私は、世界中どこの国の人達を比較しても、人間の “素質” には余り違いがないのではないかと思っています。しかし、この世に産声を上げたその瞬間から、生まれた社会の “常識” を吸収し、あっという間に、自分が存在する社会に適した “素養” を身につけていきます。そしてその “素養” は時として異文化間の架け橋となり、また時として誤解の元にもなります。
その “素養” の大きな一因として言語が存在します。
言語には、私達社会が “常識” として捉えている世界観が如実に反映されています。そのため、ある言語に存在する日常用語が、他の言語にはまったく存在しないということが多々あります。例えば、日本語の「頑張る」がそのよい例でしょう。和英辞典をひくと、幾つもの英訳が並べられているはずです。しかも日本の文化に詳しいアメリカ人に聞くと、persevereなど和英辞典には書かれていない英訳が次々と候補として上がってきます。つまり、「頑張る」という言葉やそれによって表現される考えや感情は、英語では簡潔に一言では表せないということになります。
このような理由から、人間の要素を含まない研究論文は、一般的に英訳しやすいと言えます。 “世界の常識” が統一・確立されている物理や化学などの分野では、筆者と読者がその分野の “素養” を共有し、学術知識だけが求められると言っても過言ではありません。
それに比べ社会学や人類学など、人間の思考や行動パターンを分析・解析する分野では、その社会独特の “常識” を説明しないかぎり、研究の意義や成果を分かってもらえないことがあります。
例えば、“男女差別” は世界の多くの社会で共通して取りあげられる問題です。しかも一般に、日本も含め東洋の国は、西洋の国と比べて男女差が大きいと認識されています。ところが、日本では、お父さんがお母さんから月々のお小遣いをもらう家庭が多く見られます。これは日本の、社会を “内と外” の二分割で捉える世界観に深く根ざしており、日本の男女関係が、近代西洋の視線で捉えた「社会に出て働けないということは、家庭内で奴隷化されているのと同じだ」といった一次元的な概念では解釈できないことを指示しています。逆を解せば、日本における離婚時の男女差別や女性の長期就職における問題を他の国の人に理解してもらおうとした場合、自分の研究の意義や結果を発表する前に、まずは日本の男女関係が世界で一般に考えられている東洋の男女差には当てはまらない部分があることを客観的に証明しなくてはいけないということになります。また、このような説明や証明は、読者が知らず知らずのうちに習得している社会観や常識を考慮したうえで論じられていなければ、ピンとくる表現ができないでしょう。
このようなソフト・サイエンスといわれる論文を英訳、校正するには、論文の書かれた専門分野の知識のみならず、日本の社会と対象とする読者の社会観を深く理解したうえで、その二社会の相違点を熟考した視点が要求されます。このような場合、日本語で書かれた論文には、大きな手直しが必要になるかもしれません。また、投稿する学術雑誌の読者層をより詳しく分析する必要がでてくるかもしれません。そのため時間や労力がかかり、「英文校正には不向きだ!」とも言えます。しかしチャレンジが大きいほど上手くいった時の満足感も倍増です。サイエンスの分野で活躍している方達も、時には新聞のコラムなどを読みながら「私だったらどう英訳するかな・・・」と考えてみるのはいかがでしょうか。
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