分かっていたのは10種類しかありませんでしたが、世界中の研究者が同じような研究をした結果、例えば葉緑体の中でチオレドキシンの標的になると思われる酵素が300種類ぐらい見つかりました。今度はそれらの酵素のひとつひとつが、本当に標的になるかを生化学的に地道に解明するという研究を開始しました。
ちょうどそんなふうに研究を展開をしようと考えていたときに、私の研究室に東京大学の寺島一郎さんの研究室からポスドクで移ってきたのが吉田啓亮さん7です。非常に優秀な研究者で、植物のチオレドキシンに関する私の研究をサポートしてくれました。私の研究室でポスドクと助教として12年半研究を行い、現在は東京科学大学の准教授になっています。私の行っていた技術的な面やアイデアの大部分は彼が引き継いでくれていて、今後様々な方向に研究を展開していくだろうと思っています。
先ほどチオレドキシンの標的として300種類ぐらいの酵素が見つかったとお話しした通り、植物の中のいろいろな酵素が実際にこのチオレドキシンで制御されます。つまり、太陽光が当たる昼と夜との間でオンオフを全体的にしているわけです8。我々が夜に寝て昼に起きるのと同じように、植物が夜に寝て昼に起き、いろんな活動をするために必要な酵素全体が制御されていると考えられるため、そうした点をさらに明らかにしようとする研究が世界的に行われています。
これは植物の機能の制御の研究ですから、うまく使えば生産性の向上や環境変化に対する耐性の向上といった領域でも重要になると考えられており、そういう方向にも研究がどんどん展開している状況だと思います。
全ての生物に備わるチオレドキシン
非常に面白いことに、チオレドキシンというタンパク質は我々人間にもあるのですが、人間は2種類しか持っていません。一方、植物のゲノムを調べると20種類あります。
この2種類と20種類の違いは何かの合目的的な説明を考えると、例えば、動物ならば暑ければ日陰に移動する、寒ければ暖かい方に移動するのに対し、植物は移動できない。そうした環境の変化に対しては、制御系をしっかり持っていることの方が生存には有利だったのだろうと推測をするわけです。それが本当かは分かりません。でも、そういう遺伝子を持っていた植物の方が持っていなかった植物よりは有利で、それが現在も残る植物種なんだろうなと思います。
遍在するものにある重要な問い
私は、全ての生き物が持っているのに現時点で分かっていないことを調べたい。例えばATP合成酵素は全ての生き物が持っています。また、ゲノムが解読された生物は3,000以上ありますが、その全てにチオレドキシンがあり、それも非常に重要です。なぜかというと、その遺伝子を潰せば生き物は生きられないことが分かっているからです。自分で重要だと思える、そのような分野を専門にしようと思いました。
一方、存在の知られていないものを発見するということに重要性を見出し、そうした研究をする人も世の中にはたくさんいます。どちらがいいか悪いかではなくて、自分としてどっちを向くのがいいかだと思います。
研究アイデアを能動的に追及する
自分で好奇心を持ってこれはどうなるのだろうと考え、次にこんなことを知りたいと思うから研究が自分の中で成り立つような気がします。
それに関して、私たち教員が一年の中で一番汗をかくのは学年の初めです。毎年新しい学生が研究室に加わってきますが、彼らに対してこんなことが分かれば面白いよねというアイデアを私たちも示さなくてはなりません。それも、毎年4、5人の学生がいるわけですから1つではだめなのです。しかも、いわゆる犬猫実験ではダメなのです。犬猫実験とは、犬ではこうだが猫ではどうだろうという一番簡単な研究テーマの考え方です。
誰も知らなくてこれが分かれば面白いということが5個なり10個なり常に自分の中から出てこなければいけません。それが出てくるようにするために常に論文を読んで勉強を続けるわけですが、そのように頭を回転させ、頭で汗をかくことが、研究者を続ける上では大事だと思います。
基礎研究の価値
