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ディエゴ・ゴメスの悲劇―著作権と学術発展の狭間で

著作権法とは「著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」(著作権法第一章 総則、第一節 通則、第一条 目的より)として制定された法律です。内容は概ね多くの国で同じで、著作物および著作者の権利を守っています。

著作権の保護は著者および出版社にとって重要ですが、研究者の間では科学の発展への貢献ならびに後続の育成のために、データや研究論文を含めた情報の共有化が図られています。そんな中、コロンビアで「論文をインターネットに共有したことで投獄」という訴訟問題が起きたのです。

■ コロンビアの大学生に起きた悲劇

コロンビアの大学院生(生物学部)のディエゴ・ゴメス(Diego Gomez)は、論文を「共有」したことにより、投獄されるかもしれない事態に陥りました。両生類(カエル)の生態学の研究を行っていたゴメスは、ある科学者の論文が保全生物学の研究に有用だと考え、インターネット上で文書を共有するサービスScribdにアップロードしたところ、2013年、論文の著者に著作権違反で訴えられていたことを知りました。有罪判決が出た場合、8年間の禁固刑と罰金が課せられるという裁判の始まりです。

コロンビアには学術情報を共有するシステムがないため、ゴメス自身、論文へのアクセスが難しいことを痛感しており、他の研究者にも情報を共有したいという思いからの行動でした。コロンビアには著者の権利に関する例外や出訴期限はあるものの、デジタル化に対応したものにはなっていませんでした。

悪意の有無と経済的損失が証明されれば、著作権侵害と判断されかねません。ゴメスの目的は学術情報の共有であったため悪意があったとは考えづらく、またゴメスが問題の論文をウェブに掲載した時点では無料ダウンロードが可能でしたが、後になってサービスが有料になっているのに気づき、掲載を取り下げているので、経済的利益を得ているとも思えません。

論文のオープンアクセスを推奨する研究者は増加しており、ゴメスの情報共有は犯罪ではないと見なす人が多いと考えられます。実際、コロンビアの人権団体であるKarisma財団と電子フロンティア財団(Electronic Frontier Foundation: EFF)やクリエイティブ・コモンズ(Creative Commons)は、ゴメスを擁護しています。EEFは、教育、イノベーション、世界の科学の発展のためにオープンアクセスは必須との前提に立ち、著作権法は知識と文化を広げる情報へのアクセスを促進するべきものであるため、そのような動きを阻害する状況にある国は法を改定すべきである、と述べています。

■ 研究の促進か、著作権の侵害か

ゴメスの著作権侵害のケースは、科学界でデータを共有する必要性と著作権侵害を防ぐ必要性との狭間で起きた出来事と言えます。研究論文の利用を促進するサービスであるKudosの最近の調査によれば、調査回答者の57%が、著作権の縛りがあるにもかかわらず、学術共同ネットワークであるSCN(Scholarly Collaboration Network)*1に研究成果を掲載し、66%がこのような研究者のためのネットワークを利用していると答えています。同時に、83%が出版社あるいはジャーナルの著作権法を順守し、方針に従うべきだと考えていることも示されました。このような研究者の要望に応じて、研究者が合法的に研究論文を共有できるようにしている出版社もあります。

ゴメスのケースは、論文を共有したことで刑務所送りになるとは考えづらいことから注目されましたが、この訴訟により、世界中で情報共有をできるようになった時代における著作権のあり方と、学術情報の共有による研究の促進という、相反する二つの問題が浮き彫りとなりました。科学者が研究を進める上でデータの共有は不可欠とされる一方、著作権法を順守することももちろん重要です。従来の紙媒体を念頭に商業的な視点から書かれている著作権は、現代の研究者が置かれている状況にマッチしづらくなっているのです。

*1 SCNs (Scholarly Collaboration Network)
Academia.edu,ResearchGate,Mendeleyなどの登録制の研究者向けネットワークサービスで使用されるプラットフォーム。世界の学術商業出版社で組織されるSTM協会が、SCNsでの論文共有における自主的な原則案「Voluntary principles for article sharing on scholarly collaboration networks」をまとめている。日本語でも「学術共同ネットワーク(Scholarly Collaboration Networks)における論文共有に関する自主的原則(2015年6月8日改訂)」が公開されている。

■ 求められる研究倫理

4年にわたる審査の結果、2017年5月24日、ディエゴ・ゴメスに無罪判決が言い渡されました。しかし検察官はこの判決に対して上告しており、すべて解決とは言えないようです。ゴメス本人は「この訴訟は、国にとって非常に重要な判例です。便益を得るためではなく、純粋な学術目的で情報を共有するための前例となるでしょう」と発言しており、今回の判決が学術界におけるスタンダードとなるのか、今後も注視されます。

研究者同士がオンライン上で論文を共有することで、出版社は購読料の減少という厳しい現実に直面するかもしれません。しかし多くの研究者は、情報がネットワーク上で共有されることが望ましいと考えています。ゴメスの訴訟に際し、「学術出版は国際的にオープンアクセス化されるべきだ」との支援メッセージが多く発せられたことからも、研究者が求める方向は明らかです。

