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海賊版論文サイト サイハブ / Sci-hub をめぐって

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筆者は数年前まではどの研究機関にも属していなかったので、オープンアクセスになっていない科学論文を手に入れることに苦労していました。わざわざ図書館で印刷版をコピーしたり、大学などに属している友人にPDFファイルを送ってくれるよう頼んだりしていました。大学で教えるようになってからも、あえて何の特権もないままでどれだけ論文を入手できるかを試してきました。

幸いにも最近はオープンアクセスの論文も多くなりました。また、大きな声ではいえないものの誰でも知っているように、たとえ出版社のウェブサイトでアクセス制限があっても、「Google Scholar」などのデータベースをうまく使うと、インターネット上のどこかにアップされているPDFファイルが見つかることもあります。

一方、ジャーナルの購読料が高騰しているために、大学のなかにはジャーナルの定期購読をやめてしまい、研究者に必要な論文を個々に購入するよう求めているところもあるようです。また、いわゆる先進国ではない国々の研究者たちにとって、論文の入手にかかるコストは、先進国の研究者よりもずっと重いものでしょう。

2011年、そんな状況に不満を抱いたカザフスタンの大学院生アレクサンドラ・エルバキャンは、コンピュータのスキルを駆使して、数万件もの論文のPDFファイルを誰でも簡単に無料で入手できるウェブサイト「サイハブ(Sci-hub)」を創設しました。ネット上では、多くの研究者がサイハブを賞賛しました。

これに待ったをかけたのが、いうまでもなく出版社です。学術出版大手のエルゼビア社は サイハブ を訴え、2015年11月、ニューヨーク地方裁判所はサイハブが著作権保有者としての出版社の法的権利を侵害していることを認めて、ウェブサイトの閉鎖を命じました。「sci-hub.org」からは論文をダウンロードすることはできなくなりましたが、すぐに、「sci-hub.io」や「sci-hub.bz」、「sci-hub.cc」というミラーサイトが現れました(6月20日現在、「.io」は使えなくなっているようです。今後の展開次第では「.bz」や「.cc」も使えなくなったり、新たなミラーサイトが立ち上げられる可能性もあります)。そのサーバーは、アメリカの司法の力が及ばないロシアにあるようです。

サイハブは、いまでは50万件もの論文を収録しているといわれています。ただ、サイハブにはどれくらいのユーザーがいるのか、彼らはどこにいるのか、彼らはどんな論文をダウンロードしているか、といったことは明らかではありませんでした。

ジャーナリストのジョン・ボハノンは、エルバキャンからサイハブの詳細なログ・データを提供してもらい、その分析結果を『サイエンス』で「海賊版論文をダウンロードしているのは誰だ? みんなだ」という記事にまとめています(なおそのデータセットはここに公開されています)。その記事は、2015年9月から2016年2月までの6カ月間で2800万件ものダウンロードがあったこと、最もダウンロードが行なわれた国はテヘラン、インド、中国であり、都市でいえばテヘラン、モスクワ、北京であったこと、その一方で、アメリカやヨーロッパ諸国といったいわゆる先進国でもかなりのダウンロード数があること、などを明らかにしました。

最も打撃を受けた出版社はエルゼビア社のようです。同記事は、最近の1週間だけで、エルゼビア社が発行するジャーナルに掲載された論文のダウンロードが50万件あったと推測しています。

少し気になるのは、前述のように、ジャーナルへのアクセス環境が整っている先進諸国でも多くのダウンロードがなされていることや、2番目に多くダウンロードされている論文がオープンアクセスになっているものであるということです。同記事は次のように書きます。

サイハブを批判する者のなかには、多くのユーザーが同じ論文に図書館経由でアクセスできるのに、サイハブを使っていることに不満を述べている −− 必要だからというよりも便利だからである。アメリカはロシアに続いて5番目にダウンロードする者が多い国である。サイハブへの論文リクエストの4分の1は、経済協力開発機構(OECD: Organisation for Economic Co-operation and Development)に加盟する34カ国から来ている。ジャーナルへのアクセスが最もよいと考えられている豊かな国々である。

つまりサイハブは、論文を入手するために便利な、ただのポータルサイトにもなっているということです。確かに、たとえば自分が所属している研究機関がジャーナルを購読していても、それにアクセスするためにはパスワードが必要だったりして面倒です。サイハブなら、論文の題名を検索窓に入れるだけです。

もちろん出版社サイドは、サイハブに批判的です。たとえば『ネイチャー』では次のように伝えられています。

ワシントンDCにある科学出版の業界団体「アメリカ出版協会」の職業的学術出版部門長でエクゼクティブディレクターのジョン・タグラーは「サイハブの違法行為は、学術コミュニケーションすべての持続可能性を脅かします」と言う。彼は大きな出版社だけが被害者ではないことを指摘する。「より小さな出版社や大学の出版局が持っている論文すべてが盗まれているのです」と彼は付け加えた。

エルバキャンはエルゼビア社から、著作権違反だけでなく違法なハッキングについても訴えられています。そのため逮捕される可能性があることも彼女は認めています。以前に、同じように大量の学術論文を違法にダウンロードしたことで逮捕されたアーロン・スワーツのことを、エルバキャンはもちろん知っているようです。多額の損害賠償を求められたスワーツは自殺しました。

科学的な知識は誰にでも共有されるべきである、という理想でいえば、エルバキャンは英雄でしょう。しかし現在の制度では、彼女は犯罪者かもしれません。だとしたら、サイハブが必要とされなくなったときこそ、科学にとっての理想が実現したときである、ともいえそうです。
 
 


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ライター紹介:粥川準二(かゆかわじゅんじ)
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。明治学院大学、日本大学、国士舘大学非常勤講師。著書『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森川麻衣子ほか訳、人文書院)。博士(社会学)。