2025年のノーベル化学賞を受賞された北川進先生もノーベル生理学・医学賞を受賞された坂口志文先生も、基礎研究は大事だと言われています。一口に基礎研究といっても幅があるとは思いますが、科学者というのはもとより何か知りたいという知的好奇心を持っています。それは普遍的に重要な人間の「知りたい願望」だと思います。基礎研究をやりたいと思う人は、分からないことがあったらぜひ知りたいと思うものです。
発明などの場合、何か役に立つものを作るといった動機があり方向性が違うように思えますが、その発明を実現するためには根本原理を分からなければいけない。その意味では同じように基礎的な研究だと言えると思います。
地球環境の変動について
環境変動のことは、本当に心配しています。温暖化の原因がCO₂であるかについては研究者の間で様々な意見がありますが、地球全体の温度が上がっているのは間違いありません。1950年以降も現在まで上昇する一方なのです。
またCO₂の濃度も、産業革命以前、大気中に0.03%しかなかったのが今や0.04%を超えってしまっており、確実に増加しています。植物学者としては、CO₂を使って光合成を行う植物に何とかしてCO₂を吸収してもらった方がよいと考えます。
ただ、この点に関していくら植物学者が叫んでも、今のアメリカの大統領みたいな権力者が温暖化は嘘だなどと言ってしまうとどうにもならないのではないかと、あきらめに近い気持ちもあります。
環境破壊が実際に人間の活動によって行われているのは間違いなく、例えば南米のアマゾンでバイオエタノールを取るために森林が削られていて、明らかに地球上の植物量全体が減少していることはあると思います。これも人間の活動なので誰かひとりでコントロールすることはできないでしょう。
環境耐性の向上や収量増加を目的とした品種改良について
日本では昔からずっとイネの品種改良が行われており、生産性がものすごく上がってきています。これは遺伝子を意図的に書き換えているわけではなく、農林水産省の研究所などが有効なイネを選抜して育成を続けることでできているわけです。同じようなことは様々な植物、作物について行えるだろうと思います。
ただ、自然界を考えると、環境の変動に対し何が生き残るかについては、自然が勝手に答えを出してくれます。例えば、日本に入ってきた外来植物がどんどん増えて在来種が追いやられてしまうようなことは、生物間の競争だから仕方がないといえば仕方がない。環境に適した植物が増えて生き残っていくのだというふうに考えると、何も人間がわざわざ書き換えて増やさなくたって自然界は勝手に答えを出すだろうなという気もします。
大隅基礎科学創成財団とは
公益財団法人大隅基礎科学創成財団は、基礎研究の大切さを常に唱えられてきた大隅良典先生9が基礎研究をサポートするために2017年に設立された財団です。大きな活動のひとつとして、約6,000万円の研究費を公募で集まった研究提案の中から選抜して年間12件ほどを支援していますが、この支援の原資はすべて寄付で成り立っています。
実際、大隅先生のもう一つの目標は日本に寄付文化を根付かせることで、財団を作って企業経営者などに声をかけたところ賛同し寄付してくださった企業経営者が何人もいました。年間6,000万円をずっと拠出し続けて来年で10年になります。なかなかすごいと思います。
大隅基礎科学創成財団のもう一つの大きな活動は、科学を世の中に根付かせようというもので、小中学生や高校生に対して基礎科学の面白さを伝えるためのサイエンスカフェを開催したり、研究者が分かりやすく研究を紹介したりする活動を行っています。
さらに、企業経営者に研究の面白さを伝えて理解してもらう活動も行っています。世の中ではそれがすぐにお金になるかどうかという話になりがちですが、今はお金にならないかもしれないけれどうまく発展するとすごいビジネスにもつながるかもしれない、シーズ=種としてお話ししています。儲かるか儲からないかの話はせずに、とにかくこんなに面白い研究があるということを分かっていただく活動をしています。これらがこの9年間の財団の活動です。