インターネットの爆発的な普及により、著作権の適用範囲は見直されるようになってきています。日本では著作権法改正案が2014年4月に成立し、「電子出版権」が創設されました(2015年1月1日施行)。これにより、出版社は著者に代わって海賊版を差し止める請求ができるようになりましたが、デジタル化のあまりのスピードに、法律は後から付いていくのが精いっぱいです。
情報の即時的な共有が学術と文化の発展に寄与する半面、著作権問題に加えて、デジタルであるがゆえに可能になった盗用や剽窃など、研究倫理も新たに問われる時代になりました。研究者側の注意と対策も必要となっています。


<参考記事>
Electronic Frontier Foundation: Colombian Student Faces Prison Charges for Sharing an Academic Article Online
STAT: For sharing a scientific paper, a young researcher faces jail time
Newsweek: COLOMBIAN STUDENT FACING PRISON FOR SHARING RESEARCH PAPER ONLINE

こんな記事もどうぞ(エナゴ学術英語アカデミー)
オープンアクセス急拡大中―今後の動きは!?

 


オープンアクセス急拡大中―今後の動きは!?

ほんの十数年前まで、学術研究論文の出版は紙媒体が主で、デジタル化されたコンテンツを読むことなど想像すらできませんでした。しかし、近年のICT(情報通信技術)の急激な進歩により、私たちは世界のどこからでも学術情報を入手することが可能となり、それに伴って、学術論文のオープンアクセス化も急速に進んできました。

■ 16年で世界に波及

オープンアクセス化とは、公開された学術研究論文をインターネット上で誰でも自由に、無料で閲覧できるようにすることです。オープンアクセスに向けた動きは、2001年にハンガリーで本格化しました。社会正義・教育・公衆衛生・メディアの独立を国際的に助成する組織であるオープン・ソサエティ財団(Open Society Foundations: OSF)が、ハンガリーで主催した会議でブダペスト・オープンアクセス・イニシアティヴ(Budapest Open Access Initiative: BOAI)を採択し、翌年にBOAIを文書化して公開したのです。これによりオープンアクセスの定義と方向性が示され、世界各国で拡大することとなりました。

ICT技術の進歩と利用者側の利便性向上とは別に、印刷費・運送費が増加して学術雑誌の価格も高騰するという出版業界側の事情もオープンアクセスの流れを加速させました。
学術界は基本的に、研究成果をオープンアクセス化することを推奨しています。学会や学術誌によってはオープンアクセスを義務化しているケースも見られるほどです。研究者は学会や所属する研究機関、投稿する学術誌の方針に従いつつオープンアクセスを検討し、適切な手段を選択することになります。オープンアクセス化によって情報伝達のスピードが格段に速くなり、世界中で研究成果の公開性が高まり、利便性も確実に向上しているのです。

■ 中南米でも新たな動き

世界中で拡大中と言いつつ、ネット環境に大きく依存するという性質上、発展途上の国におけるオープンアクセスはあまり進んでいないと思われがちです。しかしブラジルではBOAIの前から、研究成果を共有する方法を模索していました。1997年にはScientific Electronic Library Online(SciELO)が学術出版をウェブ上で連携させるプロジェクトを発足させ、学術誌の可視化に力を入れてきました。この動きにチリのNational Commission for Scientific and Technological Research (CONICYT)が追随し、さらに中南米の主要な国々に拡大したのです。

2012年11月には、中南米9か国(アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、エクアドル、エルサルバドル、メキシコ、ペルー、ベネズエラ)がブエノスアイレスに集まり、中南米における学術研究成果のオープンアクセス化をめざすネットワーク組織LA Referenciaを正式に結成することで合意しました。LA Referenciaには今や、140万件以上の記事や学位論文などのデータが収録されています。

さらに、オープンアクセスジャーナルの包括的なデータベースを構築しているDirectory of Open Access Journals(DOAJ)の記事(2017年1月17日付)によれば、2014年3月にDOAJの基準が設定されて以来、中南米およびカリブ海地域から登録された学術誌は916誌。著者責任の明確化や著作権ポリシーに関する課題はあるものの、中南米における国際出版基準に準じたオープンアクセス化の促進と質の向上が進んでいるようです。

 国際機関も動きを推進

中南米のように、国家レベルでオープンアクセスを進めている国々もありますが、公的資金を使った研究成果も幅広く利用できるようにと、国際機関でもオープンアクセス化の動きが広がっています。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization: UNESCO)も2013年にオープンアクセス政策を発表し、その戦略的枠組みの一環として2013年3月、ジャマイカのキングストンで、第1回Regional Latin American and Caribbean Consultation on Open Access to Scientific Information and Researchを開催しました。この大会にはジャマイカ、西インド諸島およびカリブ海の国々を含む中南米諸国が参加しています。さらに同じ年、ユネスコの主要な研究報告書などを掲載したOpen Access Repositoryを公開し、オープンアクセス化を積極的に進めています。

