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2017年に学術界を揺るがした衝撃的事件(前編)

どんな年にも事件は発生しますが、中でも2017年は、学術界を揺るがす衝撃的な事件がいくつも起きた年でした。訴訟、ボイコット、辞任……。1年を通して、研究者と学術出版界の関係に大きな影響を与える事件が多数発生しました。2017年に学術界を騒がせた注目すべき事件を、前編・後編に分けて振り返ってみます。

■ 海賊版論文サイト「サイハブ」訴訟

「サイハブ(Sci-Hub)」は、公式出版社のサイト以外から学術論文を無料で閲覧できる、いわゆる「海賊版論文公開サイト」です。2017年6月、サイハブは、大手学術出版社エルゼビアが起こした訴訟に敗訴し、やはり論文を違法に無料で入手できるサイト「ライブラリー・ジェネシス(Library Genesis/LibGen)」などとともに、著作権侵害の損害賠償として1500万ドルの支払いとウェブサイトの閉鎖を、ニューヨーク州地方裁判所に命じられました。

同年11月3日には、米国化学会(ACS : American Chemical Society)がバージニア州の地方裁判所に起こした訴訟にも敗訴し、480万ドルの損害賠償の支払いを命じられました。また、この判決には、サイハブに協力する運営会社、ドメイン登録・検索エンジンやプロバイダーなどのインターネットサービスに対し、サイハブへのリンクやアクセスをブロックすることが可能となる差止め命令も含まれました。

もともと、ACSは、積極的にリンクを貼るなどユーザーをサイハブに結びつけることの禁止を求めていましたが、検索エンジンやプロバイダーへの措置までは求めていませんでした。実際、ISPが積極的にサイハブに協力していたわけではないことから、検索エンジンやプロバイダーにサイハブへのアクセスを禁止することまでは必要ないと考えられていたのです。しかし、バージニア州地方裁判所は、多くのインターネットサービスに影響を与える全面的差止めを命じました。

結果として、2017年11月、少なくともサイハブの4つのドメイン(sci-hub.cc, sci-hub.io, sci-hub.ac, aci-hub.bz)は恒久的に閉鎖されました。もっとも、ツイッター上では、サイハブのドメインがまだ使用されているようですし、サイハブ自体は、アメリカの司法の力が及ばないロシアのサーバーで今もサービスを提供し続けています。

この差止め命令に納得していないプロバイダーやユーザーもいます。日米欧の大手コンピューター企業/通信会社で組織する業界団体(CCIA: Computer&Communications Industry Association)が差止め命令への異議を唱えましたが、裁判所は応じませんでした。今後、この差止め命令に対して異議申し立てを行う団体がさらに出てくるかもしれません。グーグルなどのISPがサイハブへのアクセスを削除することへの懸念の1つとして、インターネット上で混乱が生じる恐れがあります。ユーザーがこの差止め命令を知らない場合があるからです。そして、インターネットの中立性が損なわれることも危惧されます。

このサイハブへの判決および差止め命令が今後、学術界にどのような影響をもたらすか、注目されます。

■ ドイツの主要学術機関、エルゼビアとの契約交渉決裂

ドイツの大学を含む学術機関が、大手学術出版社エルゼビアが発行する雑誌を購読できなくなったという出来事がありました。

大学などの教育機関による学術データベースへのアクセスを巡る議論は、今に始まったことではありません。学術機関は、論文を入手するために出版社に高額な購読費を払わなければならないことに抗議し続けてきました。年間1000ドル、あるいは必要なジャーナルが増えればそれ以上の購読費を何十年も支払い続けることは、学術機関にとって大きな負担です。抗議の末、多くの大学は、学術出版社エルゼビアとの購読契約の更新を見送る策を取り始めました。エルゼビアとドイツの大学との契約交渉は決裂し、約200の大学や研究機関が、エルゼビア発行のジャーナルに掲載された論文へのアクセスを、失ったのです。

ドイツの大学や研究機関が結成したコンソーシアムProjekt DEALは、2016年、大学や研究者らのために、全ての大手出版社とライセンス契約を全国規模で締結することをめざして、交渉を開始しました。しかし、いくつかの出版社との交渉は成立したものの、エルゼビアとの2年にわたる交渉は中断されました。この結果、交渉に関わったすべての学術機関が、エルゼビアのジャーナルへのアクセスを失ったのです。

エルゼビアにオープンアクセスを求める動きは、ドイツにとどまりません。何千人ものフィンランドの研究者らが、2016年11月以降、エルゼビアをボイコットしています。

エルゼビアとの交渉が成立しない限り、ドイツの学術機関は、ほとんどのジャーナルへアクセスすることができません。これは、世界の学術界にとっても痛手です。ドイツの問題を先延ばしにすることは、将来、他の国でも同様の問題が生じるかもしれないことを意味しています。論文を読むために高い購読料を支払わなければならない研究者にとっては、研究論文の購読が一層困難となり、科学あるいは学術上のイノベーションを減退させることにもなりかねません。ドイツの学術機関は、ジャーナル購読料の負担軽減を切望しています。しかし、そうなれば購読料が主な収入源である学術出版社は、行き詰まってしまいます。互いに譲れぬ局面にいることは確かです。

もっとも、この流れは、研究者が新しい出版システムを構築する動きにつながる可能性を有しています。研究者が特に興味を持っているジャーナルのオープンアクセス化は、研究活動のリテラシー向上の潜在性を秘めており、ビジネスモデルを根本から変えるかもしれません。
この事件がいかなる結末を迎えるとしても、学術出版界が岐路に立っていることは、疑いないと言えるでしょう。