ある研究が将来どこで芽吹くかということについて予想はつかないでしょう。いきなり発展することもあれば、じわじわ伸びていくことがあるかもしれません。ですから、面白いことになるのではないかという期待感を持って一緒に研究を面白がることが大事だと思います。
日本では小学生の頃から教科として理科を教えており誰もが一度は理科に触れるわけで、研究が面白いことにつながるんだという期待感を持つための基礎は皆にあるはずです。研究者が研究を面白いと思う気持ちを多くの人に共有してもらえたらいいだろうなと思います。
総合研究大学院大学の特徴
私が監事を務める総合研究大学院大学(以下、総研大)は、1988年に国立の大学院大学としては最初にできた大学で、学部はありません。国立の研究所が大学院教育を行うために設立された大学院大学で、基盤機関と呼ばれる19の研究所・博物館などが教育の現場となるように組織が構成されています。
この基盤機関には、高エネルギー加速器研究機構や自然科学研究機構、国立極地研究所、国立遺伝学研究所などの自然科学系の研究所に加え、国立民族学博物館や国立歴史民俗博物館、最近メンバーに加わった国立国語研究所などもあり、また、統計数理研究所や国立情報学研究所も含まれていて、人文社会科学から自然科学までの幅広い分野をカバーしています。
総研大は通常の大学とは違って研究をする専門機関で組織されており、それぞれが充実した研究リソースを持っています。そして、そのリソースを活用して大学院生に博士課程の研究を行ってもらうための大学院大学です。奈良先端科学技術大学院大学や北陸先端科学技術大学院大学、最近できた沖縄科学技術大学院大学にも構成は近いですが、総研大の一番の特色は大阪から筑波までの全国の様々な分野の国立研究所・博物館で構成されているという点です。
監事というのは、大学組織の中では理事や学長がきちんと仕事をしているかを監察する立場です。おかしいところについてここはおかしいですよと言う側なのですが、大学院大学の運営が上手くいくようにいろいろな橋渡しができればいいなと思っています。事務局の職員や学生、基盤機関の教員の声を聞き、それを運営に生かせるか学長や理事と意見交換を行い、様々な提言をしています。
研究者の自立とは?
研究者の自立とは、自分が持っている知的好奇心によって何を研究するかを自分で決め、そのテーマを自分で研究できることでしょう。必要な研究費を獲得し、それを自分で形にして、最終的には結果を―自然科学系では論文に、人文科学系では著書にして―発信していく。その一通りを自分でできるようになることが自立した研究者になることだと思います。
学生がいきなりその全部をできるわけではないため、できるようにサポートしていくのが大学院教員の仕事だと思います。私は大学教員としてほぼ30年東工大にいて100人ほどの学生を育てました。「私が考えているこんなことを誰かやってみないか」と提案し、手を挙げた学生たちとディスカッションして研究テーマを決めてもらい、研究してもらうということをやっていました。そうして育てていくと学生も次第に生意気になっていき、「先生はそう言われますが、こうした方がいいと思います」などと言えるようになってくるわけです。それが自立した研究者になる取っ掛かりになるのだろうと思います。
人との出会いや縁
人との出会いは偶然だという気がします。たまたま出会った人の中で自分と相性が合う人を見つけるために必要なのは勘だと思います。そういう勘がどのくらいうまく働くかということに尽きるのではないでしょうか。人との出会いというのは一回きりですが、その一期一会の出会いから何を生み出すかはその人の心構え次第です。
恩師の櫻井英博先生に対しても勘が働いたと思いますし、私が初めて参加した国際会議の会場でポスターを手書きしていたハインリヒ・ストロットマン教授(後述)も、これは面白い研究者がいるなと思って話してみたくなったのです。自分が興味を持ってこの人と友達になってやろう、そういったことからつながりはできていくのだと思います。