■ よいこと尽くしに見えるが……

オープンアクセス化の推進という新しい流れは、研究者に大きなメリットをもたらしています。世界中の学術論文を含む情報が自由かつ無料で入手可能になることで、研究者の専門分野における研究の発展に貢献します。また、異なる分野の研究成果や興味のある学術情報も簡単に検索・入手できるようになることで、研究の幅を広げ、分野を超えた連携を可能にします。同時に、研究者が論文をオンラインに掲載することで自身の論文の被引用回数を把握できるようになると共に、論文の披検索数が増加することも期待されます。

よいこと尽くしのように見えるオープンアクセス化ですが、問題も発生しています。ICTの発展に伴うオープンアクセス化で利便性が向上する反面、混在する誤情報を含む膨大な情報に振り回されたり、出版倫理に触発する問題が発生したりと、諸刃の剣にもなり得ます。

著作権の扱いも課題の1つです。オープンアクセス化にあたり、出版社や個人が所有する著作権と折り合いをつけなければなりません。オープンアクセスジャーナルにおける著作権はクリエイティブ・コモンズに準拠していることが基本と考えられますが、研究者が他の研究者から使用許可を得るのを支援するツールなどが必要と考えられます。インターネットへのアクセスをいかに確保するかも大きな課題です。特に地方における接続の安定性とスピードの向上は必須です。デジタル環境の構築は、その国がインフラ整備にどれだけ力を入れるかに大きく影響されるため、一筋縄ではいきません。

■ さらなる普及に向けて

オープンアクセスモデルには、明確な方針や資金、インフラ構築、ICTが不可欠です。またコンテンツを充実させるには、査読も必要ですが、それ以前に世界に向けて研究成果を発信していく研究者がいなくては成り立ちません。登録する論文を増やすには、研究者がオープンアクセスのメリット、オープンアクセスリポジトリへの登載方法、SHERPA-RoMEO[1]によるオープンアクセスにおける出版社著作権ポリシーなどを理解する必要があります。そのための教育や支援も必要となるでしょう。

学術研究におけるオープンアクセスの重要性は世界中で認識されており、この流れが止まることはないでしょう。直面する課題にどう対処していくのか、今後の動きに注目です。

 


注釈[1]  SHERPA/RoMEO:英国のノッティンガム大学を中心に立ち上げられた、オープンアクセスの機関リポジトリプロジェクトSHERPA(Securing a Hybrid Environment for Research Preservation and Access)のうちの一プロジェクト。ジャーナル出版社の著作権ポリシーを集積し、データベース化している。2017年7月時点で2,393出版社が登録され、分析対象となっている。

参考
Enago academy掲載の英文はこちら:Open Access Movement in Latin America


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エルゼビア社、海賊版論文サイトに裁判で勝利したが…

2017年6月21日、アメリカのニューヨーク地方裁判所は、「サイハブ(Sci-Hub)」や「ライブラリー・ジェネシス(Library Genesis/LibGen)」といった、有料の学術論文を無料で入手できるウェブサイトに対して、著作権侵害による損害賠償として1500万ドルを支払うべきだと裁定しました。

本連載でも伝えた通り、ジャーナル(学術雑誌)の購読費が高騰していることにより、論文を入手しにくくなっていることに対して、多くの研究者が不満を抱いています。その1人であるカザフスタンの大学院生アレクサンドラ・エルバキャンは、2011年、購読費もパスワードも使うことなく学術論文のPDFファイルを簡単に入手できるウェブサイト「サイハブ」を開設しました。

サイハブは多くの研究者に重宝されていますが、当然のことながら学術出版社はこれに激怒しています。なかでも学術出版最大手のエルゼビア社はサイハブを訴え、2015年11月、ニューヨーク地方裁判所はサイハブに対しウェブサイトの閉鎖を命じました。しかしエルバキャンはサーバーを、アメリカの司法の力がおよばないロシアに移し、現在に至るまでサイハブを運営しています。

今年5月、エルゼビア社はサイハブや、やはり有料の論文を無料で入手できるサイト、ライブラリー・ジェネシスで不正に入手できる論文100件のリストを裁判所に提出し、恒久的な差し止め命令と総額1500万ドルの損害賠償を求めました。

『ネイチャー』(6月22日付)によれば、サイハブで入手可能な論文の版権のうち、最も多くのシェアを占めていたのは、エルゼビア社でした。それにネイチャー・シュプリンガー社やワイリー・ブラックウェル社が続きます。

エルゼビア社の訴えに対して、ニューヨーク地方裁判所のロバート・スウィート判事は、海賊版論文サイトの運営者も代理人もいない法廷で、エルゼビア社寄りの判決を下したのです。しかし、多くの学術ウォッチャーたちは、この判決がサイハブやライブラリー・ジェネシスの運営を止められるとは考えていないようです。実際のところ、7月現在、どちらも利用可能です。エルゼビア社の代理人や出版業界団体は、当然ながらこの判決を歓迎するコメントを各媒体で述べています。

興味深いのは、識者たちの見解です。たとえば2人の識者が別の媒体で、ほとんど同じことを話しています。インペリアル・カレッジ・ロンドンの生物学者スティーブン・カリーは『ネイチャー』で、セント・アンドリュース大学の歴史学者アイリーン・フィフェーは『タイムズ・ハイアー・エデュケーシション』で、それぞれこう述べています。サイハブが人気だということは、学術出版の現状に不満を抱えている研究者がそれだけたくさんいるのだ、と。