 

こんな記事もどうぞ

エナゴ学術英語アカデミー:
米国化学会、海賊版論文サイト「サイハブ」に勝訴
エルゼビア社、海賊版論文サイトに裁判で勝利したが…
海賊版論文公開サイトは学術出版モデルを変えるのか

参考記事

enago academy:
More German Universities Cancel Elsevier Contracts
Elsevier’s Open Access Controversy: German Researchers Resign to Register Protest
completemusicupdateAmerican: web-blocking injunction unlikely to result in any web-blocking
torrentfreak: Sci-Hub Loses Domain Names, But Remains Resilient
sciencemag: Elsevier journals are back online at 60 German institutions that had lost access

 


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エルゼビア社、海賊版論文サイトに裁判で勝利したが…

2017年6月21日、アメリカのニューヨーク地方裁判所は、「サイハブ(Sci-Hub)」や「ライブラリー・ジェネシス(Library Genesis/LibGen)」といった、有料の学術論文を無料で入手できるウェブサイトに対して、著作権侵害による損害賠償として1500万ドルを支払うべきだと裁定しました。

本連載でも伝えた通り、ジャーナル(学術雑誌)の購読費が高騰していることにより、論文を入手しにくくなっていることに対して、多くの研究者が不満を抱いています。その1人であるカザフスタンの大学院生アレクサンドラ・エルバキャンは、2011年、購読費もパスワードも使うことなく学術論文のPDFファイルを簡単に入手できるウェブサイト「サイハブ」を開設しました。

サイハブは多くの研究者に重宝されていますが、当然のことながら学術出版社はこれに激怒しています。なかでも学術出版最大手のエルゼビア社はサイハブを訴え、2015年11月、ニューヨーク地方裁判所はサイハブに対しウェブサイトの閉鎖を命じました。しかしエルバキャンはサーバーを、アメリカの司法の力がおよばないロシアに移し、現在に至るまでサイハブを運営しています。

今年5月、エルゼビア社はサイハブや、やはり有料の論文を無料で入手できるサイト、ライブラリー・ジェネシスで不正に入手できる論文100件のリストを裁判所に提出し、恒久的な差し止め命令と総額1500万ドルの損害賠償を求めました。

『ネイチャー』(6月22日付)によれば、サイハブで入手可能な論文の版権のうち、最も多くのシェアを占めていたのは、エルゼビア社でした。それにネイチャー・シュプリンガー社やワイリー・ブラックウェル社が続きます。

エルゼビア社の訴えに対して、ニューヨーク地方裁判所のロバート・スウィート判事は、海賊版論文サイトの運営者も代理人もいない法廷で、エルゼビア社寄りの判決を下したのです。しかし、多くの学術ウォッチャーたちは、この判決がサイハブやライブラリー・ジェネシスの運営を止められるとは考えていないようです。実際のところ、7月現在、どちらも利用可能です。エルゼビア社の代理人や出版業界団体は、当然ながらこの判決を歓迎するコメントを各媒体で述べています。

興味深いのは、識者たちの見解です。たとえば2人の識者が別の媒体で、ほとんど同じことを話しています。インペリアル・カレッジ・ロンドンの生物学者スティーブン・カリーは『ネイチャー』で、セント・アンドリュース大学の歴史学者アイリーン・フィフェーは『タイムズ・ハイアー・エデュケーシション』で、それぞれこう述べています。サイハブが人気だということは、学術出版の現状に不満を抱えている研究者がそれだけたくさんいるのだ、と。

また、サイハブについて最初に書かれた学術論文の著者の1人、ゲーテ大学の生物情報学者バスティアン・グレシュアケは、この判決によって、サイハブやライブラリー・ジェネシスを使う人たちはむしろ増え、さらに彼らは同様の「法的に問題のある」サービスを開発するよう刺激されるだろう、と推測しています。実際、「オープンアクセスボタン(Open Access Button)」や「アンペイウォール(Unpaywall)」といった研究論文を入手するためのウェブサービスやアドオン(これらは合法)は、多かれ少なかれサイハブに触発されてできたものだ、と。

さらにスタンフォード大学の教育学者ジョン・ウィリンスキーは、今回の判決はエルゼビア社が公的な資金で行われた研究を「企業資産と私有財産」に変えてしまっていることを意味する、と厳しい評価を下しています。

学術出版社に対する批判は別の形でも現れています。「数学界のノーベル賞」と呼ばれるフィールズ賞を受賞した数学者を含む著名な科学者たちは、2012年、エルゼビア社が発行するジャーナルの購読料の高さなどに抗議して、同社への論文の寄稿・査読・編集をボイコットするという「学界の春(Academic Spring)」運動を始めました。この運動はオープンアクセスの推進にも広がり、同社を支持しないと表明する宣言への署名運動「知識の代償(The Cost of Knowledge)」となって広がっています。

確かに、サイハブは違法なのでしょう。しかしながら、エルゼビア社をはじめとする学術出版社がこうした研究者たちの不満に対する解決策を提供できていないのも事実なのです。


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ライター紹介:粥川準二(かゆかわじゅんじ)
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。明治学院大学、日本大学、国士舘大学非常勤講師。著書『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森川麻衣子ほか訳、人文書院)。博士(社会学)。