ある程度こちらも発信しければいけません。相手に理解してもらえる何らかの努力というのは必要で、全くしゃべらない人よりはおしゃべりな人の方が多少は有利かもしれないですね。私は基本的におしゃべりな方なのでそのことにあまり困ったことはないです(笑)。たまたまかもしれないですが、そういう意味では私は人に恵まれていると思います。
AI時代における実体験の価値
実際に見る、実際に話をするということは大事だと思います。
私は東工大のグローバルCOE (Center of Excellence)10のプログラムで学生たちによる乗り込みの講演会を発案したのですが、それは大学院生が外から偉い先生を呼んで話を聞くのではなく、逆に企業の研究所や他の大学の研究機関に乗り込んでいって押しかけ講演会のように話を聞いてもらうというものです。
学生にとっては勇気のいることですが、企業などに行くと学会とは全然違う視点で研究についてのいろいろな指摘を受けます。それによって今までなかった気づきが得られ、学生たちはすごく刺激を受けたと思います。そういうことは実際に行ってみないと起こりません。
例えばグローバルCOEで学生をスイスに連れて行きましたが、「こういう研究環境で研究できるんだ」と感動してジュネーブ大学に移ってしまった学生もいます。逆に、日本の某研究所に押しかけで講演会をしに行ったところ、学生のひとりはすでにその研究所への就職が決まっていたにもかかわらず、就職を辞退したということもありました。悪いことをしたなとも思いましたが、やはり実際に行ってみないと分からないではないですか。
多くの先生が一度は海外に行った方がいいと若い人に言います。私は海外に出かけたのがすごく遅くて、初めての海外の学会は27歳の時で、留学は32歳の時でした。
遅かったけれど、やはり行くと価値観が変わりますね。実際に現場に行くことの経験はすごく大事だと思いました。これは、Zoom会議やAIとの会話の中では絶対に学べないことだと思います。
海外で培ったサバイバルスキル
私が滞在したデュッセルドルフの日本人コミュニティはすごく大きかったのですが、留学先のデュッセルドルフ大学は日本人のコミュニティとは離れたところにあって、学内では日本人に会うことがほとんどありませんでした。
ストロットマン先生(Professor Dr. Heinrich Strotmann)の研究室にお世話になったのですが、彼はもともと放任主義で、何か手続きを頼みに行っても「もう大人だから自分でやりなさい」と突き返されてしまうのです。だから当時は本当に片言のドイツ語で日常生活すべてを何とかするしかありませんでした。
日常生活と言えば、例えば、寮で洗濯をするには専用のコインが必要なのですが、そのコイン1枚を手に入れるために事務所に行ってドイツ語しか話さない寮母さんに何とか話を通じさせ、手に入れた後もドイツ語でしか説明の書かれていない洗濯機を何とかして動かすという具合です。
役に立ったサバイバル術という意味では、鍋1つでご飯を炊けるようになりました。ドイツでは米を牛乳で炊いて、甘いお粥にして食べるミルヒライスというものがありますが、そのお米が日本の米に近い形をしていたのでこれだと思い、小さな寸胴鍋を使って火加減と水加減を自分で工夫し、どうすれば日本のご飯のようになるかというレシピを数日で開発しました。そういう色々な工夫は役に立つだろうと思います。また、ある時、電気ポットを倒して太ももに熱湯がかかってしまい大やけどをした際には、持っていた抗生物質とティッシュを使って1週間ぐらいで何とか治したということもありました。
このような話をするとそれは研究者だからだと言われたりもしますが、外国に留学しようとする研究者であればそれくらいはやってもいいかなと私は思います。いろいろ自分で工夫してその場にあるもので何とかするということは、割と今までもしてきた気がします。もしかしたら無人島に行っても生き残れるかもしれません(笑)。
英語での苦労とアドバイス