また、サイハブについて最初に書かれた学術論文の著者の1人、ゲーテ大学の生物情報学者バスティアン・グレシュアケは、この判決によって、サイハブやライブラリー・ジェネシスを使う人たちはむしろ増え、さらに彼らは同様の「法的に問題のある」サービスを開発するよう刺激されるだろう、と推測しています。実際、「オープンアクセスボタン(Open Access Button)」や「アンペイウォール(Unpaywall)」といった研究論文を入手するためのウェブサービスやアドオン(これらは合法)は、多かれ少なかれサイハブに触発されてできたものだ、と。

さらにスタンフォード大学の教育学者ジョン・ウィリンスキーは、今回の判決はエルゼビア社が公的な資金で行われた研究を「企業資産と私有財産」に変えてしまっていることを意味する、と厳しい評価を下しています。

学術出版社に対する批判は別の形でも現れています。「数学界のノーベル賞」と呼ばれるフィールズ賞を受賞した数学者を含む著名な科学者たちは、2012年、エルゼビア社が発行するジャーナルの購読料の高さなどに抗議して、同社への論文の寄稿・査読・編集をボイコットするという「学界の春(Academic Spring)」運動を始めました。この運動はオープンアクセスの推進にも広がり、同社を支持しないと表明する宣言への署名運動「知識の代償(The Cost of Knowledge)」となって広がっています。

確かに、サイハブは違法なのでしょう。しかしながら、エルゼビア社をはじめとする学術出版社がこうした研究者たちの不満に対する解決策を提供できていないのも事実なのです。


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ライター紹介:粥川準二(かゆかわじゅんじ)
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。明治学院大学、日本大学、国士舘大学非常勤講師。著書『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森川麻衣子ほか訳、人文書院)。博士(社会学)。


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ビル&メリンダ・ゲイツ財団、オープンアクセス促進に注力

従来、学術研究論文を読むには購読料が必要でした。学術論文にアクセスしようとすれば、お金を払わねばなかったのです。また学術ジャーナルの中には、執筆者が自分の論文を公的にシェアするのを一定期間認めないものもあり、研究論文の共有を阻んできました。これは、多くの学術出版社側にとっては収益を生む重要なモデルですが、研究者側にとっては成果へのアクセスを妨げるものでした。特に資金不足に悩む研究者にとっては深刻な制約であり、先行する研究成果に基づいて進められるような研究においては、後進の研究活動の発展を妨げることになりかねません。

■ 研究成果を制限なく公刊する

近年、前述の有料モデルとは正反対に、無料で学術論文を公開するモデルが普及してきました。オープンアクセス出版です。これはすべての研究者が生産性を上げられるよう、必要なデータへの公平なアクセスを確保するオンラインのジャーナルを指します。このオープンアクセスの流れを支える強力な支援者に、ビル&メリンダ・ゲイツ財団も名を連ねています。この世界最大の慈善基金財団は、” All Lives Have Equal Value”(すべての生命の価値は等しい)との信念のもと、世界中の人々が健康で豊かな生活を送るための支援を行っています。活動の範囲は、世界の病気・貧困の撲滅への挑戦から教育やIT技術に関わるものまで幅広く、学術振興への支援の一環として、オープンアクセスの流れも後押ししています。

ゲイツ財団は2017年1月1日、財団の助成を受けたすべての研究成果が購読料や制約の壁に阻まれないようにとの方針”Bill&Melinda Gates Foundation Open Access Policy”を発表しました。この方針は米国国立衛生研究所(NIH)やWellcome Trust(イギリスに本拠地を置き医学研究支援などを行う団体)などのような学術支援団体の方針にも近いものですが、ゲイツ財団はさらに踏み込んで、研究成果をクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCライセンス:インターネット時代のための新しい著作権ルール)のもと、商業目的を含んだ再利用をも制限することなく、公刊することを求めています。この要求は、その公刊物に関わるすべてのデータにも適用されることになります(学術ジャーナルの中には同財団のオープンアクセス方針に対応していないものもあるため、財団の助成を受けた研究者は、それらの雑誌に論文が掲載できないことになります)。

■ 既存のジャーナルにもたらす影響は?

NatureScienceNew England Journal of Medicineなど有名な既存のジャーナルは、オープンアクセスに対応していません。ゲイツ財団の方針に準じれば、こうしたジャーナルがオープンアクセスに参加しない限り、これらの誌面には財団が支援した研究成果を掲載できないことになります。Natureは妥協策として、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの一種で再利用の制限のないCC-BYライセンスのもとでの出版を模索しているようですが、natureブログの記事(201年11月21日付)が言及するように、容易な道ではありません。この問題について財団と交渉を行っているジャーナルもあるようです。

この最近の展開がどこまで学術研究を変化させるかは、時間をかけて見ていく必要があります。ただはっきりしているのは、このゲイツ財団の方針表明により、学術界でのオープンアクセスの運用について、新たな議論の道が生み出されたということです。NIHやWellcome Trustの方針同様に、ゲイツ財団のこの新方針も、研究者のデータアクセスにポジティブな影響を与えることが期待されています。

ゲイツ財団は、その活動の中で、熱帯地域、貧困層に蔓延している寄生虫、細菌感染症といった、いわゆる「顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Disease: NTD)」との戦いにおいて、官民協力のもと国際的な共闘をめざすという新たな動きを取り入れました。財団の先見性と行動力にあふれたアプローチが学術界にも浸透するのか、そしてオープンアクセスにどのような効果をもたらすのか、目が離せません。

参考
Enago academy掲載の英文はこちら:Gates Foundation Accelerating Open Access


Boycott of Elsevier journals

エルゼビアが浮き彫りにした学術誌出版のコスト問題

2017年に入って、ドイツ、ペルー、台湾の研究者たちが、複数のオンライン学術ジャーナルにアクセスできなくなりました。それらのサイトとオランダの大手学術出版社エルゼビアとの2017年度のライセンス契約交渉が決裂、無契約状態になったため、エルゼビアの管理する何千というジャーナルへのアクセスが遮断されたのです*1。どうしてこのような事態に至ったのでしょうか?

学術ジャーナルの歴史

学術ジャーナルの歴史は、1665年に遡ります。この年、フランスで Journal des sçavans、英国でPhilosophical Transactions of the Royal Socieryが、それぞれ初めて刊行されました。19世紀になると、数々の学会が各々の学術誌を刊行していきました。その支えとなったのは会員からの会費・購読費収入で、この形態は現代でもあまり変わりません。

1926年、生物学の分野ではBiological Abstractsが他に先駆けて公刊され、それまでやみくもに古い文献を探るしかなかった研究者たちは、特定のトピックの記事に容易にたどり着けるようになりました。しかし1970年代までには、学術ジャーナルの数は膨大なものになり、現代ではインターネットでの検索が主流になりました。

時間が経つにつれ、学会などの諸組織は、ジャーナルの公刊作業を出版社に委託するようになりました。関係者有志による査読と編集作業に頼るのではなく、プロのライターや編集者などに多くの仕事を任せるに至ったのです。そうして数多くの学術出版社が生まれ、多様なジャーナルを出版するようになりました。

学術ジャーナルの購読負担が増大

今では年に何千冊も発行される学術ジャーナルですが、近年、読者を悩ませる問題が発生しています。購読料です。世界中の大学図書館などにとってはただでさえ大きな負担ですが、これが増大しているのです。1960年代には、図書館がジャーナル1誌(印刷物)を年間購読するのにかかる費用は20~50アメリカドルぐらいだったのに、今では1誌(オンラインアクセスを含む)の年間購読に1000ドルの負担を強いられることすらあります。最近では、図書館や企業、政府機関が出版社と複数の電子版・紙版の雑誌をセット購読契約する、いわゆるビッグディールが見受けられますが、それでも購入コストは馬鹿になりません。

印刷物から電子ジャーナルへの移行が進み、紙や送料などの物理的コストは削減されたものの、日本における海外の学術ジャーナルの実価格は円安為替の影響も重なり、紙版・電子版を問わず高騰し、読売、朝日、日経などの新聞各紙に取り上げられるほど、問題が表面化しました。

出版社側にも重くのしかかるコスト問題

一方、大手出版社にも重くのしかかる問題はあります。出版コストです。各社で施策を練り、合理的なコストでのサービス向上を目指していますが、無償の有志編集者に頼らずにカラーのイラストを多用した高品質なジャーナルを刊行するには費用がかかりますし、多少の利益も必要です。つまり、この出版のコストを購入者が負担しなければならないのです。

出版コストの問題は、大学図書館などの予算の制約による購読契約減少、これに対応するための出版社側の発行部数削減、部数減による学術ジャーナル単価の高騰という悪循環に陥る可能性を、常にはらんでいます。米国の大学図書館関係者間で1970年代から指摘され始めていたシリアルズ・クライシス(雑誌の危機)問題の構造は、今も変わっていません。

オープンアクセスへの流れ

話を冒頭に戻します。ドイツにDEALプロジェクトという、大学・研究組織のコンソーシアムがあり、学術出版社の出版物のライセンス契約を取り扱っています。2016年、DEALはエルゼビアが提示した、オープンアクセスへの流れを拒否し、価格上昇を盛り込んだ契約条件を受諾できないと表明しました*2。これにより、複数のオンライン学術ジャーナルへのアクセスが遮断されたのです。

インターネット上で誰もがすべての研究論文を読めるという、オープンアクセスへの志向はドイツ以外でも広がりつつあります。2016年5月、オープンアクセスを推進するために欧州連合(EU)の「競争審議会(科学、イノベーション、貿易、産業にかかわる大臣たちの会合)」は、欧州での全学術公刊物をオープンアクセスにするという合意に達しました*3。これは、出版コストにおける現状モデルへの挑戦になり得ます。オンラインジャーナルの普及により個々の学者と図書館などの購読者が紙版のジャーナルに対して対価を払うという概念が消え失せつつあるのは確かです。誰でもオンラインで購読料負担なしに、数々のペーパーを読むことができる時代となり、新たなパラダイムが必要とされているのです。