よく言われるように、習うより慣れろですね。 あとは度胸です。
外国に行くと、みんながみんな流暢な英語を話しているわけではないということも分かります。それでもきちんと通じているわけです。自分が言いたい内容が伝わるように話す訓練をすることが全てだと思います。
私たちの世代は、中学校でI have a book.とかThis is a pen. から英語を習い始めたわけですが、今の学生でも主語、述語、目的語というのを叩き込まれた意識が抜けないために、外国人と話していても会話に入ってこなれないということがあります。センテンスを作るのに、ここは過去形だろうか、複数だろうか単数だろうかなどと頭の中で考えているわけですが、それでは会話になりません。とりあえず単語でもいいから発信するという度胸をつけるには、経験を積むしかないでしょう。
私はもともと英語の成績が悪くて英会話も苦手だったので、ドイツに留学した時には自分でも努力をしました。ストロットマン先生の研究室にティールーム(談話室)があり、みんながお茶を飲みに来るわけですが、空いた時間には必ずそこに一人で座って誰かが来るのを待っていました。学生でもポスドクでも来たら捕まえてとにかく話をする。そうすることで一所懸命に自分の脳を鍛えました。
彼らは日本文化にすごく興味があり、いろいろなことを聞いてくるのです。例えば日本国憲法には第9条があるよねという話をしてくるわけです。あるいは、日本はいまだに死刑制度があるなどという話をされると、こちらもきちんと意見をまとめて発信しなければいけなくなるので、雑談の中ですごく鍛えられたという気がします。このことは、学会発表などの際に相手に分かってもらう話をする努力という意味でも効果があったと思います。

研究キャリアの中で最も苦しかった時期
幸せに定年まで来てしまった感じがしていますが、強いて言えば学位を取って最初に早稲田大学に助手として就職した時でしょうか。
当時の早稲田大学の助手は3年任期で、日本では唯一の任期付き助手でした。任期付きのため、他の大学で助手の公募があると応募書類を出すのですが、なぜ給料のいい早稲田にいる人が地方の大学の助手に応募してくるのかと思われてしまったようです(これは実際にある大学の事務の人に言われました)。北海道から鹿児島までの大学に応募書類を出してみんな落ちました。その時はさすがにちょっときつかったです。この先どうなるのだろうと、研究者としてのキャリア以前に、目標としていた大学教授になれるのだろうかと不安になりましたね。
若手研究者へのアドバイス
今は、研究キャリアの形成が厳しくなったのは間違いないです。1985年に助手になった私の任期は 3年で、当時は任期付きのポストは他にありませんでした。しかし今ではどこの大学も任期制になっていて、ポスドクや助教も安定した仕事とは必ずしも言えません。視野を広げる以外にはないわけで、アカデミアだけが研究者が生きる道ではないのはもちろん、民間企業であれ海外であれ自分の可能性をどこで広げるかについては自由に考えた方がいいと思います。
実際、私も東工大の研究室で博士課程の学生を十数名育てましたが、アカデミアに残っているのは1人しかいないのですよ。もっと自由でいいということを日頃から言っていたら、残念ながらみんなアカデミアに残らなくて・・・。ですからアカデミアには弟子がほとんどいない訳です。ただし、みんな企業の研究所などで今は幸せにやっているので、そういうふうに視点を広げることは大事なのではないかと思います。
ポスドクの問題は生物系で最も顕著です。生物系の人はアカデミア思考が強いようで、しかし、ポストには限りがあるため結果としていつまでもポスドクを繰り返すとことになってしまう。東工大でGCOEを始めとした様々な活動をしている時に、化学など他の分野の人たちを見ていると彼らはもっと自由なのですね。別に大学だけが自分の才能を生かせる場ではないと考えていて、企業であったり国立の機関であったり広く活躍しているので、やはり自由な発想は必要だと思います。
心身の健康を保ち研究に情熱を持ち続けるには?