出版コスト以外の問題も・・・

コスト以外にも学術出版会を悩ませる問題も出てきています。いわゆる「フェイク・ジャーナル」*4の出現です。前述のような定評と伝統のある学術出版社と異なり、オンライン上で金目当てに組織されるそれらは、刊行前に欠かすことのできない事実検証の能力を欠いています。そのくせ、誇大宣伝を謀って自らの評判、スタッフの質を強調します。まっとうな学者による査読もスクリーニングもないというのに、論文の公刊を高価な掲載料で請け合います。有名学者の名前を、本人の同意を得ずにサイトに掲載することさえあるのです。フェイク・ジャーナルの出版社は「オープンアクセスジャーナルを公刊している」と主張しますが、1~2年で廃刊されるような類のものがほとんどで、泣きを見るのは、大枚をはたいて掲載を実現させた投稿者たちです。

他にも、正式に交換された出版物のの中身を勝手にリリースし、オープンアクセスと称するサイトも存在しています当然、無断転載は違法ですが、このような存在すらも、従来の出版社への圧力になっていることは確かです。出版社および購読者双方が公正かつオープンに交渉することからしか解決の糸口を見つけることはできませんが、動向には注視する必要があります。
オンライン化に関しては、エルゼビアの刊行物を購読するアプリを自社のOSで運用し、学術ジャーナルのインパクト指標Google Scholar Metricsを提供しているグーグルなどの巨大IT企業の動向も気になるところです。

学術ジャーナルの価格問題およびオープンアクセス化は切り離せない関係であることからも、今後の動きから目が離せません。


脚注

*1 nature「Scientists in Germany, Peru and Taiwan to lose access to Elsevier journals」2016.12
*2 図書館に関する情報ポータル「ドイツ・DEALプロジェクトとElsevier社による全国規模でのライセンス契約交渉が決裂」
*3 エナゴ学習英語アカデミー「科学論文すべてをオープンアクセスに」EUが合意
*4 エナゴ学習英語アカデミー「捕食ジャーナル – 倫理学分野にすら登場」


「科学論文すべてをオープンアクセスに」EUが合意

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撮影:Jlogan

2016年5月27日、欧州連合(EU: European Union)の「競争審議会(科学、イノベーション、貿易、産業にかかわる大臣たちの会合)」は、ブリュッセルでの2日間の会議を経て、「ヨーロッパの科学記事すべてを、2020年までに無料でアクセス可能にすべきである」という合意に達しました。

現在、ジャーナル(学術雑誌)の定期購読者でなくても読むことができる論文が少しずつ増えています。そういう状態を「オープンアクセス」といいます。すべての論文が オープンアクセス になっている雑誌のことを「オープンアクセス・ジャーナル」といいます。

EUのプレスリリースは現状を次のように説明しています。

公的に資金を提供された研究の結果は現在、大学や研究機関に属していない人々にはアクセス不可能である。結果として、教師や医師、起業家らは、自分たちの仕事に関係がある最新の科学的洞察にアクセスできず、大学は出版物にアクセスするために高額の購読料を出版社に払わなければならない。

つまりEUは、すべての科学論文をオープンアクセス化しようと決断したのです。

2016年5月に発行された『サイエンス』誌の記事によれば、このEUの動きは「オープンサイエンス」というさらに大きな目標を達成するための過程です。オープンサイエンスとは、論文だけでなく、論文に含まれるグラフなどのもとになった生データも公開し、第三者がそのデータを再利用できるようにすること、つまり「データ・シェアリング」をも含む広い概念です。「EUにおける交代制の議長を現在務めているオランダ政府は、オープンサイエンスのためにヨーロッパ規模のロビー活動を行ってきた」と同記事は書きます。

先述したEUのプレスリリースも、「研究データを適切に再利用できるようにしなければならない」と、明記しています。

このことを達成するために、たとえば知的所有権やセキュリティ、プライバシー問題といった、再利用できないことについて根拠の確かな理由がある場合を除いて、データはアクセス可能にするべきである。

競争審議会の議長を務める、オランダのサンダー・デッカー教育・文化・科学省副大臣は、「研究とイノベーションは、経済成長やより多くの雇用をもたらし、社会的課題にソリューションをもたらすものです」と述べ、そのために「知識が無料でシェアされること」が必要であることを強調しています。

『サイエンス』誌の同記事は、EU加盟のヨーロッパ各国がどのようにして4年以内にオープンアクセスへと完全移行するのか、産業審議会が具体的に述べていないことなどを指摘しています。

競争審議会の広報担当者も、2020年という目標が「簡単な仕事ではないでしょう」と認めているが、審議会の新たな決断の重要性を強調する。「これは法律ではありません。しかし、28カ国の政府の政治的方針なのです。重要なのはコンセンサスがあるということです」

ジャーナルを有料で販売している学術出版社はこの動きに抵抗するかもしれません。同時にこの動きは、アメリカや日本にも影響することが予想されます。またEUのこの合意が念頭に置いているのは、おそらく主に自然科学の論文ですが、社会科学や人文科学分野についても、いずれ変革が訪れるでしょう。
 
 


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ライター紹介:粥川準二(かゆかわじゅんじ)
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。明治学院大学、日本大学、国士舘大学非常勤講師。著書『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森川麻衣子ほか訳、人文書院)。博士(社会学)。


海賊版論文サイト サイハブ / Sci-hub をめぐって

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筆者は数年前まではどの研究機関にも属していなかったので、オープンアクセスになっていない科学論文を手に入れることに苦労していました。わざわざ図書館で印刷版をコピーしたり、大学などに属している友人にPDFファイルを送ってくれるよう頼んだりしていました。大学で教えるようになってからも、あえて何の特権もないままでどれだけ論文を入手できるかを試してきました。

幸いにも最近はオープンアクセスの論文も多くなりました。また、大きな声ではいえないものの誰でも知っているように、たとえ出版社のウェブサイトでアクセス制限があっても、「Google Scholar」などのデータベースをうまく使うと、インターネット上のどこかにアップされているPDFファイルが見つかることもあります。

一方、ジャーナルの購読料が高騰しているために、大学のなかにはジャーナルの定期購読をやめてしまい、研究者に必要な論文を個々に購入するよう求めているところもあるようです。また、いわゆる先進国ではない国々の研究者たちにとって、論文の入手にかかるコストは、先進国の研究者よりもずっと重いものでしょう。

2011年、そんな状況に不満を抱いたカザフスタンの大学院生アレクサンドラ・エルバキャンは、コンピュータのスキルを駆使して、数万件もの論文のPDFファイルを誰でも簡単に無料で入手できるウェブサイト「サイハブ(Sci-hub)」を創設しました。ネット上では、多くの研究者がサイハブを賞賛しました。

これに待ったをかけたのが、いうまでもなく出版社です。学術出版大手のエルゼビア社は サイハブ を訴え、2015年11月、ニューヨーク地方裁判所はサイハブが著作権保有者としての出版社の法的権利を侵害していることを認めて、ウェブサイトの閉鎖を命じました。「sci-hub.org」からは論文をダウンロードすることはできなくなりましたが、すぐに、「sci-hub.io」や「sci-hub.bz」、「sci-hub.cc」というミラーサイトが現れました(6月20日現在、「.io」は使えなくなっているようです。今後の展開次第では「.bz」や「.cc」も使えなくなったり、新たなミラーサイトが立ち上げられる可能性もあります)。そのサーバーは、アメリカの司法の力が及ばないロシアにあるようです。

サイハブは、いまでは50万件もの論文を収録しているといわれています。ただ、サイハブにはどれくらいのユーザーがいるのか、彼らはどこにいるのか、彼らはどんな論文をダウンロードしているか、といったことは明らかではありませんでした。

ジャーナリストのジョン・ボハノンは、エルバキャンからサイハブの詳細なログ・データを提供してもらい、その分析結果を『サイエンス』で「海賊版論文をダウンロードしているのは誰だ? みんなだ」という記事にまとめています(なおそのデータセットはここに公開されています)。その記事は、2015年9月から2016年2月までの6カ月間で2800万件ものダウンロードがあったこと、最もダウンロードが行なわれた国はテヘラン、インド、中国であり、都市でいえばテヘラン、モスクワ、北京であったこと、その一方で、アメリカやヨーロッパ諸国といったいわゆる先進国でもかなりのダウンロード数があること、などを明らかにしました。

最も打撃を受けた出版社はエルゼビア社のようです。同記事は、最近の1週間だけで、エルゼビア社が発行するジャーナルに掲載された論文のダウンロードが50万件あったと推測しています。

少し気になるのは、前述のように、ジャーナルへのアクセス環境が整っている先進諸国でも多くのダウンロードがなされていることや、2番目に多くダウンロードされている論文がオープンアクセスになっているものであるということです。同記事は次のように書きます。

サイハブを批判する者のなかには、多くのユーザーが同じ論文に図書館経由でアクセスできるのに、サイハブを使っていることに不満を述べている −− 必要だからというよりも便利だからである。アメリカはロシアに続いて5番目にダウンロードする者が多い国である。サイハブへの論文リクエストの4分の1は、経済協力開発機構(OECD: Organisation for Economic Co-operation and Development)に加盟する34カ国から来ている。ジャーナルへのアクセスが最もよいと考えられている豊かな国々である。

つまりサイハブは、論文を入手するために便利な、ただのポータルサイトにもなっているということです。確かに、たとえば自分が所属している研究機関がジャーナルを購読していても、それにアクセスするためにはパスワードが必要だったりして面倒です。サイハブなら、論文の題名を検索窓に入れるだけです。

もちろん出版社サイドは、サイハブに批判的です。たとえば『ネイチャー』では次のように伝えられています。

ワシントンDCにある科学出版の業界団体「アメリカ出版協会」の職業的学術出版部門長でエクゼクティブディレクターのジョン・タグラーは「サイハブの違法行為は、学術コミュニケーションすべての持続可能性を脅かします」と言う。彼は大きな出版社だけが被害者ではないことを指摘する。「より小さな出版社や大学の出版局が持っている論文すべてが盗まれているのです」と彼は付け加えた。