好奇心を持って、日常的に面白がる気持ちを持ち続けることがすべてではないでしょうか。ちょっと残念なことがあっても、こういうことも面白いと自分からポジティブに考え続けることは大事だと思います。
健康を維持するために私はジョギングやマラソンをしていますが、そのように研究以外のところで自分をコントロールする場を持つのも大事だと思います。日常的にジョギングしている間にいろいろなアイデアが浮かび、研究室で困っていることも走りながら解決方法を考えてそれを生かすということをわりとよくやっていました。そのような切り替えも大切だなと思います。
日本の研究力を向上させる上で社会に求めたいこと
みんなが研究を面白がってくれるようになってほしいです。現在は、例えば国立大学の運営費交付金が減額された問題や日本学術会議の問題などいろいろなことがありますが、それ以前に「研究って面白い」ということをみんなが分かってくれることが大事です。
そのためには研究者の側も変わらなければならず、面白いことがあるということをどんどん発信して社会の研究に対する理解を深めることが必要なのではないでしょうか。難しいことを難しく話す研究者はたくさんいますが、難しいことを分かりやすく話すことのできる研究者はまだ少なくて、そのような人材をきちんと育てなければいけないと思います。
研究内容を分かりやすく伝えることによって研究者が社会から認知され、研究を支えるという文化が日本に根付けば、その次のステップとしてノーベル賞が取れるとか、社会に役立つ新たな研究成果が生まれるといったことも見えてくるでしょう。研究を面白がり支えるという素地を日本に整えておくという努力を、研究する側と研究を見る側の両側でしなければならないだろうと思います。
研究者の生き様って面白いんですよ。面白い研究者たちを題材にしたドラマや映画を作ればいいのにと思います。そういう切り口も、研究の面白さを社会に伝える一つの道になるのではないでしょうか。
脚注:
1 1946年、学習研究社(現:株式会社学研ホールディングス)から創刊された小学生向けの学習雑誌。1979年には最多刊行数月販670万部を記録した。
2 櫻井英博(さくらい ひでひろ)博士。早稲田大学名誉教授、神奈川大学総合理学研究所客員教授。植物生理学や再生可能エネルギー分野の研究者で、早稲田大学では大学環境保全センター所長、持続的未来研究所長等を、神奈川大学では光合成水素生産研究所プロジェクト研究員を歴任。
3 生物の細胞がエネルギー通貨として使うATP(アデノシン三リン酸)を細胞内で合成する酵素。
4 遺伝子配列をもとに発現するタンパク質の総体。タンパク質(protein)と総体(-ome)を合わせた造語。
5 吉田賢右(よしだ まさすけ)博士。東京工業大学名誉教授、京都産業大学シニアリサーチフェロー、JT生命誌研究館顧問。2006年ミッチェルメダル受賞。生体エネルギー分野の著名な研究者で、ATP合成酵素の分子モーターの回転を顕微鏡下でビデオ撮影することに世界で初めて成功。
6 細胞や組織内における全タンパク質(プロテオーム)の包括的・網羅的な研究。
7 吉田啓亮(よしだ けいすけ)博士。東京科学大学総合研究院化学生命科学研究所准教授。システム制御の視点からの植物の光合成の研究を行う。
8 旧・東京工業大学 東工大ニュース 植物はどのようにして眠るのか 植物が夜に光合成の酵素を眠らせるしくみを解明
植物が夜間に光合成の糖代謝を抑えてエネルギー浪費を防ぐしくみの一端を解明した同研究の成果をまとめた論文「Thioredoxin-like2/2-Cys peroxiredoxin redox cascade supports oxidative thiol modulation in chloroplasts」は、PNAS (Proceedings of the National Academy of Science、米国科学アカデミー紀要に掲載された。
9 大隅良典(おおすみ よしのり)博士。東京科学大学栄誉教授。2016年「オートファジー(細胞の自食作用)の仕組みの解明」に対しノーベル生理学・医学賞を受賞。基礎科学の振興を目的として、ノーベル賞の賞金を拠出して2017年に「公益財団法人大隅基礎科学創成財団」を設立。
10 大学の構造改革の方針に基づき、2002年から新たに開始された文部科学省の研究拠点形成等補助金事業。「21世紀COEプログラム」およびその後継制度「グローバルCOEプログラム」において東京工業大学でも複数のプログラムが採択された。そのひとつがグローバルCOEプログラムの「新たな分子化学創発を目指す教育研究拠点」。