エルバキャンはエルゼビア社から、著作権違反だけでなく違法なハッキングについても訴えられています。そのため逮捕される可能性があることも彼女は認めています。以前に、同じように大量の学術論文を違法にダウンロードしたことで逮捕されたアーロン・スワーツのことを、エルバキャンはもちろん知っているようです。多額の損害賠償を求められたスワーツは自殺しました。

科学的な知識は誰にでも共有されるべきである、という理想でいえば、エルバキャンは英雄でしょう。しかし現在の制度では、彼女は犯罪者かもしれません。だとしたら、サイハブが必要とされなくなったときこそ、科学にとっての理想が実現したときである、ともいえそうです。
 
 


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ライター紹介:粥川準二(かゆかわじゅんじ)
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。明治学院大学、日本大学、国士舘大学非常勤講師。著書『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森川麻衣子ほか訳、人文書院)。博士(社会学)。


査読は匿名かオープン、どちらが質が高い?

査読は「オープン」で行なったほうがよいのか?

©BMJ Open

ジャーナル(学術雑誌)で行われる査読は、次の3種類に分かれます。

「片側盲検(single blind)」では、査読者の側からは著者が誰かわかりますが、著者の側からは査読者は誰かわかりません。「オープン査読(open peer review)」では、著者も査読者もお互いが誰かをわかったうえで査読が行なわれます。「二重盲検(double blind)」では、著者も査読者もお互いが誰かわからないまま査読します。

一般的に、片側査読もしくは二重査読を適用しているジャーナルがほとんどで、オープン査読が採用され始めたのは比較的最近のことです。査読者の数は通常、2~3人です。ジャーナルのなかには、採択された論文といっしょに査読者レポート(reviewer report)や著者の返信を、署名または匿名で公表するところもあります。また多くのジャーナルでは、原稿を投稿した著者が査読者になりうる人を提案することを認めています。なかには著者にそれを要求するジャーナルもあります。

査読の形式が異なることによって、査読の質も異なるのでしょうか? オープンアクセス・ジャーナルの出版社として知られるバイオメド・セントラル(BioMed Central)の「研究公正グループ(Research Integrity Group)」と、ロンドン熱帯衛生医学大学院のフランク・ダドブリッジ教授は、合計800本もの査読者レポートを分析し、2015年9月29日にその結果を『BMJオープン』で発表しました。その結果からは、オープン査読は片側盲検よりも優れた質の査読を実施できるという可能性が示されました。

この研究では、バイオメド・セントラルが発行するなかで、採択率や扱っているテーマが似ているジャーナル2誌が比較されました。オープン査読で運営されている『BMC感染症(BMC Infectious Diseases)』と、片側盲検モデルで運営されている『BMC微生物学(BMC Microbiology)』です。また、『炎症ジャーナル(Journal of Inflammation)』においては、査読の形式がオープン査読から片側盲検へと変更されたので、その影響が調べられました。同グループは、『BMC感染症』から査読者レポート200本、『BMC微生物学』から同じものを200本、そして『炎症ジャーナル』からはオープン査読が行なわれていた時期と片側盲検になった時期からそれぞれ200本を集めて分析しました。

分析には「査読品質評価表(RQI: Review Quality Instrument)」という手法が使われました。RQIは査読の質を評価する手法で、1999年に『BMJ(英国医学ジャーナル)』の編集委員によって開発されたものです。評価する者は査読者レポートを読み、「その査読者はリサーチ・クエスチョンの重要性を議論しましたか?」といった8項目の質問に対する答えを5段階で記すことで、査読の質を点数化することができます(参照)。研究グループは、3つのジャーナルに論文が載った著者たちに「査読者のコメントはどれくらい役立ちましたか?」といった18項目の質問をしました。

分析の結果、オープン査読で運営されている『BMC感染症』の査読者レポートのほうが、片側盲検で運営されている『BMC微生物学』の査読者レポートよりも5%優れた質であることがわかりました。これは「統計学的に高いスコア」であるとグループは述べています。また、同様の調査を『炎症ジャーナル』でも行なったのですが、オープン査読が行なわれていた時期と片側盲検になった時期との間に違いはありませんでした。同グループは、おそらく編集者の権限などほかの要因が影響しているのだろう、と推測しています。著者への質問では、『BMC感染症』(オープン査読)のほうが『BMC微生物学』(片側盲検)よりも、役立ったと答えた著者が多いことがわかりました。一方、『炎症ジャーナル』では、統計学的に有意な違いが出ませんでした。さらに、3つのジャーナルすべてにおいて、著者が提案した査読者(author-suggested reviewer)は著者が提案していない査読者(non-author suggested reviewer)よりも、しばしば採択(受理)を勧告する傾向があることも明らかになりました。

学術界では「査読は匿名でするもの」ということが半ば常識になっています。しかし、査読の質を高めるためには、オープン査読のほうが有益かもしれない、ということです。一方、「著者と査読者が友人である場合、オープン査読は公正なものとなるか? 逆にライバルであったら?」といった従来からの疑問は、完全には解消されていないでしょう。


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ライター紹介:粥川準二(かゆかわじゅんじ)
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。明治学院大学、日本大学、国士舘大学非常勤講師。著書『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森川麻衣子ほか訳、人文書院)。博士(社会学)。